●第五十六話 頬に伝う一筋の結晶
バスなどの交通機関が停止したせいで、余儀なく徒歩移動を強いられた波瑠と無機。
しかし二人は立ち止まっている時間もないので、アストラルツリーへ向けて真っ直ぐに進んでいた。天を貫く軌道エレベーターは、見失うことのない目印としてそびえ立っている。
【メガフロート】地区は軌道エレベーターを中心とした放射状に道が広がるよう設計されている。大通りを真っ直ぐ歩くだけで必ずたどり着けるのだ。
徒歩という時間浪費を考慮し、無機は端末をいじりながら歩いている。
器用に、波瑠との会話をこなしながら。
「やっぱ、さっきの冬乃さん達はオリハルコン盗難事件側の関係者なんだね」
「そう。オリハルコンの鉱石、奪っておくべきだった。」
「無機さん殴った人が持ってた黒い石がオリハルコンだよね? あの瓦礫みたいな石で超能力が強化されちゃうんだから……桜を救い出すまでは拝借しちゃえばよかったねー」
「後で返せば問題ない……と。言いたいところだけど、更なる重犯にされる。研究所侵入が未だ顔バレしてない奇跡を起こしているんだから、罪は犯さずいきたい。」
「犯さずっていうかバレずに、だよね。もう私たち犯罪者だよね」
ちょっと呆れ顔の波瑠は、無機の端末が鳴らした電子音に足を止めた。
「ん? 何の音?」
「データの自動整理が終わった音。もう一度見る?」
「……うん、見る」
不安げな無機に笑顔を作り、差し出された端末を覗きこむ。
つい先ほど盗み出したデータには、『アストラル体』だの『竜脈』だの『パワースポット』だの『ジグラット』だの、なんですかそれ? と聞き返したくなるような用語が並んでいた。正直波瑠にはどういったデータか理解できないのだが――一つの文書に引っかかった。
【神山システム】内部で、莫大な知識量を保有し、成長し続ける情報生命体の発する信号によって動く『神山桜』。その『神山桜』を利用した、新たなアプローチによる《神上の力》発現の手順がまとめられていた。
《神上の力》がどのような存在か、無機は知らないが波瑠はよく知っている。零能力者の発現したあの力がない限り、《神上の力》を食い止めることは不可能だ。
だから、時間がなかった。
今更彼を巻き込むつもりはない。今回の戦いに彼を参戦させることを、波瑠は誰よりも望んでいない。しかし波瑠一人で《神上の力》そのものを撃退することはできないので、何としてでも発現前に計画ごと台無しにするしかない。
目指すところは即ち――桜と【神山システム】の繋がりを断ち切る。
桜を救い出さない限り世界まで終わってしまうが、やるべきことに変化はないのだ。
幸い、文書には計画に関する『神山桜』の今日一日の動きも記されている。
「今日は一日中ずっと、桜はアストラルツリーの中にいるんだよね」
「そのようね。今日のアストラルツリーは適当な理由付けで休館中。中に一般人がいないよう排除した、と捉えるべきかな。」
無機は加えて推理を披露する。
今日アストラルツリーが休館になっている本当の理由は、オリハルコン搬入の為だ。しかし、そこに一日中桜がアストラルツリーに閉じ込められることを考慮にいれると、もう一歩深くへたどり着ける。
「半ばゴーストタウンと化した海上都市。邪魔者の入らないアストラルツリーの中で、本日付、妹ちゃんの《神上の力》計画とやらが執行される可能性は高い。」
無機の推測はおそらく正解だろう。波瑠は頷き返し、アストラルツリーを見据えた。
(後ろ向きに考えることじゃない。むしろ、あそこに確実に桜がいると思えば!)
拳をギュッと握る波瑠。無機は数歩後ろでその背中を見て、心強いな、と思う。
「とはいっても――オリハルコンそのものが、単なる桜からの視線逸らしってわけでもないんでしょ?」
「そこ。」
無機は別の文書ファイルを開いた。
『《集結》を用いた《神上の力》発現について』というタイトル。
「《集結》って。あの【使徒】No.1の超能力よね?」
「うん、そうだよ。現代超能力における名実共に頂点の能力。応用力があるわけじゃなくて、純粋な強さのみで【使徒】にナンバリングされている唯一の能力でもある」
天皇家として培った能力に関する知識が、ここぞとばかりに披露される。
No.1《集結》は、波動を操る能力である。
波動は超能力の素であると同時に、生物の生命力の具現。
《集結》は、その名の示すとおり、他者の波動を《集結》することができ、その《集結》した波動を自身の力として扱える点だ。
敵から波動を吸収すればするほど、集結は強くなる。
一方、吸収された人間は生命力が空となるため、自動的に死を迎える。
その特性を生かし【神山システム】の指定した493名の超能力者から波動を徴税、通常の人間の枠を超えた強さを手にした時、集結が《神上の力》と同等の力を得るようになる――という計画だ。
【神山システム】の演算予測結果に基づいた計画のためか、無機の抜き取った情報に偶然混ざっていた。
ただ、知れてよかったとは言い難い。
「指定された超能力者の中に。雪姫ちゃんも、入っちゃっているのね。」
「……ん、当然だと思う。自分で言うのはあれだけど、私は【使徒】の一員だからね」
No.2、波瑠以外にも先ほど出会ったNo.8、土宮冬乃など、【使徒】の能力者は全員指定されている。
水野秋奈や小野寺誠といった知り合いの名前こそ無かったが――だからといって、集結一人が力を手に入れるために493名もの能力者が命を落とさなければならないことを、波瑠は見逃したくなかった。
だが、波瑠には――否、超能力者には誰一人、集結を止められない。
波動を操るという彼の能力特性上、波動を素に超能力を使用する超能力者に勝ち目はない。能力を放ったところで、集結に波動を徴税されて命を落とす。これは生憎百パーセント、【神山システム】が演算するまでも無く歴然としている現実だ。
波瑠にできることといえば、集結が殺した後の人の下へ行って生き返らせること、くらいだろうが……。
しかし、集結の計画はほぼ完遂状態となっている。
すでに何百人もの能力者は命を落としている。
波瑠が関わるには、知るのが遅すぎた。
「……。雪姫ちゃんの気にすることじゃない。こればっかりは仕方ない。」
「……うん。わかってるよ。わかってるけど、でも、ね……」
顔を伏せた波瑠を心配したのだろう。ぽん、と無機が頭を撫でてくれた。波瑠はどうも他人に頭を撫でられやすい。好きだから構わないけれど、背が低いせいだろうか。
「……集結の方はともかくとしても。桜のほうは、私たちでなんとかできるんだ。頑張らないとね――――ッ!?」
景気づけに顔を上げ、一歩を踏み込もうとした瞬間だった。
グラリ、と視界がブレる。
思考が途切れ、突然体から力が抜ける。
「……。」
「あ、えと、ありがと無機さん……」
無機は咄嗟に腕を差し出し、地面に倒れずに済む。笑顔を作り、波瑠は立ち上がる。
受け止める際に抱きかかえる体勢となって、無機はようやく気づけた。
波瑠が、真冬だというのに汗びっしょりだったことに。
頬の赤さと寒さが無関係だったことに。
歩いている間は誤魔化していたようだが、歩みもおぼつかなくなるまで、波瑠が疲れを溜めていたことに。
「……雪姫ちゃん。無理するくらいなら、この後は私一人で行くけど……。」
その気遣いは嬉しかったが、波瑠は額の汗を拭うだけで、
「大丈夫。さっきはちょっとふらついただけ。桜を救うまでは、何が何でも倒れないから」
そう断言し、キュッと野球帽を深く被りなおした。
彼女の戦意は途切れない。
桜を救い出すまで、消えることはないのだろう。
たとえ。
「………波瑠……ちゃん?」
「…………秋奈ちゃん」
たとえ、親友と呼べる女の子に、偶然出会ってしまったとしても。
目の前に現れた秋奈が目を見開く理由はわかる。
切れてしまったぼさぼさの髪。ひどく汚れた衣服。疲弊しきった身体と精神。
もし立場が逆だったとしたら、波瑠は秋奈と同じことを問いかけるだろう。
「………波瑠ちゃん、どうしたの? 何かあった?」
友達が傷ついていることに困惑し、心配し、事情を聞きだそうとする。
そして、友達の力になろうとする。
感情を包み隠そうとしない秋奈の性格で、この質問が来ないわけがなかった。
「あはは、なんでもないよ。ちょっと実習してただけだから」
対し、波瑠は感情の篭っていない笑顔と、全く通じない言い訳を並べてみた。
「………、」
秋奈が眉をひそめる。波瑠の心に、何かがちくりと突き刺さる。
その痛みは、波瑠の知らない――初めて経験する痛みだった。
強引に話題を変える。ボロが出るとまずいと判断した無機はすでに二人からある程度距離を取り、今まで集めたデータに目を通していた。
「そういえば、ユイちゃんはいないの? 誠くんは?」
「………ユイちゃんは、さっき会った誠のお姉ちゃんが。誠は……仕事」
「そうなんだ」
……それだけで、話は終わった。
秋奈との会話が途切れることはめったになかった。初対面の時から不思議と波長が合い、今では三ヶ月間で一番連絡を取り合い、言葉を交わした女の子のはずだ。
波瑠は早急に、秋奈と別れることにした。
下手に探られる前に、早々に別れるべきだと考えて。
「じゃあね、秋奈ちゃん。気をつけて」
「………………」
返事はない。
代わりに――秋奈が脇を通り過ぎようとした波瑠の細い腕を掴んだ。
「……秋奈ちゃん?」
「………波瑠ちゃん、どうして、あたしに何か隠すの?」
「っ」
反射的に体を震わせる。やっぱり、と秋奈が呟く。
真っ直ぐな秋奈の視線が波瑠の背中に突き刺さる。秋奈は日本人にしては珍しく、他人を見つめることができるタイプの人間だ。大事な話をしている時や好きな相手といる時は、尚更。
それでも、隠さないといけないことなのだから。
涙が零れ落ちそうだった。けれど、波瑠は精一杯こらえる。
初めて体験する、心中に疼くこの痛み。波瑠に、どう処理しろというんだろう。
「………波瑠ちゃん、何かあるなら、あたしに打ち明けられない? ……佑真や誠には無理でも、あたしになら――女の子同士なら、話せることってあると思うの。それに、それにね! なにか辛いことがあるなら、誰かに相談してみたら楽になれることもあるよ?」
畳み掛けるように、秋奈の言葉がぶつかってくる。
彼女はたぶん――この数ヶ月間、波瑠が行なってきた愚行を察している。好きな男の子にすら打ち明けられない秘め事を波瑠が抱えていることに、すでに気づいている。
「………あたしだけかもしれないけど。あたしは、波瑠ちゃんと親友だと思ってる。その親友が辛そうで、疲れてて、しんどそうでいるのに、放っておけないよ」
「……、」
「………悩み事があるなら一緒に悩むよ。忘れたいことがあるなら手伝うよ。解決したいことがあるならあたしも協力するよ。だから、教えてよ、波瑠ちゃん」
親友が目の前で苦しんでいる。
秋奈は、たったそれだけで、こちらがどういう状況かも知らないのに、波瑠に『頼って良いんだよ』と語りかけてくれたんだ。
その暖かさを、波瑠は二度ほど体験したことがある。
だから、だから尚――――――
「ごめんね」
波瑠は、彼女の善意を踏みにじることを、謝罪した。
秋奈が手を離した。
彼女の顔を見る勇気がなくて、波瑠は振り返らずに言葉を並べる。
「確かに私は今悩んでるし、辛いし、疲れてるし、しんどいし、秋奈ちゃんにも誠くんにも、佑真くんにも何か隠してるよ。けど、これは私だけの問題だから、みんなを巻き込むわけにはいかないの。ほんと、ごめん」
一滴。
波瑠の瞳から、結晶が零れ落ちた。
「だけど秋奈ちゃん、これだけ、ちゃんと言っておくね」
秋奈の呼吸が早くなる。泣いているのかもしれない。
もらい泣きなのか、悲しくて泣いているのか、あるいは――――
「ありがと、秋奈ちゃん。大好きだよ」
「………………ずるいよ、それ」
波瑠は、秋奈とすれ違う。
秋奈はこれ以上、引き止めてこなかった。
その後を追う無機も、珍しく表情を曇らせていた。
「雪姫ちゃん。あの女の子、あれでよかったの?」
路地裏へ入りながら質問を投げかけ――波瑠は、座り込んでしまった。
「いいんだよ。感情に任せて誰かを必要以上に頼ると、その人を傷つけることになっちゃうからさ」
くぐもった声は震えている。
それが波瑠のトラウマであることを、無機はすでに理解していた。
目の前から大切な人を失いたくない。
本当は善意にすがりたい。目の前に提示された光に手を伸ばしたいのだ。
だが、そんなことをすると、波瑠に善意を向けた誰かは傷ついてしまう。下手すれば命を落とし、そうでなくとも限界必須の道を歩むことになる。
それが波瑠には一番大きな傷となる。
体育座りの少女の頭に、無機はポンポンと手を置いた。
同時に、波瑠をここまで追い込んでいる状況を作り出した自身を責める。
波瑠はしばらく黙り込んでいたが――嗚咽が止まると同時に、すくっと立ち上がった。
「…………もう、大丈夫」
「……。」
「そんな不安そうな目で見ないで。私の体にどこにも傷はないの。戦えるし、桜を助けることだってできるから」
無機に向ける笑顔は――ぞくりと寒気を覚えるほど洗練された作り笑顔だった。
一人の少女が壊れ始めている。
心身ともに限界を迎えていても笑顔を振りまける波瑠の精神力に、無機は恐ろしさしか感じられなかった。




