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第六十二話 「雨の中で」

 これは一晩降るだろうか。

 街道脇の森の中、名前は知らないが大きな木の下で三人は雨宿りしていた。

「すみません、ヴェロニカ。馬車だったらこんなところで立ち往生することも無かったでしょう」

 ランスが申し訳なさそうに言った。

「謝らないで、ランス。これもまた徒歩の旅の魅力よ。そうでしょう、デルター?」

 話を振られデルターは笑った。

「まったく、逞しいなお前は」

「そうでしょう?」

 ヴェロニカがデルターを見て笑った。

「レディの前ですみませんが、ちょっとトイレに行ってきますね」

 ランスが森の奥へ入って行く。

「道に迷うなよ」

 デルターはその背に向かって声を掛けた。

 しばらくは、雨粒が枝葉と水溜まりを叩く音が聴こえているだけだった。

「ねぇ、デルター」

「何だ?」

「何か楽しい話は無い?」

「楽しい話だと?」

 デルターは逡巡した。

「教会で働いていた頃には特に楽しいことなんて無かったな。だが、外の世界に出てランスと旅をして、そこから幾つか出来事があった」

「どんな?」

 足元をノロノロと歩く一匹のヒキガエルがいた。幼少のヴェロニカはよく生き物を捕まえたものだった。

 少し懐かしく思いながらデルターは話した。

 強盗団と戦ったこと、恐竜のことまで話した。

「恐竜が生きてるの?」

 教授に口止めされていたがヴェロニカなら大丈夫だろう。

「他言無用だからな」

 彼女が頷くのを見て、デルターは様々な恐竜がいた遺跡のことを自分なりにこと細かく話した。

「いつか連れてってやるよ」

「楽しみだわ。なるべく早くお願いしたいわね」

「ああ、分かった。ただ、今は王都を目指して洗礼を受けなきゃならねぇからな。引き返すわけにはいかねぇ」

「ええ、私も王都のアカデミーに職を得たばかりだから、しばらくは忙しいと思うわ」

 ヴェロニカが言った。

「お前、教授になったのか?」

「ええ。念願かなってね」

 ヴェロニカがニコリと笑う。

 デルターは溜息を吐いた。

「お前はすごいな。医者になりたいと思えば医者になって、教授になりたいと思えば教授になった。並大抵の努力じゃ無かっただろうな。俺が酒を食らって人をぶん殴って留置所に入れられてる間も、きっとそんな努力を続けていたのだろう」

「そうかもしれないわね。お医者さんを志したのは、父、いえ、義父のウォルター先生に影響されたのが大きかったわ。こういう人助けもあるんだなって」

「人助けか。立派だな。皮肉じゃなく本心からそう思う」

 デルターが言うとヴェロニカが尋ねた。

「デルター、あなたには夢は無いの?」

「夢か。もうこんな年だ。何かを志すぐらいなら、潔く神官に復帰するのがそれなのかもしれない。それ以外、頭に浮かんで来ないな」

 デルターは再びヒキガエルに目を落としながら応じた。

「諦めちゃ駄目よ。大体のことはいつ志しても遅くはないものよ。あなたも大学に入って何かを見付けることだって可能なのよ」

「俺が大学ね」

 デルターはカウボーイハットに手をやりつつ応じた。

「想像できねぇな」

 沈黙が流れた。

 ヒキガエルは既に街道の中腹までノロノロと歩いていた。こんな土砂降りだが、馬車が来ることだって考えられる。

 世話の焼ける。

 デルターは木陰から飛び出すと、ヒキガエルのところまで駆け、そのブヨブヨした身体を持ち上げて反対側の街道へ投げ入れた。

「優しいのね」

 戻って来るとヴェロニカが言った。

「どうにも見過ごせない性分でな。カエルにとっては迷惑この上無かったかもしれないが」

「あなたは粗暴な振る舞いもしたかもしれないけど、こうして優しい心を持っているのよ。昔からそうだったわ。どうか、それを忘れないでね」

 ヴェロニカが言った。

 雨が小降りになって来た。陰っていた雲が薄れ始め、陽が見え始めていた。

「通り雨だったみたいね」

「そうだな。それじゃあ、行くか」

「ええ」

 すると背後から茂みを掻き分けてランスが姿を見せた。

「晴れましたね」

「お前、遅かったな」

 デルターが言うとランスは苦笑いを浮かべた。

「少し奥に入り過ぎてしまった様で、迷いました」

 その言葉にデルターは半分呆れて、半分安堵していた。

「まぁ、良い。出発だ」

 頭陀袋を担ぎ直してデルターが言うと、ランスとヴェロニカは気合十分とばかりに頷いたのだった。

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