第3話 お餅と青年
「...眠れない」
只今の時刻、午前4時。高校生の頃、部活の朝練があって、眠い目をこすって無理矢理起きていた時間よりも速い。年をとったら早起きになるのだろうか。
あの日、久しぶりに労いの言葉をかけられてから、3日が過ぎた。嬉しくて嬉しくて毎日お店のお手伝いをした。そしたら、必ず最後に「ご苦労様」と言ってくれるから、ずっと気分が上がりっぱなしだった。この3日間、一回も現実逃避をしなかったのだから、自分でもびっくりしている。
今日も手伝おうかなぁ。そんなことを考えながら着替えをする。少し晴れやかになった気持ちに合わせて、服もいつもより少し明るいものにした。白いロングのワンピースを選んだ。実に、半年ぶりに袖を通す服である。
部屋を出ようと椅子から立ち上がった時だった。ガチャリ。ドアがひとりでに開いた。え?何?心霊現象?一瞬背中がゾワッとした。でも、それは心霊現象でもなんでもなかった。入ってきたのは学ラン姿の賢治だった。賢治はもじもじしながら後ろ手にドアを閉める。男子高校生の朝は早いのだな。
できることなら話はしたくなかったけれど、この狭い部屋の中じゃ、逃れようがない。とびきりの営業用スマイルを顔に貼り付けて話しかける。
「どうしたの?」
「あぁ...えっと...」
何の用があってきたのだろう。視線がものすごく泳いでいる。なんか気まずい。初対面の人といきなり2人きりになっちゃった時みたい。私達は初対面でもなんでもないのに。
「その...部屋、さ...汚れてない?」
やっと言葉を見つけたようだ。恐る恐る尋ねてくる。
「部屋?普通に綺麗だよ」
賢治の眉尻が下がる。ぎこちないながらも、ニッと笑う。
「俺、掃除しておいたんだ。あんまり細かくはしてないけど」
「そう、ありがとう」
できるだけ優しく微笑む。ありがとうという言葉には、何日か前の朝に賢治を傷つけてしまったことへの謝罪の意も込めて。
......。沈黙が続く。すごく気まずい。こういう時、何か喋らなきゃ!と、慌てる人もいるらしいが、あいにく私はそのタイプじゃない。
「あ...言いたいことはそれだけだから...じゃあな、今日こそちゃんとご飯食べろよ」
ケンゾーはそれだけ言うと、慌ただしく部屋を出ていった。
今の会話は会話のうちに入らないのかもしれない。それでも、私のキンキンに凍った心が少し溶けていくのが分かった。あんなに冷たくしたのに、あんなに裏切ったのに、あんなに傷つけたのに、あんたはまだ私と喋ってくれる。それがどんな感情からくるものなのかは分からない。それでも嬉しい。賢治はまだ私と一緒にいたいと思ってくれているのかもしれない。
帰ってきて良かったなぁ。
お店のお手伝いが終わった後、町をぶらぶらと散歩しにいった。これ以上家に引きこもっていてもいけないし、お餅も食べたい。
お餅というのは、【九条屋】という和菓子屋さんが売っているお菓子のこと。抹茶を練り込んだ甘いお餅のようなものに、きな粉がまぶしてある。本当は別に正式名称があるのだが、いまいち思い出せない。小さい頃からお餅お餅と呼んでいて、いつの間にかそれで定着してしまった。高校の頃は学校の帰りにいつもお餅を買っていった。そこのおじいちゃん店長は無口で無愛想だけれども、人の心を読むのが上手くて、落ち込んだりしている時はいつも40円まけてくれる。なぜ40円なのかは分からないが。
店の裏の細い石畳の道を進むと、小さな商店街に出る。その商店街を突っ切ると、これまた小さな川が見えてくる。その川沿いに九条屋はあった。
ガラガラと引き戸を開けると、そこには懐かしの風景が広がっていた。クリーム色の、暖かい印象を与える壁には重厚な木でできた棚が取り付けてある。店の奥には大きなショーケースがあって、床にはチリ1つ落ちていない。そして、並んでいるたくさんの和菓子。棚には金平糖やお煎餅、もなかなど手土産にちょうどいいものが、ショーケースの中にはおまんじゅうをはじめとしたたっくさんの和菓子が陳列している。ショーケースの前ではお客さんが熱心に和菓子を選んでいて、ケースの向こうではおじいちゃん店長がぶすっと丸椅子に座っている。いつもの風景、何一つ変わっていない。強いて言うなら、おじいちゃん店長の顔のシワが何本か増えたことぐらいだ。
おじいちゃん店長は私に気付いたみたいで軽く目を見張っていた。そりゃそうだわな。一年も顔を見せてなかったのに、なんでもない日にいきなりお店に来たのだから。
「おじいちゃん、お餅ください」
「...480円」
あぁ。おじいちゃん店長の小さな優しさにふっと顔がほころんでしまう。本当に人の心を読むのが得意な人だな。おじいちゃん店長はぶすっとした表情のまま、丁寧にお餅をショーケースから出して、軽く包装をして、ショーケースの上に置く。私も480円ぴったりのお金をケースの上に置いてお餅を受け取った。
「それ、美味しいんですか?」
柔らかい声が舞い降りた。え?戸惑いながら振り向くと、さっきのお客さんがニコニコして私が受け取った袋を指差していた。
「え...これですか?」
その人はニコニコしたまま頷く。
おお!たいしたイケメンだ!明るい茶色に染めてある髪の毛に、ハーフなのだろうか?グレーに近い青色の瞳を持った青年だった。グレーのVネックの長袖シャツに黒いパンツを着ていて、なんだか柔らかそうな印象だ。
あぁ、質問に答えなきゃ。「ええ、美味しいですよ。プニプニした食感もいいし、抹茶ときな粉のバランスが絶妙なんです。甘過ぎず、甘いものが苦手って人も食べれると思いますよ」
ちょっと喋りすぎたかな?普段、こんなに続けて喋ることはあまりない。お餅のせいで少し興奮したのかも。
青年の笑顔が一段と柔らかくなった。
「そんなに美味しいんなら、俺もそれ買おうかな。すいません、俺もあのお餅?を一つください」
店長は青年の目の前で値下げした手前、もともとの値段に戻す訳にもいかず、不機嫌そうに480円で売った。
そういや、私なんでまだここにいるんだろう。さっさと帰って愛しのお餅を堪能しなければ。
なるべく存在感を消してそろりと立ち去ろうとする。
「あぁ、待って!」
青年に引き止められる。まだ何か用かな?青年は急いで会計を済ませ、私の元へ駆け寄った。
そしてニコニコとしたまま、信じられない言葉を言う。
「1人で食べるのもなんですし、よかったら一緒に食べませんか?」
「へ?」
これはいわゆるナンパというものなのだろうか?23年間生きてきて、初めての体験である。
ここまで読んでくださってありがとうございますm(_ _)m
これからどんどん甘くなっていく予定です。
ぜひ、次のお話も読んでいってください。