はじめまして
高校というのはもっと素晴らしい、自由なものだと思っていた。アルバイト、遊び、恋愛、部活……嗚呼、素晴らしきかな。
しかし、現実はどうだ。アルバイトなど「仕事」にリソースを割かれて出来やしないし、平日の疲れからか休日に遊びに行く気など起きやしない。恋愛……俺には無理だ。周りの女子がデレる気配など微塵もない。部活……こんなのは罰ゲームだ。
故に俺は声を大にして叫びたい。「青春など幻想だ」と。俺の中の上〇さんが「その幻想をぶち壊す!」って右腕を振りかぶっている。
おっと、言い忘れていたな。俺の名前は柊大和。私立栗浜学園に通う男子高生だ。
「ねえ、そのモノローグやめたら?」
「ほう、遂に俺の心を読めるようになったか。そこまで俺への愛が強いと困っぶべらっ!」
俺は部室の床で鳩尾を抑えて蹲っていた。どうやったらこんなピンポイントに深く鳩尾を抉れるのか。お前、武道経験者じゃないだろうに。
俺の鳩尾を的確に殴り、俺を睥睨している見た目はおっとり女子――矢萩桜は踵を俺の頭に振り下ろしてきた。
女の子の脚に踏み躙られるのもそれはそれで良いのだが流石に生命の危機を感じたので急いで避ける。
「危ねぇな! 俺の反射神経じゃなきゃ死んでたぞ!」
「……チッ」
「今『チッ』って言った!? 舌打ちしたよねぇ!?」
「虫を仕留め損なったわ」
「俺は虫ケラだってか! 虫ケラ殺すのに随分過激な攻撃方法取りましたね!」
俺の抗議は虚しくスルーされ、桜は自分の椅子に腰掛けて「はふぅ……」と恍惚とした表情を浮かべていた。何あいつめっちゃ怖いんだけど。
矢萩桜。ふわふわと揺れる——まるで春に舞う桜のような――セミロングの髪。その優しさを湛えた双眸はまるで黒真珠を嵌めた様な輝きを放っている。
憂いげに外を眺めるその姿は見る者の心に染み込むような絵になる美しい旋律を奏でていた。
部室には俺と桜の二人だけ。まだ放課後になってから十分程しか経っていない。
俺達のクラスは終礼が異様に短い。それは担任の手際がいいとかではなく、単純にめんどくさがり屋だからである。最後の授業が終わるや否や入ってきて「何か連絡あるやつはいるか? よし、いないな! 解散!」で終わるのだ。
そんな早く終わるものだから部室に来ても暫くは俺ら2年C組の二人しか居ないのである。まぁ、本当はもう一人居るのだが、多分今日も何処かで世界を救っているらしいのでここ二日程休んでいる。
しかし、今日は二人きりの状況は長く続かなかった。
「おっはー! 茜さんの登場だよ !」
勢いよく開いたドアと同時にこれまた勢いのいい声が飛び込んできた。
俺は入口に目を向けると――天使が居た。
快活さを絵に描いたようなその姿はさながら兎の様であった。控えめな身長と控えめな胸。それでいて自己主張をする赤茶のポニーテール。顔には満面の笑みを張り付けて人好きする印象を与える天使――東雲茜が立っていた。
「こんにちは。茜さん。今日も元気っすね」
「そう言うヤマト君はテンション低いねー」
「あはは、ついさっきまで鳩尾の痛みに床をのたうち回ってたからな」
「ありゃ、また桜にやられたの?」
「ちょっと、その聞き方だと私が常に暴力を振るうゴリラ女みたいじゃない!」
桜は自分の不本意な言われ様にぷりぷりと怒る。
「いやいや、そんな事言ってないよん。ただ、相変わらず中の宜しい事で」
茜さんがそう言うと桜はキーッと顔を真っ赤にした。茜さんはそれを見て楽しそうにカラカラ笑うと席に着いた。
机を挟んで俺の正面に座った茜さんに俺は備品の皿を出して「いつもの」を強請る。
「茜さーん」
「はいはい、ちょっち待ってねー、今出すから」
そう言って自分の鞄をゴソゴソと探る。
「あっちでもない、こっちでもない、うーん、あっ、地球破壊爆だ――間違えた間違えた」
「「……」」
なんか若干物騒な単語が聞こえた気がしたが、俺の聞き間違いだろう。茜さんのカバンの中から本来ありえないサイズの鉄の塊みたいなものがチラッと見えた気がしたがそれも気のせいだろう。気のせいったら、気のせいなのだ。「女の鞄の中は四〇元ポケット」とはよく言ったものだ。
「うーん、これはアポ〇キシン4869でこっちはトリカブト、このタッパーはベクロニウムで……あ、これだっ!」
茜さんは取り出したそれ――タッパーに入ったクッキーを机の上に置いた皿に出した。
「今日はチョコチップクッキーだよ!」
今、バッグの中から出てきた物の中に明らかに毒物があったのだが……。このクッキー、食べても身長縮まないよね?
聞くと微妙な雰囲気になりそうだったのでスルーするのが吉。
「クッキーは久しぶりっすね。最近は和菓子が多かったのに」
「あー、まあ、ずっと和菓子ってのもねー。ほら、たまには洋菓子も食べてみたくなる大正の人間の気持ち? みたいなのを感じてね」
「あー、私、すごいそういうの分かります。また逆も然りってのもありますよね」
「あるある」
茜さんは、毎週月曜日はお菓子を作ってきてくれる。その理由の半分は趣味で部員に憂鬱な月曜日の楽しみを提供しようという最高の気遣い精神なのだが、もう半分は「ナイショ♪」との事だ。こういう笑顔を見てしまうと天使よりも小悪魔かな? なんて思ったりもする。
割と、仕事もせずにこうしてダラダラしてるだけの時間って幸せだったりする。やはり、無気力な時を過ごせるのは学生の特権だからな。気合いを入れてダラダラしなくては。駄弁っている美少女を観ながらボーッと過ごす放課後。……ふむ、悪くない。
「何、締まらない表情をしていますの? 柊大和! キャラが薄くなりますわよ!」
そんなくだらない事を考えていたら上からスカートを翻して美少女が降ってきた。しかもパツキンだ。
パツキンは俺の前に降り立つと指を俺に突きつけて香ばしいポーズを取っている。
「いや、突然上から降ってきてジョ〇ョ立ちしてるパツキンお嬢様に言われたくないんでだが。貴女みたいなお汁粉にマヨネーズとソースと牛カルビを入れたものくらいキャラが濃ゆい人が目の前に立っているだけで俺のキャラが薄まるのだが」
「濃ゆい! 確かにそれは濃ゆいですわ! というかもうそれはゲテモノじゃないですの!」
「なかなか、言い得て妙だと思わない?」
「雁屋の力で貴方を消し飛ばしますわよ」
「勘弁してください。星が消えます」
「流石に貴方如きを潰すために地球破〇爆弾とか使ったりはしませんわよ……」
「じゃあその俺如きを潰すために財閥の力使うなよ……」
そう、このパツキン女、雁屋エリカは大財閥の令嬢であったりする。雁屋財閥。日本でも有数の大財閥である。
そんなお嬢様はとても「濃ゆい」キャラをしていた。金髪、美少女、ハーフ、ツインテール、ツンデレ(大和主観)、お嬢様etc.....と、もうそれはそれはニ〇ニコ大百科のタグ付け欄が大変な事になりそうな少女だった。
「で? 今日の茜さんスペシャルは何ですの?」
「今日の茜さんスペシャルはチョコチップクッキーだよ!」
「まあ! 流石ですわね、茜さん。私が丁度食べたいと思っていた物を作ってきてくださるなんて!」
エリカは心底嬉しそうに笑い、席についてクッキーを食べ出した。……食い意地が張っていても食べるその仕草はとても優雅だ。
この部活——風紀委員は、大体こんなもんである。適当に放課後に集まって、お菓子を食べて駄弁る。そんなんでいいのか風紀委員とは思うが、実際、この学校の風紀はすこぶる良く、風紀委員なんて文化祭時と生徒会のヘルプの時にしか活動しない。当然部費なんてない。
そもそも、この風紀委員設立の目的が、生徒会の仕事が多い時のヘルプ要員として確保するためである。この学校は生徒会の権力が強い。つまり、仕事が半端なく多いのである。大体、一週間に三回はヘルプが入る。
つまり、この本館最端の部室に向かってダッシュしてくる足音を聞くのも別に珍しい事ではない。
ドアが勢いよく開かれる。
「ちょっと手伝って!」