第七十六話 「医者」
ランスの二日酔いは治まった。デルターは決意を漲らせて旅立とうしたが、その足は止められた。
この村には医者がいなかったのだ。
ヴェロニカの素性が知れ渡り、我も我もと村人達が殺到し、大騒ぎになったが、今はランスの誘導で縦一列に並んでいる。
「困ったわね」
昼を挟み村人全てを診たヴェロニカは疲労の濃い顔でそう言った。
「どうしたんだ?」
ランスはこの場にはいなかった。脚の不自由な老人の介助に向かっている。デルターの問いにヴェロニカは答えた。
「この時期になると町の方からも医者は来ないらしいのよ。それで一冬で良いから滞在してくれないかって色んな人達からお願いされたんだけど」
ああ、ヴェロニカは俺の告白の方を気にしてるんだな。早く王都で洗礼を受けて僧籍を復帰し、故郷で二人で暮らす。
「お前はどう思うんだ?」
デルターは一旦、自分の気持ちは置き、相手の思いを知ることにした。その上で二人で考える。
「私としては残ってあげたいわ。私なんかで役に立てるって言うんだもの」
デルターは頷いた。そして口を開きかけた時、ヴェロニカがニコリと笑った。
「それにね、少し早いけど、冬の間だけ二人暮らししてみない?」
その問いを理解しデルターは衝撃を受けた。
あ、愛する女と二人暮らしだと!?
「し、しかし、俺には王都で洗礼を受けて」
と、言いかけたところでゆっくり歩んで来る足音が聴こえた。
「あら、御婆ちゃん、腰の方は大丈夫なの?」
現れたのは老婆だった。かなり高齢の様に見えた。杖を突きながら腰こそ曲がっていたが、足取りは意外としっかりしていた。
「お前さん方の話が聴こえてしまってな」
老婆は垂れた目を向けて、微笑んだ。
「まぁ、聴こえたんなら仕方がねぇが」
デルターが言うと老婆は頷いて言った。
「もう、三日と経たず雪が降る。ここより北は豪雪地帯だ。お前さん方が旅立っても何処かで雪が解けるまで、長い間、足踏みをすることになろうだろう」
デルターには老婆の言いたいことが分かった。
「俺達にここで冬を越せって言うんだな?」
「その通り。禿げている割には物分かりが良いの」
「婆さん、そりゃ、ハゲに対する偏見だぜ」
デルターは小さく息を吐いて言った。
老婆は頷いた。
「空き家があるでな。部屋は用意する。そこでお前達二人は過ごせばいい。もう一人の冴えない若造は適当な小屋でも大丈夫だろう」
そして老婆の目が真剣なものになった。
「村人達の頼みを聞き届けてはくれんか? ここは外界から孤立する。医者がいてくれれば心強い。どうだろうか? 飯なら蓄えがあるから十分だ」
デルターはヴェロニカを振り返った。
「ヴェロニカ、残るか?」
「え?」
「ここで一冬越そう。嫌か?」
デルターが真っ直ぐヴェロニカを見詰めると彼女も瞳を重ね合わせた。
「嫌じゃないわよ。嬉しい限りだわ」
「決まったな」
デルターが言うとヴェロニカが飛びついて来た。
「ありがとう、それとごめんね、デルター」
良いにおいがした。
「お、おう、キンジソウに払った分、財布が痛いからな。この先どこかの町の宿で足止めされるのも癪だからな」
こうしてデルター達はこの村で一冬越すことになったのであった。
「まぁ、そうですね、私なんてもともと持ち合せも無いところですからね。ここで冬を越しましょう」
ランスに事情を話すと、彼抜きにして勝手に話を進めたにも関わらず、相棒はそう言って応じた。
使い込まれた一軒家を見上げていると、案内した村人が言った。
「いつ、誰が来ても良いように、村の女達が定期的に手入れはしてたんだ。場合によっては雪降ろしをしなけりゃならねぇが、まぁ、綺麗でタフな家だ。まるでお前さん方、二人みたいだな」
笑みを浮かべる村人を見てヴェロニカが言った。
「綺麗で」
「タフ」
デルターも続いた。
「さぁ、兄さんの家はここよりちっとばっかしグレードが落ちるが、住めるところだぞ」
「そうですか。では、行きましょうか」
ランスはデルターに向かって軽く手を上げると、案内の後に続いて行った。
デルターとヴェロニカは二人並んで大きめの扉を潜った。
まずは土間がある。前の持ち主は大家族だったのか、広かった。
「お料理が捗りそうね。張り切っちゃうわ」
ヴェロニカが腕まくりして言った。
「そういや、ヴェロニカ、お前、料理できるのか?」
「ええ、コーランド家でその辺りは一通り教わってるから安心して。それに医者だからね、薬草と毒草の区別もつくわ」
「そりゃ、頼もしいな」
「デルターは料理の方はどうなの?」
「あ、ああ」
デルターは言い淀んだ。
独り身だったから殆ど外で食べていたのだが、料理を作った時もある。だが、レシピなどない創作料理だった。
「面白い味の料理だったらできるぜ」
デルターがウインクするとヴェロニカは苦笑いして応じた。
「オーケー、オーケー、料理は私に任せて」
一階は部屋が三つ。二階にも三つあった。そして階段を上って驚いたのだが、二階へ上がるとガラス張りの棚越しにショットガンが飾られていたのだ。
銃を嫌っている、いや、嫌いたいはずなのに、何故か興味が向いてしまう。
下で声が聴こえた。
食料と何か他の物を運んできたらしい。ヴェロニカが応対している。
「良い銃だろう?」
村の男達が布団と毛布一式を運び終えると、未だにショットガンの前にいるデルターに向かって言った。
「冬場でも狩りはするからな。それに今回みたいに盗賊が来ることもあるかもしれない。そいつはここにいる間はアンタの物だ」
そして村の男は革袋を渡して来た。
コモが使っていた時に見覚えがあった、ショットガン用の弾が入っていた。
そういえば、コモは元気だろうか。ユキも。
「ありがとうな」
デルターが言うと村の男達は役目を終えて階段を下って行く。最後尾にいた壮年の男が振り返り、ニヤリと笑って親指を立てた。
「まぁ、焦らずじっくり頑張りな」
その言葉を聴いてデルターは溜息を吐いて労うために手を振った。
焦らずじっくり。とはいうものの、俺とヴェロニカはもうお互い好き合ってるしな。今更焦らずじっくりも無いだろう。
だが、ふと気持ちがグラついた。
ヴェロニカは本当に俺のことが好きで良いんだよな?
デルターは慌てて階段を下り、土間で食器を棚にしまっているところのヴェロニカに向かって尋ねた。
「な、なぁ? 俺のこと、本当に好きなんだよな?」
「どうしたの、デルター?」
「あ、ああ、いや、その」
デルターはしどろもどろになって口を開けたり閉じたりしていた。
すると、ヴェロニカがこちらへ歩み寄って来た。
そして両腕を開いて抱きしめた。
「大好きよ。この世界で一番愛しているわ」
「俺もだ、ヴェロニカ」
デルターも両腕を相手の華奢な背中に回したのだった。




