●第五十一話 誤差一ミリの使徒の交差‐序
天皇波瑠は、女子トイレにてこの三ヶ月間お世話になっている制服に着替え、駅前の適当なロッカーに衣服を叩き込んだ。髪を結ってから野球帽を目深に被る。簡易な変装だが、これで意外にも身元は割れていない。前髪も長いせいだからだろうか。
しばらく待っていると、紺色を基調とした制服を着た、無機亜澄華が駆け寄ってきた。
「待たせた?」
「全然。私が十分前で無機さんが七分前。どっちも気がはやりすぎって感じだね」
「それもそうね。今日は今までとは違うし。」
「最終日にするくらいの気持ちで来ちゃったよ」
波瑠のやる気に満ちた笑みに、無機は無言で頷き返す。
二人が会合している理由はもちろん、九月より延々と続けてきた【神山システム】、そして天皇桜に関する情報収集のための、研究所襲撃だ。
三ヶ月、連日行なってきたわけではない。波瑠は学生の身分、また、佑真や寮長、他にもクラスメートたちへ心配をかけないように、ある程度の間隔を以て計画的に進攻してきた。
かき集めた情報量は膨大だ。波瑠一人では、とても処理できなかっただろう。
頼りになる『元・天才』――無機はパン、と手を重ね、マジックのように一枚の紙を取り出した。
【メガフロート】地区の地図。至る所に赤いペンで×マークが描かれている。
波瑠と無機が潰してきた研究所・実験施設・工場などの数々だ。
「それじゃあ早速。雪姫ちゃん、今日はこの、今までで一番敷地面積の広い施設に行く。」
「工場と研究施設が一つになってる所? ……まあ、撤退せずにしつこく残ってる場所ってここくらいか。作ってるものは……わからない、ですか」
「製造物は関係ないし。」無機は簡素に返答し、「今日行くこの施設は、今までで一番逮捕される危険度が高い代わりに、手に入る予定のデータもビッグなもの。『【神山システム】の今後の動き』、そして『天皇劫一籠の計画』があるはずよ。」
「……いよいよ、具体的になってきたね」
ギュッと震える手を握る。
震える理由はわかっている。
波瑠は、この期に及んでも、『桜』と会うことが怖いのだ。
自分が壊れないか。また、誰の手にも負えないような暴走をしてしまうのではないか。
それら恐怖をひっくるめてでも、掴みたい願いが波瑠を突き動かしている。
「じゃあ。行きましょう。」
無機の言葉に静かに頷き、波瑠は一歩を踏み出した。
☆ ☆ ☆
まさに波瑠達が向かっている研究所の最深部。
多くの監視カメラの映し出す映像が一望できる管理室で、三十半ばの男、海進元帥はようやく腰を下ろすことができた。
彼らは仲介人を挟んで頼まれたありとあらゆる依頼を実行する、ただそれだけを仕事とした裏組織。
彼の仲間に、久遠柿種という男がいる。九月に彼は『《一角獣》を回収する』という依頼を受けていたのだが、ものの見事に失敗。集団は一気に信頼を失い、固定客しか残っていない、という倒産寸前の状況に追い詰められていた。
今回の依頼に失敗は許されない。
そして――今までのところは、驚くほど順調にことが進んでいた。
護送船からギリギリでオリハルコンを奪いとり、そのままノンストップでここまで逃げてきたのだ。衛星のカメラに捉えられていることは間違いないだろうが、【メガフロート】地区特有の緊急用地下水路(通常時はただの空洞となっている)を移動することで、ある程度撒くことはできた。
後は、依頼主と待ち合わせたこの施設で待機するのみ。
暇を弄ぶ海進の手の中には、オリハルコンの鉱石が握られていた。
オリハルコンの鉱石――その大きさは手刀ほど。磨かれることなく現物のまま輸送されたそれは、ゴツゴツとした表面を黒く光らせている。
外見上は黒曜石に類似するかもしれないが――握ればわかる。
確実に、魔石と呼ばれてもおかしくない異常さが、この鉱石に宿っていると。
海進は携帯端末を取り出し、ショートカットで登録されている番号にかけた。きっちり3コールで、その相手は応答する。
『こちら久遠だ。海進、オリハルコンは手に入ったのか?』
「ばっちりだよ。もっとも、手に持っているだけで湧き上がるこの力を、どう制御しようか迷っているくらいだがね」
黒い鉱石は、なだれ込むように力を生み出してくる。海進は、『この力を今すぐ試したい』という、奥底に眠る破壊衝動を抑え込むことに必死になっていた。先ほどから浮かべている不気味な笑みは、主にそのせいだ。
「連絡を取ったのは、雑談をするためじゃない。久遠少年、できれば、そうそうに合流してほしいね。こちらの現在の戦力は、逃走中に切り捨てまくったせいで、すでに二名に減っているんだよ。軍の連中の足止めに襲撃時。使いどころが多すぎて駒が全然足りなくて」
『了解。こちらもすぐに向かう』
画面に指を滑らせ、通話を終える。
それを待っていたかのように、メンバーであるセーラー服の女、草創泡穂が管理室へと入ってきた。
「海進さん、誰と通話していました?」
「久遠柿種だよ」
「ああ、中学生に負けた人ですか。それで、増援は得られました? そろそろ、ワタシ達の居場所の特定されてしまいますよ」
草創はモニターへと視線を移す。依頼主から特定されるだけあってか、周囲の映像に特に違和感は見られないが、警戒に越したことはない。
「海進さん、ところで何を読んでいるのですか?」
「例の人外が進行中らしい馬鹿げた計画。こんな計画、どういう頭の構造をしていれば思いつくのやら……元脳外科医としてとても興味深いよ」
海進の見ているモニターに草創も目を通すが、何が書いてあるのかさっぱりわからない。あまりにも、科学と縁遠そうな専門用語が多いせいかもしれない。
「………………おやおや」
「どうかされました?」
海進に顔を向ける草創。彼の視線を追って、一つの画面にたどりつく。
研究所外周を映している監視カメラ。
雪の積もり、凍結した入り口の面した路上に、一台のキャンピングカーが止まる。車内から四人の少女が出てきた。この極寒の中にしては全員季節感のない薄着。
そして、手首には等しくSETが装備されていた。
「この場所に隠れていることがバレた、ということでしょうか?」
「だろうね。かぎつけるにしてはだいぶ早かったが、全員が中学生か高校生程度の少女か。草創少女の超能力のみで、ある程度の対抗はできるだろう。いっておいで」
「はい。海進さんはオリハルコンの死守をお願いします」
草創泡穂が管理室から出て行くのと、研究所前にいた少女たちが乗り込んでくるのは、ほぼ同タイミングだった。
☆ ☆ ☆
「止みそうにないですね……」
木戸飛鳥は曇天の空を見上げ、眉をひそめる。
彼女の出身は九州・福岡だが、そこでも等しく雪は降り注いでいる。日本中を襲う豪雪から、ここ、関東くらいは逃れることができると考えていたが、一切止む気配は無い。
気にしても仕方がない。天候が悪いからといって、悪を見逃していい理由はない。
飛鳥は一人で結論付け、メンバーへと視線を走らせた。
「とりあえず、この内部にオリハルコンを盗んだ集団がいるらしいです。手分けして、片っ端から捜索しましょう」
「はーい」
返事をしたのはつぐみのみ。具は静かに頷く。冬乃はぼうっと空を見上げているが、話は届いていると信じている。
「飛鳥は比較的狭い研究所側から、具ちゃんは工場側から、冬乃ちゃんとつぐみちゃんは正面突破でそれぞれ攻め込みましょう。ですが、相手は超能力を強化する【オリハルコン】を所持しています。出くわしたとしても、その人がオリハルコンを持っていないという確証が取れるまでは、できるだけ戦闘を控えた方がいいかもしれません」
「たしかランクⅤがランクⅦ、ランクⅦがランクⅨ並みって触れ込みですね?」
「油断大敵ってわけね」
つぐみ、具の確認に首肯を返す飛鳥。
「あすか、無理しないでね。いなくなったら嫌よ」
「わかってますよ冬乃ちゃん! そっちも無理だけはしないでください!」
「あーはいはい。作戦が決定したなら、さっさと突入突入!」具が鬱陶しそうに手を叩き、「最後に確認させて。判明している敵の特徴だけど、どこかの学校の制服を着た女と、三十路の短髪おっさんであってるのよね? 発見次第、殺してもオーケー?」
「そうですね。――念のためもう一度言いますが、つぐみちゃんの言う通り、オリハルコンはランクⅦをランクⅨ級まで強化させます。決して、無理な戦闘だけは行なわないでください」
飛鳥が念を推し、四人は研究所へ乗り込んだ。
☆ ☆ ☆
工場施設側に乗り込んだ具は、戦闘用の仕掛けをそこら中にほどこしながら、周囲を見回していた。
外観は至って普通、特に特別な外装もない。研究所と工場が合併されているだけあって、渡り廊下や大型の機材など、隠れたり襲撃したり、いろいろな戦法を行なえる箇所が豊富に存在している。
具体的な全体図としては、研究所側施設が面積にして大体学校のグラウンド一面分・高さは地下二階を含む五階建て。工場施設側が研究所側の約一・五倍で、一階建てだが二階部分として足場が存在するようだ。多少入り組んでおり、研究所と工場を完全に区別はできない。
そして――無人だから、というせいもあるが、施設全体が薄暗い。
「ま、だからといって電気をつけるような真似はしないけどね。つってぇもぉ、さすがに広すぎて、探すのも嫌になるってこれは……おっと、曲がり角ね」
物陰に隠れ、気配を探る具。
侵入時に確認した地図では、この曲がり角の先が渡り廊下、研究所と繋がっている箇所だ。敵が自分たちの侵入に気づいているとしたら、待ち構えているかもしれない。
慎重に暗がりに目を凝らし――
具は目視した。
野球帽に長い蒼髪のポニーテール。そして、事前情報で聞いていたとおり、『どこかの学校の制服を着た』少女の姿。
あまりに平然と廊下のど真ん中を歩く少女を見て、具は思わず身を引っ込める。
(なっ、ななななによあれ!? ターミネーターかっつうくらい堂々とど真ん中を歩いてるじゃない! オリハルコンを持ってるからこその余裕ってこと!?)
舌で乾いた唇を潤しつつ、具は再度少女の様子を窺う。
手に何かを持った様子はない。上着の中に何かを隠している可能性は捨てきれないが――オリハルコンは結構な大きさだ。野球帽の彼女が隠せるとしたら、身長の割に大きな胸元辺りだろうが……なんとなく、その可能性は捨てておく。
「うー……無機さん、どこ行っちゃったのー?」
小声で何かを呟いているが、はっきりとは聞こえない。具は仲間たちに遭遇の旨を連絡しつつ、少女をじっと見る。
キョロキョロ周囲を見回す姿は――端から見ても、焦っているようにしか見えない。
(……もしかして、まだ誰かが侵入してきたことに気づいてないとか?)
ならばチャンスだ、と具はふたたび唇を舐める。
足音や気配を悟られぬよう静かに後退し、仕掛けを設置してある廊下まで引き下がる。扉前に置かれた手紋認証ロックの機材の影に隠れ、心の中でカウントダウン。
5、4、3、2、1――――
「SET開放」
なっ、と蒼髪の少女が、驚き目を見開いて振り返る。極力の小声のつもりだったが反応が早く、少女はすでにSETへ手を伸ばしていた。
しかし、SETを起動した具はすでに超能力使用体勢に入っていた。
彼女のSET開放時のエフェクトは他者よりも特徴的だ。
波動が放出されるのみならず、彼女の長い黒髪が、目の前の少女とは対照的な、鮮やかな原色の赤に染まるのだ。
具の両腕には、摂氏数万度の蒼い炎。
《蒼炎の舞》
蒼い炎熱が華奢な少女を襲う。龍のごとく燃えさかる蒼炎は薄暗い廊下を覆いつくし、少女の姿が見えなくなるほど大量の灼熱が火の海を作った。
火の粉が散る中、具は髪を払う。
「おっとぉ、いきなり狩った……じゃなくて勝ったかしら?」
声音こそ疑問系だが、具は勝利を確信し、火が晴れるのを待つ。
――ブオウ! と具に突風がぶつかった。蒼炎が外気と交えたせいで起こった気流かと思ったが、どうも勝手が違う。
廊下を吹きぬけた風は、吹雪でも喰らっているんじゃないかというほど、冷たかった。
念のため、両腕に蒼炎を構えた瞬間。
蒼炎の海が破滅する。
すべての熱が、冷気によって鎮圧される。
熱量増加そのものに干渉し、燃えるための熱自体が奪い取られているのだ。
奪われた熱量の行き場は、密封された廊下に吹き荒れる突風。
消え始めた蒼炎の中より、その少女は姿を現した。
見惚れるほど美しいサファイアの波動を撒き散らす、蒼髪の少女。
具は、開いた口を閉ざすことを忘れていた。
(嘘……でしょ? 完璧なタイミングを図った奇襲よ!? それも一発目からよろいのほぼ全力! 確実に捉えたはずなのに、あの蒼炎の中で能力を発動し、無効化したっていうの!? ――驚いている場合じゃない! こちらの居場所がバレたんだから、一気に仕留める!)
我に返った具は、続けざまに炎を放つ。流線型を描くように飛んだ蒼炎は、少女が差し出した左手のギリギリ前で突如軌道を曲げ、少女の後方で爆発した。
「う、わ……危な……っ!」
ほっと胸を撫で下ろした少女は、具が爆風に瞳を閉ざした一瞬の隙を突いて脇を通りぬけ、駆け出してしまった。非戦を選び、逃走するつもりのようだ。
その行動は、具に一つの結論を出させる。
(戦わない――もしよろいがオリハルコンを持っていたら、付与された圧倒的な力で殺す。だけど、あの娘は逃げた。つまり、あっちはオリハルコンを持っていないってことよね?)
唇を妖艶に舌で舐めまわした具は、少女を追いかけ始める。
今の少女が駆けていった方向は、すでに具が一回通った道。
奇襲をしかけるための仕掛けはばっちりだ。
「ふふ、ここからが楽しい楽しいパーティの時間みたい」
一方、蒼炎を防いだ側である波瑠は、薄暗い廊下を自分なりの全力ダッシュで駆け抜けていた。
(だ、誰あれ!? もしかして、私たちを待ち伏せていた能力者!? 警備員じゃなく、本気も本気で捕らえにきているってこと!?)
それも、一発目から波瑠を全力で殺しに来ていた。つまるところ、侵入者を排除できればなんだっていいのだろう。
波瑠のほうは、意地でも殺したくない。
(……大丈夫。大丈夫! 殺さずに倒すのは、私が一番得意としてきた技なんだ! 今回も、それでなんとか切り抜ける!)
決意を固めた波瑠の耳に、何かが燃えるかすかな音が聞こえた。
火の鳴る音は波瑠へ迫る。視界の隅、蒼色の火が一本、生きているかのごとく弧を描いて空中を猛進しあっという間に波瑠を追い抜かした。火が行き着く先は――――壁沿いに置かれた機材?
波瑠が疑問を覚えた瞬間に、ドゴバッ! と轟音を鳴らし、機材が爆発した。
「――ぁっ!」
熱風の撒き散らす機材の金属片が波瑠へ牙をむく。後方へ大きく飛び去りながら、体の前に咄嗟に氷壁を張って防ぎ、滑るように着地。
背後を確認する間もなく、続けざま、足元・壁、天井の三か所で走る蒼い焔。導火線を伝うかのように明確な軌道を突き進む炎を目でたどれば、わざわざ設置しただろう黒い箱に繋がっていた。
鎮火の為に手をかざし――後方より放たれる蒼炎に、右腕が弾き飛ばされる!
「っ!?」
「よろいの走らせた炎を消されちゃ困るのよ。ごめんね、手は出させないわ」
焼け焦げた右腕を咄嗟に懐へ抱きしめる。痛みに思わず涙がにじむ。
抵抗敵わず、火は爆弾へ到達した。
三箇所で同時に爆発が起こり、黒煙と烈風が凶器と化した金属片を吹き飛ばす。堪えきれずに波瑠の細い体も吹き飛ばされ、不自然な体勢で床へ背中を打ちつけた。
バランスを崩したまま、自身の前に氷壁を張り金属片を弾く。
「げほっ、こほっ(黒煙のせいで呼吸が……それに、前もよく見えない! 視界確保が優先かも!)」
うずく右手は無視。周囲の熱エネルギーを変換して気流を生み出し、黒煙を振り払う。
明瞭になった視界の先で、月島具が波瑠に向かって何かを投擲していた。
ピンの抜かれたグレネード弾。
波瑠は爆発を防ぐため、グレネードそのものを氷塊で包み込む。爆破を防いだ、かと思えば間を空けずに蒼炎が飛来した。波瑠を狙うかと思えば、蒼炎は壁沿いを吹き抜ける。
「そう何度も同じ手は喰らわない!」
バッと左手をかざして鎮火する波瑠が角を曲がるのを見送り、具はひゅう、と口笛を吹いた。
「ま、そりゃ相手も学習くらいはするわよね。でも、次の曲がり角から先は工場スペースの二階。足場的にはものすっごく危険だけど、大丈夫かしら?」
具が両腕に蒼炎を纏わせ乱雑に放つ。振り返った波瑠と具のちょうど中間で蒼炎はぶつかり合い、幾つもの火の粉となって爆散した。
波瑠は目を見開いた。彼女が目の当たりとしたのは、一つの火の粉がある地点に到達した瞬間火炎として膨れ上がり、新たな幾本もの蒼炎の蛇と化す光景。まるで蒼炎のネットを放って波瑠を捕縛せんかの挙動は事実、波瑠を逃げ場なく取り囲む!
(さすがに本数が多すぎて、一本一本を鎮火させられない!)
走りながら処理できる数本の焔を消し、階段を二弾飛ばしで駆け下りていく最中に――背後で、六つの爆弾が連鎖するように爆裂した。
爆発音が世界を包む。
風が背中を押し、前のめりにバランスを崩した波瑠は案の定、階段を踏み外して転がり落ちる。息も絶え絶えといった状態で立ち上がりクラウチングスタートのように低い姿勢で跳んだ。
ッダン、と波瑠が一秒前にいた場所へ、黒煙の中から具の両脚が踏み抜かれる。
「チッ、外した!」
舌打ちしながら蒼炎をはじけさせ、それらがふたたび幾本もの蒼炎に分かれる。一本一本が途中で三本、五本と更に分岐し、途中に仕掛けた黒い爆弾を着火。駆け抜ける波瑠を的確なタイミングで攻撃する。
しかし波瑠が鎮火を捨て、爆破物自体を氷塊で包み込む方法で最小限の被害へと押さえ込む。
「能力使用はかなり上手みたいだけど、走るのが遅いわね!」
「は――ぐっ!?」
いつの間にか隣にまで追いつかれていた具の跳び蹴りが、波瑠の背中にクリーンヒット。野球帽が舞い、波瑠の体が床に転がった。
逐一攻撃を防ぎながら走る波瑠に対し、具はどの導火が、引火後どの程度の間隔で爆発するかを把握している。巻き込まれるというアホな真似はせず、運動神経のよくない波瑠に追いつくことなど容易かったのだ。
「やっと追いついたわ。さあてとりあえず、殺される前に吐きなさい! オリハルコンは今、どこにあるの!?」
「はぁ……はぁ……(おり、はるこん? 何それ?)」
体を起こしている波瑠の中に疑問符が生まれる。身体能力は低いが、頭脳面は演算能力の高さが証明するように優秀な波瑠は、すぐにその事実に気づいた。
(もしかして、何か、大きなすれ違いがあるんじゃないの? 私とこの赤い髪の人は、全く違う目的で戦っているんじゃ……?)
「ふふふ、あくまで話さない意地だけは持ち合わせているようね」具は勝手に結論付け、「ならいいわ。吐くまで延々となぶり続けるだけだから!」
蒼い火炎放射が放たれる前に、波瑠は左手を持ち上げた。
超至近距離で発射するのは、冷気を纏った弾丸。
ガトリング砲のごとく連射されるドライアイス弾が火炎放射を中央より穿ち、具の身体まで到達した。
具の脚や頬から鮮血が舞い、両者は違った意味で顔を歪めた。ドライアイス弾が貫通した腿には風穴が開いている。傷口から沁みるドライアイス弾の冷気が血液を凍らせてでもいるのか、意識を刈り取る激痛をもたらした。
「ぁぁぁぁぁあああああアアアアア!」
悲鳴をあげ、具が地に屈する。
足止めのためとはいえ、相手を傷つけたこと自体に、波瑠は苦痛を覚えた。
「ご、ごめんなさい! でも、捕まる訳にはいかなくて――」
それでも蒼髪を翻し、一応声をかけながら逃亡を図る。
――カッ、と。
具の靴が地面を踏み抜く音が背中に届き、波瑠は信じられなくて、思わず振り返った。
「おいこら小娘、逃がさないわよ……この程度の傷ごときで、普段から命張ってるよろいが諦めると思ってんのかッ」
怒声にひっ、と呼吸が詰まる。
具の腕が虚空を薙いだ。その腕から放出する蒼炎が龍のように流れ、波瑠の周囲を取り囲む。あたり一面は火の海、退路を得るにはまた鎮火させなければいけない。
という波瑠の行動を読んだ上での行動に決まっている。具はウエストポーチに手を突っ込み、手のひらサイズの金属の塊を取り出した。
「鎮火させる隙なんか与えないっつの!」
ピンを引き抜いて投擲し、具が耳をふさいで背を向ける。その動作で何が起こるかわかったが、鎮火のモーションに動いていた波瑠は、身体動作の反応がワンテンポ遅れた。
かろうじて、まぶたを閉ざす。
直後、カッ! と閃光が弾け、音を超えた超振動が波瑠の聴覚を引き裂いた。
「スタン、グレネード……!」
呟く自分の声がくぐもって聞こえる。鼓膜が破けたのだろう。たかがまぶた程度で閃光を防ぐことも敵わなかったか、視界もくらんでいる。
「まだまだ、この程度でこっちの攻撃が終わると思うなァ!」
ぼやけた視界中を、蒼色の火が線を描いて駆け抜ける。天井を、壁を、床を、機材を、ロボットを、重機を。張り巡らされた何かの上を、文字通り縦横無尽に。
間もなく。
ズッドオオオオオ!! と――工場を揺るがすほどの大爆発が波瑠を襲った。
「……あ、あれ?」
しかし――溢れかえる黒煙が振り払われ、月島具は目を丸くする。
波瑠の周囲を、水流が蛇のように舞う。撒き散る金属片や爆炎を薙ぎ払い、三百六十度全方位からの攻撃を受け流したのだ。
「す、水流操作!? 嘘でしょ、あなたの能力は凍結じゃないの!?」
「えーと、よく聞こえないけど……たぶん、それは違うよ。私の能力は凍結じゃない……自ら正体は、明かさないかな」
「……、」
具は、その発言でようやく戦っていた相手の正体に気づき、絶句した。
『蒼髪の凍結能力者』だけではたどり着かなかった答え。凍結以外でも、炎雷水流気流に磁力と、自由自在の応用力を有する超能力を、具は一つしか知らない。
(……い、今まで相手していたのは《霧幻焔華》だった!? 本来なら、よろいじゃ手も足も出ない超格上じゃん!)
一方、波瑠は水流を収めると、なぜか隙だらけで佇む具を氷塊で拘束し、ほっと安堵の息をついた。
(まあ、正体がバレる危険があるから、凍結以外はあんまり使いたくなかったんだけど……殺されるよりはましだよね)
氷で顔だけ残して全身を拘束された具へ、波瑠は歩み寄る。
「それじゃ、一つ確かめたいことがあるんだ。悪い質問じゃないから正直に答えてね。あなたがさっき言っていた、えっと……おりはるこん? っていうものは、一体な――」
波瑠は、咄嗟に体をよじった。
突如飛来した白い光線は、彼女の後ろ髪を裂き、背後の壁を貫いた。
壁に、きれいな円形の風穴が開かれる。
ただし、熔けたわけではない。
爆発も起こさず、まるで光学兵器を使ったかのように、壁を構成する物質を消し去ったのだ。
「……あっぶな……」
その光線が飛来した方向へ視線を向ける。
「波動追跡開始します。登録ナンバーはh‐999。つぐみの手からは、もう逃がしません」
つなぎを着た少女は手のひらに漆黒の球体を浮かばせ、波瑠を目視する。
その隣にいる白い修道女は、金髪の隙間から、ぱっちりと瞳を開いた。
「これはお仕事よ。殺されても、怒らないでね」
ゆっくりと上げられた右手。
そこに集約された光が光線となって撃ち出され、文字通りの光速で波瑠の右腕に突き刺さる。
意識が一瞬、痛みによって飛びかける。
「――――――ぁあっ!?」
鮮血がとめどなく溢れ出し、咄嗟に傷口を凍らせようとして――彼女は気づいた。
腕に、丸い風穴ができていたのだ。
まるでくりぬいたように。血管も、筋肉も骨も、何も残っていない。
「――――…………ふぅ……これって、ヤバいかな……」
顔を青ざめた波瑠が選んだ行動は、それこそ人間離れした行動だった。
開いた空間に即席で氷の管を作り、毛細血管を含め、すべての血管を接続させる。ついでにその穴を凍らせて塞いで、切れた口に見える肉体の腐敗を防ぐ。血液は運動エネルギーへの変換で強引に循環させる。
代わりに右腕は、使い物とならなくなった。
体幹にパイプを打ち込まれたような鈍痛に、嫌な汗がにじみ始める。
波瑠と純白の修道女は視線を交え――
日本最強のランクⅩ【使徒】
No.2とNo.8の、他を寄せ付けない戦闘が開始した。




