第十六話 「潜入」
デルターには森の中を当ても無く進んでいるようにしか思えなかった。
キンジソウの黒い外套の後を追う。その足に迷いは見られない。
「おい、本当にこっちで良いんだろうな?」
色褪せたカウボーイハットの男、ベンが最後尾で不審げに声を上げる。
「信じるしかあるまい。前を見て歩け、木の枝に顔をぶつけるぞ」
緑色のカウボーイハットをかぶったヤマウチヒロシが応じる。その肩にはライフルが担がれていた。
デルターとランスの後方ではそんなやり取りがずっと続いていた。
デルターの方もベン程では無いがキンジソウを疑っていた。
森を歩くのには慣れているようだ。だからこそ、大金を得た今、突然姿をくらまし自分達を森の中に置き去りにすることだってできるのだ。しかし、隣のランスは息を上げながらも懸命な顔でキンジソウの背を追い掛けている。
「お喋りはここまでだ」
キンジソウが足を止め振り返って一同に言った。
「どういう意味だ?」
いささか声色の変わった相手を見てデルターはピストルに手を掛けた。
「俺達をだましたのか!?」
ベンが声を上げると、キンジソウは自分の口元に人差し指を立てた。
そして先を指差す。
見れば川が流れていた。
「これが砦の水路に続いている」
キンジソウは言葉を続けた。
「つまり敵の近くに来ているわけだ。俺を信用しろ。口を閉じてついて来い。金の分は付き合うさ」
キンジソウは歩き始める。
森と茂みに囲まれた水路だが広かった。
大蛇がランスの足元から飛び出し川を泳いでいったときは、ランスが腰を抜かしていた。
「蛇は蛇でも大きいのは駄目なんですよ」
ランスはデルターとキンジソウに手を借りて起き上がりながら言った。
「俺もあんなデケェのとは、はち遭いたくはないな」
デルターはそう応じてランスを励ました。
ベンが馬鹿にするように嘲り笑いを浮かべたのを見て殴りたくなった。
「静かに」
ヤマウチヒロシが一同を黙らせる。
キンジソウは歩いて行く。
程なくして石造りの建物の影が真昼の太陽に照らされ、木々の間から見えたのだった。
ランスが緊張した面持ちで腰にあるピストルの存在を確認していた。
キンジソウが止まった。
その先は砦の内部へ続いている真っ暗な水路の入り口だった。
「どうしたんだ、早いところ突入しようぜ」
ベンがピストル二丁を指で器用に回転させて急かした。
「いや、奴らが水路の存在を知らないという保証はない。見張りがいるかもしれない」
キンジソウが言った。
「ではどうする? 誰かを囮にして気を引いている間に町の者を助けるつもりか? 町全体の人口だぞ。そうすみやかには終わらない」
ヤマウチヒロシが途方に暮れたように応じた。
デルターも文句を言おうとしたとき、キンジソウの黒い外套の左肩が膨れ上がった。
一同が見ている前で、外套の中から黒猫が現れた。
「猫なんて連れてきたのかよ」
ベンが呆れたように言うとキンジソウは猫を抱き上げ囁いた。
「ペケさん、ペケさん、この先の様子を見てきてくれ」
「ニャー」
黒猫は黄緑色の宝石の方な双眸を向けると一鳴きして暗い水路の中へ駆け込んで行った。
「見張りの有無を確認させた」
キンジソウは疑念と当惑の目を向けられていることに気付いたのかそう言い不敵に微笑んだ。
「猫にか?」
デルターは当惑側だったがそう尋ねると相手は応じた。
「ペケさんはただの黒猫じゃない。まぁ、待ってみろ」
ベンが反論しそうだったが、ヤマウチヒロシが首を横に振って黙らせた。
程なくして水路の闇の中からその化身が飛び出したかのように猫が戻って来た。
「敵はいたか?」
キンジソウが問うと、ペケさんは顔を見上げ黙ったままだった。
「ほら見ろ、猫なんかに何が分かるって言うんだ?」
怒声をそれでも抑え気味にベンが言った。
するとキンジソウは猫を見て頷いた。
「そうか、分かった。見張りは無しだ」
そうやってクルリと水路へ向き歩んで行こうとする。
「待て」
デルターはひそやかな声で止めた。
ベンの肩を持つつもりは無いが、黙ったままの猫を見て何が分かったのか合点がいかなかったのだ。
「ペケさんは賢い猫だ。俺の問いに対して鳴かなかった。つまり見張りはゼロということだ」
キンジソウが首を向けて言った。
「当てが無い以上、彼らを信じるしかありませんよ」
ランスが一同を見て促した。
「そうだな。キンジソウ、アンタもタダ者じゃなかった。このペケサンとかいう猫もタダ者では無いんだろう?」
ヤマウチヒロシが続いて口を開いた。
「その通り」
キンジソウは頷いた。
「だが、ペケサンだなんて珍妙な名前してるな」
ベンが言った。デルターとしてはベンが「珍妙」という言葉を口にしていることが意外だった。
「名前はペケ。さんは敬称だ」
キンジソウが言った。
「じゃあ、ペケって呼べば言いわけだな」
ベンが言った時だった。
キンジソウがまなじりを明らかに怒らせて応じた。
「さんを付けろ」
「わ、分かった。ペケさん」
ベンが言い直すとキンジソウは毎度の不敵な笑みを浮かべた。
「それじゃあ、行くか。油断はするなよ」
キンジソウを先頭に一行は砦の暗い水路へ足を踏み入れたのだった。