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第五十九話 「昔語り」

「風邪ね。ずいぶん、無理してきたんじゃない?」

 一通りの診察をすると、ヴェロニカが言った。

 ランスは弾薬と旅の消耗品を買いに行き、この場にはいない。

「無理か。町の外に出てここまで色々なことがあった」

 デルターはベッドに仰臥して言った。

 野宿に、強盗、恐竜。どれも初めてのことだった。

「そう。何があったのか分からないけれど、その銃が、あなたが過酷な目に遭ったことを察しさせてくれるわ」

 机の上の診療用カバンの隣に置かれたガンベルトを見てヴェロニカが言った。

「お前は夢を叶えて立派な医者になったんだな」

 デルターは自分のことのように嬉しく思いながら相手に言った。

「ええ。でも、まだまだ学ばなければならないことがたっくさん、あるのよ。だから王都に行こうと思うの」

「そりゃ、奇遇だな。俺も王都に用があるんだ」

「どんな?」

 ヴェロニカが尋ねる。

「大聖堂に行って洗礼を受けるのさ」

「そうなの。じゃあ、あなたはやっぱり神官として勤めているのね」

 そう言われ、デルターは苦笑した。

「いや、実はクビになった」

「え?」

「だが、マイルス神官長がチャンスをくれた。今言った通りだ。王都で洗礼を受ければ神官として復職させてくれるとな」

「そうなの」

「ああ」

 しばしの間を置き、デルターは言った。

「しかし、ヴェロニカ、お前、本当に綺麗になったな」

「ありがとう、デルター。でももう顔にもしわが増えてきたわ」

「綺麗なことに変わりは無い。俺なんか、ハゲてデブになった。おまけに他の神官達には鼻つまみ者にされ、酒を食らって暴力三昧。自分で自分が情けなく思える」

「反省することは良いことだわ。そうそうできるものじゃ無いもの」

 ヴェロニカが優しい口調で言った。

「反省というか後悔だな。マイルス神官長が俺をいったんクビにしてくれなきゃ、俺自身目を背けたくなるような男になっていただろう」

「大丈夫。神はそんなあなたを見捨てたりはしないわ。現にこうやって懐かしい再会の機会を与えてくれたじゃない。あなたが頑張りに頑張りを重ねて旅をしているのを見ていたのよ。今はほんの休息。私と会えてあなたは嬉しい?」

「当たり前だ。それに立派に医者をしている。こんな嬉しいことがあるもんか」

 デルターはそう言い咳き込んだ。

「デルター、少し休んだ方が良いわ。熱も上がってきてるみたいだし」

 ヴェロニカのひんやりとした手が額に置かれる。

 ああ、天使。いや、天女だ。

 デルターはそう思った。

「薬よ」

 ヴェロニカが手渡す。

 半身を起こしその茶色の錠剤を水差しで飲むと、デルターは再びベッドに身を預けた。

「眠った方が良いわ」

「あ、ああ、そうさせてもらう」

 歯切れ悪くデルターは応じた。次に目を覚ました時にヴェロニカはいないだろう。それが少々名残惜しかったが、彼女は医者だ。忙しいに違いない。ほんの一時でも懐かしい再会ができたのだ。神に感謝を。

 デルターは目を閉じたのであった。



 二



 デルターは目を覚ました。

 全身が汗だらけで気分が悪かった。

 まだまだ回復したわけではないが、それでもほんの少し熱が下がった気配がある。寒気と節々の痛みは相変わらずだが、それでも薬が効いているのは明らかだった。

「あら、起きたの?」

 ヴェロニカが言った。

 デルターは驚いた。

「まだ居たのか。今、何時だ?」

 そう言いながら、シンプルな壁掛け時計へ目を向ける。

 針は三時半を指していた。

 夕方のだよな?

 デルターがカーテンを開けようとするとヴェロニカが言った。

「まだ夕方よ」

「そうかい」

 もしかしたら夜中の三時にまで付き添わせてしまったのかとデルターは驚いていた。

「ランスの奴は?」

「ああ、あなたのお友達なら顔を出したわよ。ずいぶん心配していたわ。これ、着替え」

 ヴェロニカが宿の寝間着をベッドに置いた。

「私、少し廊下に出てるから、着替え終わったら教えてちょうだい」

「分かった」

 彼女が外に出るとデルターは気怠い身体を起し、二つの足で床を踏みしめ、服を着替え始めた。

「もう良いぞ」

 デルターが言うとヴェロニカが扉を開けて入って来た。

「食欲はある?」

「少し」

 お腹が空いているわけでもないが、何かしら食べておこうと思ったのだ。

「ちょっと待ってて、一時間前ぐらいに薬膳スープを作ったところだったの。パンは食べられる?」

「いや、パンはまだいい」

「分かったわ。今、持ってくるから」

 ヴェロニカは再び外に出て行ったが、程なくして盆を手にして戻って来た。

「ゆっくり食べると良いわ」

 デルターはベッドから起き上がり、椅子に座った。机の上に置かれたスープは湯気が上っていた。

 木製のスプーンでそれをすくい、口に入れる。熱くはない。スープが身体の中に行き渡るのを感じる。

「ねぇ、デルター、覚えてる? 私が木登りしたときのこと」

 デルターは頷いた。

 昔のことだ。まだ五歳だったヴェロニカは男の子顔負けのやんちゃ盛りで、あの時は木に登った。

 ずいぶん上まで登った。

 だが、彼女はそこから降りることに恐怖し、降りられないと泣き叫んだのであった。

 他の子供から知らせを聴いたデルターはすぐさま駆け付けた。

 叱りたいが、それは後回しだ。今はヴェロニカに勇気を取り戻させ、下へ下へゆっくり下りるように導かねばならない。

「ヴェロニカ、大丈夫、大丈夫だ。ゆっくりゆっくりやるんだ。心配いらない、俺がついてる!」

 デルターは安心させようとして努めて穏やかな声を上げた。

 ヴェロニカは勇気を取り戻し、デルターの祈るような思いと共に危なげなく下り始める。

 その時、ヴェロニカが手を滑らせた。

 デルターは駆けた。

 そしてヴェロニカの小さな身体を受け止めたのだった。

「今、思い出しても冷や冷やするわ」

 ヴェロニカが言った。

「俺もだよ」

 デルターも応じる。

「でも、デルター。あなたが私を落ち着かせようとして投げ掛けてくれた言葉を私は忘れないわ。今でも苦しい時、悲しい時にもその言葉を思い出すようにしているの。だから、ここまで来れたし、この先だって支えになってくれるはずよ。だから、いつかあなたにはお礼が言いたかったの。私に勇気をくれてありがとう」

 ヴェロニカは優しい笑みを浮かべてそう言ったのだった。

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