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第七十七話 「越冬」(その一)

「おはようデルター」

「ああ、おはよう」

 そろそろヴェロニカが起きて来る頃合いだと思い、デルターは昨日の猪鍋の残りを温め、グルグルとお玉でかき回していた。

「あなたって本当に起きるの早いわね」

 二人は二階で一緒の部屋に寝ている。もうあれから三日ばかり経ち、デルターは少しは雰囲気に慣れて来た。

「別にお前だって遅いわけじゃ無いだろう」

 デルターはそう応じた。デルターは五時半に起き、ヴェロニカは六時に起きてくる。

「そうかしら?」

「十分、早起きだよ。そら、顔洗って来い」

「はーい、ママ」

 ヴェロニカはそう言うと土間から外へ出て行こうとした。村の中心部にある井戸へ向かおうとしたのだろう。

「水なら汲んで来た。そいつを使え」

「ありがとうデルター」

 ヴェロニカは顔を洗うと、手鏡を取り出し、ブラシで金色の髪を整え始めた。

 程なくして猪鍋と、村人に分けてもらった保存用のパンでの朝食となった。

 二人は黙々と食事をしている。デルターは初めこそ、この沈黙に気まずさを覚え、何かしら話題を提供しようかと考え詰めていたが、もう慣れてしまった。

「じゃあ、洗濯して来るわね」

 ヴェロニカが籠に入った衣類や布巾を持ち外へ出て行く。今度こそ、村の井戸へ向かうのだ。

 デルターはその間に食器を洗い、薪割をする。

 薪割は故郷の教会でも、ただただ高慢な神官達がやりたがらなかったため、デルターが自発的にやっていた。そのおかげで作業は慣れたものだった。

何事も経験しておくに限るな。いつどこで何が起きるか分かりやしない。

 ふと、デルターはこの三日、相思相愛のヴェロニカとの関係のことばかり考えていて、もう一人の男のことをすっかり忘れていたことに気付いたのだった。

 ヴェロニカが戻って来る。

 左右の杭に張った縄に洗った衣類を干している。

「なぁ、ヴェロニカ」

「どうしたの、デルター?」

「ランスの姿見たか?」

 デルターの問いにヴェロニカは今初めて思い出したかのように頷いた。

「一応、洗濯はしに来てるわよ」

 つまり寝坊は克服したようだ。いや、ランスのことだから他人の顔色を窺っているのだろう。遅い時間に洗濯に来て村人達にいろいろ言われるのを恐れたというより、面倒に思ったのだろう。だが、そのおかげで早起きはできている。

「なら良かったが、一応、様子を見に行かないか? 何か心配だ」

「良いわよ。私も少し気にかかってていたから」

 午後の食事を終えると二人は丘を登り始めた。

 ここにも民家がまばらにある。

「ランス、俺と一緒にいたまだ若いやつがいたろう? どこの家か分かるか?」

 デルターは外に出ていた村人に尋ねた。

「ああ、あそこにすんどるよ」

 小さな家だった。いや、小屋と言った方が良いだろう。

「ランス、いるか?」

 小屋の前でデルターが声を掛けると、裏から声が返って来た。

「デルターさん、こっちです」

 不思議に思いデルターはヴェロニカと共に歩んで行く。

 そこには薪割をしているランスの姿があった。

 片手斧を振り下ろした。が、切り株の上に立てた薪に食い込んでいた。

 周囲を見たが割れた薪の姿が無かった。

「どうにも、まだまだ力不足みたいで」

 ランスが苦笑いしながら言った。

「お前、割った薪の蓄えはあるのか?」

「それが備蓄分は昨日で終わりでして。先ほど、村長さんにこうして薪を貰っては来たんですが、上手く割れなくて」

「貸してみろ」

 デルターはランスから斧を取り上げると振り下ろした。

 薪が縦に真っ二つに割れた。

「おお! さすがデルターさん!」

 ランスが感動するように言った。

「ね、ね、デルター、貸してみて」

 ヴェロニカが斧を掴んで来たのでデルターは譲った。

 ヴェロニカの非力な腕では無理だろう。

「チョエエエッ!」

 パカーン! と音がし、薪が縦に真っ二つに割れた。

「どう? コツさえ掴めれば女の子にだってできるのよ」

「凄いですね、ヴェロニカ」

 ランスは立つ瀬が無い様な微妙な表情を浮かべて応じた。

「ランス、お前、洗濯はしてるようだが、飯はどんなの食べてるんだ?」

 心配になってデルターが尋ねた。

「米を譲ってもらったので、鍋で焚いて食べてます」

「それだけか?」

「いいえ、他にも譲ってもらった川魚の甘露煮や、白菜の漬物をおかずにしてます」

「まぁ、割と大丈夫そうだな」

 デルターが安堵するとヴェロニカが言った。

「薪が割れないんだから全然大丈夫じゃ無いわよ。これから冬なんだし」

「そういえば三日と経たず雪が降るだろうって村の人が言ってましたね」

 ランスがのんきな口調で応じた。

「これからは俺が薪割りを教えてやる」

 デルターは呆れて答えた。

「ありがとうございます」

「ランスさんのところには村の女の子は誰も来ないの?」

 ヴェロニカが尋ねた。

「ええ、誰も来ませんね。ここの前を通って行って、奥にあるキンジソウさんの家に行ってます」

「キンジソウもいたのか?」

「ええ、ここでペケさんと一緒に冬を越すつもりのようです。薪割を教えてもらおうと思ったら、お高い値段を提示されたので止めましたけど」

「なぁ、ランス。だったらどうして俺を頼らなかったんだ?」

 デルターは少し憤怒して口を開いた。

「すみません」

「すみませんじゃなくて、お前のことだ、俺とヴェロニカとのことを気遣ってたんだろう?」

 デルターが言うとランスは渋々という様子で頷いた。

「気を遣わなくても良いのよ、ランスさん。これからは晩御飯食べにいらっしゃいよ。それとも年増女の手料理なんて嫌だ?」

「そんなことありませんよ。でも、本当に良いんですか?」

「ああ、来いよ。お前は大切な相棒だ。明日から薪割にも付き合ってやる」

 デルターが言うとランスは溜息を吐いた。

「ありがとうございます」

 すると丘を上って来る村娘の一団が現れた。

「キンジソウ様いるかしら」

「今日は抜け駆けさせないんだから」

 などと話して三人には目も暮れず彼女達は通り過ぎて行った。

「御覧の通りです」

 ランスが開き直ったように笑って言った。

 その笑い声に応じる者も無く、声はただの虚しい音として吸い込まれて行ってしまった。

「ランスさん、とりあえず、薪割よ。薪割してカッコイイところ見せれば誰かしら女の子が寄って来ると思うわ」

「いや、私無職ですし、そういうことはまだ時期尚早ですよ。ここで旅を終わらせるつもりも無いですし、むしろ慕ってくれる人がいない方が安心します」

 ランスが分厚い雪雲を見上げながら言った。

 デルターはそんなランスの言葉を聴いて少し悲しくもなったが、彼なりに前を向いていたので安心もした。

「この冬の経験でお前の見識も広がって職に結び付けば良いな」

「ありがとうございます、デルターさん」

 ランスはニッコリと応じ拳を突き出してきた。

「おう」

 デルターはいささか相棒の強気な態度に驚いたが、同じく拳を突き合せた。

 村での暮らしは始まったばかりだ。自分も、ヴェロニカもランスも、良い冬の経験をして、無事に春を迎えることができれば良いなと思ったのであった。

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