●第七十話 約束したから
「「言葉を以て命約と為し、流血を以て盟約と為す」」
あたしと誠が結んだ契約は、今思い出せば魔術の類だったんだと思う。
儀式と銘打ち、動脈を切って、自分たちの血を利用して行われたあれ以降。
あたしと誠は運命共同体になった。
書類上でも、もちろん正式な主人と守護者になったんだけど。
感覚的に……なんていうのかな。
回路が繋がったみたいな、不思議な絆が出来た気がするんだ。
誠が何かをすると、あたしの中の小さな種火が燃え上がる。
何がきっかけなのかは、知らないんだけど。
それが燃え上がると、波瑠ちゃんの《神上の光》かそれ以上に暖かな気持ちが湧き上がる。
その灯がある限り、幾度だって立ち上がれる気がするんだ。
契約を結んだあの時から、片翼は誠の魂が担ってくれた。
何よりも美しく輝き、どこまでも羽ばたけるそれは、永久を謳う虹色の翼――――
☆ ☆ ☆
《物質創造》が生み出した『毒素の光』。
浴びるだけで体内に毒性を与え、筋肉の活動を奪う。脚や腕からじょじょに侵食され、やがて心臓の動きを止めることで確実に殺す、という光。
月影叶はこの光をめったに使わない。いつもならこれを使う前に戦闘は終了しているため、使用する機会が訪れない。
そう考えると、『毒素の光』を引き出した相手――水野秋奈は、かなり有能な能力者といえただろう。儀式能力と超能力を組み合わせ、ランクⅩである自分と途中までまともに渡り合ったのだから。
もしかしたら殺すのは惜しかったかもしれない。
と。
叶は勝利を確信し、そこまで考えたのに。
「なんで……なんで、アンタは立ち上がってるのよ」
ぎり、と少女らしからぬ形相で奥歯を噛み締めた。
「なんで立ってんのよ、水野秋奈ッ!!」
ふらふらと、苦しそうに頭を押さえながら。
熱でも出しているんじゃないかというほど真っ赤な顔で立ち上がった、水野秋奈を。
親の敵でも見るような視線で睨みつけていた。
「意味わかんない。殺したわよ。アンタはこのアタシに殺されたはずなのよ! もう立ち上がるわけないのよ!」
「………ん、殺されかけた。でも、あたしは生きてる。だから立った」
秋奈は右手をかざしてみせる。
「………わけわかんないなら、考えてみるといい。あたしとあなたの超能力が起こしたことを。あたしの《物体干渉》がやったことを」
「は、アンタに何ができるって――――……」
叶は考える。
《物体干渉》
触れた物の情報に干渉し、情報を書き換えることで性質や形状を変化させる超能力。
応用性や超能力の内容としては十分【使徒】クラスだが、ランクⅨに留まっている。理由は簡単。直接触れた物体一つの情報しか改変できないという、秋奈自身の未熟さだ。
だがしかし、触れた物質ならば、どれだけ規模が大きくなろうと干渉できる。
ではもしも。
もしも、秋奈が触れ続けていた『叶の創り出した毒素の光』の情報に干渉し、毒素を無害なものへ性質変化することができたら?
《物質創造》は零から新物質を創造する。
とはいっても、創造された物質はその時点で『この世に存在する物質』だ。秋奈が触れさえすれば、それは《物体干渉》の有効範囲となる。
自分の体内に入った時点で情報を読み取り、毒素の根源である『毒素の光』自体の性質を書き換えれば、今尚注ぐ黄金の翼の光を浴びても秋奈が立っていることに合点がいく。
だが、よく考えて欲しい。
今この場で起こったやり取りは、格下が頂点を、超能力という要素のみで超越したことにならないか――――?
「アハ☆」
叶の瞳に、真っ黒な光が宿る。
「アハ、アハハハハハハハハハハ……はぁ。なにそれ、ありえなくない? さんざん努力して、いろんなもん乗り越えてやっと手に入れた超能力を、格下ごときがあっさり看破? アハハハハハハハハハ!! ナニソレさいっこう☆」
「………」
「何よ全くどういうことよ!! 土壇場で強くなるとかありえないんですケド♪ それってまるでアタシがかませ犬みたいじゃない!! ありえないっ!!!」
暴走するように笑う叶の背中の翼が大きく開かれ、羽一枚一枚が弾丸のように秋奈へと射出された。すべてを切り裂く黄金の雨。彼女の《物質創造》の基本であり真骨頂、物理法則を越えた黄金の粒子が襲い掛かる。
秋奈はそこで、ようやく、体内に蓄積された毒牙の消去を完了させた。
足場へ手をついて、演算を切り替える。
「………液体化、あんど硬化」
ドバッ!! と鉄津波が秋奈の前にせり上がり、すぐさま硬化。即席の巨大な盾として秋奈の体を覆い隠した。秋奈はその隙に背後へバックステップする。
しかし叶はその様子を見て、『愚かな』とばっさり切り捨てた。
彼女の黄金の粒子は、存在する地球上のすべての物質を貫通する。止められる物質は叶が生み出さない限り、絶対に存在しない。してはいけない――――
だが、黄金の羽は、固められた鉄津波へ突き刺さった。
貫通しなかった。
「な、なんで……っ!? なんで、アタシの《物質創造》が、鉄塊ごときに止められてるのよ!!」
「………余所見してると負けるよ?」
ぼそりと、声が聞こえた。
背後を振り返る間もなく、回りこんでいた秋奈に身を拘束される。
「水野秋奈ァ――――」
「………近接戦ではあたしのが上手」
叶の体が持ち上げられ、すぐさま甲高い金属音とともに鉄骨へ叩きつけられた。
息が漏れ、激痛に悶える叶。
秋奈はすぐさま叶へ追撃を仕掛ける。一発の蹴りが鳩尾に炸裂し、叶の体が鉄骨より突き落とされた。落下しながら叶が器用に体勢を変え、黄金の槍を射出。虚空を切り裂く槍は秋奈の持つ鉄の槍と正面よりぶつかり、それぞれ砕け散った。
ゴッ! と衝撃の余波が真紅の髪をなびかせる。
黄金の翼をはばたかせる叶は、忌々しげに爪を噛んだ。
「どうしてアタシの《物質創造》が……最強の力が、アンタごときに止められるのよッ!?」
「………単純なこと。あなたの持つ黄金の粒子の情報を読み取った、だけ。それに耐えうるよう、鉄骨やらの構造情報を強化してやれば、簡単に耐えられる」
平然と告げる秋奈。
彼女はその身で、幾度となく黄金の粒子に触れては身体に傷をつけてきた。その間に少しずつだが、能力演算領域で読み取っていたのだ。いつか役立つと信じ、《物質創造》の生み出す黄金の粒子の情報を。
粒子自体の性質は、触れられないので書き換えられない。
けれど性質さえ読み取ってしまえば、《物体干渉》で他の物体の情報を、粒子に耐えられるよう書き換えることができる。
超能力の『一手先』をめぐって起きた、下克上。
《物体干渉》を操る超能力者が、命を賭して切り開く。
勝利への、最後の一手を――――
「ふ、ざけんじゃないわよおおおおおオオオオオ!!!!!」
叶の咆哮に、秋奈は思わず一歩引き下がる。
「アハハ♪ エ、なんなのよホントにいやマジでなんなのよ。ここは漫画かラノベかフィクションかってんだ!! 戦ってる途中で強くなるとかホントにあんのかよアハハ♪」
「………!? だ、大丈夫?」
「大丈夫なわけないでしょおがあああ! こっちは命がけで戦ってるってのに、所詮生ぬるい友情ごっこだけで戦ってるアンタに負けるなんて認めない!! アタシはこんな戦い認めない!! No.2ごと、アンタを消し去ってやる!! 最強をなめんじゃねぇぞおおお!!」
「………っさい」
「は?」
「………うるさいって、言ったの」
秋奈は真っ直ぐに、叶をにらみつけた。
「………友情ごっこなんかじゃない! あたしと波瑠ちゃんのことを、そんな言葉で貶すことは許さない!」
「そんな理由で簡単に命をかけるなっつってんのよ!! 最大級の絶望と地獄を味わってもいないアンタが、絶望と地獄を越えてここまで生き残ったアタシを、この身を引き換えに最強の力を手に入れたアタシを、これ以上怒らせないでよ!!」
「………っ。いいよ。ムカついた。あなたは許さない……絶対に、負けない!!」
その瞬間。
両者は唐突に距離を取り、能力演算を開始した。
先手はやはり、月影叶が奪った。
黄金の粒子が約五十の猟銃を模し、一斉に銃砲を轟かせた。閃光が炸裂し、電磁加速砲もかくやという速度の弾丸が大気を唸らせて降り注ぐ。
対し、秋奈は純粋に右手のひらを叶へとかざし、
「………硬化」
呟いた。
その瞬間。
すべての黄金の粒子が、まるで映像を止めたかのように、ぴと、と虚空で運動を停止した。
「……は? 触れずに動きを、止めた……!? ありえないわよそんなの!《物体干渉》は、触れた物体にしか干渉できないんじゃないのッ!?」
「………そうだよ。別に誰も、《物質創造》が生み出す粒子に干渉して動きを止めた、なんて言ってない。あたしはただ、触れた物体に干渉しただけ」
鼻血を拭いながら、若干のドヤ顔を作って返答する秋奈。
憎らしげな表情で親指の爪を噛みながら、叶は黄金の槍を右手に創造する。羽ばたいて大きく後退し、同時に投擲した。
大気を押しのけ、轟音を散らして迫る黄金の槍だが――――やはり、というべきか。
右手をかざした秋奈によって、その運動が停止させられていた。
「く……そ。クソがあああああああああああ!!!」
「………まあそうヒステリーにならないで。でもあなた――ランクⅩなのに、意外と抜けてるよね」
「うざいうざい、そんな顔でアタシを見るなッ! こんなはずが……アタシの《物質創造》が、簡単に防げるはずが……」
「………気体操作や念動力系の能力者でも、簡単に防げるよ。あなたのミスはとても単純で、だけど、単純すぎたから見逃しちゃったんだと思う」
秋奈は右手を閉じる。その動作に従い、黄金の粒子が不可視レベルまで粉々に砕かれた。
叶はその光景に目もくれず、翼を羽ばたかせながら、必死に思考を回す。
(なんでなんでなんでなんで!? 黄金の粒子がたかが気体操作や念動力でも止められる!? 否、そんなのってありえないわ! あるはずがない。あっていいはずがない。だってこれは、アタシの創造する粒子は、すべての不可能を可能とする新物質で――――新物質であって……)
では。
今の自分は、どうしてわざわざ、黄金の翼で羽ばたいているのだ?
もちろん空を飛ぶためだ。
だが、空を飛ぶだけなら浮遊性質や反重力性質を持った粒子を創造すればいいだろう。それらならば、わざわざ『空気を押しのけることで起こす上向きの運動エネルギー』に頼ることなく、飛べるのだから。
(…………あ、はは。うわー……そうよ、アホなの月影叶!? 羽ばたくことで飛ぶってことは、アタシの作る黄金の粒子って、空気に触れちゃってるんじゃ…………)
「………気づいた、みたいだね」秋奈はにいっと、珍しくはっきり笑みを浮かべ、「………その通り、アナタの粒子はどういう理由かは知らないけど、空気は貫通せずに触れちゃっている」
空気は気体であり、流動体だ。それ故に目では理解しにくいが――叶がもし『この世の全てを貫通する粒子』を生み出していたのなら、空気を震わせて起こる轟音も、黄金の翼を羽ばたかせて起こる突風も、起こりえない現象なのだ。
「………だったら、あたしがその空気に触れて、『硬化』させてしまったら?」
「アタシの攻撃はすべて氷塊に包まれたかのように運動を止められ、アナタには、届かない……ッ!」
こくり、と秋奈は頷き返してみせた。
――――確かに、これは月影叶の単純すぎるミスなのかもしれない。
だが、最後の最後まで諦めずに敵の超能力をしっかりと見極め、限りなく零に近い勝率の中で極小の可能性を見事に掴み取った、秋奈の立派な戦果である――――!!
決着は、静かに下された。
右手を握り締めた秋奈。呆けている叶は抵抗することなく空気の硬化によって翼の運動を止められて落下。落ち際に秋奈が放った鉄骨の津波に呑み込まれ、あっさり拘束される形となった。
叶のSETを叩き割って超能力使用を停止させたところで――秋奈は、いい加減無視できない、両側から出てきた鼻血を舐めた。
「………頭、痛い」
ガンガン軋む頭に手を添える。叶が倒れたことで緊張感が抜けたせいか、腰が抜けてずりずりと座り込んでしまった。
鼻血の理由は誠と同じ――秋奈の能力演算領域の限度を超えた能力演算が脳にオーバーヒートをもたらし、鼻血という形で警告を示しているのだ。
「………」
それ以外でも身体は疲労困憊満身創痍、くわえて多量出血ときた。
秋奈の意識が薄れ行くのは、仕方のないことなのだろう。
「………波瑠ちゃん、勝ったよあたし…………波瑠ちゃんも、頑張ってね。それで、帰ってきたら……一緒にデート、行こうね」




