第一章‐⑦ 大剣使いは四閃を刻む
「波瑠がシャワーを浴びるなり黙り込むとは……佑真、情けないのう……」
「う、うるせえ! なんか恥ずかしいんだよ、同い年の女の子がシャワー浴びてるとこに居合わせるってのは!」
寮長にからかわれて思わず叫ぶ佑真は今、テレビに視線を向けつつも意識が完全に波瑠(入浴中)に向いていた。思春期なので仕方がないと言い訳を必死に続けている。
「ほー。明日は皆既月食があんのかー。めっずらしーなー」
「ニュースを見ているフリかもしれんが、驚くほど棒読みじゃぞ」
寮長のツッコミは気にしない。
着ていたパーカーこそサイズが大きく体型を隠していたが、佑真は波瑠の胸の大きさを背中に伝った感触でアバウトにだが知っている。それに、なんだかんだ抱きとめた時や走行中に波瑠と密着するケースが多かったため、あの柔肌の感触を覚えているのだ。
そんな状態でまともにいられる男子中学生がいれば、ぜひとも会いたい佑真だった。
しばらくして、ぺたぺたと素足特有の足音が聞こえてくる。
「佑真くん、貸してくれたのってこのジャージでよかったんだよね?」
「うん、それ――――っ!(うわ……可愛い! わかってたけど!)」
ん? と可愛らしく首をかしげる波瑠。佑真は無防備かつ扇情的な姿に硬直していた。
シャワー後なので当たり前だが、背中を覆いつくすほど長い蒼髪は湿って艶やかに輝いていた。女子にしても背の低い彼女に佑真の衣服はダボダボで、余った袖から指が少しだけ覗いている『萌え袖』が可愛らしさを惹きたてる。
健康的桜色に染まった頬やぷるっと輝いている唇。風呂上がりなせいか中坊の知らない甘い香りが彼女の周囲に漂っている気さえしてくる。髪より滴った雫が鎖骨を滑り、肌色の胸元へ視線が誘導される。
とにかく可愛い。頬がかつてない熱を発している自覚がある。
「貸してもらったけど佑真くんの服おっきいねぇ。あと、なんかいい匂いがする気がする」
「な、何言ってんのお前!?」
「ほほう。波瑠は佑真の匂いがお気に召したようじゃの」
キランと瞳を輝かせる寮長はひとまず置いておくとして、佑真は理解した。
波瑠は純真無垢というか、変なところで素直な女の子だ……。
顔を逸らした上で、真っ赤に染まりきっただろう頬に手を当てる佑真。
――を、波瑠が不思議そうに見つめていた。
「佑真くんどうしたの? 顔真っ赤だよ?」
「な、なんでもない! なんつーか、お前がすごく可愛くて直視できないだけなんで!」
「はは、それでは何一つ誤魔化せてないぞ佑真」
「うっさいな! 仕方ないだろこんな美人の風呂上り見るの人生初なんだから!」
まくしたてるように誤魔化したつもりが、また墓穴を掘っていた。
言った後には波瑠が「か、可愛いかな……」と頬を赤く染めながら髪をくるくるといじり、その仕草が佑真の心拍数を加速させる。
しばらく照れくさそうにしていた波瑠は、やがて周囲をキョロキョロと見回し始めた。
「と、ところで、私の服はどこですか?」
「一旦洗濯中じゃ。乾燥終了まであと十分、しばし待たれよじゃな。しかし波瑠はサイズすごかったのう……本当に十五歳か?」
「な、何見てるんですかっ!?」
「実際のところ、具体的な数字は?」
「言うわけないですよ! ゆ、佑真くんここにいるし!」
「ちょっと待ってもしかして今ノーブラ!?」
「佑真くんは変なところに興味持たないで!」
波瑠が胸元を隠しつつ叫んだその時、ぴんぽーん、とインターホンが鳴った。
「うむ、お客かの? また誰かがトラブルでも起こしたのではなかろうなぁ」
寮長の部屋(ちなみに一階の突き当たり)への来訪者は、基本的に上の階で問題を起こした生徒達だ。
寮長が玄関先へ向かったので、二人きりとなった部屋。
何を思ったのか瞑想を始めようと迷走している佑真へ、波瑠が近づいてきた。
「……あ、あのさ、佑真くん」
ひそひそ話をするように顔を近づけ、
「ずっと気になってたんだけど、寮長さんって年いくつなの?」
「やっぱ気になるよな。確か大卒新任でオレらの代が初生徒って言ってたから……今は二十五歳だな。ああ見えて酒は飲むしつまみは食うし、しっかりした大人だよ」
「へぇ……見た目はなんか可愛いのに、なんか不思議な人だよね」
「あと、すげぇいい先生だ」
佑真が何気なく付け加え、思わず波瑠が笑みを零した。
『――だから、おんしは何者かと聞いておるんじゃ! 名を名乗らんか!』
そんな怒鳴り声が聞こえてきたのは、直後のことだった。
「なんだ? 寮長、珍しくもめてるのか?」
「行ってみようよ。なんかちょっと怖いし……」
波瑠の提案に従い、六畳一間から出てすぐの玄関へと歩み寄る。
「寮長、どうしたんだ?」
と佑真が問いかけ、波瑠とともに廊下へ顔を出した、その時だった。
頭を握られた寮長が床に投げ飛ばされる映像とともに。
「ようやく見つけたぞ――《神上の光》」
来訪者が紡いだ言葉が、場の空気を一変させた。
敵意や恐怖や驚愕を差し置いて佑真を襲ったのは、戸惑いだった。
寮長が傷つけられた理由を理解しきれず、両脚が棒となって動かない。
来訪者である男が玄関に強引に割り込み、室内へ――波瑠の下へ一直線に跳びこんでくる。
波瑠がビクッと体を硬直させた。
背中の鞘より黒剣を引き抜く男。
次の瞬間だった。
漆黒の大剣が、波瑠の肢体に四閃を刻む。
舞い散る鮮血が玄関と廊下を汚し――〝蒼い少女〟が崩れ落ちた。
血が頬を殴り、生暖かい液体に衣装が染められる。
そんなことがどうでもよくなるほどの困惑が、佑真を襲っていた。
「………………、は……る……?」
ついさっきまで普通に会話していたはずなのに。
一体どうして、波瑠は体を真っ赤に染めながら、崩れ落ちていくんだ?
「っ、あっ、が、ああああああああああああああああああああああああああああ!?」
ねじれるような少女の絶叫が轟く。
倒れた波瑠に駆け寄り体を支えたが、全く力を感じない。
切れ筋が走っている箇所は両腕両脚の四ヶ所。
腿付近の筋肉を抉られたせいか、自らの力で立つことができないようだ――その傷口は生々しい肉が視認できるほど深く、視覚的に吐き気を誘発してくる。
「はぁっ、はぁっ……オベロン、どうして……っ!?」
それでも呼吸を早め、顔から血の気を引かせる波瑠の前で、佑真が情けない姿を見せるわけにはいかない。気合いで嘔吐物を喉奥へ押し戻す。
そんな風に波瑠を抱きとめていた佑真に、影が差した。
先ほど波瑠に刃を向けた大男が、佑真達を見下ろしていたのだ。
身長は百八十センチをゆうに超えた恵まれた体躯。
ただ立っているだけにも関わらず、その姿は常人を寄せ付けない威圧感を放つ。
佑真は直感的に理解した。ここから先は波瑠の住む『世界』であり、この男は確実にそちら側に生きる者だ。佑真達がのうのうと暮らしている日常と隣り合って存在するが、しかし一般大衆には理解できない常識が巣くう――第三次世界大戦の延長線上にある『世界』。
その実在が皮肉にも、波瑠自身が傷つけられて証明されたのだ。
「そこの少年」
金髪の大剣使いが佑真を呼ぶ。
「せっかく抱きとめてもらってすまないが、その少女をこちらへ渡してくれないか?」
「…………ざ、けんなよ」
「む? 貴様、何をぶつぶつと呟いてる?」
金髪大剣使いが訝しげな視線を送ってくる中。
『零能力者』はそっと、蒼髪の少女を床へ降ろした。
「……ゆ、うま、くん?」
「寮長、波瑠を連れて逃げてください!」
か細い声が聞こえた瞬間に、叫んでいた。
「オレには波瑠を連れて逃げ切るとか、たぶんできないから! 超能力を使える寮長が波瑠を連れて――逃がしてくださいッ」
「……無理はするなよ、佑真……」
佑真の叫びに寮長が返答するも、その体は起こされない。ただでさえ小さく脆そうな寮長にとって先ほどの一撃は相当の深手だったのだろう。
そりゃ佑真だって怖い。
寮長や波瑠をいとも容易く傷つける相手に、微塵も恐怖していないと言えば嘘になる。
……だけど、納得したくない。
してたまるか。
一人の少女がこうも容易く傷つけられる『世界』が実在することを。
イカれた常識のせいで、知り合ったばかりの少女が死にかけている現実を!
「……だ、めだよ、ゆうまくん…………」
「なるほど。つまり少年。貴様はその少女を俺から逃がし、回復させるつもりか」
大剣が黒く光る。金髪男の低い声が、佑真の心へ重圧をかけてくる。
「あ、ああそうだよ。波瑠は特別な力を持っているらしいけど、そのことが、波瑠自身が傷つけられる理由であっちゃいけないだろ。それに」
大きく息を吸う。声の震えを気合いで抑える。
「この娘は世界中を相手に逃げ回ってんだろ。だったらテメェも波瑠の敵だ! テメェに波瑠を渡すワケにはいかねぇんだよ!」
ちっぽけな正義感を振るい、佑真は『世界』に対峙する。
「言ってくれるが貴様、俺に勝てると思っているのか?」
勝てるなんて思っていない――勝てるわけがない。
天堂佑真は零能力者。
全世界最弱の称号を有している、ただの中学生にすぎない。
だから佑真は、波瑠が回復して逃げ去る時間を稼ぐために拳を握る。
敗北すれば死ぬ――――その恐怖から、必死に目を逸らして。