●第四十九話 日常を過ごす主人公
時は一気に動いて、12月。
2131年も年末と、第一章と逆の真冬が舞台です。
季節はめぐりにめぐり、クリスマスを目の前とする十二月を迎えていた。
今年の関東平野は、大きな寒波と連続する低気圧接近という異常気象――というのは大げさかもしれないが――に襲われ、各地で雪が低くて十センチ~三十センチ以上積もるという記録をたたき出している。科学の発展しきったこのご時勢、一世紀前と違って交通網がパンクするといったことはないが、メディアをはじめとした各方面でこの気象変化は注目を集めていた。
なぜ雪が降るのか? 本来季節風の影響でこの季節に関東平野に連続して低気圧が接近することはありえないはずなのに、どうしてそのような現象が起こっているのか? 様々な疑問が生じているのは、あくまで学者さんや頭のいい人たちだけ。
こちら――東京二十三区の端っこに位置する、成績底辺の者たちが集まったとある中学の生徒は『なんか変だな~』とは思っても、それ以上考えることはせず。
「喰らえ天堂! 俺の必殺、ジャイロスノーボール!」
「うわっ!? 野球部なのに本気で投げるな岩沢! あと鈴木は俺を盾に隠れるな!」
「天堂の運動神経に頼るしかねえんだよ! なんとかして岩沢を止めろ!」
「フハハハハ! 今日は俺の独壇場のようだな!」
二学期末テストを終えたストレス発散といわんばかりに、中庭を舞台として大人数雪合戦に興じていた。
記録的積雪も、中学生男児たちにかかれば格好の遊び道具なのである。
小学生と違う点といえば、雪で作った壁やかまくら、雪だるまに雪玉補充スポットなどを各地に配置し、より緊迫感溢れた戦場に仕立て上げているあたりだろう。これら『零能力者』の所属するクラスの男子達が作り上げた力作は、今や五十人近い生徒によるバトルロワイヤルを演出していた。
ちなみに教師陣がどうしてバカ騒ぎを許したかといえば、中庭を明け渡す代償として雪かきを強いているのでウィンウィン。
そんな雪玉の飛び交う中庭に、この瞬間、異様な緊張感が流れていた。
五十人近い生徒が参加していた『公式ルールに乗っ取った大規模雪合戦』も、終焉を迎えようというところ。最後まで生き残った二人の男子が雪の壁を背に、相手の様子を牽制しあうというハイレベルな駆け引きが、今ここで行なわれていた。
「結局ラストまで残るのは天堂先輩と岩沢先輩か!」
「ああ、流石の一言に尽きるぜ! 元・野球部の岩沢先輩は的確なコントロールで撃破数はナンバーワン! 対し、天堂先輩は『零能力者』とか言われてるけど、その反射神経は獣の如く! 不意打ちをも回避し、岩沢先輩に劣るとも優らない投球で多くの生徒を倒している!」
「正しい言い回しは『優るとも劣らない』な! とにかくすげえぜ、あの人たち!」
雪のフィールドを作る先輩があれなら、一緒に遊ぶ後輩たちも同属なのであった。
ともかく、『零能力者』天堂佑真は雪玉を貯蓄しながら、岩沢の出方を窺っていた。
(相手は小学校の頃から野球バカな岩沢だ。さすがに正面衝突じゃ勝ち目はないだろう。クソッ、どうする!? ヤツのコントロールから考えれば、一瞬の隙が命取りになる――いや!)
佑真は雪玉を両手に一つずつ手に取った。
「この二球で――仕留める!」
「天堂の野郎、出てきやがった!」
鈴木が驚愕し、ざわめきが中庭に広がる。
何ッ!? と動揺しながら岩沢も雪の壁から上体を覗かせた。接近する佑真との距離は現在十五メートルほど、ほんの数秒で詰まる距離だが、岩沢からすれば、直線をなぞる佑真の突進は格好の獲物だ。
「バカめ天堂! いくらなんとも突進は命取りだぜ!」
岩沢の右腕が振りぬかれ、白球が佑真へと直線を描いて肉薄する。目視したところで回避も難しい見事な直球にギャラリーは息を呑む。
直後、その彼ら全員は、驚きに歓声を上げた。
「うおりゃっ!」
「なっ、スライディング、だと!?」
佑真は岩沢が振りかぶった瞬間にスライディングを決め、白球をかいくぐっていたのだ!
「流石だな、天堂! 普段の中庭じゃできないだろうが、今は一面雪だらけ! しかも俺達がついさっき戦ったばかりの雪の表面は圧力で押し固められ、滑るには絶好のコンディションだったんだ! 単純な突進と見せかけた頭脳プレイ――――!」
「なっ、天堂先輩はそこまで考慮していたのかッ!?」
「流石だ、小学校の頃からこと遊びに関して天堂先輩に上回る人間はいない!」
「岩沢、覚悟ッ!」
「やられてたまるかよ!」
スライディングから器用に飛び上がった佑真と岩沢が、ほぼ同時に投球モーションに入る。
ついに迎えた最終局面――全員が息を呑み、
「コラ天堂! 日直の仕事サボってんじゃないわよッ!」
「は――んがっ!?」
十時の方角から飛来した雪玉が顔面に炸裂し、佑真はバランスを崩して雪の壁に追突した。製作時間五分の大きな雪の壁が、あっという間に崩れ落ちる。
現れたのは、佑真のクラスの学級委員さんをはじめとした女子数名だった。「やべっ、いいんちょさんだ!」「いいんちょさんだ、逃げろ!」と後輩や他クラスの生徒達は解散していく。
「いってぇな古谷! 男と男の真剣勝負に水差すな!」
起き上がった佑真は、早速『いいんちょさん』こと雪玉の投擲犯、古谷早紀に食いついた。岩沢や鈴木も「そうだそうだ!」といかにもな野次を飛ばすが、古谷は動じた様子もなく、いいんちょさんと呼ばれる所以の一つ、清楚な長い黒髪を払った。その他『いいんちょさん』の証明には、カチューシャや膝丈スカートなどが例に挙げられる。
「任された仕事も果たさずに何が男と男の真剣勝負よ。ていうか制服で雪の上をスライディングすること自体、正気じゃないわ」
「天堂君お尻冷たくないの?」「でも真剣すぎてこっちも少し見入っちゃったよね~」
怒り気味なのは古谷様だけで、周囲の女子はのんびりと好き勝手話している。
「うわっ、今更になってケツ冷てぇ!」
「スライディングすんのはさすがにやりすぎだよな。自業自得だ」
「おお、珍しく岩沢が正しい語句用法。しかし流石、学年最下位はすることが違うよな」
「熱血解説してた鈴木が言うかオラ! ついでに言うと波瑠のおかげで今回めでたく中堅クラスまで成績伸びたから、オレもう最下位じゃねえよ!」
「「ただし超能力は除く」」
岩沢と鈴木のシンクロ攻撃に心臓を射抜かれ、佑真はぐはっ、とうめき声を上げながら雪原に屈する。
今まで定期テストなどボイコット上等だった彼だが、波瑠の編入後はある程度真面目に勉強を始め、二学期末では発言どおり、学年内平均に手が届くくらいにはなっていたのだ。
無論、超能力は除く。
「あ、波瑠で思い出した。天堂に聞きたいことあったんだ」
古谷の連れの女子生徒、神崎さんがパン、と手を叩く。女子内であーそういえば、といった共通理解が勝手に進み、佑真達男子三人は顔を見合わせた。
「神崎、お姫様に何かあったのか?」
「何かあったっていうかさ――ま、みんな気づいてるとは思うけど、最近波瑠の様子、なんかおかしい……よね?」
同意を求められ、鈴木がそういえばそうだな、と腕を組む。
「確かにお姫様、おかしいよなぁ。疲れ気味っつうか、今までより天堂ベタベタしなくなったっつうか、クラス内唯一の清涼剤として機能していた天使の微笑みが無くなったっつうか」
「後半部分はともかく……その疲れ気味ってトコと、天堂君との絡みが減ったことよ」
ピッと人差し指を立てる古谷に、みんなの視線が集まる。
「最近波瑠さん、休み時間に寝ていることが多くなったし、今日の体育でも、ぼうっとしていたら顔面にバレーボール思いっきり喰らってたし……寝不足か何かで疲れが溜まっているのが、端から見てもわかるのよね」
「元から運動神経は並以下だったけど、いくらなんでも鈍臭いな……。おい天堂、お前の姫様、どうしちまったんだ? ん?」
岩沢がおふざけ半分と言った様子で佑真を小突く――が、佑真が反撃してくる様子はない。普段ならここで『何が姫様だ』くらいの言葉は返すはずなのに。
おーい、と問いかけながら顔を覗いた岩沢は、思わず口を閉ざした。
零能力者と言われつつもその性格からクラスのムードメーカー的地位を築く少年の、普段とは明らかに違う、真剣な表情。
岩沢の抱いた感情は、空気を読んだ周囲へ伝染する。はぁ、と溜め息をついた古谷は、
「天堂君、聞いてるのっ!」
躊躇無く、佑真の運動靴を踏み抜いた。
悲鳴を上げながら、零能力者は雪原に墜落。
「い、いきなり足を踏み抜くのは淑女の行動ではないかと……!」
「天堂君、いくら波瑠さんのことが心配だからといって、そこまで一人で集中して考えなくてもいいじゃない。アタシ達だって波瑠さんの友達、心配な気持ちは変わらないわ」
「あー……ありがとな。その気持ちは嬉しいけど、」
佑真はぽん、と古谷の頭を叩く。その行為に若干唖然とする周囲の全員に視線を回してから、佑真は笑顔を意識して作った。
「あいつのことは、オレに任せてくれないか?」
「任せるって、でも、」
「頼む。絶対なんとかすっからさ」
両手を重ねて懇願する佑真。岩沢や鈴木が「コイツ、珍しく本気でお願いしてやがるぜ」「姫様絡みの天堂は基本的にイケメンだから腹立つよな」とわざとらしい台詞回しで追撃を放つ。古谷は大げさに溜め息をついた。
「あなた達がそこまで言うならいいけど……でも、できるだけ早くになんとかしなさいよ! クラスメートがあんな様子でいるのを放っておけって言うほうが無茶なんだから!」
「よっ、流石、根っからの委員長体質!」「流石、早紀さんは言う事が違う!」
「この学校ではただの学級委員です!」
女子勢のはやし立てにまんざらでもない様子で切り返す古谷を見て、佑真は笑う。
(はぁ……ホント、波瑠をここに連れてきてよかった。皆が優しいからってのもあるけど、友達、いっぱいできてんじゃん)
そんな友達に心配をかけるほど、波瑠はついに疲労を誤魔化せなくなっている。
具体的に波瑠が何かを始めたのは九月――誠達と暴れまわった直後からだ。寮長は「気にするな」と言っていたが、クラスメートたちと違い、波瑠を一際よく見ていたからこそ、佑真は波瑠特有の『作り笑顔』をよく思えなかった。
それに気づいて、彼女を心配してくれる友達が、すでにこんなにもいるのだ。
――――波瑠の居場所はここにある。
未だに降り続ける雪空を見上げてから、わいわい騒ぐ級友たちに背を向け、エナメルを回収して――
「あっ、待ちなさい天堂佑真! どさくさに紛れて日直の仕事サボるな!」
「げっ、バレた! 三十六計逃げるになんとかッ!」
「天堂テメェ逃がさねえぞ!」「中庭使用権の代償、雪かきも残ってんだからな!」
天堂佑真は、全力疾走で中庭を後にする。




