第2話 ちょっと嬉しいかも
部屋に戻ってバタンとドアを閉める。
私は最低だ。せっかく賢治が歩み寄ってくれたのに、頑なに突っぱねてしまった。居間を出た時の賢治の顔が頭から離れない。まるで、迷子になってしまって途方にくれた子猫みたいな目をしていた。
...私は分からなかったのだ。そんな『子猫』にどう接すればいいかを。あの時、仲がこじれてしまったあの時から、私達は話らしい話をしていない。用がある時はいつも私から話しかけていた。
それが急に「なぁ」と声をかけられたのだ。めちゃくちゃびっくりして、無表情を装うのを忘れてしまった。それが賢治を傷つけてしまったのだろう。...ごめんね。
罪悪感で胸がいっぱいになって苦しい。こういう時こそ無性に音楽が聞きたくなる。小さな机の上で充電してあったスマホを手に取る。充電器から離し、ベッドにごろんと寝転がる。東京に行って良かったと思うことの一つにスマホが買えたことがある。この小さな町では携帯ショップが一軒しかない。しかも、そこで売られている携帯はやたらと値段が高いのだ。そんな中でスマホを買えるはずもなく、高校時代と、華やかなイメージを大きく裏切った大学時代をガラケーで過ごした。東京に出た時、真っ先に携帯ショップへ行った。この町で売られていたガラケーと同じ値段のスマホと一目惚れしたスマホケースを買って、東京デビューとやらを果たした。
そのお気に入りのスマホにイヤホンを繋ぎ、部屋に付いている窓から見える白い雲を眺める。ゆらりゆらりと雲は流れていく。東京にいた時もこうやって現実逃避をした。眺めている内にだんだん頭が空っぽになってくる。睡魔が眠りの世界へおいでおいでと、誘ってくる。わざわざその誘いを断る理由もなく、私は眠りへ吸い込まれていった。
再び目をさますと、時刻はすでに正午を回っていた。さすがにこれ以上は寝られず、むくりと体を起こす。イヤホンをさしっぱなしで寝たから、耳がヒリヒリする。この時間帯ならば、亜利沙と賢治は学校にいるはずだし、父さんと母さん大忙しのお店にかかりきりで家には誰もいないはず。今の内に朱肉を探しておきたかった。書類を記入するための判子は買ったのに、朱肉を買い忘れてしまった。確か一階にあったはず。
重い腰を上げて部屋から出る。居間に入って、たくさんある引き出しをガサゴソさせて探し回る。
「ないなぁ」
一階じゃないの?もしかして母さんたちの部屋?行きたくないなぁ。
朱肉を探し回っていると、ドアがガチャリと開いた音がする。しまった。もう戻ってきたのか⁉︎
狭い居間では隠れられる場所もなく、突っ立ってるほかなかった。
「雪!いる?」
だいぶ焦った母さんの声がする。何か急いでいるのだろうか。やがて、母さんは居間に入ってくる。
「ああ、いた。あなた今暇よね?」
そう決めつけなくてもいいじゃないか。あたしゃ、今忙しいんですよ。朱肉がどうしても見つからないんですよ。そんな心の声は口に出ることはなかった。
「今、お店すっごく忙しくて。手伝って欲しいんだけど。盛り付けだけでいいから、お願いね」
そう一方的に話すと母さんはドタバタち家を出て行った。
めんどくさい。手伝いなんかしたくない。都合のいい時だけ頼らないでほしい。こんなことになると分かってりゃ、一階になんか降りてくるんじゃなかった。
でも...。手伝いでもしなけりゃ、私がここにいる理由はなくなってしまうんだよなぁ。仕方ない。
のろのろと玄関へ向かい、のろのろと靴を履き、のろのろと店へ向かう。意外なことにも、店の前には長蛇の列とまではいかないものの、そこそこの列ができていた。
こんなのができていたら、そりゃ、嫌っている娘にも助けを求めずにはいられないよな。
お店にはきっと知り合いがたくさんいる。会いたくないから、裏口からこっそりと入る。裏口は直接厨房につながっていた。そこで父さんが、忙しそうにうどんを打っている。寡黙な人だから、私が入ってきてもチラリち見ただけで、黙々とうどんを打ち続ける。
とりあえずうどんのつゆの世話だけしようと、コンロに近付くと母さんが厨房へ入ってきた。
「注文追加よ。きつねうどん1つにうどん2つ。それとデザートのあんみつが1つよ。雪、ここに注文表貼っておくから、急いで用意して。頼んだわよ」
パーっと言いたいことだけ言うと、母さんは駆け足で厨房を出ていった。まるで闘牛かなんかのように速い。
それよか、うどん準備しなきゃ。器に茹でたうどんを入れ、上からつゆをかけて具を盛り付けていく。簡単にみえて意外と大変だ。見本通りに盛り付けないといけないから、神経を使う。それでも、何かに集中できるというのは楽だった。それ以外のことは全て頭から抜け落ちる。鍋から出る湯気で周りがとにかくあつい。蒸しまんじゅうっていつもこんな環境の中にいてかわいそうかも。そんなことを考えながら手を動かす。
じゃじゃ馬のように母さんにこき使われて、解放されると既に2時。さすがにへとへとだ。閉店した店の椅子に座る。全身から力が抜けていく気がした。まるで抜け殻になったみたい。
すると、父さんが厨房から出てきて、目の前の椅子に座った。ゲッ!目を合わせないように俯いく。
「何?」
「...ご苦労様」
ビクッと反射で顔を上げる。父さんから労いの言葉をかけられるなんて、23年間生きてきた中で数回しかない。なんて返答すればいいいいか迷っている内に父さんはそそくさと退散していった。
なんか気恥ずかしくなって、さっさと家に戻る。お夕飯はいらないとメモを書いて居間の机の上に置いておく。部屋に戻る。その間、知らぬ間に鼻歌を歌っていた。顔もニヤけていたかもしれない。『ご苦労様』たった4文字でこんなに目の前が明るくなるとは思わなかった。沈んでいた気持ちが晴れていく。久しぶりに嬉しいと感じた。
「...手伝って良かったかも!」
ブックマークしてくれた方、この物語を読んでくださった方々、本当にありがとうございます!
みなさんにこれからも読んでいただけるよう、頑張っていきますヾ(@⌒ー⌒@)ノ