●第五十四話 第二位の脆すぎる弱点
早々に波瑠とはぐれていた無機だったが、波瑠の強さを考慮した上で放置してよいと判断、単身研究所内を進んでいた。時折聞こえる爆音が波瑠のものでないことを願いながら。
一度戦闘にニアミスしたせいで(木戸飛鳥VS草創泡穂戦)、長い時間足止めを喰らったりもしたが――引きこもりに近い生活であり、根っからの頭脳派気質。戦闘を苦手とする無機は、あくまで壁に隠れてそれを見ていた――無事、目的の管理室へ到達した。
ただし、そこでも彼女は足止めを喰らう。
(先客。なぜ?)
最深部――この研究所のデータが集められた管理室には、見た目三十代の男が陣取っていたのだ。その手の中には黒い鉱石が握られている。
おそらく、あれがオリハルコン。
各所で起こっている『自分たちとは無関係な戦い』の原因はあの鉱石だ。なんという迷惑だ、と無機は顔に出さずに腹を立てる。
こちらが求めているのは【神山システム】――桜に関わるデータだけ。関係ない戦いは関係ない場所で行ってほしいものである。
波瑠が巻き込まれていないことを祈りつつふたたび部屋を覗き込む。
「……あれ? いなくなっている?」
部屋が無人になっていることに首をかしげた無機。
その瞬間――不意に、後頭部に衝撃が走る。
「……っ……!?」
鈍器によって殴られブレる視界。身体が床に打ち付けられた。後頭部より血が流れるが、押さえようにも手が動かない。朦朧とする意識の中、無機はわずかに瞳を開く。
虚空が歪み――無機を倒した犯人が、立っていたわずか一歩後ろにどこからともなく出現した。手に持つ棍を使って、無機の脳天を殴り倒したようだ。
「流石オリハルコンだ。私ごときの《光学迷彩》が、ここまでの性能を得られるとはね」
黒い鉱石を持った男がほくそ笑む。
《光学迷彩》――光の屈折を利用して透過したように見せ、姿をくらます能力。現代科学技術として、同様の性能は戦闘機やパワードスーツにも利用されていることがある。
しかし、一切気づかないほど完璧な擬態。振りかぶるなどの動作を行なって監視カメラをも欺く完全な《光学迷彩》は超能力あってこそだ。
手にするだけでそれだけの性能を超能力に与えるオリハルコンを、男――海進元帥はいじらしく見つめる。
「ひっひっひ、この力さえあれば、私程度の能力でも数多の敵を撃退できる! 依頼なんてこの際どうだっていい、いっそのこと持って帰ってしまおうか――」
「無機さんに何してんの?」
海進元帥は、笑いを止めた。
突然吹き抜けた吹雪を不審に思った。更なる来訪者にオリハルコンの性能を試せると歓喜した。そのような、他の感情を抱く余裕があればどれだけよかっただろう。
だが、声の主に視線を向けた瞬間、あらゆる感情を放棄し、恐怖のみが思考を支配する。
雪姫? そんな甘い表現で表せるわけがない。
地獄を統べる氷の女帝。
静かな怒りに満ちた瞳。撒き散らされる波動と豪雪。感情的でない姿の中でこぼれる一筋の涙がかろうじて、天皇波瑠を人間として留めている。
強者のみに許された圧倒的威圧感に、攻撃を受けていないにもかかわらず、海進は身動きすらできなかった。一歩でも動けば殺される、そんな無意識下での動物的本能が、身体動作を躊躇わせた。動いても動かなくても、殺されることは間違いないはずなのに。
けれど、彼女は天皇波瑠。海進元帥を殺すことはしないし、できない。
わずか一瞬で海進の全身は氷塊に包まれ、波瑠の手に弾かれてあっけなく転がり落ちた。
波瑠は左手を下ろしてSETを収縮させ、今度は純白の波動を放つ。
無機亜澄華を包んだ暖かく優しい波動が、世界の理を覆す。
《神上の光》
死寸前の大怪我を負った無機の後頭部の傷口が塞がれ、打撲痕や脳細胞への影響すら、まるで元通りに復元するかのように癒す。
無機亜澄華は、のっそりと体を起こした。
「……雪姫ちゃん。ごめ――」
「バカ!」
「……。」
まだ意識は朦朧としていたが、抱きついてきた波瑠を、無機はかろうじて受け止めた。
腕の中で蒼髪の少女は震え、怯え、胸元に顔を押し付けて涙を流す。
「バカ! バカバカバカ! 死んだら、死んじゃったらどうするつもりだったの!? 一度死んだら取り返しがつかないんだよ! こんなところで簡単に死なないでよ!」
「……。」
「無機さんがいなくなったらやだよぉ……っ! 一緒に桜を取り戻すんだよ! そうして、今度こそ三人で、普通に仲良くなりたいの! あの日から、初めて会った日からずっと、無機さんと仲良くなりたかったのに、その機会もないまま死んだら、絶対許さないんだからぁ!」
「雪姫ちゃん。」
大声を出し切って満足したのか、波瑠は声を上げずに腕の中で涙を流し続ける。
今まで三ヶ月間を共に戦ってきた、凛とした彼女の姿はそこにはない。
死を、大切な人との別れを恐れる十五歳の少女がそこにいた。
生死を覆す唯一の力を持っているくせに。
――だからこそ、波瑠はもろく、弱い。
そして、無機は嬉しかった。
波瑠の中で、自分が失われたくない大切な人だと思われていることが。
彼女も自分と同じで――この出来事に決着をつけたら、普通に仲良くなりたいと思ってくれていたことが。絆を作り直していきたいと、願っていたことが。
無機は優しく頭をなでる。姉妹がいないのでわからないが、妹をあやすのはこんな感じなのかな、と場違いながら思ってしまった。
「雪姫ちゃん。ありがとう。」
「うぅ……」
「私なんかのことを。今でもそんなに大切に思ってくれるのは、雪姫ちゃんくらいしかいない。もう、不意打ちなんかでやられない。油断しないで――生きるから。」
「……うん。絶対、絶対嫌だよ、いなくなっちゃ」
「りょうかい。」
――――これでいて、戦闘はものすごく強いのだから不思議な娘だ。
泣いた後に冷静になったら恥ずかしいとでも感じたのか、管理室に入った後に波瑠は「外の警戒してるね!」と自ら進んで扉付近に逃げていった。廊下の監視カメラが設置されていることに無機は早々気づいたが、あえて言わない。
自身の端末とコンピュータを繋ぎ、全データのコピーを開始。
ちなみに今更だが、二人がハッキングではなくわざわざ研究施設に乗り込んでいる理由は【神山システム】のプロテクトがあまりにも強すぎるため、外部からの介入ができないから。だからわざわざ、ロックの比較的薄く干渉しやすい本体の下へ乗り込んでいるのだ。
コピーしている間の時間にわずかにデータを確認しようとして、海進が開きっぱなしだったモニターに気づいた。
「……雪姫ちゃん! 来て!」
「ふえぇっ!? む、無機さん、どうしたの!?」
無機がめったに大声を出さないせいか、波瑠がビクッと体を震わせる。しかし、あどけない表情も無機の表情を見るなり改められた。手でこいこいと招き、見つけた文書を示す。
数秒の沈黙。
波瑠の体が床へと落ちる。ぺたりと、力が抜けたかのように座り込んでしまった。
無論、安心ではなく絶望によって。
さくら、という波瑠の小さな呟き声が、無音の管理室に嫌に響いた。
☆ ☆ ☆
波瑠と無機が施設を後にしてからわずか五分後。
凍りつく海進元帥の下に、二人の少年少女が現れた。
海進元帥の述べていた『依頼主』とは彼らのことだ。
学ランを着たクセッ毛の少年、十六夜鳴雨が、コンコンと海進の頬を叩く。
「おいおい、これってデジャヴか? 昔こんなことあった気がすんだけど」
「昔っていうか三ヶ月前よん♪ No.2、こんなところでも大暴れしちゃってるのね。うふふ、【神山システム】をどうにかするために足掻いてるのは聞いてたけど、やぁっとここまで堕ちてきたのねっ☆」
「嬉しそうだな……」
台詞と笑顔がほとんどかみ合っていない月影叶に、十六夜はそっと溜め息をつく。
「で、肝心のオリハルコンはぁ? もしかして、待望のNo.2との決戦かしら?」
「残念ながら、そいつはできなさそうだぜ」しゃがんだ十六夜は海進の手より黒い鉱石を奪い取り、「ほれ、こいつがオリハルコンだ」
乱雑に叶へ放り投げた。受け取った側の叶も扱いはぞんざいだ。
「へー、こんなに軽いもんなんだ。幻の鉱石とかいうから宝石並みに重いと思ってた」
「ま、とにかく海進のおっさんはキチンと俺らにオリハルコンを渡し、依頼達成してくれたんだ。俺たちはコイツらの成果を無駄にしないよう、」
「ふふ、そうね。さっさと逃亡しましょうか☆」
パチンとウインクが叶より飛ぶ。常人なら見とれてしまうかもしれないその笑顔も、十六夜はフルスルーで研究所を後にした。
膨れっ面で後を追う叶もまた、氷付けの海進には目もくれない。
☆ ☆ ☆
十六夜たちがたどり着くほんの一手遅くに、冬乃と飛鳥は管理室にたどり着いた。彼女たちが遅くなった理由は、研究所と工場を合併したこの施設の他の場所すべてをくまなく探し尽くした後だったからだ。
海進元帥の氷のオブジェ以外何も残っておらず、仕方なくその氷塊を回収してから、飛鳥たち【FRIEND】は一旦キャンピングカーで上層部から指揮を仰ぐことにした。
の、だが。
「あすか、ほんとに怪我してない? 大丈夫?」
「大丈夫ですよ冬乃ちゃん。心配性ですね、もう」
「だってあすかの肌が傷ついたら、いろいろできないもの」
「い、いろいろって、どんなことですか!?」
「膝枕」
「あ、うん。今してますね」
「気持ちいいわ、あすかの太もも。柔らかい」
「ひゃあっ!? と、突然顔を埋めないで下さい! くすぐったいですよっ!」
((ラブラブいちゃいちゃ、ただでさえ狭いキャンピングカーですんじゃねぇや! こっちゃ敗戦直後だぞゴルァ!))
キャラを捨てた絶叫をプライドにかけて心に押さえた具とつぐみ。
キャンピングカーの一角では、連絡を取らずに膝枕状態でいちゃいちゃベタベタ互いの安全を確認し会う飛鳥と冬乃の甘ったるいやり取りが、かれこれ五分は続けられていた。
イライラを発散したいところだが、つぐみは腿を射抜かれた具に応急措置の真っ最中。具はそれ以外でも全身傷だらけの満身創痍で、満足に体を動かせないでいた。
「全く、具先輩は露出の多い服でいるからこうなるんですよ。きちんと厚着をしていれば――」
「着たところでそんなに変わらないわよ――って言いたいとこだけど、防弾素材くらい仕込めば、もうちょっとマシな傷で済んだかもしれないのよね……今回はよろいの失策よ。あんたの言う通り」
敗戦後の処理をつぐみに任せることが悔しいのか、普段よりしおらしい具。彼女の押せ押せな性格が見えず、驚きとともにニヤニヤするつぐみに具の鉄拳が襲い掛かる。
賑やかになってきた車内でも、飛鳥と冬乃の二人は揺るぎない。
「あすか、擦り傷発見」
「ひゃあっ!? と、突然舐めないでくださいよっ!」
「舐めると早く治るのよ?」
「えと、正確には殺菌作用というか――だから舐めないでくださいってば!」
冬乃の舌が傷のついた飛鳥の腕を舐め回す。どこか妖艶な仕草に飛鳥の心拍は嫌でも上昇を続けていた。なまじ冬乃の行動が善意から来るせいで、拒むに拒めない。
念のためもう一度言っておくが、飛鳥と冬乃は事情があって同性愛者の道をまい進中の、ラブラブカップルである!
「ふゆのちゃ、ぁ、ぁあ、ちょ、変な気分に……」
「あすか、気持ちいい?」
「う、うん、まあ、気持ちいい、ですよ?」
「もっとやる?」
「え、ええ!? 気持ちいいけど、冬乃ちゃん、ベッドまで、がまんして……」
「わかったわ」
「そういえば気になってたんですけどっ!」
具に追い詰められたつぐみが焦った口調で話題を振る。
「飛鳥先輩と冬乃先輩ってよくベッドとか言ってますけど、そういうことしているんですか? 同性で」
「してるわ」
「ちょっ、冬乃ちゃん真面目に即答しないでくださいよ……っ」
「「………………」」
飛鳥と冬乃の関係がものすごく発展していることに驚きを隠せない。つぐみは具の攻撃から逃れたくて話題を振っただけなのだが、なぜかダメージは大きくなっていた。
沈黙の中、飛鳥の携帯端末がモィィィンとバイブレーション。
「電話よあすか」
「そ、そうみたいですね!」
上ずった声で応答した飛鳥だが、通話に出た瞬間驚いたように顔をゆがめ、その表情はどんどん暗くなっていく。【FRIEND】の任務・依頼を管理する上層部からのお叱り電話だと察した残りメンバー三人は、誰もが不安そうに顔を見合わせた。
やがて通話を終えた飛鳥はまさに『とほほ』の表情で、
「本日分はお給料ゼロ。残業として、意地でもオリハルコンを奪取しろ、だそうですよ……」
「わかってたけど、やっぱそうなるのね……」
「いろんな意味でブラックですよね、つぐみ達のいる世界……」
「ま、仕方ないわよ。よろい達はこき使われる相応の理由を持って集められてんだから」
はぁ、と冬乃を除いて三人で溜め息をつく。
飛鳥は疲れ気味の口調のまま、ドライバーへ指示を出した。
「すいません、次はあそこ――アストラルツリーへ向かってください」




