第八十一話 「越冬」(その五)
「ねぇねぇ、新しく来たグランロウ先生って良いと思わない?」
「え!? でも、自分の目玉食べちゃったんでしょう? 私は怖いわ」
「でも、数学の教え方とても上手だよね」
「あらあら、グランロウ先生に夢中なの? それならキンジソウ様は私が頂いちゃおうかしら」
雪掻きをしていると側をカバンを持った村の若い娘達が通り過ぎて行く。
「ランスさん、新たなライバル出現で絶望的にヤバいわね」
三人並んで村の老人の家の雪掻きをしていると、ヴェロニカが言った。
「私は良いです。かわいそうなのは村の若い男の子達ですよ。私達同様に村のために各所で頑張っているのに、肝心の若い女性からの称賛や黄色い声に好意的な視線も無いんですから、やってられないと思いますよ。ほら」
ランスが指さす方、村の若い男や少年らがスコップを担いで次の家へと向かっているが、表情は疲労に満ちこの上なく暗かった。
「おーい、みんな、元気出してね! おばさんは、皆が好青年だって言うこと知ってるからね!」
ヴェロニカが声を上げると、村の若い男と少年は驚いたように目を丸くしそして、一礼して去って行った。
「良い子達なのになぁ。これはかわいそう。確かにランスさんのことは後回しね」
「でしょう? 一緒に働いて、いや、作業してみて彼らの頑張りや気遣いには感服するばかりでしたよ」
デルターはそんな二人のやり取りを聴きながら黙々と雪掻きを続けていた。
「ニャー」
不意に声が聴こえた。
デルターが目を向けると、そこには黒猫が鎮座していた。地面が白いせいかその姿は際立っているようにも思えた。
「ペケさん?」
デルターが言うとヴェロニカとランスもこちらを振り返った。
「ペケさん!」
ヴェロニカが歓喜し抱きしめようとしたが、黒猫はヒョイヒョイと身を躱し、何かを訴えるようにこちらを見ていた。
「ニャー」
「ペケさんが来るってのは珍しいな。これは少し急を要することかもしれないぞ」
デルターはそう言った。
するとペケさんが歩み出しこちらを振り返った。
「ついて来いって言ってるみたいですね」
ランスが言った。
「ランスはここで続けて作業してくれ。俺とヴェロニカでペケさんの後を追う。もし夕方になっても戻らなかったら村長に報告してくれ」
「分かりました」
ランスが応じるとペケさんは歩き始めた。
黒猫の後をデルターとヴェロニカは追った。
二
黒猫は歩んで行く。
村を西に抜け、塀の上に飛び乗って振り返る。そして向こう側へと消える。
デルターとヴェロニカは苦労しながらどうにか塀を上った。
そこは森であった。
「足跡を戻れば大丈夫よ」
ヴェロニカが勇気付ける様に言う。
「そうだな」
デルターは奮起し、再び歩き出す黒猫の後を追った。
まばらだった木々がやがて壁のように周囲を覆う。正気を失いかねない迷宮だった。もしも足跡が先に雪によって消されてしまったら。
デルターはランスに夕方と伝えたが、振り続ける雪のせいで思ったよりも時間が無いことに気付いたのであった。
だが、膝近くまで埋まるため走ることなど到底できない。
しかし不思議なことにペケさんは雪に沈んだりはしなかった。
やっぱり神懸りの猫なんだろうな。
デルターはいつかのやり取りを思い出していた。
そのまま歩いて行くと、大きな木々の下に誰かが座り込んでいるのを見つけたのだった。
「ニャー」
ペケさんが二人を振り返って鳴いた。
「おーい、大丈夫か!?」
デルターは急ぎ足で雪を掻き分けて進んで行った。
そこにいたのは少年だった。
「こんなところに一人でどうしたんだ?」
「そんなことは後、足が痛いのね?」
ヴェロニカがデルターを押し退けて尋ねた。
「うん」
少年は苦痛に呻きながら応じた。
ヴェロニカは靴下を脱がせ、分かったかのように頷いた。
「足首を捻ったのね。骨が折れてなくて幸いだわ。デルター?」
「分かった。ほら、乗れ。髪の毛だけは掴むなよ」
デルターが屈み込むと少年はその身を預けて来た。少しだけ重かったが、予想の範疇だった。
「さて、足跡が消える前に急ぐぞ」
ヴェロニカと頷き合い先に進む。ペケさんは今度は先行せずヴェロニカの腕の中にいた。
道々少年が何故こんな冬山に一人で入るという無謀をしたのか聴かされた。
好きな子がいるらしい。だが、彼女は今はキンジソウに夢中なのだそうだ。しかも、新たにグランロウというこれまた女子に人気の男が現れた。焦った少年は木苺を摘んで来て女の子にプレゼントしようと思ったのだが、そこまで行く前に降り積もった雪に隠れた木の根につまずき、足首を捻挫してしまったのだそうだ。
「キンジソウに少し自粛するように伝えるべきか?」
「グランロウさんにもね」
ヴェロニカと二人で話していると、少年は言った。
「そんなことしないで。そんな情けないことまでして振り向いてもらいたいだなんてボクは思わないです」
「良い根性だ。少年名前は?」
「エベレット」
「そうかい、エベレット。だったら俺達は何もしねぇ。自分で頑張って愛を勝ち取って来い!」
「その前に怪我を治すことが先よ」
そうして歩んで行くが、恐れていた事態が起きた。
雪がついに足跡を覆い隠してしまったのである。
乱立する木々のせいで空が曇っていることぐらいしか分からない。
これは動かないでランスと村人の救援を待つのが賢明か。
デルターがそう思った時、ヴェロニカの腕からペケさんが跳び下りた。
「ニャー」
黒猫は渋々先導すると言うように鳴くと先に歩き始めた。
「あんな猫の後ついて行って迷ったりしないの?」
エベレットが尋ねて来る。
「大丈夫、あの猫は特別だ。そうだろ、ペケさん?」
返事は無かった。
そして黙々と黒猫の後を続いて行くと、森が少しずつ開き、村の塀が見えてきたのだった。
少年を抱えたままは上れない。仕方なしにデルター達は迂回した。ペケさんの方はここまで来ればもう心配ないと睨んでか、塀の向こうへ消えて行ってしまった。
さて、村に戻ると作業に勤しむ村人達が好奇の目を向けて来た。
デルターは黙って歩んで行く。
そしてエベレットは家に着くと両親に散々怒られていた。
激高した母親が思わず頬をぶとうとしたときは止めた。
「もう十分過ぎる怪我をしてるさ」
「まぁ、ハゲの旦那さんがそういうなら」
母親は半分納得いかない様子で引き下がった。
そうしてデルターは後は両親に任せ、ヴェロニカと共に引き上げた。
「エベレット君の恋が叶うと良いけど」
「叶うさ。現実的な話、キンジソウもグランロウも俺達と一緒で冬が明けたらここを旅立つんだ。そうすればこの村もあるべき姿に戻るだろうよ」
デルターが言った。
二人の家からは灯りが漏れていた。
「あ、二人とも御無事で」
ランスが鍋をかき混ぜ汁物を作っていた。
「猪の肉を分けてもらったので、猪鍋ですよ。レシピは村のお年寄りから聞きました」
肉。
その途端、デルターは急激に腹が減るのを感じた。
「ランスさん、ありがとう。さぁ、デルター、食べるわよ! 私達ちょっとした大冒険をして来たんだから」
「そのお話、詳しく聴きたいですね」
ランスが言った。
「なぁに、森を歩いて行って戻って来ただけの話だ。そんなことより、俺の分、肉多めにな」
デルターは気分良くそう言ったのだった。




