●第六十三話 誰かを救うための戦い
――――時間はわずかに戻る。
波瑠と別れ、衛星軌道上に位置するアストラルツリー最上ターミナルにたどり着いた無機は、真っ先に【神山システム】管制室へ足を運んだ。
波瑠と分かれた彼女の使命は、【神山システム】の管理権を奪い取ることだ。
彼から。
「ったく、侵入者っつうから誰かと思えば無機亜澄華、案の定手前だったか!」
鉄先恒貴。
五年前、波瑠と桜の運命をズタズタに引き裂いた男を【神山システム】から引き離さなければ、桜を救い出すことは永遠にできない。
即座に敵意を向ける無機に対し、鉄先はさっと手で機先する。
「おっとまあ落ち着けよ無機亜澄華。こんなところでSET起動からの能力対戦なんかやったら【神山システム】に支障をきたし、愛しの《雷桜》の脳味噌を傷つける羽目になっちまうぜ?」
「ごもっとも。そもそも、私とあなたは超能力が似合わない。」
「能力者じゃなく科学者だから――――ってか?」
レディースの拳銃を向ける無機。
椅子から腰を上げた鉄先は、遠隔操作で立体映像モニターを点灯させた。そこに映し出されるは、荒廃した【メガフロート】地区の街並みと、無機と波瑠が撤退させたいくつかの企業。
そして一つの画面では――一つ下のターミナルにて、波瑠が真紅の髪の少女と何か言葉を交えている。無機の視線をそちらへ誘導し、隙を作ろうという魂胆だ。
しかし、無機は鉄先から視線を逸らさない。波瑠が何を行なっているか、気になっても把握しようとはしない。敵の一挙一動を見逃さない。
明らかに強張った表情の無機を一瞥し、鉄先は肩をすくめた。
「ま、今はとりあえず雑談でもしてようや。当時天才高校生と天才小学生、その双方の名を頂戴していた俺たちの、久々の再会なんだぜ?」
「それは【神山システム】開発当時の話。今の私は、ただの人間よ。何一つ人類の役に立てていない。それに対し鉄先恒貴。あなたは、順調に妹ちゃんを使った計画を進めているようね。」
「ああ。順調も順調、捗りまくりだ。《雷桜》と【神山システム】を同期させ、全知全能状態、未来をも予測する『神の如き頭脳』!《神上》と組み合わせ神の領域に至るコイツも、あともう少しで完成する!」
「……五年前から。未だにくだらない幻想を追っているのね。」
「くだらないとは心外だな。手前だって見ただろうが、五年前の『神山桜』を! あん時はまだ器にするには幼すぎたが、五年も経った今は違う!【神山システム】と馴染んだ身体!《雷桜》を使いこなす頭脳! 揃いも揃ったこの状況、俺の科学者魂が訴えてくるんだよ! 大いなる力を手に入れなければならない、いかなる手段を択ぶででもやり遂げろってな!」
「それがいかに罪なことか。わかっているの? 妹ちゃんの人権を完全に無視しているわけだけど。」
「今更あいつの人権なんて知ったことか。なにせ計画が完了しちまえば、俺が手中に収めるのは神だ! 俺にゃ誰も逆らえねえんだよバーカ! つうか、手前が言う事かそれ? 大罪人にまで落ちぶれた天才さんがよォ!」
額に手を当て高らかに笑う鉄先。無機は眉一つ動かさず、ただただ寡黙を保つ。
「この三ヶ月で手前と雪姫が【メガフロート】地区へぶつけた被害総額は余裕で百億を超える!【神山システム】の演算結果が齎すはずだった実験で得られる利益も想定に入れりゃ兆はくだらないってこと、気づいてるよなァ!?」
「気づいているわよ。でもね、その程度の金額、私が【神山システム】で稼いだ合計金額で返済できる。」
「返済できりゃいいと思ってるのか? どれだけの人間の人生を潰したと思ってんだ!」
「どうせ全員。非人道、且つ非合法的な実験ばかりやっているクズじゃない。この世に必要悪があることは認める。けれど【神山システム】開発者として、あの機械の演算結果が害悪をもたらすのも見逃せないわ。」
「っつう正当性を語っておいて? 実際は『神山桜を救うための情報を集めさせてもらいます。ついでに研究施設はぶっ壊れてください』ってか。とんだ正義論だな無機亜澄華!」
「神山桜じゃない。天皇桜を救うのよ。――ついでに私は、正義論だなんて思っていない。暗部まで引っ張り出しているこの戦いに今更正義なんてあるわけがない。悪のみが存在するのが、私の住んできた世界。波瑠と――桜が、抜け出さなきゃいけない世界よ。」
鉄先の口調が高揚するにつれて、無機の声音は冷徹に静まっていく。
二人の戦いは武力でなく、理論でもなく、ただ単に感情をぶつけあう、というものだった。
「好き勝手言いやがってホント尊敬するわ手前のドン引きするほどの聖者っぷりにはよ。頭脳のデキが違うと考えもご立派なものですなァ! はー、腹立つわ」
「聖者なんてとんでもない高評価ね。残念ながら、私は現在十字架にかけられているけれど。」
ただ、
「一つ、一応言わせてもらうと。私たちが研究施設を襲撃するようになったのは。すべてあなた達が原因じゃない。五年前――私の夢を砕き、桜の運命を破壊し、波瑠から家族を奪った。どれもあなたと、あなたが作り出したAI【神山システム】が原因のはず。」
「おーっとそこを突かれると痛い痛い……なんて言うとは思ってねぇよな? 単純、それこそ戻りに戻るぜ。俺は一人で《神上の力》計画を思いついたわけじゃねえし、俺の上につく天皇劫一籠だって当初は天皇波瑠と《神上の光》を利用した単純な《神上の力》覚醒ルート以外、何一つ考えちゃいなかった。さぁて、ここで質問といこうかァ! 一体いつ、どこで、どんな要因があって、神山桜と《神上の力》計画が生み出されたと思う?」
「……。」
「答えてみろよ元・天才! それとも天才と謳われたくせに模範解答も導き出せないか? 正解は、手前の考え出した『機械と電気を操る少女の接続』だ! そこからあの人外はここまでの計画をすべて思いついたっつーわけだよ。よく考えてみろ無機亜澄華。手前さえ下手な考えを生み出さなけりゃ、天皇姉妹がこんな悲劇を受けることにはならなかったんじゃねぇの?」
無機は口を開かない。
かといって動揺した様子もない彼女に、鉄先は大きく舌を打つ。
「チッ、つくづく腹が立つなァ無機亜澄華! ノーリアクション、とっくのとうに悟り開いちまったか? それとも責任転嫁で自分の中でだけ納得しているつもりか!?」
「何を今更怒鳴っているのよ。五年前からわかっていたわ。私が――私の夢が、波瑠と桜にこの悲劇もたらしてしまったことくらい。だからこうして頑張っているんじゃない。あの子達を、平穏な世界へ送り帰すために。」
「ックソああもういい。手前の精神ズタズタに引き裂いてからオーラスバッドエンディングに向かう予定だったが、仕方ねぇなァ! 他の方法使ってみようかァ!」
鉄先の指がほんの少しだけ動き、遠隔操作によって、【神山システム】管制室内に音声が流れ始める。最初はノイズだらけだったが、やがて聞こえ始める――轟音と、怒声。
『《臨界突破》……ッ!』
『おっと、言語能力はまだ残ってたのか。俺の名は十六夜鳴雨だ。超能力はご存知のとおりだ――――ぜッ!』
「っ!?」
さすがの無機も、つい視線をモニターへ逸らしてしまった。
それほどまでに、スピーカー越しから聞こえた波瑠の声は、憤怒に満ちていて。
とてもあの穏やかで、あるいは凛とした少女の出す声とはかけ離れていたから。
その隙に――鉄先恒貴の拳銃が、無機に向けられた。
これで、無機が奪ったアドバンテージが消え去った。
「見たか? 見ただろ見ちまったよな!【使徒】No.3・4・7に加えて雪姫のオトモダチ二人が俺の手駒だ! これが《神上の力》に天皇劫一籠の注いだ戦力! これだけの敵を前にすりゃ、天下のNo.2様も敵いっこねぇんだよ!」
「波瑠……。」
「ハッハー! 笑っちまうなこの状況! まさに四面楚歌、逃げるしか選択肢はねぇっつうのに《精神支配》で操られるオトモダチを気にかけて逃げ出さない雪姫の姿! 滑稽すぎる! 笑いが止まんねぇよ! ハハハハハハハハハハハッ!」
「……滑稽。ね。」
無機は引き金にかかる指に力を乗せる。
「あの子のどこをどう見れば。滑稽なんて言葉が出てくるのよ。どんな逆境に立とうと最後まで友達のことを想えるあの子を。どれだけ自分が傷つこうと友達を守ろうとする底なしの優しさを持つあの子を! どう見れば、滑稽なんて言葉で言い表せるのよ! あの子の友達を道具として利用して勝とうとするゲス野郎が、あの子をそんな風に呼ぶんじゃない!」
「おいおい無機亜澄華、手前までどうした! 雪姫に執着心でも抱いちまったか? あぁ? 今更だろうが言わせて貰う――俺たち科学者の最大の御法度は『他人を信じる』ことだってことも忘れちまったのかァ!?」
鉄先の指が曲がる。
二人が発砲したタイミングは何の偶然か、波瑠が血しぶきを上げた、その瞬間だった。
キィン! と甲高い音が二人のちょうど中間で鳴り、偶然直線上に並んだ銃弾が互いを弾き飛ばす。一つは立体映像モニターを通過し、一つは床に弾け飛ぶ。
「SET開放。」「SET開放ォ!」
全くの同タイミングで音声認識を利用し、二弾目を放ちながらSETを起動させる。同じ行動を予測した両者は予め身を引いて脳天に迫る弾丸を回避。白衣がなびき、薄暗い部屋で波動を纏った鉄先の銃口から第三弾が放たれるより先に、無機の手元で銃声が響いた。
しかし、弾丸は鉄先の手前で直角に折れ曲がり、床へと突き刺さった。
「…………え?」
「ボケッとつっ立ってる場合か無機亜澄華ァ!」
肉薄した鉄先の脚がまともに懐へヒット。内臓が圧迫され、無機はこみ上げる吐き気とともにくの字に崩れ落ちる。背中ににじむは嫌な汗。
「げほっ……。超能力で、弾道を曲げた……!? 鉄先恒貴、あなたの能力は……そんな芸当もできないほど、弱いものの、はず、じゃ……。」
「ああ正解だ。俺の《磁力誘導》はたったのランクⅢ、本来なら鉄塊を浮かせるのがやっとのレベルだ。けど、もしそんな俺の手中にコイツがあったとしたら?」
口角を上げる鉄先。その手中には――黒光りする、大きいとはいえない鉱石。
美しく輝く黒の鉱石は、手にするだけで鉄先の波動量を飛躍的に増大させる。
「……まさか。オリハル、コン!?」
「その通り! 大正解にはい拍手! つうわけで、人間のフィジカルを強化する鉱石は俺の手の中にあるのでした! え? どうして俺が持ってるかって? んなの決まってる。No.3にここまで持ってこさせたんだよ、《神上の力》計画に利用するためにな!」
オリハルコンが振り上げられる。
その動作に呼応するように、超高熱の磁力が放出された。部屋中の金属を引き寄せ、無機のSETや【神山システム】の黒い箱を引きずり始める。
しゃがみこんだ鉄先は無機の藍色の髪を乱雑に掴み、頭を引っ張り上げる。
「いい加減、降参して俺の手駒として働いたほうが楽だと思うぜ? 安心しろ、エロいことだけはしないからよ。俺昔っからお前のこと、大嫌いだからな!」
床へ勢いよく振り落とされた。
顔面から思い切り打ちつけ、鼻下に熱い痛みがこみ上げる。校内に鉄分の味が広がる。
ガッ、と鉄先の脚が背中を踏みつけてきた。肺から息が漏れる。
「がはっ……。」
「ハッ、ハハハハハ! おいどうした、さっきまでの威勢のよさはどこ行った! 反撃してみろよ! まあ、できるものならやってみろっつーお決まり展開なんですけどねェ!」
タァン! と高い音が鳴る。無機の大腿部に熱い激痛が走った。銃弾がめり込み、紅の鮮血が腿からあふれ出る。意識が薄れ、体が痺れるように動かない。
一発で殺さないのは、まだ無機に利用価値があるから――かもしれない。ただ鉄先が遊んでいるだけかもしれない。何にせよ、即座に殺されないなら、まだ形勢逆転のチャンスは残されている。
「こっちにはオリハルコンに人外、世界最高のコンピュータに使徒が三人もついてんだよ! さあ媚びてみろ。助けてください鉄先恒貴様って言ってみろよ、クソ尼!」
……今の無機は、酷く醜く無様だろう。
圧倒的力差に屈して、情けなくてみっともなくて惨めで汚らしいだろう。
それでも、まだ無機には頭脳がある。
追い詰められたからこそ冷静に考えて、一筋の勝利を掴み取る。
今更諦めるなんて選択肢、どこにも用意されていない。
桜を救うための戦いは、最初から一パーセントに満たない希望をめぐる戦いなのだから。
「んじゃま、そろそろ二発目と行こうかね」
「それは。どうかしら?」
へら、と柄にもなく微笑む無機。不信がった鉄先が眉をひそめる。上体をわずかに起こした無機は柄にも無く大きく口を開き――
「あぁ!? 手前まさか――――ッギャアアアアああああああああああああああッ!?!?」
鉄先のふくらはぎを噛み千切った。
人間の部位で最大の固さを誇るのは歯。そして、自制心さえ捨ててしまえば、歯で指を噛み切ることができるのだ。皮膚数センチを噛み千切ることくらい、誰だってできる。
悲鳴を上げ、銃弾を無機の肩に撃ちこみながら後方へ飛び退く鉄先。無機が食いちぎったふくらはぎから赤い液体が流れ出る。
肉片をガムのようにペッと吐き出した無機は、鉄先の流血に焦点を定めた。
――――――《液状爆破》
血液を構成する物質のうち液体部分、血漿が爆裂する。
「うわ、うわ……うわあああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
脚が一本吹き飛んだ鉄先の悲鳴が轟く。左肩と右大腿部、二箇所に銃弾を喰らって出血し続けていながら、しかし無機は壁を使って立ち上がった。
鉄先は反撃を試みようとして――気づく。全身に伝う生ぬるい液体に。
先ほど弾けた脚から噴出した血液が、全身にかかっていることに。
重ね重ね言うが、無機の能力《液状爆破》は、液体を起爆する能力。水ではなく液体――そう、血漿でも先ほどのように起爆できるのだ。
体を少しでも動かせば、無機の能力で全身のどこかを爆発させられる。SET起動状態での最速の攻撃手段が超能力であることは、第三次世界大戦から一ミリも揺るがない。
「詰めが……甘かったわね。鉄先恒貴……所詮あなたは非戦闘員…………いつだって高みの見物で、実戦経験が少ないことが、裏目に出た……強さだけが、勝負じゃない、のよ…………一番重要なのは、能力の使い方。ってこれ……波瑠の、受け折りなんだけど……。」
非戦闘員なのは自分も同じ。無機はそう笑って見せた。
実は波瑠の言葉ではないのだが、そのあたりは余談として。
やがて多量出血で意識を放棄した鉄先。下手したら『殺人』になりかねないが――波瑠にどう謝罪しようか考えながら、無機は適当に衣服を引きちぎって自身の傷口を塞ぐ。
そして、【神山システム】前の自分の席についた。
「これで。残るは桜を探すのみ、なんだけど……この体じゃ、これ以上、何もできそうに……。」
モニターを、ぼんやりとした視界の中見据える。
一画面に映し出される赤い水溜りと――その中央に倒れこむ、長い蒼髪の少女。
何が起こったのか、よくわからない。思考が追いつかない。
薄れ行く意識。
(……。ダメ、ダメよ、まだ…………波瑠と桜を、元の居場所へ、帰さないと…………。)
その時。
一つの人影が、【神山システム】管制室へと入ってきた。
その人影は無機へ一瞥もせず、真っ直ぐに鉄先へと歩み寄り、力を失っている手からオリハルコンをもぎ取った。
「『オリハルコンの回収に成功しました。【神山システム】の演算結果に基づき、これより、計画を最終段階へと移行します。フェーズ【GOD KNOWS】。成功率、99%。尚、この場合の1%は、神山的には、『この世に100%のものなんてない』という、六年前、お姉ちゃんに教わった言葉に基づきます』」
【神山システム】より流れた無機質な音声と、少女より発せられた抑揚のない声は、一言一句、ぴたりと重なっていた。
栗色のアホ毛より、一筋の火花が走る。
無機には人影を呼び止める余裕もない。呼吸をするので精一杯だ。
オリハルコンを回収したその人影は、静かに管制室から退室した。




