●第七十四話 神の齎した二次災害
ターミナル内【神山システム】管制室。
波瑠と一度合流し、《神上の光》によって傷を癒してもらった無機亜澄華は、防水機能のほどこされている黒い高さ二メートル半程度の箱、【神山システム】本基へ、冷蔵庫から適当に引っ張り出した飲料をぶちまけていた。
隙間なくすべてを濡らしていく。
そんな彼女の背後では、テープという古典的な方法によって簀巻きになった男、鉄先恒貴が横たわっていた。彼のSETはご丁寧に破壊され、なんの腹いせかコーラをぶっ掛けられてベットベトな男である。
「おい手前、さっきから一体何してんだよ」
「内緒。ただ、桜ちゃんを助け出すために必要なこと。」
一応返答する無機の顔色はあまり芳しくない。もとより仏頂面と揶揄される程度には顔に感情を出さない無機だが、現在ばかりはそう無表情を保つことができずにいた。
一度経験した死直前の苦痛と、精神力の過度な減少。
そしてこれより起こる、絶対に逃すことが許されない、一回きりの機会。
疲弊やランナーズハイのような高揚まで入り混じり渾沌とした心情に、気持ち悪さすら覚えていた。
「我ながら。波瑠に話をふっかけておいて、緊張しているだなんてね。」
そのせいか、柄にもなくわずかに微笑んでいることを、無機は自覚していない。
一式黒い箱に水をかけ終えた無機は、自身の作業机に回転椅子を滑らせた。
立体映像モニターが映すのは、合計四ヶ所の映像。
一箇所では双剣を持つ少年とNo.3が戦い。
一箇所では真紅の髪の少女がNo.4と対峙し。
一箇所では、波瑠の想い人と思われる零能力者が、No.1と死闘を繰り広げていた。
そのどれもが、科学者であり研究者である無機の前知識を凌駕する激闘である。等しく波瑠をめぐって起こる激突の光景は壮絶でありながら、無機の心に暖かい気持ちを生み出していた。
『裏』の世界へ、人の悪意が入り乱れる世界へ舞い戻った波瑠を。
『表』の世界で生きる彼女の友達が、見限らずに連れ戻そうと手を伸ばしてくれた。
桜を助け出した後、波瑠に『表』で居場所がなくなってしまわないかを少しだけ懸念していたのだが、その心配は一切必要なかったようだ。
(頑張って。少年少女。波瑠と桜ちゃんのことは私に任せて。あなた達も生き延びなさい。)
各モニターへ激励の念を送り――我ながら非科学なことをやっていると思う――無機は残るもう一つのモニターへ視線を移した。
『屋上』とは真逆に位置する、アストラルツリーのふもと。
そこに集まる少年少女たちを一人ひとり確認し、
「……。《神上の光》で生き返ったのか……はたまた、実は集結に殺されていなかったのか。どちらでも構わない。【使徒】のその力、少し、借りさせてもらう。」
無機は、地上にあるスピーカーのスイッチをオンにした。
まるで地震のように激しく揺れる軌道エレベーターに、少なからぬ不安を寄せながら。
☆ ☆ ☆
モニタリングされているとは露知らず。
アストラルツリーふもとにたどり着くなり、金城神助、海原夏季、小山政樹の三名で構成される暗部の小組織【FORCE】の面々は、天を見上げていた。
張り裂けるような紫電の翼――地上から見るとたんなる光の曲線にしか見えないが――に、その正体こそ誰一人として掴めていないが、なにやら異常で異状なことが起こっている、ということくらいは全員が理解している。
「しかし、ツリーが揺れている原因はあの光だけではないな」
「せやねぇ。近くまで来てみてよぉわかったけど、何かしらの負荷が起こってツリーそのものが大きく揺れとる。さっきから断続的に【メガフロート】地区限定で起こっとる地震みたいなんの震源地ももれなくこの、」
「アストラルツリーだろうな」
海原夏季の言葉を受け継ぎ告げる神助だが、一見平然としているようで、彼らは時折激しく揺れ動く地面に対しバランスを取っている。
海上都市【メガフロート】という、大陸とほぼ切り離された人工大陸。
現在このアストラルツリーを震源地として、海上都市全体を大地震が襲っていた。
彼らの知る由もないが、この地震は《神上の力》光臨による影響だ。
「そんなことより金城君」
「そんなことで流すな海原。アストラルツリーが揺れているということはツリーを支える力のバランスが崩れているということ。そして軌道エレベーターがそのまま墜落すれば、威力は隕石衝突に匹敵するのだ。人類的大問題だぞ。……で、なんだ?」
一応『そんなこと』も確認する辺り、この人は真面目だなー、と小山は口も挟まず考えた。
「いやさ、『どうしてウチらは動けてるの?』っていう質問をしたいんやけど。だってウチら、集結に殺されたはずやろ?」
「そのことか。俺達全員が『集結に殺された』という錯覚や幻術のようなものを喰らっていない、と仮定した上での結論ならすでに出ているが」
「構へん構へん。こんなすっげえ現象見せられてるんや、細かいことは気にせえへんで」
ズドォン! と堕ちる雷に目を輝かせながら告げる夏季。雷見るとテンション上がっちゃう系女子である。
神助は眼鏡をくいっと押し上げ、
「俺達が生き返ることができた理由は、おそらくゴッ「《神上の光》のおかげだろー」…………」
突然重なってきた声に硬直する系男子、金城神助。
夏季や小山がくるりと振り返ってみれば、声の主であろう純白の修道女、土宮冬乃が腰に手を当て、無い胸を張っていた。
「冬乃ちゃん、せっかく金城君がそれなりの間を作ってかっこつけて発言したのに、それを邪魔しちゃダメですよー」
「あすか、遅いわ」
「あんた達この非常事態にのんきよね……」
「まあまあ、先輩方らしいじゃないですか」
冬乃の後を追うように、木戸飛鳥をはじめちょいエロ衣装の月島具、いつでもつなぎの生島つぐみと、【FRIEND】の面々が十全の身体で駆けつける。
お叱り代わりにぽんぽん冬乃の頭をなでながら、飛鳥は顔を神助たちへ向けた。
「お久しぶりです、夏季ちゃんに金城君、それと小山君」
「ちゅーっす、久しぶりやね飛鳥ちん。またおっぱいおっきくなったんとちゃう?」
「黙れ」神助の鉄鎚が夏季の頭に突き刺さる。「緊急事態だ、積もる話もあるだろうが今は自重してもらうぞ」
わかってますよ、と頷き返す飛鳥。他の【FRIEND】の面々も同様にコクリと頷いた。
ちらっと飛鳥が向けた視線を受け、具はしぶしぶといった様子で口を開いた。
「よろい達は一度、不慮の事故的な感じだったけど《神上の光》と交戦してるわ。現在この地区のどこかに《神上の光》――天皇波瑠は確実にいる。集結に殺された皆は、彼女によって生き返らされた、と考えるのが妥当ね」
「以上、地味に唯一殺されてない具先輩の推測でした~!」
「悪かったわねよろいだけ運よく殺されなくて……!」
い、いたいえふ! と具に頬を思い切りつねられたつぐみを放置し、飛鳥が言葉を引き継いだ。
「皆さんも耳にしたかもしれませんが、噂じゃ《神上の光》は、たとえ見知らぬ他人であっても誰かが死ぬことを許せない、という真性の善の持ち主です。あすか達の命が救われた理由には十分なるでしょう」
「……今、こうして生きているのだからな。深く考えるべきことではないのかもしれない」
神助は後頭部をかいた。
ちなみに、これもまた彼らは知る由もないが、彼ら全員が生き返ったのは、天空を蒼い魔方陣が埋め尽くした『蒼き追想の泡雪』が起こした奇跡による。具の脚の傷も同様に癒されていた――あの魔方陣が放った泡雪は、そのまま《神上の光》の波動と同じ効果を世界中に降り注いでいた、というわけだ。
「それより金城君、あすか達【FRIEND】はアストラルツリー倒壊が心配で近くまで来てみたのですが……どう、しますか?」
飛鳥は話題を変え、ぴっと聳え立つツリーを指差した。その瞬間ふたたび激震が【メガフロート】地区を襲い、全員がどよめきながらふんばりをかける。
「つぐみちゃんの感知によると、どうやら現在、ツリーの中には少なくとも八名の超能力者がいるそうです。うち二人はてっぺんまで行ったところでなぜか《集結の片割れ》の追跡から逃れてしまったのですが……集結は、高さ的に上から二つ目のターミナルに。No.3とNo.4と思われる波動と、他に二つ、誰かの波動もその周囲に感知されたようです」
残りの感知も報告すると、神助が難しい顔で口元に手を当てた。
「集結をどう抑えているかは知らないが、戦闘が起こっていると考えていいだろうな」
「そんなことしたら、ツリー倒れちゃうわ」
ぼけーっとした表情で会話に参加しているかもわからなかった冬乃が、唐突に口を挟んだ。
軌道エレベーター『アストラルツリー』は、衛星軌道上のターミナルからワイヤーを吊り下げ、地上と宇宙空間の両側からの引力をつりあわせることで直立を可能としている。その他慣性の法則やら遠心力やらの多大な計算式によって、奇跡のバランスを保って建造されているのだ。
外部から、あるいは内部からの莫大な衝撃によってそのバランスが崩れれば、倒壊は回避不能である。
そして軌道エレベーターが地上に激突する際の威力は、先の神助の発言どおり、隕石衝突に匹敵するといわれている。地球が氷河期へ舞い戻る、なんてことすら起こりかねない。
遠目から、例えば本州から今のアストラルツリーを見てみれば、明白に理解できるだろう。アストラルツリーが現在、【メガフロート】地区に起こる地震のタイミングにあわせて大きく揺れてしまっているということを。
いかな原因かはわからないが、軌道エレベーター自体が震源とかしていることを。
何もかもがまずい。
オリハルコン争奪戦が一転、地球の、人類の危機にまで迫っている。
ある意味でそれは、天皇劫一籠の思う壺なのかもしれないが……。
「……とりあえずですが、あすか達【FRIEND】と【FORCE】が共同戦線を張ったところで、集結に対する勝率は『零』のままです」
そんな、争奪戦の裏に隠された戦いの真相こそ知らないが、飛鳥は飛鳥で必死に思考をめぐらせ、彼女なりに参戦の意志を示していた。
「この零は比喩ではない、実際の数値といえるでしょう。となると、夏季ちゃんの《座標転送》で上へ行ったところであすか達は足手まといとなります。違うアプローチで、なんとかアストラルツリーの地上激突を防げればいいのですが……」
「なら、地上から切り離すのが一番じゃないかしら?」
「具ちゃん? どういうことですか?」
飛鳥が顔を向け、他の面子の視線も具へ集まる。あくまでつぐみの頬を引っ張ったまま、
「アストラルツリーは平たく言っちゃえば、柱となる三本のワイヤーによって宇宙からぶら下がっているのよ。だったら、そのワイヤー三本をはじめとした『地上との接点』全て切断してからなんとか上向きのベクトルを与えれば、飛ばすことができるんじゃないかしら?」
「ロケットみたいに、あえて宇宙空間へ吹っ飛ばすっちゅうこと?」
首肯を受け、極論やなぁ、と腕を組む夏季。
「なるほど……冬乃ちゃんの《魔陣改析》、金城君の《核力制御》、具ちゃんの《蒼炎の舞》。この三つを同時に放ち、地上との接続を断ち切る。その瞬間に上向きのベクトルをかければ…………可能性はごく低いでしょうが、ツリーを宇宙へはじき出すことも可能かもしれません。となると問題は」
「どのようにしてツリーを宇宙へ飛ばすのか――だが、その心配はなさそうだな」
へ? と飛鳥はきょとんとする。
神助が無言で視線を向けた、その先には。
「はっはっは、軌道エレベーターを宇宙へ飛ばして地球を救う、か! 面白い、その片棒を私にも担がせてくれ!」
長い黒髪をなびかせる、男らしすぎる日本美人。
《静動重力》、清水優子が立っていた。
なんとなーく、全員が言葉を失った。
ごめんなさい本っ当にごめんなさいうちの生徒会長がこんな人でごめんなさい! とひたすら頭を下げる瀬田七海と、あっはっは、と腹を抱えて笑う火道寛政も姿を見せる。
「清水優子さん……たしか《静動重力》は、重力を操る能力でしたね」
「ああ、重力も操れるぞ。重力反転なんていう荒業も可能だ」
「では、詳しい説明は後ほどしますが、優子さん。切り離し後のツリー射出、お願いできますか?」
「おや、さっき名乗り出ただろう? 如何なく協力させてもらうぞ!」
ドーン! という効果音が鳴りそうなくらい堂々と胸を張る優子。なまじ巨乳に部類されるだけあって……冬乃と夏季は気づかれないよう舌打ちを放った。
「えーと、ワイヤー切り離しの過程はもう少しきちんと確かめる必要がありそうですが……もう一つ、問題は残っていますよね」
「中にいる人のこと?」
『その点については。少し、私の意見を聞いてもらえるかしら?』
――――どこからか、スピーカーを通じた声が響く。
いち早く反応したのは神助だった。
「何者だ? 協力者と敵対者のどちらだ? 俺達の会話が聞こえているのか?」
「質問物騒やな……」
『私は無機亜澄華。敵ではないわ。【神山システム】の開発者といえば理解できる?』
「……なるほど、『元・天才』か。五年近く学会から姿を消していたらしいが」
『知っているなら話は早い。今、私は【神山システム】管制室にいるわ。あなた達の推測どおり、このアストラルツリーは応力バランスが崩れたせいで、間もなくして地上へ墜落する。けれど。あなた達の力を借りることができれば――被害を出さずに、ことを終わらせられる。どう? 最巧のスパコンに協力してくれるかしら?』
【使徒】九人全員が集まった、このアストラルツリーで。
「……いいだろう。しばらくはお前の指示通りに動いてやる」
神に選ばれし頭脳を持つ無機亜澄華は、淡々とした口調で指示を出す。
飛鳥はその指示を記憶にとどめつつ、しかし気になることがあった。
海原夏季がSETを起動させ、《座標転送》を使用して姿を消した。
彼らの最後の戦いもまた、幕開けの準備に突入したのだ。
『基本作戦は。あなた達の相談どおりでいいわ。ぶっ飛ばしましょう、この超巨大建造物を。』




