第六十六話 「老婆」
一行は疲れていた。どれほど歩いても次なるムーンの町が見えて来ない。
街道も一本道で既に三度の野宿を挟んでいる。
休んでいるとはいえ、野宿の連続では体力的にも気持ち的にも充分というわけでは無かった。
そろそろベッドが恋しくなり始めた。
「しかし、ムーンの町までこれほどかかるとは、これは途中に村でも作るべきですよ」
夕暮れ時、疲労困憊の様子でランスが道の端に座り込んで言った。
「そうね、だけど、薪拾いはサボっちゃダメよ、ランスさん」
「う、分かりました」
ランスはどうやらかなり消耗しているらしい。それでもヴェロニカにたしなめられて奮起している。根性も育ってきたようだ。と、デルターは相棒の成長にニヤリと口元を歪めていた。
「この間の雨でまだ森中湿ってるかもしれねぇ。乾いた薪が見つからなかったら、それはそれでさっさと引き上げるぞ」
デルターが言った時だった。
「ヒョッホホホホ」
しわがれたおぞましい笑い声が木霊し、木々の枝葉から小鳥が鳴きながら飛び去って行った。
しわがれてはいるが、かなりの大声だ。
「今のは何かしら?」
怖いもの知らずのヴェロニカはキョトンとした態度で言ったが、ピストルを引き抜いたランスが周囲に忙しく銃口を向けて素人丸出しの警戒を始めた。
デルターもピストルを取り出し、耳をそばだてた。声か、足音か何かが聴こえて来るかもしれない。
「あ!」
ヴェロニカが驚愕に目を見開き声を上げて、すぐ側の茂みを指さした。
「ヒョッホホホホ」
そこには一人の老婆が立っていた。
だが、何と間抜けなことにランスがピストルの引き金を引いていた。
乾いた音が木霊したかと思うと、老婆は目にも止まらぬ速さでマチェットと思われる刃を振るい、銃弾を弾き返した。
デルターは安堵した。誤射で相棒が殺人犯にならなくて済んだからだ。同時に、銃弾を弾く程の動体視力を兼ね備えた怪しい白髪頭の老婆にも驚いた。
「おい、ランス!」
デルターはとりあえずランスを叱った。
「す、すみません、化け物かと思ったので」
「おい!」
デルターは呆れて再度声を上げた。
「ああ、失礼しました、御老人、お怪我はありませんでしたか?」
ランスは慌てて老婆の方へ駆けて行った。
化け物。確かに、この老婆ときたら、失礼な話そう見えなくもないのだ。やけに頭が大きく、白髪頭を頭のてっぺんで結っている。その大きな顔にある目、鉤鼻、唇もまた一段と存在感を示すほどだった。
「ヒョッホホホホ」
老婆は笑った。ランスが後ずさる。
「怪我などない。あの程度の弾、幾らでも弾き返してきたわ。そうして皆、言うのじゃ、ワシが化け物に見えたとな」
老婆がしわがれた声でランスを見詰めながら言った。
「ほ、本当にすみませんでした」
ランスが必死に頭を下げている。
「まぁ、良い。ところでお前さん方も町へ行く途中のようじゃの?」
「ええ、そうよ、お婆さん」
ヴェロニカが歩んで行き、デルターも続いた。ピストルは腰のホルスターにしまった。
「町まではまだ遠い」
「どれぐらいあるんだ?」
デルターが問うと老婆は茂みを振り返って言った。
「まぁだ、まだまだ」
「三日か? 五日かか?」
デルターは更に尋ねたが、背を向けた老婆は応じた。
「まぁだじゃよ。ついて来い。今宵の宿へ案内してやろう」
老婆は茂みの中を歩いて行く。マチェットは左手にぶら提げたままだ。
デルター達、三人は顔を見合わせた。
「宿に案内してくれるということは、集落でもあるんじゃないですか?」
ランスが言った。
「だが、どうも怪しい気がする」
デルターは本音を述べた。町までどれぐらいかかるのか、老婆はあえて濁した様にも思えたのだ。もしも、濁して、自分達をどこかへ案内しようとすればその目的はなんなのだろうか。
だが、ヴェロニカが言った。
「どこだって良いじゃない。野宿も好きだけど、ベッドの方がもっと好きよ。お風呂もあるかもしれない。デルター、一緒に入りましょう? ね?」
「んなことできるか!」
デルターはヴェロニの無邪気さに呆れた。
すると森中に声が響き渡った。
「ヒョッホホホホ」
あの老婆の声だった。
三人はそれぞれ振り返った。
すると老婆が戻って来ていた。
「何をしておる。ついてこい、ついてこい。今宵の宿へ案内いたそう」
老婆はそう言うと歩んで行く。
「ねぇ御婆ちゃん、お風呂はあるの?」
「ある」
するとヴェロニカが歓喜して言った。
「行くわよ、二人とも! それともまだあの御婆ちゃんが妖怪か何かだと思ってるのかしら?」
「いや、そんなことは。でも、お風呂は確かにありがたいですね」
「でしょ?」
ヴェロニカとランスが歩んで行く。
二人が安易過ぎるのか、それとも、自分が大げさに用心深いのか。とりあえず、距離が開いて行く。この森で迷うわけには行かない。
デルターも後に続いたのだった。




