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転性のノスタルジア  作者: 都森メメ
高校三年生
36/42

山本くんと陽菜

お待たせしました、最終章の高三編です。

 

 ある日の朝、航平と別れて図書館に向かうと陽菜が司書さんに怒られていた。遠目にそれを眺めつつ話を聞くと、どうも遅刻をして朝の受付当番をサボってしまったらしい。俯きながらお説教されている陽菜の目は眠たげで、睡眠不足であることが伺えた。昨日の夜に、なにかやっていたのかなんて思いながら、お説教から解放された陽菜に聞いた。


「昨日なんかあったの?」

「ん、いやあ、ちょっとな」


 いつにも増して歯切れの悪い陽菜だった。明朗な性格の陽菜にしては珍しいと感じながらも、それ以上は追及しなかった。




 その日の3時間目、国語の授業のときのこと、教科書の音読をやろうと先生が言い出して、今日の日付から出席番号を選ぶとその生徒を指名した。その番号は私のひとつ前で、すなわち呼ばれたのは陽菜であった。教科書に向けていた目を隣の席の陽菜に向けると、彼女は頭をもたげて、それをこくりこくりと舟を漕ぐように揺らしていた。垂れた前髪の奥に瞼を閉じ、頬の緩んだその表情を可愛らしいと思いながらも、陽菜を起こすために肩を叩いた。


「陽菜、陽菜」

「――――んぅ、何?」

「呼ばれてる、23ページの冒頭から朗読」


 私がそういうと、陽菜はパチリと目を開いて、国語の先生を見てから、席を立ち上がり朗読を始めた。


「ええと、『石炭をば早や積み果てつ―――』」




 普段の言動からはあまり想像できないが、陽菜はこれでも真面目な性格であり、遅刻や居眠りなどをすることは極めて珍しい。

 昼休みに教室で弁当を広げながら、昨日なにがあったのだと問うてみる。


「あんまり寝てないの?」

「うん、めっちゃ眠い……」

「ふーん、勉強でもしてたの?」

「まあそんなところや」


 高校三年生ともなれば、皆受験に向けて勉強に励み出す。進学校である東雲高校の生徒なら珍しくもないことであったが、この陽菜は嘘をついているときの陽菜だった。


「陽菜、首のところ赤くなってるよ」

「え、嘘!?」


 首の一部を指差しながら、陽菜にカマをかけてみた。私の言葉に、陽菜は慌てて手鏡を取り出して、自分の首元を色んな角度から見る。探しても探しても見つからないキスマークに、痺れを切らした陽菜がこう聞いてくる。


「…………どこ?」

「山本くんと寝てたんでしょ、昨日」


 小声の私の言葉を聞いて、カマをかけられたことに気づいた陽菜は、顔を赤らめながら私をじっとりと睨んできた。睨むといっても、怒っているわけではなく、羞恥の感情を吐き出すための目であった。


「……これが、ハメられるってやつか」

「ぶほっ!」


 非常に下らないダブルミーニングであったが、陽菜の語調が不思議と面白くって、一瞬口の中の米を吹き出しそうになってしまう。狼狽えた私を見て、陽菜はしてやったりという顔をした。


「馬鹿なこと言ってないで、ちゃんと反省しなさい」

「はいはい」


 お弁当をパクつく陽菜に、私の忠言はあまり響いていないようだった。この子の将来をやや心配しながら、まあこのような時期も一つの経験であるとして納得した。

 しかし、陽菜に関しては得心したとしても、その恋人たる山本くんには諫言するべきである。





 そんなことがあってから数日後、私は陽菜の彼氏である山本くんを呼び出した。場所は私のアルバイト先の喫茶店である。ここなら、万が一航平や陽菜に見つかったとしても浮気を疑われたりしないだろう。

 席についた山本くんに、私は開口一番にこう告げた。


「もうちょっと陽菜のことを気遣って」

「……いきなり呼び出されて何かと思ったらそんなことか」


 そんなこととは何だ。私たちのような前世持ちの人間が、いたいけな高校生に悪影響を与えるのは良くないと言っているのだ。事の重要性を伝えるため、先日の陽菜のことを伝えた。


「へえ、陽菜が遅刻、ああ、あの日か」

「山本くんだって前世が女なんだから、そういう事のしんどさはわかるでしょ」

「当然」


 つまり、夜を共にするのであればもう少し相手の女を気遣えと言っているのだ。けれども、山本くんがこれらの諫言について思うことは、私の期待とは外れていた。


「桜田さんは陽菜を子供扱いし過ぎじゃないかな、ああ、航平に対してもも同じことが言えるか」

「まだ高校生なんだから当たり前でしょ」

()()、高校生だ、それも三年生」


 どうも、この点に関しては私と山本くんの考えは異なるらしい。子供ではないのだから、自分の行いは自分でも責任を取れと言うことだろう。けれども、私たちのような人間がそれを言うのはあまりにも無責任だ。


「だいたい、あの日誘ってきたのは陽菜のほうだった」

「それが言い訳になるとでも?」

「……桜田さんは男には厳しいね」


 厳しい厳しいと言いながらも、その口調はどこか楽しげである。そのままの微笑みを維持しながら山本くんはこう続けてくる。


「桜田さんは、陽菜のことを侮ってる」

「どういう意味?」

「女なのにわからない?」


 煽るように言ってくる山本くんだが、私の心はざわついたりしない。このような彼の性格は概ね把握している。


「陽菜はね、色んな意味で(したた)かだよ」

「強か?」

「例えば、陽菜の恋人が浮気をしたとする。陽菜がそれを知ったとき、たぶんその恋人は()たれるだろう」


 いきなり何の話をするかと思えば、自分が浮気をした時の仮定の話か、今これを語る意味はわからないが、大人しく続きを聞く。


「陽菜はね、ぶん殴って、その恋人を友人に戻すか、若しくは赤の他人に貶めるかを選べる女だ。これはたぶん、桜田さんには出来ない」

「……航平が浮気したら、私だってそれと同じように殴るよ、それくらいできる」

「行動は同じでも、その根底にあるものが全く違う」


 真面目な顔で陽菜について語る山本くんは、かつて見せたフェミニンな面影を私に想起させた。


「陽菜の強さは、選択肢を持てることにある。桜田さんが航平の不貞を罰したとしても、それはその選択肢しか持っていなかったってことだよ」

「……」

「桜田さんの独立心は、自己愛によって担保されてる」

「……」

「陽菜はその真逆だ。自分より他者を深く愛しながら、同時に自己の独立も成し遂げてる。たぶん、これは同じ女の子にしかわからない感覚だから、桜田さんが理解出来ないのも無理はないよ」


 かなり長く喋ったからだろう、渇いた舌をコーヒーで潤した山本くんは最後にこう付け足した。


「陽菜はね、独立自尊の精神を持った女だよ」


 山本くんが言った内容を脳内で反芻して噛み砕く。やや難解な彼の主張を一通り理解できたところで、私には二の句を告げるための語彙がなかった。


「ところで何の話をしてたんだっけ、ああ、陽菜が遅刻した話か。ええとね、それなら大丈夫だと思うよ。僕の気遣いなんて有ろうが無かろうが関係なく、もう二度と陽菜はそんなミスしないだろうから」



 果たして、高校生活においてこの後の陽菜には恋愛による失敗は全くといって良いほどに見られなかった。



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[良い点] 「……これが、ハメられるってやつか」 うまい! 座布団三枚!
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