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第七十五話 「デルターの気持ち」

 翌朝、デルターが目覚めると、隣で呻いて仰臥しているランスの姿があった。

「何だ、苦しそうだな?」

「そ、そりゃ、そうですよ。デルターさんに見捨てられた後、どれだけ酔っ払い達に囲まれて酒を無理やり飲ませられたか」

「ハハハッ、そりゃ、悪かったな」

 自分より年若い男の細やかな恨み言につい、デルターは笑ってしまった。

「デルターさん、お願いがあります」

「何だ?」

「今日は出発は無理です。ここでもう一日だけ夜を明かしませんか?」

 青い顔をしながら、半ば懇願する姿に、デルターも責任を感じてしまった。

「ああ、良いぜ。ヴェロニカに話してくる」

「お願いします」



 二



「おはよう、救世主さん」

「ああ、おはよう」

 活気のある村内を歩いていると村人達が好意的に声を掛けてくる。

 しかし、救世主か。

 こそばゆい気もしたが、デルターは思った。そうだ、俺達はそれだけのことをやってのけたのだ。選択を誤った本来の未来が脳裏を過ぎる。死体に悲劇的な叫び声がそこら中に血の溜まりと共に広がっていた。

 ヴェロニカの奴はどこに泊まったんだろうか。

 腹も減りデルターは途方に暮れて立っていると、後ろを村の若い娘達が数人横切って行った。

「キンジソウ様ったら、優しくて丁寧で、おまけにとっても上手で、私ったら、何回も。うふふ」

「まぁ、ずるい」

「姿が見えないと思ったら抜け駆けしたのね!」

「羨ましいわ!」

「キャーキャー」

 そういえば、キンジソウはどうしたんだろうか。

「おはよう、デルター」

 ヴェロニカが歩んで来る。元気そうだ。

「よぉ、ヴェロニカ。実はランスの奴が二日酔いでな。出発は明日にしてやりたいんだが良いか?」

「オーケー。良いわよ。ところでペケさんの姿が見当たらないのよ。昨日はギュッと抱きしめて眠っていたんだけど、朝になったら大根を抱えて寝てたわ」

 大根を。まぁ、キンジソウなりの気遣いだろうな。つまり、キンジソウは一足先に発ったわけだ。

「先に旅立ったんだろう。影みたいなやつだ。大金さえ用意してればまた会えるさ」

 デルターはヴェロニカから大根を受け取った。

 冬はもう間近で朝晩は特に冷え込みが激しくなってきた。

「こいつで、おじやでも作るか」

「親父がおじやを作るの? ププッ」

「誰が親父だ」

 デルターは呆れながら言った。

「ハゲの旦那さん!」

 村人が数人手を振って呼んだ。

「ほら、呼ばれたわよ、おハゲちゃん」

 ヴェロニカがおかしそうに言う。

「うっせぇい。何だ?」

 デルターが歩んで行くと、そこには大きな鍋に入ったおじやが用意されていた。

「これ、アンタ達に。侘しいものですまんけど、食べてくれ」

「おう、わりぃな」

 デルターは大根を手渡しながら鍋を受け取った。ヴェロニカは匙と器をもらう。

「アンタらさえ良ければ、いつまでも村にいて良いからな」

「おう、じゃあ、さっそくその言葉に甘えさせてもらうぜ」

「飯と寝床の心配はすんな。なんなら、この村で一冬を越しちまうのも大歓迎だ」

「ありがとよ」

 デルターは村人達に手を振り別れた。

 おじやの入ったアツアツの鍋を置くと、そばにあった切り倒された木に二人は並んで腰を掛けた。

「親父がよそってくれたおじや、早く食べたいな」

「まだ言ってるのか」

「えへへ、でもお腹が空いたのは本当よ」

 デルターはおじやを大盛りにしてヴェロニカに渡した。

「ありがとう」

「おう」

 二人は無言でおじやを味わった。可も無く不可も無くと言った素朴な味だ。肉も入っていた。何の肉だろうか。噛んでみる。鶏では無い。牛でも無ければ、豚か。それとも未だ食べたことの無い鹿か。

「猪じゃないかしら?」

 こちらの心を読んだかのようにヴェロニカが言った。

「なるほどな。言われてみりゃあ、そうかもしれねぇ」

「ねぇ、デルター」

 しばし間を置いた後、ヴェロニカが呼んだ。

「何だ?」

「ここで一冬越さない? あなたと私、一つ屋根の下で」

 ヴェロニカのこちらを見る目は真剣だった。デルターは思案した。

「ランスはどうするんだ?」

「ランスさんは、村の若い子を見付ければ良いわ」

「あいつ、無職だぞ」

「ここで農業したら良いじゃない。体力もつくし、もしかしたら赤ちゃんだってできるかもしれないわよ」

 デルターは普通なら吹き出したいところだが、黙ってかぶりを振った。

「まぁ、ランスのことはこの際置いておこう。悪いな、ヴェロニカ、俺には王都で洗礼を受けて神官に復帰するっていう重大な決め事があるんだ。一刻も早く終えて、俺を信じてくれたマイルス神官長にお礼と、成長した姿を見せたいんだ。もう、昔の粗雑な俺じゃないとな。神官長ももう若くない、誰かが安心させてやらねぇといけねぇ」

 すると、ヴェロニカは盛大な溜息を吐いた。

「分かったわ」

「だが、ヴェロニカ」

 デルターは幾分心臓を高鳴らせ、唾を飲み込んで相手を見詰めた。

「俺が神官に復帰して食わせていけるようになったら、故郷に戻って一緒に暮らさないか?」

 ヴェロニカが呆けた顔でこちらを見詰め返している。

「え? いや、てっきり。もしや、俺、滑ったか?」

 その時だった。ヴェロニカが椀を置くとデルターに抱き着いてきた。

「滑って無いわ、デルター。あなたが好き。小さい頃から憧れだった」

「い、良いのか? 俺はハゲだぞ?」

「良いのよ、ハゲだからなんだっていうのよ。私の好きなデルターはこの世界であなた一人。早く旅を終わらせて一緒に暮らしましょう」

「お、おう! そうだな、その通りだ」

 デルターは頷いた。

 ヴェロニカが胸の中で顔を上げる。

 サファイアのような双眸が見上げる。綺麗だ。その一つ一つの小皺さえ愛しく思える。

 二人の唇が重なり合った。

 初めてのキスはおじやの味だった。だが、最高だった。

 さすがに噂に聞く昨晩のキンジソウのようにそれ以上は無かった。

 まずは神官に復帰する。そうだ、王都を目指さなければ。

「あ、お二人とも、それおじやですね」

 ランスがよろめきながら歩んで来る。

「あら、二日酔いは大丈夫なの?」

「いいえ、頭がガンガンします。先ほどまでは吐き気もあったんですが、おじやくらいなら食べられそうです」

「そうかい。ほれ、食え」

「ありがたい。温まりますね」

 ランスは椀を持つと青い顔であったが笑顔を浮かべていた。

 ランスがおじやを口にしている様子を見ながらデルターは晴天の晩秋の空に決意した。

 俺は王都で洗礼を受けて故郷に戻る。僧籍も復帰してそこでヴェロニカと夫婦になる。

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