曽我物語とは何か
曽我物語とは……
鎌倉時代前期に実際にあった事件を、語り部たちが脚色を加えながら全国へ伝えた。
能や浄瑠璃にも用いられ、江戸時代には初代市川団十郎が歌舞伎として上演したという。
曽我兄弟。曽我十郎祐成と曽我五郎時致はかつて父を殺された。仇の工藤祐経を討ち果たすべき、ひたすら剣の腕を鍛える……。
曽我兄弟の生まれた伊豆という国はとことん謀略に満ちた土地。源平以前から殺した殺されたしてやられたなど、日常茶飯事。そういう国に生まれてしまった宿命というかなんというか。北条氏はもちろん。工藤もいれば、頼朝の子供を殺した伊東祐親もいる。なんでそういう空気になちゃったんだろうねって感じ。
ある意味で頼朝の流刑地だからこそ、特に武士の動きがクローズアップされたともいえる。実はほかの土地でも同じようなことはたくさんあったけど、話として伝わっていないだけ。
仮にそうだとしても、”富士の巻狩り”っていう大イベントでおこされた事件が”曽我兄弟の討ち入り”。
一歩間違えれば頼朝本人も殺されてしまう危うさがある。実際に弟の五郎が頼朝の寝床へ向かっていた話もある。
……みごと曽我兄弟は宿敵工藤を討ち果たした。そして兄はその場で殺され、弟は審議の末に打ち首。こうして現代に話を伝える。
wiki的にはこうなってます。
"曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。武士社会において仇討ちの模範とされていた[1]。"
ちなみに本編でからめている二藤次は本当の曽我物語には登場しません。遊女の虎御前は兄の十郎の恋人として書かれています。
なぜ今回、”曽我物語”と”奥州再乱”。二つを交じわせたのか。共通するキーワードは”兄弟”と”仇討”。曽我物語はもちろん曽我兄弟。二人はいつも一緒で、ともに同じ目的へと邁進する。奥州再乱ならばどうか。大河兼任と僧侶の大円・大河二藤次忠季の三兄弟が登場します。彼らも同じ目的へと邁進しますが、行動は完全に別々です。片方は祖国の英雄として命を落とし、もう片方は裏切り者として生きていくことになる。哀れさというか悲しさというか。
曽我兄弟も十分に心を打つところがあるんだけど、奥州も陰には大河兄弟のような話もあっただろう。忠実(=吾妻鏡)には単に兄を裏切ったとしか書かれていない。しかしはたして本当だろうか。そうは思わなかったんです。
……思いを成し遂げた者もいれば、失意のうちに消え失せた者もいますが……その内容は本編で。