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第八十九話 「雪解け」

 あれだけ毎日、夢中になって格闘していた雪がピタリと降らなくなった。

 気温こそ寒いが、氷点下よりは上だった。

 暦の上ではとっくに春を迎えてはいた。そして村の者に訊くと、やはり春らしい春が到来したと言うことだった。

 次に向かう町はベアーという。クマの名を冠する町だが、別段クマに対する伝説などは無いらしい。

 そのベアーから町医者が訪れた。

 ああ、これで俺達も旅立てるわけだ。デルターはそう察し、ヴェロニカとランスを呼んだ。

「近いうちに旅立つか」

「そうね、もう私がいなくても大丈夫そうだし」

 デルターの言葉にヴェロニカが応じる。彼女は冬の間、村に滞在する医者として頼りにされていた。

「キンジソウさんや、グランロウさんはどうするんでしょうね?」

 ランスが疑問を口にする。

「確かにな。一言、声を掛けてくるか」

 デルターはその足でキンジソウのもとを訪れたが、家は空っぽだった。もともと荷物らしい荷物も無いが、丁寧に床や壁は拭かれ、掃き清められていた。

「色男さんなら、猫ちゃんを連れて昨日出て行きましたよ」

 近くに住む村の者に尋ねるとそう言われた。一足早く雪解けを察したのだろう。

 では同じく外部から来て逗留していた数学教師グランロウを訪ねると、彼は学校で教鞭をとっていた。だが、デルターの姿を見てやって来た。

「どうした、デルター?」

「忙しいところ悪いな。お前も村を出て行くのかと思って」

「ふむ、御同道しても良かったが、あいにく俺には使命が出来てしまった」

 隻眼の教師は大袈裟な風を装って言った。

「使命?」

「ああ。この村の子供達を王都のアカデミーに通用する以上の頭脳の持ち主達に育てようと思ってな。王都のアカデミーは優秀な者には授業料が免除される。それに」

「それに?」

「ここならば狩りができる。イコール、解体ができる」

「お、おう」

「フハハハハッ!」

 隻眼の数学教師のギラついた片目を見てデルターは一瞬怯んだ。

 だが、相手はそれ以上大騒ぎせず静かに言った。

「そういうわけだ。俺は残る。王都を目指しているのだったな。旅の無事を祈っているぞ」

 グランロウはそう言うと教室に入って行き、戸を閉めた。

 デルターは借りている自宅へ戻った。

 戻ると既にヴェロニカが雑巾を手に掃除をしていた。

「あら、お帰りなさい」

 ああ、急激に押し寄せるこの切ない気持ちは何だろうか。これが寂しさってやつか。

 しおらしい俺なんて俺じゃない。

 デルターは両手で己の頬を叩くと側にあった箒を手にした。

「手伝ってくれるの?」

「当たり前だ、俺だって住んでたんだからな。それにキンジソウの奴が出て行った。家の中は信じられないがしっかり清掃されていた。負けてられるかよ」

「そう、ペケさんも行っちゃったのね」

「そうだな。だが、アイツは何だかいつも近くにいるように俺には思えるんだ。何かあれば顔を出すさ、二人ともな」

 デルターがそう言うとヴェロニカは頷いた。

「あと、グランロウの奴はここに残って先生をやるとさ」

「そうなの。意外だわ」

「狩りと解体ができるって喜んでたぞ」

「ああ、そういうこと」

「じゃあ、俺は二階を掃いてくる」

 デルターは階段を上がって行く。猟銃として出番の無かったショットガンが棚に飾られていた。

 お前とは結局、一度も相棒になれなかったな。

 だが、磨いてやる。だから村のこと頼んだぞ。ガラス戸を開きショットガンを取り出すとデルターは箒を立て掛け、布切れを取り出してショットガンを拭き始めた。

 その夜、ランスが訪れた。

「掃除の方なら終わりましたよ。デルターさんは明日にでもここを発つつもりだったのでしょう?」

「ああ」

「やっぱり。鴨や猪の肉ともしばらくお別れですね。たくさん食べたから悔いは無いです。悔いがあるとすれば、村の人達に何の恩返しもできなかったことでしょうか」

「持ちつ持たれつ。恩返しなら平等にやったさ。お前もこの雪で鍛えられたんじゃないか?」

「そうかもしれませんね」

 そしてランスが帰ると、二人は就寝の準備をした。

「また新しい未来が私達を待っているわよ」

 暗い部屋で隣に寝るヴェロニカが言った。

「そうだな。だが、ここでのことは大事な過去だ」

「おやすみ、デルター」

「ああ、おやすみ」



 二



 デルターとヴェロニカ、ランスが、朝も過ぎたころ旅姿で村を歩いて行くと、外に出ていた村人達が驚いた様子で尋ねて来た。

「ハゲの旦那、行きなさるんですか?」

「ああ。世話になったな」

「いいや、とんでもねぇ。村長に挨拶に行くんでしょう?」

「ああ、一応な」

「こうしちゃいらねぇ!」

 村人はそう言うと家の中に入って行った。

 そして出てくると金色のラッパを口に当てながら飛び出してきた。

 ラッパの高らかな音が村に響き渡る。

 すると家という家、道という道から老若男女の村人達が駆けつけてきた。

「何だ? 何があったんだ?」

「ハゲの旦那達が村長に挨拶しに行くらしい」

「それは大変だ」

 何やら鬼気迫った様子にも見える村人達を見ながらデルターは立ち尽くしていた。

「さぁ、ハゲの旦那方は歩いて」

「あ、ああ」

 三人が歩き始めると、ラッパの音色と共に村人達が後に続いてくる。人々は行く先々で合流し、今や膨れ上がった一団になっていて、デルターを驚かせていた。

 村長宅に来ると村長が飛び出して来ていた。

 ラッパの音色が止む。

 途端にただ別れの挨拶を気楽にするだったのが、どうにも厳粛な空気になってしまい、デルターはうろたえていた。だが、それでも彼は口に出して述べた。

「俺達は今日、いや今から旅立つことにした。すっかり世話になったのに急なことになってしまって悪いな」

 するとすすり泣く声が方々から聞こえ始めた。

 ああ、俺達は何て素晴らしい人々に囲まれていたのだろうか。

 デルターももらい泣きをしそうになったが、一人の子供が出てきてデルターを見上げながら手にしていた物を差し出してきた。

 手のひらよりも少し大きいそれは木彫りの像のようだった。

「お守りか何かか?」

 デルターが問うと村長が言った。

「よく見てみなされ」

 デルターは像を見詰めた。手があり足があり、顔があり髪が、頭頂部一帯だけ彫られておらず、うわぐすりで光り輝いていた。

「俺か?」

「ええそうです。ハゲ旦那の像と申しまして、この村の名産品にしようということになりました」

「いや、だが、売れるのか?」

 デルターが問うと村長は応じた。

「売れる売れないの問題ではありません。我々にとって、あなたはシンボルなのです。つまり村の旗印! 堂々と掲げ、このハゲ旦那の像のモデルであるデルター殿がどれほど素晴らしい客人だったか、後の世に語り継いで行かねばなりません」

「お、おう」

「何だか凄いことになったじゃない。あなたが他者貢献できていた証よ」

 ヴェロニカが耳元で囁いた。

「それに、このハゲ旦那の像は全部で百五十一種類あるのです。全て集めることができた者には豪華な村の記念品が贈られることになっております」

「そ、そんなにあるのか?」

「ええ、ですからまた村に寄った際には顔を見せて下さいね。デルター殿、ヴェロニカ殿、ランス殿」

 村長に言われ、三人は頷いた。

 再びラッパが吹き鳴らされた。

 デルター達は歩んで行く。村の門まで来ると、付き従っていた見送りの村人達が、名残惜しそうにこちらを見ていた。

「じゃあな。本当に世話になった」

「ハゲの旦那さん、確か王都に向かわれるのでしたね?」

 村の青年が進み出てくる。

「その通りだ」

「近頃、王都周辺は賊が多く、治安が悪いそうです。どうか、気を付けて」

「分かった。肝に銘じておく。忠告をありがとうよ」

 そして青年が列に戻ったのを見てデルターは改めて述べた。

「みんなも、いつまでも元気でな。それじゃあ、俺達は出発する」

 ヴェロニカとランスが一礼する。

 そして背を向け歩き始める。

「ハゲの旦那!」

「ハゲの旦那、また来てくださいね!」

 ラッパの音ともに悲痛とも温かくともとれる声が背後からずっと聴こえ、デルターは滴る涙を拭った。

 良い冬を過ごす事が出来た。

「さぁ、デルターの洗礼とランスさんの見聞を済ませて故郷に戻って子作りしないとね」

 ヴェロニカが言った。

「こ、子作り!?」

 デルターは素っ頓狂な声を上げていた。

 ランスは微妙な顔で笑っている。

「ちゃんと、旅の間に男の子の場合と女の子の場合の名前、考えておいてね」

「お、おう」

 村に対する思いが次第に薄れてゆき、悲しみから明るい気分へと変わって行く。

 昨晩、ヴェロニカが布団の中で言っていたことを思い出す。

 未来か。

 輝かしい未来ってやつにしたいもんだな。

 薄い雲があるが晴れ渡った空の青さと陽ざしに目を向けデルターはそう思ったのだった。

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