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第八十二話 「越冬」(その六)

 雪国の暮らしは続く。

 だが、共同で誰かのために頑張るというのは悪くなかった。

 ランスもひ弱な身体と筋肉痛に鞭を打って村の老人の家の雪降ろしを頑張っている。

 デルターとヴェロニカの進展は無かった。かのように見える。だが、一緒に寝起きし、食事をする。それがデルターの意識と感覚に沁み込んでいた。デルターは思った。この女性以外に愛する女性は現れないだろうと。

「ハゲの旦那!」

 すっかり定着しつつあるこの呼び名にデルターは苦笑しつつ、その呼び名が案外悪く無い様な気もした。村人達の親しみを感じるのだ。

「おう、どうした?」

 屋根の上から下を見下ろすとショットガンを担いだ村人が二人と、グランロウがいた。

「アンタ、狩りに興味はねぇか? 盗賊共をやった時、アンタの手並みは拝見済みだ。鹿でも猪でも撃ちにいかないか?」

 その言葉にデルターは窮した。今更偽善だが、動物にだって命はある。それを奪うのか。

「貴様の悩みは分かった。普段から村人達に肉を分け与えてもらっているだろう。貴様も偽善だとは思っているのではないか?」

 グランロウが右手の人差し指をデルターに向けて強く指し示した。

「まぁ、そんなところだ。よく分かったな」

「俺の特技は数学だからな」

 隻眼の教師は応じた。その左手にはボウガンの姿があった。

「無理にとは言わないさ。皮肉じゃ無いがハゲの旦那はこう見えて心根が優しいからな」

 村人の一人が言った。黒いの白いのと斑模様の猟犬がいた。

「いや」

「ならば、私が」

 隣にいたランスが汗を拭いながら言った。

「あんちゃんが来るのかい?」

 村人が少々驚いたように言った。

「ええ、撃ち方をご指南願います」

「ほぉ、良いだろう。支度して来な」

 村人は頷いた。

「分かりました。デルターさんちのショットガン借りますね」

「お、おい、ランス!」

 まるでこちらに何も言わせる暇を与えないようにランスは駆けて行った。

「大丈夫なんだろうな?」

 この間のクマの件もある。下に降りるとデルターは心配になり尋ねた。

「俺がいる」

 グランロウが言った。

「お前もこの間の件で俺が数学だけの男じゃないということを見知っただろう? 安心しろ、全員死なせん。猟犬もだ」

 グランロウが微笑む。隻眼の男ということで強面に見え、優しい笑みのはずが頼もしいものに見えてしまう。だが、デルターは尚も心配していた。ランスが動物を殺せるのか。

 俺を庇って名乗り出たのは分かっている。

 程なくしてランスが合流した。

「ランス、銃を貸せ、やっぱり俺が」

「いえいえ、私が行きます」

「お前、俺に代わって行くつもりだろう?」

「デルターさんは優しい人ですから、優しいままいて欲しいんですよ。誰にだって苦手なことはあります。幸い私は動物の命を奪い、森の恵みとして授かる猟という仕事に興味を持っています。もしかしたら猟師が天職かもしれない。それに合理的にも考えたんですよ」

「合理的?」

「ええ、まだ村中の雪下ろしが終わっていません。筋肉トレーニングだなんて悠長なことは言ってられません。ひ弱な私が赴くよりは力持ちのデルターさんがその役をこなした方が良いでしょう」

 ランスが応じる。それはもっともだとは思ったが、デルターは心が落ちつかなかった。

「悪いが、そろそろ時間だ。行こう」

 村人の一人が言った。

「デルター、戦果は分からんが、無事な帰還だけは約束しよう。フッ、俺の特技は数学だからな」

 グランロウが後に続く。そうして猟師の一団は出立した。



 二



「悪者は殺せるのに、動物は殺せねぇか」

 少し早い夕餉の席でデルターが言った。

 今日はランスは猟師達に御呼ばれして連れていかれてしまった。

「俺は不甲斐ない偽善者だ。肉を食う資格も無い」

 デルターは温くなったお湯を呷った。

「そうかしら?」

 土間で鍋を掻き混ぜながらヴェロニカが応じる。

「そうだよ」

「意地にならないでよ。動物を殺せないのは仕方が無いわ。そういう性格なんだもの」

「だが」

「だけど、その動物を殺せない人間が動物の肉を食べる。それがズルというか都合よく思えるんでしょう?」

「まぁ、そんなところだ」

 デルターは頷いた。するとヴェロニカが振り返った。両手に汁物の入った木のお椀を持って来る。湯気が上がり、分けてもらった雪の下で貯蔵していた野菜が見える。この中には鴨の肉が入っている。結局ランス達は鹿や猪を諦め、早めに近場の池で冬鳥達を狩りに行ったのだ。

「食べる資格ならあるわよ。それだったら、私や多くの村の御婦人や子供達まで肉を食べられないじゃない」

「それはそうだが」

 ヴェロニカが敷物の布団の上に腰を下ろす。

 二人で囲炉裏を囲んでいた。薪が爆ぜる音が聴こえた。

「あなたも私も村のために雪掻きを頑張ってるじゃない。デルターは、助け合いって言葉を知ってる?」

「まぁな」

「ここは村という共同体なのよ。皆が協力して生きてゆく。そんな場所なの。広く言えば世の中はそんな感じで成り立ってるけど、それはまた別の話。屋根の雪下ろしをしてくれる人、猟をする人、どちらもここの共同体には欠かせない存在よ。あなたも私も他者貢献してるの。猟に行ったランスさん達だってそうよ」

「他者貢献? 猟をする奴と雪下ろしをする奴。どっちも村の役に立ってるからか?」

「そう。まぁ、取引みたいなものよ。あなたが言ったように、猟をする人、雪下ろしをする人。どちらも村の役に立ってるのよ。私達は雪下ろしの仕事だけど、猟をする人の仕事は、獲物を狩ってその恵みを共同体に分け与えること」

「つまり別の側面で人のために役に立ったから俺にも肉を貰って食う資格があるって言いたいのか?」

「そうよ。賢いじゃない、さすが私の未来の旦那さん」

 ヴェロニカは微笑んで言った。

「でもね、デルター、あなたはいるだけで他者貢献してるのよ」

「は? 俺みたいなハゲでデブの中年がいるだけで役に立ってるのか?」

 するとヴェロニカは愛し気に笑い、答えた。

「そうよ。ここにデルターという人間が存在している。それが私にとっては何よりも嬉しいの」

 そう言われデルターはだんだん頭の中が明瞭になって来るのを感じた。

「じゃあ、じゃあ、お前だってそうだ」

「あら、私が?」

「ああ。お前が居てくれるだけで俺は嬉しい」

 そしてデルターはアッとした。何て恥ずかしいセリフを堂々と言ってしまったのだろうか。

 するとヴェロニカは再び笑みを浮かべた。

「ありがとう、デルター。ところで、そろそろどう?」

 その言葉の意味を知りデルターは頬と禿げた頭の天辺が熱くなるのを感じた。もう婚約したも同然だ。確かにそろそろ。と、思いかけて熱くなる

心にどうにか封をした。

「いや、駄目だ。神官に復帰して正式に籍を入れるまでは」

「あなたならそう言うと思ったわ。あなたのそんな真面目なところ私大好きよ。愛してるわ」

 ヴェロニカは微笑んだ。

「俺だって愛してる。御不便かけるかもしれねぇが、これからもよろしく頼む」

「この季節だとまるで年賀の挨拶みたいね」

「確かにそうだな」

 そうして二人は笑みを浮かべ合い、湯気が細くなった晩飯に手を付けたのだった。

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