●第五十三話 誤差一ミリの使徒の交差‐急
結晶の髪飾りが、光によって輝いた。
それを合図に体を強引に転がし、暗い通路で『光線』を回避する。
今何階のどこにいるのかを、波瑠は全く把握していない。事前にある程度の下調べはしていたが、そういうことを考える余裕を今の敵は与えてくれなかった。獣に狩られる獲物のように、襲い掛かる攻撃をひたすら回避するしかない。
現在時刻は午後六時を少し過ぎたところ。この研究所に窓はほとんどなく、オマケに外から明かりが差し込むこともない。さらに、波瑠がドライアイス弾で照明を破壊したおかげで廊下は真っ暗。とてもまともに戦闘を行なえる状況ではないのだが――
しかしどういう理屈か、闇を突き刺す光線は、的確に波瑠を襲っていた。
当たる寸前でのギリギリの回避を続ける波瑠だが、右腕が一切使えない今、全力疾走すらままならない。
(まずいって……! いざというときは『あれ』を使うしかないけど、魔方陣を描くタイミングすら得られないかも……)
――――『あれ』ことの《神上の光》。
かの魔法が持つ治癒の奇跡は、自分に使用する場合のみ手間を要する。
『自身の生血で魔方陣を描いてから、そこへ《神上の光》の純白の波動を流し込む』必要があるのだ。
他人への修復こそすぐさまできるが、自分へはすぐに使えない。
(できないことは仕方ない。それよりも、今はあの敵について考えるべき! あの光線の正体がつかめない限り、逃げ切ることなんてできないよっ!)
闇の中より、閃光が走る。
一直線に襲い掛かる光線を、ギリギリ体を捻ってやりすごす。波瑠のはるか前方の壁が無作為に貫かれていた。
――またも、間一髪の回避。
いい加減回復しなければ、波瑠の身体は本当に限界を迎えてしまう。右腕の機能が失われるのは時間の問題だろうし、なにより、相手の攻撃に対抗する手段がほしい。
「……まずは、明かりだよね」
左手に炎を作り出す。
うっすらと照らされた廊下に、修道服とつなぎ姿、二人の少女が浮かび上がった。
「見つけたわ」
「元から私のことは見つけてたんでしょ? どちらかが感知能力者だから、暗闇でも私の正確な位置を把握し、攻撃できているんじゃないかな」
挑発まがいに声をかける波瑠に対し、つなぎの少女が返答した。
「ええまあ、つぐみが感知能力者です。その正体こそ簡単に言えるものじゃありませんけど、あなたがこの銀河上にいる限り、つぐみは永遠に追跡し続けますよ」
「あはは、銀河上って……そりゃ大変――」波瑠は大きく左手を振りかぶり、「だっ」
二人に対して、左手の焔を投げつける。
純白の修道服を着た土宮冬乃が冷静に左手を薙ぐ。それに呼応して、彼女の眼前より滝の如く多量の『気流』が放射される。
空気が炎を、まるで水をかけたかのようにあっさりと消し去り、冬乃は反対の手も前へと振りかざした。水流が消え、代わりに今度は雷が轟音と共に猛威を振るう。
(何年間桜の側にいたと思ってるの! 私に雷撃は通じない!)
波瑠は《霧幻焔華》によって作った稲妻を放ち、威力を相殺させた。
冬乃は攻撃のパターンを変化させる。
魔方陣を展開し、白い光線で波瑠を襲撃。すべてを突き抜ける光線に対し、波瑠はドライアイス弾で迎え撃つ。けれどやはり、ドライアイスも破壊されてしまった。
否、破壊というよりは、消滅。
本来、光は物質を破壊せず、吸収されるか反射される。人間が色を識別できるのは、物質が特定の光のみを反射するおかげだ。だが、冬乃の光線は吸収されず反射されず、問答無用に突き抜ける。進路にあるすべての物質を消滅させるオマケつきだ。
光学兵器というものがあるが、あれらで用いられる『レーザー』は光熱で物質を溶かし、爆発を起こさず対象物を迎撃するものだ。
冬乃の放つ光線は、科学兵器のそれとは大きくかけ離れている。
一度攻撃を喰らったからわかるが、冬乃の光線が熱量を持っていないことを、波瑠は能力と肌で感じ取っていた。
波瑠の《霧幻焔華》が既存の法則性を操るというのなら。
冬乃はまるで、新たな法則の中で戦っているかのようだ。
幾度となく襲い掛かる光線を回避し続け、思いがけない広い空間へと飛び出していた。
(ここは……?)
周囲を見回す。ほとんど物がなく数本の柱が立っているだけの簡素且つ広い部屋。天井もここだけ三階あたりまで突き抜けている。床表面が傷ついているところを見ると、戦闘実験でもしていたのだろうか。
ひとまず柱に隠れ、自身の流血で急いで魔方陣を描き上げる。
十二星座の紋章と規則正しい多角形を並べ、中央に手を置いて、波動を流し込んだ。
《神上の光》
生死をも覆す絶対奇跡の純白の波動が、波瑠の右腕に空いた風穴を癒す。
しかし、真っ暗闇の中で眩く輝く純白の波動は、目立ちすぎていた。
つぐみの能力に頼らずとも位置を目測した冬乃が、躊躇い無く迎撃する。
収束された光の直線が、闇を突き抜ける。
爆風を起こさず物体を消滅させる、静かな破壊光線は拡散し。
柱が一本、きれいな断面を描いて墜落するが、その裏に人影は残っていなかった。
「……殺した?」
「いえ先輩、生きています!」
冬乃の確認につぐみが返答し、指を指す方向に――蒼き雪姫の姿はあった。
具体的には、倒れた柱から十メートル以上の上空。
波瑠は上向きの風を起こすことで、一時的な飛行を行ない、冬乃の光線を回避したのだ。
重力を感じさせずゆっくりと落下する波瑠の両腕には、輝く炎と煌く絶氷が纏われている。光線で負った風穴や具との戦闘でついた傷は、彼女の全身どこにも残っていなかった。
体力・心労面はともかくとして――身体面のみならば、十全の体制が整った。
一方、つぐみは冬乃の一歩後ろに従えながら、舞い降りる波瑠を観察し、解析を試みていた。
「回復能力、でしょうか? プラス熱量を操る能力……多重能力の可能性がありますね。それもこの組み合わせは非常に厄介――冬乃先輩?」
つぐみは話を聞いているのかわからない冬乃の顔を覗き、少し驚いて息を詰まらせた。
冬乃が、見たこともない、楽しんでいる様子だったのだ。
波瑠と冬乃の一対一になることは、すでにつぐみにも理解できていた。
自身のオンリーワンの超能力・感知系統《集結の片割》は、相手の波動を記憶し、三次元座標下において追跡することができる。その名の通り、頂点の超能力《集結》の効力の一部を色々あって授かったものだ。
つぐみはこの力のおかげで最高クラスの感知能力者となっているが、逆にこの能力は感知まで。戦闘には向いていない。
(だけど、つぐみには冬乃先輩、飛鳥先輩、具先輩という三人もの攻撃的な仲間がいます。つぐみがなるべきは、先輩方の支援役。少しでもお役に立てれば、それで充分なんですよ。だって、この人たちは本当に強いんですから!)
「つぐみ、下がっていいわ。よろいの所へ――この先は一人でやる」
「了解しました。先輩、御武運を」
つぐみは指示に従い、波瑠追跡にあたって放置してきた月島具(氷付け)の下へと駆け戻る。
足音を背中に、上空の波瑠を見据えた冬乃は、
「……天皇波瑠?」
呟きと同時に、足元に大きな陣――《魔陣改析》の領域を展開。
大きさはこの部屋すべてを覆う範囲。青く赤く黄色に緑、原色が暗い部屋を照らす光柱を作り出す。
第一手は、落下する波瑠が打ち出す無数のドライアイス弾だった。
霧の軌跡を描き、水蒸気までもを凍らせる弾丸の豪雨が降り注ぐ。冬乃は手を波瑠――射出元へとかざした。手のひらの前で、光が直径約五十センチの盾となる。
全弾を防いだ冬乃の反対の手が虚空を薙ぎ、軌道の延長線上を光速の破壊光線が駆け抜ける。直径こそ野球ボール程度。しかし横一直線を引き裂くように振り回せば、実験室の柱を幾本も切断する凶器と化す。
落下速度を速めてなんとか回避した波瑠だが、その分着地の衝撃に痛みが脚を走る。顔をゆがめている間に、圧縮し、放出され続ける光線が斧を振るうように叩き落された。
「うわっ!」「外した……」
施設の床に直線の断面が走る。一か八か横っ飛びをした波瑠は、後ろ髪を切断されるのみでなんとか光線を回避した。
光線が形状を維持できずに霧散され、攻防が入れ替わる。
手を突き出した波瑠。その動作を合図に、彼女を中心とした暴風雪が発生した。暴れる粉雪に視界を奪われまいと冬乃が――何故かふたたび『気体』の奔流を放ったその瞬間、『エネルギー変換』の計算式が書き換えられる。波瑠の反対の手から轟いたのは百雷の稲光だった。
「はっ!」
冬乃の短い掛け声。風を収束すると一瞬の間も置かずに光の盾を描き、地を穿つ雷から身を守る。光は雷撃の侵入をも許さない。
だが、周囲に散った雷鳴の残響が床を破壊し、冬乃のバランスをわずかに崩す。
その動作を見る前にモーションに入っていた波瑠の両手が交差するように振り下ろされ、氷のピックを冬乃の脚に撃ち出した。
修道服を優雅になびかせ回旋した冬乃の動作に従い光の盾は形を変形、鞭を模して氷のピックを直上から薙ぎ払う。
数手ずつまみえた両者は互いに距離を取り、改めて対峙した。
ほっと息をつく冬乃をしっかり捉えながら、波瑠は額の汗を拭う。
(強い。オベロンみたいなパワータイプと対極の存在――この人の戦い方は私と同じ。応用力で戦うタイプの人だ!)
焦りのような感情は、冬乃のほうでも、実際に呟かれていた。
「強いわ。……あなたは強い」
強い。
どうも相手は冬乃を『殺す』ことを恐れているのか殺人級の攻撃は放ってこないが、普通に戦えてさえいれば、冬乃をはるかに超えているだろう。人のことはあまり言えないが、炎・氷・水・雷・風とざっと並べても五つの現象を生み出し、操れる時点で、相手は【使徒】No.2の《霧幻焔華》だと確信できる。
No.8《魔陣改析》を操る冬乃より、数段も上。
だが、あくまでそれは数字の上の話。
【使徒】内のナンバリングは、現時点での真の強さを示しているわけではない。
総合的に能力を見た時にどれだけ優れているかを評価するものであって、直接対決した結果が表されているわけではないのだから――!
風を裂く音が八方より響く。
考えるまでもなく前方へ注意を戻せば、波瑠より無数の氷の槍が投擲されていた。回避するには反応が遅くなりすぎたが、怯むという感情を持ち合わせない冬乃はただ冷静に、一秒に満たない間で最善手を選ぶ。
足元の魔方陣が青白く輝いた。
瞬間、冬乃の一歩前の床より雷撃が柱となって噴き上がり、すべての氷の槍を溶かし尽くす。
その一貫を見て、波瑠は腑に落ちた、と強者に出会ってしまったことへの複雑な笑みを浮かべた。
「……わかっちゃった、かも。あなた、No.8《魔陣改析》の、土宮冬乃さんでしょ?」
「そうよ」
冬乃は特に誤魔化すこともせず、あっさりと頷いた。
《魔陣改析》
この能力は『限りなく魔法に近い超能力』と言われている。
例えば『光』は吸収されるか反射されるものであり、一秒で地球を七周半するものである、という神が決めた性質を宿した現実にあるものである。
冬乃は能力を使うことで、『光』がもしかしたら宿していたかもしれない『全く異なる性質』――可能性を引き出し、新たな性質として付与することができる。
現在であれば、『光』に『圧縮すれば物質を消滅させる』性質を植え付けているように。
端的にいえば、性質削除と性質付与の同時進行を為す能力。
その有効範囲は自身の周囲二十メートル程度。
範囲内であれば、自由自在に世界の法則に干渉するその力を《超能力》という名義で留めているのは、ひとえに【SET】を用いなければ発動できないから。
どれだけの時間と人員を費やしても、《魔陣改析》の全容は未だ暴かれていない。この能力が『No.8』に甘んじているいくつかの理由の一つは正体不明だ。
「ふゆの達は、お仕事。だから――《霧幻焔華》でも、殺すわ」
「こっちもバレてるみたいだね。じゃあ、ここから先は」
「遠慮なし」
静かに答えた冬乃は手を振るい、一筋の光線が闇を貫く。
対し、波瑠は無謀に左手をかざす。
無謀、といったがもちろん彼女には勝算あっての行動だ。
(理論さえわかればこっちのもの! あれだって光なんだから、私の能力で変換できるはず!『光エネルギー』を『熱エネルギー』に――――)
――しかし、あえなくその予想は外れ。
かざした左手、小指から中指までの三本が消滅した。
「……ァァァあああああああああああああああああああああああ!」
「あなたの能力演算は通用しない。ふゆのの世界には、誰にも入れないわ」
断末魔のごとき悲鳴を上げる波瑠に、冬乃の冷徹な視線が突き刺さる。
波瑠のエネルギー変換は、脳内の『能力演算領域』で行なわれる。『演算』という呼称に反して逐一具体的な計算式をイメージしているわけではないのだが――波瑠のエネルギー変換は、波瑠の脳内にて行われる。
つまるところ――その変換は波瑠の常識を基盤に成立していることになる。
その為定義を、そして法則を書き換える冬乃の攻撃には通用しないのだ――!
続けざまに襲い掛かる光線を、波瑠は床に氷を張り巡らせその上を滑ることで、なんとか回避する。機動力を稼ぐ波瑠の戦術のセオリーだ。
能力で強引にエッジを利かせ、波瑠は滑っていた横向きの運動エネルギーを一気に上向きへ変換し、常人には不可能な跳躍を行なった。
壁元に氷塊を張り、そこを気流や運動強化を用いて飛び移ることで戦場を三次元に展開。彼女の器用、且つ応用幅の高い能力を生かした逃亡技術は、言わずもがな『例の五年間』で培われたものだ。
冬乃の中でも捉えられない煩わしさが生まれればよいのだが、生憎波瑠から見て、そのような兆候は見られない。むしろ驚くほど冷静に波瑠を追撃している。
高速移動で逃げ回る波瑠と、それを追う問答無用の消滅。
そんなことを屋内で続けていれば、もたらされる結果は一つ。
突然、ガコッ、と轟音が鳴り、波瑠と冬乃は視線をそれぞれ、背後と正面に向ける。
波瑠を捉えられずに直進し、施設の壁を容赦なく『消滅』させていた冬乃の光線はいつの間にか360度の壁を消滅させ、支えを失った壁が倒壊したのだ。
崩れ去る瓦礫をやり過ごした二人に、冬の夜の冷気と豪雪が降り注いだ。
「雪ね」
「う、うん。そうだね、雪だね……」
先ほどまで緊迫した攻防を続けていたというのに、空より降り注ぐ雪へ興味を示す冬乃に、波瑠は思わずずっこけそうになる。楽しそうに空へ手をかざしている姿は愛でたいくらいだ。
だが――そんな『つかの間』は一瞬。
「でも、頼まれてるから殺さないと」
大雪で視界不良となろうとお構いなしに、冬乃が手を払う。
その瞬間、冬乃の視界を埋め尽くさんばかりの豪雪が吹き荒れた。床に積もった積雪や見当違いの場所を舞う雪すら巻き込み、冬乃に向かって全方位から吹雪が襲っているのだ。
もちろん、波瑠が生み出した暴風雪が新雪を巻き込んだ余剰効果。
夜の闇と雪の白さの対極さが目に痛い。
冷え切った強風と殴りつける泡雪に冬乃は悲鳴を上げそうになるが、意地で堪える。
冷やされたからこそ、冷静に。
足でトッと床を叩き、自身を中心に、あらゆる攻撃を消滅できる光柱を噴き上げさせて追撃を阻止。だが、光はいつまでも維持されず、一箇所に常駐できない。圧縮し、撃ち出し続けることで冬乃は『光線』を可視化としているが、実はこの行為は非生産的なのだ。
光柱が霧散された瞬間に波瑠の姿を捉え、一発で撃ち抜く。
右手を構えてその時を待つ。
だが、光柱が晴れたその瞬間、波瑠の姿は冬乃のわずか五十センチ前にあった。
呼吸を止めた二人の視線が一瞬交わる。
互いが確信した。これから起こる一秒に満たない攻防で、すべてが決まる――と。
冬乃は迷うことなく、右手から『消滅』の光線を放った。彼女には、波瑠と違って殺しを躊躇う理由が存在しない。その動作に一瞬の無駄もなく、確実に撃ち出された。
光速は秒速で地球七周半。わずか五十センチの距離では防ぎようもない。
波瑠の心臓を射抜き、消滅させ、流血とともに命の灯火を燃え尽きさせる。
はずだった。
しかし――波瑠は、光線を防いでいた。
彼女の指の欠けた左手が携えた『光の盾』が、冬乃の光線を弾き飛ばしたのだ。
右手に握られていた氷刀が冬乃の頬をかすめ、一筋の傷を描いて静止する。
「はぁ……はぁ……」
「……っ、そ、んな……」
互いに肩で呼吸をしている。これまでの疲労という事もあるが、今の一瞬のやり取りが、二人の精神力を大幅に削り取ったのだ。
波瑠は氷刀を冬乃の細い首元に突きつけている――トドメを刺す寸前。
一歩違えば、冬乃が波瑠を殺害し、その死体を見下ろしていただろう。
「…………どう、して」冬乃は桜色の唇を開く。「どうして、あなたは、ふゆのが光線を撃つってわかったの!?」
「土宮冬乃さん。あなたの超能力はすごい。正直、私には勝てないと思ったし、諦めて目的だけ話して、なんとか命乞いしよう、そこまで思ったよ」
けどね、と波瑠は笑顔を見せる。
とても、先ほどまで殺し合いをしていたとは思えない、親しみやすい笑顔を。
「一瞬の攻防に持ち込めば、実力者は反射的に自分の一番得意な手段で確実に相手を殺めようとする。私が、冬乃さんが光線を撃たざるを得ない状況を作り出したってわけ」
「……っ!」
「そして《魔陣改析》って、有効範囲内の物質の定義を書き換える能力でしょ? もし私自身があなた同様『光』を操っても冬乃さんと同質の『消滅』が行えるなら、光線を相殺できるんじゃないかなって思ったの。これでも一か八かだったんだよ」
「でも、光は、簡単に使えるものじゃない。ふゆのは超能力のおかげで自由に扱えるけど、あなたの能力はは――」
「《霧幻焔華》だって、光エネルギーを扱うこともできるんだよ。まあ、さすがに形状維持のための光の固定は難しすぎたけど……」
「……、」
冬乃は、何も言い返せなかった。
波瑠が言っていることは正しい。
《魔陣改析》は大前提として、世界に干渉する能力だ。冬乃が決めた『設定』は、範囲内であれば他者が操るそれにも適応される。
だから、彼女は一人きりになる前に、生島つぐみに相手の能力解析を任せた。《霧幻焔華》だということに気づき、警戒し――けれど光の使用が選択肢にない様子から、てっきり使わないのではなく使えないものだと勘違いをした……。
(……ううん、違うわ)
冬乃は頭を振る。
口ぶりから察するに、彼女が光を武器として操ったのは初めてだ。
それでも咄嗟で形状化まで持ち込める器用さ。
一瞬の窮地でそれを成し遂げる勝負強さ。
そして、おそらく天皇家の娘として培ったであろう超能力の知識量。
何もかもが格上だ――。
最大の攻撃は、最大の防御とされた。
それも、圧倒的才能を見せ付けられて。
「そして、冬乃さんにはもう一つ欠点がある」
冬乃は一回のまばたきを挟み、波瑠の水晶のように澄んだ瞳を見た。
「一度に操作・改変できる物質は一つまで――だよね?」
「……うん」
「そうじゃないとおかしいもん。物質の定義を変えるなら、何から何までハチャメチャに書き換えまくって、他の物質も使っていけばいい。だけど冬乃さんは律儀に空気や雷を切り替えて使っていたよね。不思議だなって思ってたんだ」
「…………だって、ふゆのはそんなに頭、使えないもの」
少し碧眼を伏せる冬乃。
理論上でいえば、実は波瑠の推論は間違っている。
冬乃の能力演算領域が無理なく演算できるのが、物質一つまで、というだけで。
脳中の毛細血管がはちきれるような無茶をすれば、無数の物質定義を改変できる。
No.8に甘んじているもう一つの理由――それは、冬乃が能力を十全に扱えないから、という情けないものだった。
それはともかく。
ここで死だと、冬乃はわかっていた。
だから、両手を挙げ、降参、と呟いた。
なのに、目の前の少女は満足げに笑った後、氷刀を手放した。
「……殺さないの?」
「殺さないよ。あの、炎使いの女の子だって生きてるでしょ? 私はそういう人だから」
「優しいのね」
「優しいってわけじゃないんだけどね」
冬乃がSETを停止させ、波動を収縮させるまでを念のため確認してから、波瑠は左手の流血を使って簡易魔方陣を描く。《神上の光》――全身の傷、および左手の指三本が元通りに戻る過程が冬乃に見られてしまったが、こればかりは仕方がない。
ぐーぱーして正常に動くことを確かめ、波瑠は蒼髪を翻して冬乃へ振り返った。
「あ、そうだ。冬乃さん、ちょっといいかな? 勝利者権限で聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいこと? オリハルコン?」
「あー……やっぱりそうなんだ。オリハルコンっていうのが、冬乃さん達の狙うものなんだね」
首をかしげる冬乃を放置し、波瑠は一人で納得。説明を求める視線に気づき、なんともいえない曖昧な笑みを作った。
「いやね、冬乃さん。私とあなた達は、全く関係ない目的で戦っちゃってたんだよ」
「え? ……え?」
くりりと目を丸くした冬乃に一から説明していく。オリハルコン争奪戦に波瑠が一切関わっていないこと、桜のことまで明かしてようやく、冬乃は理解してくれた。
ようは勘違い。
波瑠と【FRIEND】が交戦する必要は、一ミリもなかったのだ。
「No.2は妹想いなのね」
「って、冬乃さん泣いてる!? 涙もろい感じ?」
「もろいわ」
冬乃にハンカチを手渡しながら、波瑠はそこで会話を断ち切ることにした。
勘違いも解けたので、あとは時間がひたすら惜しい。
「まあ、そういうわけだから、私は行かないといけないの。オリハルコンについてわかったことがあったら教えてあげるから、ここはバイバイということで!」
「No.2、頑張って」
「うん、またいつか。今度会う時は平和にね!」
手を振り合って、波瑠は無機と合流するために駆け出した。
☆ ☆ ☆
波瑠と別れた後、施設内を歩き回っていた冬乃は、脚一本を負傷した具を連れたつぐみと合流した。ついでに先ほどの勝敗を問われ、敗戦の事実とともに、勘違いで波瑠と戦闘したことを伝えると、つぐみも具も疲労いっぱいに溜め息をついた。
具に至っては脚一本にドライアイス弾を叩き込まれたのだ。先制攻撃を放ったのは具側とはいえ、骨折り損は嫌になる。
「でも、やっぱりアイツはNo.2だったのね。どうりで強いわけよ……」
「No.2……《神上の光》」
「《神上の光》ってあの、死者をも生き返らせるっていう? さっきの蒼髪の人がですか?」
うん、と冬乃は簡単に頷き返す。
「【使徒】だけでなく《神上》でもあるんですか、あの人。冬乃先輩と境遇が似ていますね」
「そうね」
純白の修道服のフードを外し、自身の額に手を当てた。
そこにあるのは――漆黒で描かれた、十二星座の魔方陣《神上の成》
土宮冬乃も、|五年前の実験《the next children》の被検体の一人だったのだ。
「ふゆのはオリハルコンを探すわ」
「はい。つぐみも具先輩を送り届け次第、すぐに合流します」
つぐみと敬礼を交わし、冬乃はフードを被りながら足を進める。
そんな彼女の頬にあった切り傷は、別れ際に波瑠に癒してもらっていたりする。




