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●第六十四話 LINKAGE -phase heroine-


 ………………。

 …………。

 ……。


「う……ぅん……?」


 ――ぼんやりとした視界のなかで、私は目を覚ました。

 ゆっくりと体を起こす。眠っていたそこは――真っ白な世界だった。


 モノも色も、何もない。

 前も、後ろも、右も左も上も下も。どこまでも、すべてが白い。


 どこまでも歩いて行けそうで、実はすぐにぶつかりそうで。

 どこまでも飛んで行けそうで、実はすぐに限界がきそう。


 私の心にぽっかり空いた穴を再現したみたいに、この場所には何もない。

 何もないとこんなに寂しいだなんて、知らなかった。


 ……違う。

 私は、今みたいな状態を知っている。

 誰も側にいない、周りに何もない、ひとりぼっちの寂しさを。


 …………本当に、誰もいないのかな?

 ちょっと歩いてみれば、誰かに会えたりするのかな?


 でも――――私は、誰かと一緒にいちゃいけない。

 誰かと一緒にいても地獄へ引きずりこんで、やがて、死なせてしまうから。

 たくさんの人に好かれても、皆、私のせいで死んでしまう。

 いつか、必ず私はひとりぼっちに戻ってしまう。

 だから別に、ここでひとりぼっちでも、それは仕方のないことなんだと思う。

 私はいつも、ひとりぼっちだったから。


 寂しくない。

 寂しくなんか、ないよ……。

 座り込んで、少し溢れそうになった涙を拭おうとした、その時。


「――――――ハルにゃん」


 私のよく知る、すごく懐かしい声を聞いた気がした。

 幻聴かな。そんな疑問が真っ先に浮かび上がって、もし顔を上げてそこに誰もいなかったら怖くて、体を動かせない。

 誰かがそんな私を見て、くすっと体を揺らす雰囲気が伝わってきた。


「おいおいハルにゃん、ボクだよ。十文字直覇だ。顔を上げてごらん?」


 ――――どくん、と心臓が跳ねた。

 独特な口調。男の子みたいな一人称。他に誰もいない、彼女だけの私の呼び方。


 恐る恐る顔を上げると、そこには。

 紺色のセーラー服。額に巻く赤紫のバンダナは彼女のトレードマークだ。少し高めの身長と、私に負けない長い黒髪。にいっと歯を見せる笑顔は、長い長い逃避行の途中で、幾度も幾度も私を励ましてくれた。


 私が一番会いたかった人。

 たった半年未満しか一緒にいられなかったけど、楽しい時間を私にくれた人。

 私が唯一――目の前にいながら、生き返らせることのできなかった人。


「う……わ……す、ぐ…………」

「久しぶりだね、ハルにゃん」

「スグ……スグっ!」

「おっと、いきなり熱烈抱擁かい? 相変わらずハルにゃんは人に抱きつくのが好きなんだね」


 私は彼女を見た瞬間に、飛びつくように抱き着いていた。

 スグは私を優しく受けとめる。女性らしい柔らかな体で、包み込んでくれる。


「スグ……うぅ……スグ……っ」

「おいおい、いきなり泣くなよハルにゃん。感動の再会なのは確かだけど、せっかくの可愛い顔が台無しだぜ?」

「う、うん……」


 ポケットから取り出したハンカチで目元を拭われる。

 スグと一緒にいた頃の私は涙をこらえることを忘れていたから、スグがよく頬を拭いてくれていた。

 何も変わらない。

 スグと初めて出会ったあの日から、何も、変わらな、い…………?


「……なん、で?」

「うん? どうしたんだい、ハルにゃん」

「なんで、スグが私の前にいるの? スグは、死んじゃったんじゃ、ない、の……?」


 自分で言って、心に深く鋭く突き刺さる。

 そう。スグは――死んじゃったんだ。

 ほんの少しだけ間に合わなくて、生き返らせることができなかったのに。

 あっはは、とスグはなぜか、私の頭を撫でながら大きな声で笑った。


「そうだよハルにゃん。ボクはすでに死んでいる。あの日、ハルにゃんを守りきれなくて、太平洋の海に沈んで命を落としたさ」

「……スグ、それじゃあ説明にならないよ」

「おいおい、このボクの能力を忘れたのかい?《幻影模倣パーフェクトミメイシス》、それがこのボクの超能力だ。たかが一回の死くらいどうってことないんだぜ?」


 ま、流石に生き返ることはできないんだけどね。

 冗談でも言うような口調で、スグはそう付け加えた。


 生前のスグは『模倣(コピー)』という、無類の強さを誇る超能力者だった。

 私が憧れ続け、現在ようやく達することのできたランクⅩ。当時の彼女は、その堂々たるNо.1の座に君臨していた。彼女に奪えない能力など存在しない。《集結(アグリゲイト)》も《霧幻焔華(コールドシャンデリア)》も我が物とし、数多の不可能を可能にし、私を――《神上の光(ゴッドブレス)》を求める敵を倒し、私を、守ってくれた。


 だけど、スグにだってできないことが、一つだけあった。

 生と死。

 その理だけは、私以外には覆せない。


「ここはボクが死後、あまりの強さに手をこまねいた神様から特別にいただいた空間なんだ。生と死の狭間に存在しているここは、死んだボク(、、、、、)死につつある(、、、、、、)ハルにゃん(、、、、、)が交流するにはもってこいなんだよね」

「………………死につつ、ある?」

「そうだよ。生と死の狭間にあるといっても、この空間に導けるのは喩えるなら『三途の川を渡る直前、或いは以後の魂』だけ。ハルにゃんも放っておけばあと少しで死ぬんだよ」


 スグは躊躇うことなくコクリと頷いた。

 胸の辺りに、ズキッと痛みが走る。その痛みで思い出した。


 私は死んだ。

 誠くんに切り殺されたんだ――この言い方だとまるで誠くんが悪いみたいだけれど、彼は何も悪くない。貝塚万里に操られて、秋奈ちゃんか私のどちらかを必ず殺してしまう状況を作り出されて。秋奈ちゃんと誠くん、二人を守るために、私が自ら切られに行った。

 二人は悪くない。

 すべて、私が彼らと仲良くなったことが悪い。


「しっかし、ボクの今の説明だけで『死んだ』と自覚できる辺り、相変わらず頭いいっていうか……うん。ボクのお気に入りなだけはあるよ」


 満足そうに頷きながら、脚を組みなおすスグ。

 そんな彼女を見て、私は、あることに気づいた。


 ――――ここにはスグがいる。

 死んじゃったけど、ここでなら、スグといつまでも一緒にいることができるんじゃないの?

 私を守るために頑張ってくれたスグと。

 私にたくさんの笑顔をくれた彼女と、今度こそずっと一緒にいられる。

 もう誰にも断ち切られることなく、またあの暖かな居場所に戻れる。

 もう、ひとりぼっちじゃなくなる……。


「…………あのさ、スグ!」

「なんだい?」

「また……やっと会えたんだしさ。これからは、ずっと一緒にいてくれるよね? もう二人とも死んじゃったわけだし、離れ離れになることなんてないよね……?」


 私の心は、期待感に浮き足立っていた。

 地獄のような五年間。

 その五年間の中で唯一光をくれたのは、スグ、あなただけ。

 強くて、かっこよくて、優しくて、きれいで、憧れの存在だった。

 あなたとずっと一緒にいたい――その願いは、消えることなくこの胸に残っている。

 もしも、この場で叶えられるというのなら、どんなに素晴らしいだろう……。

 だけどスグは、少し寂しそうな笑顔で、首を横に振った。


「残念だけどハルにゃん。そいつは叶わない願いだぜ」

「………………なん、で?」


 否定された瞬間に、頭の中が真っ白になって。

 その白を埋め尽くすように、私の心の一番奥深くから、真っ黒な感情が湧き上がる。

 涙となってあふれ出し、胸を激しく軋ませる。


「なんで? なんで、なんでなんでなんで!? やっと一緒にいられるんだよ!? もう戦う必要も、逃げ回る必要もない! ずっと、正真正銘、永遠に一緒にいられるのに! もう、辛い想いをすることもない……誰かが死んじゃうことだって、ないのに……!」


 あふれ出してくる、私の本音が。

 ずっとずっと願っていた想いが。

 スグと結んだ約束を守りたいっていう――揺るぎない、五年越しの気持ちが。


「だって、私はもう死んじゃったんでしょ!? もう生き返れないなら仕方ないじゃん! ここでスグに会えた! ずっと思ってた。もう一度会って、いっぱいおしゃべりしたり、一緒に遊んだりしたいって、ずっと私は願っていたの! やっと、やっと会えたのに……そんな寂しいこと、言わないでよ、ばかっ!」

「……」


 スグが、困ったように首をすくめた気がした。


「……うーんとね、ハルにゃん。とりま、いくつか訂正したいことがあるんだけど……まず一つ」スグが人差し指を空へ向けて立てた。「まず、キミはまだ、死んでいないんだ」

「…………え? えと……どういうこと?」

「さっき言っただろう、この空間へは『三途の川を渡る直前の魂』も導けるって。キミはまさにこの状態――――生と死、そのどちらに転じることもできる状態にある。ここで死を望めばキミは死ぬし、生を望めば生き返る。否、生き続けることだってできるってわけだ」


 スグはさも当然のように告げるけれど、私の理解は追いつかない。

 とにかく、私はまだ死んでいない、ということ……?


「で、二つ目だ」中指も上がる。「キミは『生き返れないから頑張る必要はない』と言ったけど、残念ながらこいつは不正解なんだぜ。ハルにゃん、キミはもう少し頑張らないといけないんだよ。本当にもう少しだけど」


 スグが視線を上げた。その先を目で追ってみるけれど、広がっているのは白、ただそれだけ。


「ハルにゃん。キミの人生が大きく狂い始めたキッカケは、すべて五年前にある。妹、桜ちゃんとの生き別れ。焼き付けられた《神上の光(ゴッドブレス)》という魔方陣。そして――このボクとの、出会いと別れ」


 スグが少し気まずげに顔を背けた。

 私の意識は自然と、背中に集まる。

 十二星座と六芒星、そして天王星の紋章で描かれた真っ黒な魔方陣――《神上の光(ゴッドブレス)》。

 生と死、世界絶対の理を覆す、奇跡の力。

 同時に、私を縛って離さない、呪いの力。


「《神上の光(ゴッドブレス)》という世界の理をも超越した力だ――他国に狙われ、あるいは【ウラヌス】に酷使させられ。当時わずか十歳だったハルにゃんを、血で血を拭う最悪の戦場へ導くこととなったよね。そして、ハルにゃんは地獄を見てきた。普通の子供なら気が狂ってもおかしくないほどの地獄を、その優しい心を保ったまま」


 とん、とスグの指が二本、私の額に当てられる。

 その瞬間。


「…………ッ!?」


 私の頭の中に、映像が直接流れ込んできた。

 いや、違う……これは私の記憶だ。

 スグの持つ無限の能力を使って、強引に、再生させられる――――


 荒廃した大地は業火に焼かれ、無数の亡骸を前に、私は奇跡の光を使う。


「やめてよ……」


 魂を呼び戻された直後に『みんな』は私の盾となり、銃殺されていった。

 それは、地獄の連続再生だった。


「やめて」強敵に「やめて」次々と「助けて」切り殺されていく。「行かないで」火炎に「止まって」焼かれ、大爆発に「苦しい」巻き込まれ「苦しい」戦闘機ごと「苦しい」墜落「嫌だ」させられ「痛い」て、「早く」体をバ「早く」ラバラに「早く」刻まれ「戻って」四肢を「早く」失って血しぶきを上げ「助けて」悲鳴を上げても、「やめてよ」気が狂っても、それでも「早く」私を守るために「痛い」意味もなく「行かないで」彼らは「行かないで」戦い続ける「死なないでよ………………」


 天皇波瑠と関わった人間はみんな等しく、『死と生』を無限に繰り返す運命を辿った。


「……ぁ……ぁあ……っ」


 吐き気がこみ上げてきて、思わず体を折った。手で口元を押さえても堪え切れず、胃の中のものを吐き出した。汗が額ににじむ。熱い。でも寒い。脳が握りつぶされるくらい痛む。軋む。

 ――トン、とふたたびスグが私の額に指を当て、ようやく記憶の再生が止まる。


「……っ、はぁっ、はぁ……」


 全身の力が抜ける。体が勝手に小刻みに震えてしまう。寒気が全身を襲っている。

 大切な人を失いたくなかった。だから生き返らせた。

 だけど生き返らせるたびに、大切な人は傷ついていく。苦しんでいく。そして、死んでいく。

 どうしても止められない悪夢は、永遠に繰り返される。


「――やったボクが言うのもなんだけど、大丈夫かい?」


 ぽん、とスグは私の頭に手を乗せ、優しくなでてくれた。大丈夫じゃないけど、吐き気はそれで収まったので、こくりと頷く。


「他にない回復役として【ウラヌス】にいた間に、キミは気づいたんだろう?」


 もう一度、今度は迷いなく頷き返した。

 気づくまでに、時間は必要なかった。

【ウラヌス】が交戦する理由が、日本を守る為でなく私を守る為に変わっていて。

《神上の光》を狙う能力者は、一人で核爆弾並みの脅威を誇る化け物ばかりで。

 私が【ウラヌス】にいる限り、無意味な争乱に終止符は打たれない――。


「そうしてキミは、一人で十字架を背負う決意をして【ウラヌス】から逃げ出した。その後ボクと偶然出会い、キミの運命を知ったボクは『ハルにゃんを一生守り抜くから側にいさせてくれ』なんて大それた約束を結び…………しかし残念ながら、その約束は果たされない」

「……っ」

「ボクの死は、ハルにゃんの中で燻っていた『死への拒絶』を孵化させてしまった。見知らぬ他人、敵対する者――大切な人なら尚更。誰かの死を見ることが、一切できなくなってしまったんだよね」


 両手で自分を抱きしめる。

 それでも、私の小さな体は震え続ける。


「ボクという前例を知り、『自分が誰かを巻き込むと、その人を死へ追いやってしまう』という認識に縛られたハルにゃんは、真の孤独を求めた。誰とも人間関係を結ばず、絆を創らず、徹底的にひとりぼっちでい続けた」


 ひとえに、誰も失わないために。

 この世界が本当は、暖かなもので満ち溢れているって、私は知っている。

 冷たくて、寂しくて、真っ暗なこっちの世界には、誰も来るべきじゃない。

 私の抱える闇に、誰かを引きずり込むことは許されない。

 誰かを好きにならなければ、二度と悲劇は起こらない。

 私にとっての『大切な人』を零にすれば、永遠の別れは存在しない。

 だから、孤独に生き続けると誓った。

 自分の中から『好き』を消して、すべての痛みを受け入れた。


「――だが、ちょっとストップだぜ、ハルにゃん。ここいらで一つ、直覇お姉さんから言っておかなきゃいけないことがある」

「…………ふぇ?」


 にっと微笑むスグ。


「ったくテメェはよ。いつまでボクの死程度の事を引っ張るつもりだよ」


 だけど、その口が紡いだ言葉は。


「…………なに、それ。どういう、つもり?」

「言葉通りの意味さ。ハルにゃんお前、ボクが死んでからもう五年も経ってるんだぜ? いつまでボクの死を引きずるつもりだよ。両親が事故で死んだ子供だって一年もあれば余裕で社会復帰できるのに、肉親ですらないボクを引きずって過去ばかり見て死を怖がって目を背けて! 情けないったらありゃしないね!」

「なん、で……なんで、そんなこと言うの!? 私にとってスグは! 家族以上に大切で、すごく、すごく大好きなお姉ちゃんなんだよ!《神上の光(ゴッドブレス)》があるのに、生き返らせることができなかった! スグがいない世界で生きるのは辛かった! あなたが死んでからずっと、ずっと真っ暗だったんだよ! また誰かの手を握ったら、その人はいなくなっちゃうんじゃないかって怖くて、手を伸ばせなくて……ひとりぼっち、だったのに。約束破って先に死んで、私をひとりぼっちにしたくせに、勝手なこと、言うなっ!」

「勝手なこと言ってるのはハルにゃんの方だ! ひとりぼっちだ? 誰かの手を握れなくて、だ? つまらない冗談はいい加減にしろよ。過去(ボク)を忘れろなんて一言も言ってねえ。けどな、今の(、、)お前に『ひとりぼっち』なんて言う資格があると思ってんのか!?」

「っ!」


 ――――この口調は。

 この雰囲気は、この声音は、この表情は。

 私に、とある男の子を、思い出させた。

 スグは真似ているんじゃない。スグは昔から、キレるとすぐこういう口調になる。

 そうだ――乱暴だけど真っ直ぐな言葉遣いが、彼とスグはそっくりだったんだ。


「過去ばっか見てねえで今の自分の周り見てみろよ! 必死こいてハルにゃんを地獄から救い出そうと頑張っている大馬鹿者がいるのも忘れちまったか! そいつが連れてきた沢山の友達から、そいつに貰った暖かな日々すら忘れちまったのかよ、波瑠!」


 ……。

 私はスグに、忘れるわけがないじゃない、と呟いていた。

 あの人がくれたたくさんの思い出が、小さく輝き始める――――――


 ――――中学校に編入した。

 今まで日常から遠く離れていたから、馴染める自信なんてなくてすごく緊張していたけど、


『波瑠さん、でいいのかしら? はじめまして、古谷です。学校生活でも勉強でも、困ったことがあったら、私になんでも聞いてくださいね』

『よっ、流石いいんちょさん!』『転校生に真っ先に声をかける面倒見のよさ、委員長属性バリバリ発揮中だねぇ!』『これで成績さえよけりゃヒロイン格なんだけどなぁ』

『うるさいわね! 鈴木岩沢天堂(トライアングルバカ)はすっこんでなさい!』


 古谷さんは、真っ先に声をかけてくれて。


『波瑠さん、今日からよろしくー!』『あ、敬語とかいいから。遠慮しないで速攻タメで!』

『うん、わかった。よろしくね!』


 クラスメートはみんなすごく優しくて、私をすぐに受け入れてくれた。




 寮長さんは私のわがままを受け入れて、居候を許してくれた。


『波瑠。というわけで今日からうちに居候するわけじゃが……狭苦しい部屋ですまぬのう』

『い、いえっ、私こそ、住まわせていただいて、ありがとうございますっ』

『なに構わぬ。わしはこれでも一教師じゃ、困っている子供がいたら手を差しのべることに躊躇う理由などないわい。それに、佑真の側にいたいならこの寮ほど適した場所もないしのう?』


 ニヤニヤと視線をぶつけてくる寮長さんだけど――


『そもそも、わしは先の戦いでろくにおんし達の力になれなかった。じゃからこれくらいやらせてくれんかの? それに明日からは波瑠も、わしの可愛い教え子になるんじゃから。気兼ねなく遠慮せず、なんなら家族として。波瑠、わしをたくさん頼ってくれ』

『……はいっ』


 子供みたいな外見とは正反対な、理想的な教師。

 どんなに帰りが遅くなっても、いつもどおりの日常を護ってくれる底なしの優しさで。

 寮長さんは、私にたくさんの『当たり前』をくれた。




 誠くんとは、学校が違うから会う回数は多くない。

 けれど彼は私のお願いに応え、時々戦闘の練習に付き合ってくれる。


『でも波瑠、どうして戦闘訓練なんかやろうと思ったの? 波瑠は十分強いと思うんだけど』

『……もっともっと、強くなりたい理由ができちゃったから。少しでも強くなって、一人で戦えるようになって、』

『自分も佑真を守れるようになりたい――かな?』


 見事に私の考えを読み取った言葉を返し、得意げな誠くん。

 頬がかあっと熱くなる私を見て、彼はごめんごめんと笑った。


『いいと思うよ、そういう考え方。強くなりたいって思う動機で一番重要なのは、大切な誰かを守るためだと思うから』

『誠くんは、秋奈ちゃんのため?』

『うっ……まあ、否定はしない。でも、一応言っておくと、大切な誰かってのは秋奈だけじゃないからね。波瑠に危険が及んだ時だって僕は戦うよ。波瑠は僕の大切な友達だし、それにあいつ一人じゃ心配でしょうがないしね』

『……ありがと、誠くん』


 感謝されるようなことじゃないよ、と笑う誠くんはなんだかすごくかっこよくて、秋奈ちゃんが彼を好きになる理由がよくわかった。

 そして――大切な友達、という言葉がなにより嬉しかった。




 秋奈ちゃんとは不思議なくらい気が合った。毎日電話越しにおしゃべりしても止まることはなくて、直接会うときなんかは、たまらなく楽しみだった。


『………ん、それはあたしも同感。波瑠ちゃんはすぐに仲良くなれた』

『でしょ? なんでだろうね?』

『………んー……波瑠ちゃんがぐうかわ美少女だから』


 グッ、と親指を立てる秋奈ちゃん。私はなんとなく頬を緩めてしまう。


『………ほら。波瑠ちゃんの笑顔、すっごく可愛い』

『えー、そうかなぁ?』

『………そうだよ。本当に楽しいんだってわかるし。あたしも釣られて笑っちゃうもん』


 と言う秋奈ちゃんの微笑みは穏やかで、見ていると心が落ち着いてくる。


『私、秋奈ちゃんと友達になれてよかった。大好きだよ、秋奈ちゃん』

『………唐突な告白をしているところ残念ですが波瑠ちゃん、あたしと波瑠ちゃんは友達なんかじゃないのです』

『えっ!? なにそれ今まで全部私の超一方的な片思いだったってこと!?』

『………そこまで焦らなくとも。親友、というオチなのです』

『な、なんだ。もう、びっくりさせないでよっ』


 私と秋奈ちゃんはお互い視線をあわせ、どちらからともなく、声を出して笑った。

 女の子の中で一番仲良しなのは秋奈ちゃんだと、今なら迷いなく断言できる。




 定期的に遊びに来てくれるキャリバンは、なぜか毎回ベランダから来る。

 話題は大抵、【ウラヌス】が忙しすぎるという愚痴だった。


『ハルはいいですねぇ、のんびり学校通えて。こっちは最近【メガフロート】地区でテロが起こってるとかなんとかでその対処に回されそうで、気落ちしてますよぉ……』

『うっ……オツカレサマ』

『なんで視線を逸らすんですかぁ?』

『そ、それは置いといてさ! キャリバン、この前も話したけど高校は通えないの? お母さんに直接頼めば、きっと高校三年間くらい許してもらえると思うけど』

『そうは言いますけど別に、無理して高校に行きたいわけでもないですからねぇ……』

『じゃあさ、私と一緒の高校っていう条件だとどう?』


 私の何気ない提案に、きょとんとキャリバンは目を丸くした。


『それなら一緒に行く理由も作れるし――なにより、また一緒に遊べるよ!』

『……そ、その……また、アタシと友達になってくれるってこと、ですかぁ?』

『キャリバンが許してくれるなら、いつでも大歓迎なんだけどな』

『なら仕方ないですね。いい加減意地を張るのもやめましょうかぁ』


 とか言いつつ、照れ隠しでぷいっと顔を背けながら手を差し出されて。

 五年前と変わりない愛情表現に私は頬を緩めながら、その手を両手で包み込んだ。




 どれも、どれも、私と大切な人との記憶。

 一緒に笑って過ごした、かけがえのない時間。

 私は、スグがいなくなって、真っ黒に塗りつぶされた世界を歩いてきたと思っていた。

 だけど、いつの間にか、私の世界はこんなにも、色鮮やかに光に包まれていた。

 その真ん中には――――――いつも、あなたがいた。




 佑真くん。




「…………」


 気づいたら、涙が流れていた。

 頬を静かに伝う、暖かな、幸せな涙。

 その涙を――スグが、優しくハンカチで拭ってくれた。


「そうだ、ハルにゃん。キミにはもう、一人じゃないんだ。キミの周りには、ボク以上にキミを想ってくれる人がたくさんいる。彼らはキミをひとりぼっちなんかにはしないさ! 絶対に、キミを笑顔にしてくれるさ! それなのにこんなところで死んでいいのか? 大切な友達が先に死んでしまった時、残された者がどれだけ悲しいかを一番知っているのはハルにゃん、キミだろう!?」

「うん……っ」


 ほんと、何が『ひとりぼっち』だったんだろう。

 たくさんの繋がりができた。

 佑真くんが、そのきっかけを与えてくれた。


 ……生きたい。

 生きていたい。まだまだ足りない。満足できない。みんなと過ごした時間は短すぎる。

 だけど……。


「…………スグ。一つ、いい、かな?」


 私は――自分で自分を抱きしめたまま、スグに問いかける。


「私、戻りたい。生きていたい。みんなのところに帰りたい。だけど……私が大切に想う人は、やっぱり不幸になっちゃう。私の運命に巻き込んじゃうんだよ。みんなが大切だから――大切すぎるから、巻き込みたくない。みんなに幸せになってもらいたいの」

「ハルにゃん……」

「戻りたいけど、でも、みんなをスグの二の舞にしたくない! みんなに同じ運命を辿ってほしくない! みんなと一緒にいたい気持ちと、みんなを巻き込まないために一人でいたい気持ちが二つともあるの! どっちも無視できないよ……スグ、どうすればいいのかな?」

「なら、選ぶのは断然前者の方だね」


 私の背中に手を回したスグは、そのまま体を抱き寄せた。

 蒼髪を優しい手つきで撫で下ろされる。


「ここで第三の訂正をさせてもらうぜ、ハルにゃん。――ボクが死んだ『五年前』と『現在』には、実は大きな差が一つ存在している。それが何かわかるかな?」


 ヒントはハルにゃん自身のことだぜ、とスグ。

 私のこと?


「そうだね。さらに言えば、《神上の光(ゴッドブレス)》ではないハルにゃんのもう一つの代名詞に関わることだ。てか、ここまで言えばわかるよね?」

「うん。わかった。すぐにわかったよ」


 ――――スグが死んで、五年も経った。

 その間に私は超能力ランクⅩの称号を得て、《霧幻焔華(コールドシャンデリア)》を使いこなせるようになった。


 桜を救い出す力を、たくさんの人を護る為の強さを追い求めた結果だ。

 あの頃――ただスグの後ろに隠れて、《神上の光(ゴッドブレス)》しか使えなかった私とは、もう違う。


「キミはもう弱くない。立派な一人の超能力者なんだぜ。みんながハルにゃんを守り、ハルにゃんがみんなを守ればいい。もしそれが実行できれば――みんなと一緒にいることができる」

「……ちょっと、根性論だよね」

「おや、根性論は嫌いかい? でもハルにゃん、感情論を信じるキミに根性論を否定される筋合いはないなぁ。現実味があるのはどちらかといえば、根性論の方なんだが」


 スグはにぃ、と口角を上げる。

 感情論なんて信じたっけ? と思ったけど。



『信頼。他の人を信じて、頼ってみろよ。お前くらいの女の子に頼られりゃあさ、大抵の男子は普段の何十倍にでも頑張れるんだよ――少なくとも、オレはそうだから』



 私の最愛の人は、感情論を押し通すバカ正直な男の子だったっけ。

 信頼。……ん、うん。

 私に一番欠けていたのは、この言葉かもしれない。

 みんなを信じて、頼ってみても、いいのかな。

 その分だけ、私はみんなに頼られるくらい頑張るから。

 これからは、佑真くん達に守られるんじゃない。

 私も、一緒に戦うから!


「お、いい表情だ。ハルにゃん、やっと一歩、前進できたって感じだね」


 スグが笑った。

 すごく嬉しそうに目を細めて。肩を揺らして、やっと心から笑ってくれた。


「スグ――私、戻るね、みんなのところに。もうちょっとだけ、生き続けなきゃいけない理由ができたから」

「うん、もうちょっとなんて言わず、どうせなら100歳まで人生を謳歌してくるといいさ。彼氏クンや大切な友達と一緒にね」


 スグがウインクする。彼氏、という単語にちょっとだけ頬が熱くなる。

 それがきっかけ、というわけじゃないと思うけど(きっかけだと嫌なんだけど)――唐突に、私の周囲に白い粒子が浮かび上がってきた。

《神上》の波動のように暖かな純白の粒子が、私を包み込む。


「……スグ、これって」

「ああ。制限時間終了、ハルにゃんが地上へ帰る前兆だと思うよ。と、いうわけでボクの目的――フェーズ『天皇波瑠(ヒロイン)』は、めでたく終了だぜ」


 ちょっと寂しそうに首肯するスグ。

 スグとは一旦お別れだ。

 ……でも、悲しい別れじゃない。

 スグは怯えきっていた私の背中を押して、一歩、踏み出させてくれたんだ。

 最後は、笑顔で!


「ふふ、じゃあ最後にボクから贈り物だ。ちょっといいかい?」


 消え行く私の額に手を伸ばしたスグは、長い前髪を退け、顔を近づけて……?


「……えっ? ふええっ!?」


 私の額に、唇を落とした!?

 それはほんの、一秒にも満たないキスのはずなのに。

 おでこに少し湿った感触の余韻が残っていて、私の頬は、これでもかと熱を発して――――


「おまじないみたいなもんだけど、これで大丈夫だ。キミは誰にも負けないぜ」

「……柄でもないくせに。でもありがとね」


 ――――同じくらい真っ赤な顔で無理やりウインクするスグのせいで、お腹の底から声を上げて笑ってしまった。

 体がじょじょに軽くなる。

 意識が薄れていく。

 ありがとう、スグ。

 大好きだよ。あなたのことが大好きです。


「じゃあね、ハルにゃん。いってらっしゃい!」

「うん。スグ――――いってきます!」


 とん、と背中を押され、私の意識は夢に吸い込まれるように、現実へと帰っていく。

 みんなの生きる、私の在るべき現実へと――――――



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