第七十二話 「もう一度」
「ペケさん」
デルターはその名を呼んだ。
「ニャー」
ペケさんは鳴いた。その時だった。
「連れの二人の死を嘆くのは仕方あるまい。だが、この村を素通りすればなどという言葉を私は聞きたくは無かった。デルター、お前らしくもない」
謎の声が頭の中に響いてきた。
デルターは周囲を見回したが、悲しみに暮れる人達の慟哭が聴こえるだけだった。
「ニャー」
またペケさんが鳴いた。その目が己が語ったのだと悟らせた。
デルターは呆然としながら黒猫を見詰めた。
すると再び声が頭の中に聴こえて来た。
「キンジソウも死んだ。金にならないことはやらないくせに、お前の相棒が一人戦う姿を見捨てられなかったのだろう。久々に気の合う良い相棒だった」
「キンジソウも死んだのか……」
「デルター、お前はこれからどうする? 責任を感じ、それを咎とし背負って生きて行くのか?」
「それは、俺にもわからねぇ。ただ、自分が無力だと痛感した。ヴェロニカもランスも死なせちまった」
デルターは身震いし、冷たくなった相棒の亡骸を抱きしめ、声を上げて泣いた。
「泣くだけか?」
ペケさんの厳しい声が飛ぶ。
「今、他に何ができる!?」
「これを無かったことにできる方法も無いことも無い」
ペケさんの声がそう言った途端、デルターは驚き慌てて黒猫を凝視した。
「ペケさん、お前、今、何て言った?」
すがる様にデルターは尋ねた。
「ここでの惨劇を無かったことにできる。そう言ったのだ」
「それはつまり」
「そう、お前の考えている通りだ。女もランスも、死ぬはずの運命だった者達が、皆、生きているところからやり直せる」
「そ、それは本当か!?」
デルターは猫に迫った。
「本当だ。ただし、見返りを求める必要がある」
「それは何だ?」
「お前の寿命を二十年分いただく」
デルターは閉口した。
ペケさんはこちらを見詰めている。
ヴェロニカ、ランス……。二人の顔が思い浮かぶ。
「分かった。やってくれ、ペケさん」
ペケさんは頷いた。
「ニャー」
その一声が聴こえた瞬間、デルターは立ち眩みを覚え、ドサリと地面にしりもちをついていた。
二
「デルター、大丈夫?」
「デルターさん?」
見下ろす顔が二つある。ヴェロニカとランスだ。
デルターは驚いていた。俺は夢を見ているのか?
「ランス、俺の頬を引っ叩いてくれ」
デルターはそのままの体勢で相手に言った。
「え? いきなりどうしたんです?」
「良いから、頼む」
「し、しかし」
戸惑うランスに代わって、頬を鋭く叩いたのはヴェロニカだった。乾いた音が木霊する。
「デルター、頬に無駄な肉がついてるわよ。あなたこそ重りを持って歩くべきだわ」
痛烈だった。その雷のような一発がデルターに闘志を漲らせた。
俺はこれからやらなきゃならないことがある。
「あ、あのぉ」
戸惑いがちに声が聴こえ、デルターが立ち上がると、そこには村長と村の男が数人立っていた。
「それで盗賊団の討伐にご協力いただけるのですか?」
村長が尋ねて来た。
「ああ。協力しよう」
デルターが言うと、ヴェロニカとランスは微笑みあっていた。
「さすがデルターさん」
ランスが浮かれ気味に言った。
「それで、民兵達は明日の明け方にここを発つんだろう?」
「え、ええ。よくご存じですね?」
村長が虚を衝かれたように応じた。
「それは止した方が良い。逆に村の防備を固める方が先決だ。ここで奴らを迎え撃つんだ」
デルターは必死な思いで提案したが、とんでもないとばかりに、村長と村の男たちはかぶりを振った。
「この村を戦場にするわけにはいきません。女子供に年寄りもいるのですぞ」
村長が眦を鋭くして言った。
デルターは苦虫を噛み潰した思いだった。村長や村の連中の言う通りだ。村を戦場にしちまったら、余計な血が流れる可能性だってある。だが、村の連中の提案通りに行けば、敵は迂回して入れ違いになって村中を、あの酷い悲惨な有様にしてしまうだろう。ヴェロニカ、ランス、そしてキンジソウ……。
「ん?」
デルターは脳裏を過ぎった最後の黒ずくめの男の姿を思い出し、周囲を見回した。
街道があり、森がある。
「キンジソウ、いるんだろう!?」
デルターが声を掛けると、側の茂みが鳴り響き、キンジソウが姿を現した。
「呼んだか、デルター」
「誰、あの人?」
ヴェロニカが問う。
「キンジソウさんです。戦うことに関してはスペシャリストですよ」
ランスが説明する声が聴こえた。
「さて、金貨二十枚で手を打ってやるぜ」
「ああ、勿論払う」
デルターはイソイソと巾着袋を漁り、金貨を数え始めた。
「ちょっと、デルター?」
ヴェロニカが驚いたように言った。
「こいつの力がどうしても必要なんだ」
「だからって金貨二十枚も出すの!?」
「出す程、価値がある。ヴェロニカ、俺を信じてくれ」
デルターは金貨を数えながら応じた。彼女は相当不審感を抱いた顔をしているだろうか。
「デルターが、そこまで言うなら何も言わないわ」
ヴェロニカが応じた。
「ああ、わるい」
デルターは彼女を見て頷いた。
「ニャー」
黒猫が足元に現れ、こちらを見上げた。
「まぁ、可愛い猫ちゃん。お名前は何て言うの?」
ヴェロニカが猫を抱き上げた。
「ペケさんですよ。キンジソウさんの相棒です」
ランスが熱を込めて言った。そういえば彼もいつぞやペケさんのおかげで立ち直れたことがあった。今だから分かる。あれは事実だったのだろう。
「ペケさん、大切にされてるわね」
ヴェロニカが愛おしげにペケさんの頭を撫でる。
「ニャー」
ペケさんの顔がこちらを向いた。
デルターは頷き返した。
さて、やるだけのことはやった。だが、これで運命が変わるというのだろうか。
デルターはこれ以上、何をすれば良いのか分からなかったが、村人を説得し、犠牲の出ない戦い方を見つけなければならなかった。だが、歯がゆいことにそれが思いつかなかったのだった。




