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第八十七話 「越冬」(その十一)

 建物が崩れてゆく。

 デルターは汗を拭いながら、その様を見ていた。

 ロープを力強く握りしめていたはずだというのに、手のひらに棒切れを握っている感触がまだ残っている。狼どもを打ち殺した感覚が染みついている。銃では分からない、生の感触だ。

「ハゲの旦那、あともう何件か崩して今日は帰りましょうや」

 村人の一人が気さくに言う。だが、その目は英雄を見るような目に見えた。俺はただ殺しをしただけだ。人間の命も重いが動物の命だってそうだ。

「迷ったら負けるぞ。お前が肉の塊になるだけだった」

 村人達が次なる目標を目指し離れてゆく中、キンジソウが言った。

「分かってる」

 だったら何が気に食わないのか。デルターは談笑する村人の背に憎悪の視線を向けていることに気付いた。

 何故、笑ってられる。命を奪ったのだぞ。まるでお前達は無法者の盗賊と同じじゃないか。ふと、手に冷たい物が触れた。腰のホルスターに入れたピストルだった。

「銃を捨てるか、デルター?」

 ふと、聴きなれない声がし、デルターは周囲に目を向けた。

「ここだ」

 デルターは声の主を見下ろした。

 黒猫ペケさんがこちらを見上げていた。

「ペケさんなのか?」

「良いか、覚えて置けデルター。どんな選択をしようが奇跡は二度は起きない」

 奇跡。この村でランスにヴェロニカ、キンジソウに村人達が本当は死んでいたことだった。

 身震いした。あんなことにはもうなって欲しくない。

「だが、ペケさん、これで本当に良いのか? 笑って命を奪えるピストルという物に頼って。人は命の痛みや重みを知らずに撃鉄を起こして引き金を引く」

 だが、ペケさんの姿はそこにはなかった。

 まやかしに遭った気分だった。

 デルターは己の両手を眺めた。狼どもを殴り葬り、喧嘩ではこの拳を怒りのまま振るい多くの人々を傷つけてきた。その罪がこの両手には刻まれている。しかし、ピストルは違う。手のひらに残るのは僅かな振動と鉄の握り手の感触だけだ。先で標的が倒れれば良しと歓喜し、倒れず傷つけばもういっちょ。と、引き金を引く。

 だが、ピストルは捨てられない。ピストルが無ければ大切なものを守れないからだ。

 何故、こんな世の中になったのだろうか。ピストルなんて無い方が良かった。

 デルターは空を仰ぐと、歩み出したのであった。



 二



 奥の廃村の家屋を壊すことだけは終わった。

 三日がかりだった。この瓦礫は春になったら村人達が運搬し処分するということになっていた。

 四日目、再び雪が降り始めた。

 悩み苦しみ感傷に浸っている暇など殆どなくなった。雪と格闘を繰り広げる日々だった。それでも時折、ふと思い出すのだ。ピストルなんて無ければ良いと。命を奪う責任を人は全うしなければならないのだと。

 しかし、思いとは裏腹に、階段の上にあるショットガンを見詰めていると、自然と見入ってしまっていることに気付く。

 ピストルを。いや、銃を好きになりたくないはずなのに、有事の際は俺はこいつを撃ちたいと思っている。ヴェロニカのため、ランスのため、村の皆、その他、善良な人々のために。悪人を撃ち、そして殺す。

 諦めに似た境地になっていた。

 この世界で銃は捨てられない。自分が生まれた時から既にそんな世の中に染まっているのだ。

「どうしたの、デルター?」

 ヴェロニカがいつの間にか後ろにいた。

 本当はここでその命は終わっていたはずの彼女だ。銃の犠牲となり、そして銃で助けられた命だ。

 発狂しそうだった。

 奇跡は二度は起きない。

 ペケさんの言葉が思い起こされる。

 そしていつぞやのランスの悩みも思い出される。あいつもこんな気持ちだったんだろうが、今では立ち直り銃に魅入られている。俺がもっと命の尊さを説くべきだった。

 悲しかった。

 頬を涙が伝って来た。

「デルター?」

 驚くヴェロニカをデルターは抱き締めた。

 銃でなきゃこの命を守れないのなら俺は銃を捨てることはできない。

「どうしたのデルター?」

 再び問う彼女をもう一度抱き締め、デルターは言った。

「なぁ、ヴェロニカ。何があってもお前のことは俺が必ず守るからな」

「ありがとう、大好きよデルター」

 何も問わず震える身体を彼女は抱き締め返してくれたのだった。



 三



 降り積もった雪を屋根から下ろしていると、授業を終えた子供達が集まって来た。

「ハゲの旦那さん、来て来て」

「何だ、何かあったのか?」

「ここは私に任せて行って来てみてはどうです?」

 後から合流してきたランスが訳知り顔で言った。

「何だ、ランス、笑ってるのか?」

「ええ、まぁ。とりあえず子供達と村を回ると良いですよ」

 そう言われ、雪降ろしもだいぶ様になって来たランスと別れ、デルターは一階に下りる。外に出るとウキウキ顔の子供達が待っていた。

「俺をどこに案内してくれるんだ?」

「学校!」

 一人の子供が威勢良く挙手して言った。

「ううん? 雪下ろしがまだ終わってないのか?」

「終わったよー」

 子供達が声を揃えて応じる。

「まぁ、良い、連れて行ってくれ」

 こうしてデルターは子供達と共に歩み出した。

 校舎は昔の村役場だった建物であった。それなりに大きいのだが、デルターは小さな校庭に佇む一つの影を捉えた。

 数学教師のグランロウであった。

「フフッ、見たまえ、デルター君」

 グランロウが両手を広げる。

「ううん!?」

 デルターはようやく分かった。雪だるまだ。無数の雪だるまが校庭を埋め尽くしている。

「すげぇな、お前達が作ったのか?」

 デルターが問うと子供達が頷いた。

「ハゲの旦那さんだよ!」

「何? 俺? この雪だるまが俺だっていうのか?」

「うん!」

 そうして子供達に手を引かれデルターは雪だるまに近づいて行った。

 葉っぱや木の枝で頭の周りが囲まれ、頭頂部には何もなかった。

 ああ、俺だ。俺で間違い無い。

 デルターは苦笑した。

「どうかね、デルター君、授業を返上して皆で心を込めて作った村の守護像だ」

 グランロウが歩み寄って来て言った。

「まぁ、子供が外で楽しく遊ぶのは良い事だとは思うがな」

「フフッ、実は子供達には宿題がある」

「宿題?」

「そう、一家に一つ、デルター像を作ることがその宿題だ! 子供のいないお年寄りの家は既に俺が作り済みだ。フフッ、俺は数学が得意だからな」

 やれやれ。

 デルターは呆れて溜息を吐いた。

 また村の中で俺に対する妙な株が上がっちまうんだろうな。だが、平和なのは良い事だ。

 デルターは子供達に手を引かれ校庭のデルター像を見て回ったのであった。

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