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第六十話 「恋」

 あれからデルターはすぐに体調も戻り、元気に一キロのステーキ肉を平らげるまでになった。

 デルターが臥せっている間に、ランスも旅支度の準備を済ませ、二人はいつ再び旅に出てもおかしくはない状況だった。

 ランスは二度ほど、出発を提案したが、デルターは病み上がりを理由にバツが悪くなりながらも断った。

 ありがたいことに相棒は、それ以上、急かさなかったし、自分を自由にしてくれた。

「それじゃあ、私は図書館にでも行ってみますね」

 ランスはそう言うと去って行った。

 彼には申し訳ないことをした。しかし、デルターはどうしても今すぐ旅に出たい気分ではなかった。

 ヴェロニカのことだ。

 彼女も王都へ向かっているという。

 道中、自分は何度も危険な目に遭っているため、デルターは彼女の身を案じていたのだ。

 ヴェロニカは現在、この町の診療所で働きながら勉強をしている。立派な医者なのに更に立派になろうとしているのだ。

 その志はデルターを感動させたが、志の有無に関わらずデルターは彼女の側にいてやりたいと思っていた。

 ヴェロニカはあと五日でこの町を出るという。今日こそ、言うのだ。俺達と行かないか? と。

 言う機会はいくらでもあったが、何だかどう解釈しても口説いているようにも思え、デルターは適当な言葉を思いつけずに苦労していた。

 デルターは去り行くランスの小さな背を見て、思わず声を上げた。

「おい、ランス!」

 相手は振り返った。幾人か他にもこちらを見た人々もいたが、彼らは自分達が呼ばれたわけではないことを知ると、歩みを進め、あるいは談笑に戻った。

「何ですか?」

 ランスは走って戻って来た。

「ああ、いや、そこまで大した用は無いんだが」

 ランスに訊くのか? どうすればヴェロニカをさり気無く誘える言葉を。

「ああ、いや。旅にだな、ヴェロニカを誘っても良いか?」

「ミス、コーランドを?」

「あ、ああ」

「デルターさんと同じ孤児院に居たんですよね? ミス、コーランドに聴きました。彼女も王都を目指しているそうですね。良いんじゃないですか?」

「お、おう、そうか」

「ミス、コーランドには伝えたんですか?」

「いや、それがまだだ」

 デルターは再びバツが悪い思いをしながら応じた。

「それじゃあ、彼女にそう伝えねばなりませんね」

「ああ、そうなんだ」

「どうします? デルターさんは病み上がりですし、私が代わりに伝えて来ましょうか?」

 ランスが問う。デルターは弱い己に軍配を上げた。

「悪い、頼めるか? 俺は少し休んでる」

「分かりました。それじゃあ、また後で」

 ランスが去って行く。

 これで良かったのだろうか。

 しかし不思議だ。何故、さり気なく言葉を掛けたいだけなのにそれができなくなってしまったのだろう。

 ヴェロニカの綺麗な金髪、青い瞳を思い出す。

 途端に柄にもなく照れる己に気付いた。

 献身的な彼女は綺麗だった。

 この生まれて四十五年。恋心を抱いたことはあったが、告白したことは無かった。そうしている間に時は流れ、かつて自分の心を魅了した異性は所帯持ちとなった。

 馬鹿な、恋なのか? この年で、いくら昔を知ってくれていて好意的だとしても、遅すぎる。それに俺はハゲでデブだ。もう遅いのだ。

 だが、ヴェロニカの側にいてやりたいという気持ちは変わらない。

 ランスがデルターの部屋に返事を持ってきたのは夕暮れだった。

「ミス、コーランドは承知してくれましたよ。ただあと五日で抱えている仕事を終えるらしいです。そうしたら、我々と旅に出ると、そう言いました」

「そうか、分かった。悪いな、ランス」

 自分で言えなかった情けなさをデルターは感じていた。

 その時、扉がノックされた。

「私よ、ヴェロニカよ」

「今開けます」

 ランスが歩み寄り扉を開いた。

 そこには当然ヴェロニカが立っていた。偽物などではない。

「デルター、あなたが来なかったから、まだ調子が悪いのかと思って」


 そして大きく膨れがった診療バッグから手で見えなかったが何かを取り出した。

「苦いけど、滋養に良いわよ」

 紙に包まれた粉末剤だった。

 デルターは今更元気なことを伝えるのもやはりバツが悪く思え、薬を受け取り飲んだ。苦いのをすぐに水差しに口をつけ流し込む。

「ああ、苦かった」

 デルターが思わずそう漏らすと、ヴェロニカが口元を押さえて笑った。

「どんなに頼もしく見える人にも苦手な物はあるのね」

「そんなにおかしいか?」

「ええ。もう二つほどいかがかしら?」

「げー、勘弁してくれ」

 デルターはヴェロニカの冗談に乗ると笑っていた。

「あとは、ゆっくりお休みなさい。でも五日後、あなたと旅に出られるのがとても待ち遠しいわ」

「そんなにか?」

「ええ、そんなに。だから抱えている仕事を綺麗さっぱり片付けなきゃ」

 ヴェロニカは踵を返した。

「じゃあ、五日後に会いましょう、デルター」

「ああ」

「具合が悪くなったらランスさんに言うのよ」

「そうする」

「それじゃあ、本当にお休みなさい」

 扉が閉められる。ヴェロニカは帰った。

「五日後だ。旅支度は万端だよなランス?」

 と、そこで相棒の声が返って来ないことに気付いた。

 いつの間にかランスの姿が消えていた。

 まさか、自分達に気を遣ったのだろうか。

 とりあえず、ランスが旅の準備の方を整えてくれたので、デルターはあと五日、待つことにした。

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