●第四十八話 蒼き雪姫の闇への凱旋
実は今回も、プロローグみたいなものです。
――――同時刻。
【メガフロート】地区にある一つの薬品研究所では、けたたましく警報が鳴り響いていた。
もっとも『薬品研究所』という名は建前。
この施設の真の目的は、全世界最高峰のスーパーコンピュータ【神山システム】が割り出した予測演算結果に基づき、人工ウイルスの製造・開発や毒薬、劇薬を用いた実験・管理を行うことである。もちろん暗黙の了解の下、且つ非倫理的に。
そんな研究所より現在、爆破に伴う火災から、黒煙がモクモクと夜空へ伸びていた。火炎はスプリンクラーによって侵食を抑えているものの、そんな研究所でつい数分前に大爆音が炸裂したとなれば、パニックは必須である。
しかし――人工ウイルスなどが流出したという計測は、幸いにも見られなかった。無人探知機が研究所内や周辺を飛びまわっているが、未だ、所長の下に不幸な連絡は届かない。
そこら中で赤いランプの輝く所内では、念のためにパワードスーツを着た警備員達が、犯人を探して走り回っていた。
「おい、侵入者は見つかったか?」
「いや、全く見つからねぇ。監視カメラにも一切映ってないらしいぞ」
「最先端の防犯システムを使ってるんじゃないのかよ? 役に立たないな」
不満のみを交わし、彼らはふたたび施設内へ散開していく。
すでに警察への通報があったのか、周囲にはパトカーや消防車、救急車が並んでいる。
この包囲網ならば外部へ逃げても犯人確保は可能だろうが――できれば、施設内の関係者のみで事を終わらせたい、というのが彼らの本音だった。
「そもそも、どうやって進入してきたんだよ……センサーに引っかかって、ID登録していない奴の進入はできねぇはずだぜ……?」
よっぽどのプロか、あるいは超能力者か。
監視カメラすべてをすり抜け、警備ロボットをかいくぐり、巡回する警備員までもきり抜けるほどの能力者、というのが今一番有力な推理だった。爆破するその瞬間まで、警備員達はポーカーをするほどにのんびりとできていたのだ。現代でこれほどの誤魔化しを利かせられるのは、超能力をおいて他にない。
侵入者の目的は【神山システム】に関する情報すべて、世界最高のスーパーコンピュータを使用した、国家機密の情報の数々だと言われている。
二週間前に発生した、【神山システム】関連施設への同時ハッキングとネットワークを介した攻撃。
そして先週末には、【メガフロート】地区に存在する【神山システム】関連の施設が謎の襲撃者に侵入され、破壊されるという事件が発生していた。決して無警戒だったわけではないが、まさか二番目の標的にされるとも考えてはいなかった。
「こんなことだったらこっちもプロの能力者を用意しとくんだった……」
警備員は情けない愚痴を呟き、廊下の角を曲がる。
☆ ☆ ☆
――――同時刻。侵入者の二人組は、焦った様子で廊下を走っていた。
「ねえ、毎回思うんだけど、どうしてそんなに走るの遅いの!? やっぱ運動神経悪いとかそういうオチ!?」
野球帽に桃色を基調とした可愛らしいデザインの『なんちゃって制服』を着込んだ少女は、ポニーテールに結った長い蒼髪をなびかせながら振り返る。
「それは。雪姫ちゃんには言われたくない。そっちは運動エネルギーによるアシストがあるからいいけど、私は生まれつきの引きこもり研究者。あと――一応私は年上だから、敬語を使いなさい。」
その少女に続く、紺色のブレザーに身を包んだ藍色の髪の女子はすでに息が上がり、無表情ポーカーフェイスを真っ赤に染めて走っていた。
「敬語とかその辺のことは、とりあえず逃げ出してから話そう! ほら、もう警備員とか動いちゃうから!」
野球帽を目深に被った少女は、ブレザーの女性の手を引いて速度を上げる。息が上がっていそうなのに独特の喋り口調は崩さない辺り、相変わらず彼女のことはよくわからないと思う少女である。
「それで、データはちゃんと回収したんだよね?」
「もちろん。」ブレザーの女性は胸元にぶら下がったメモリに視線を落とし、「第一、データを回収していないと、リスクを犯す意味がない。」
「それもそっか」
野球帽の少女は頷き返すと、頭に叩き込んだ施設内の地図を思い浮かべ、キュッと勢いよく角を曲がる。
しかしその先には――銃口を向ける警備員が二人、待ち構えていた。
「ひゅう、ビンゴ。やるじゃん新人」
「俺を褒めるのはいいですから、ほら」
「わかってんよ。――おい侵入者、そこまでだ。眉間に銃弾ぶち込まれたくなかったら、おとなしくSETを停止させて投降しろ」
「断る。」
ブレザーの女性が即答する。警備員二人は躊躇うことなく引き金を引き――
だが、鳴り響くはずの銃声は起こらなかった。
気づけば廊下に、黒煙でなく、白い霧が立ち込める。
「な、んだ? どうして発砲されない!? クソッ、お前はどうだ!?」
「撃てません! 同時に故障でもしたんでしょうか!?」
ガチ、ガチ、と引き金を幾度も引くが、やはり銃弾は撃ち出されない。パワードスーツ内で警備員たちの顔に焦りが生まれる。
「――残念だけど、私の前で銃火器を使うことはできないと思うよ。火が点かないからね」
開校する前からSETを起動させていた野球帽の少女。
手をかざす彼女の周囲には、より一層白い霧が立ち込めていた。
それを見て、警備員は思い出す。凍結系統の能力者の中でもランクが高くなると、熱量増加を押さえ込み、発火現象そのものを制圧しうる――と。
だったら別の手を使うまで。警備員たちは銃を投げ捨て、特殊警棒を取り出した。
相手はどう見てもわずか十代の少女が二人。
一発で仕留めるべく大きく警棒を振り上げ――しかし。
急接近を仕掛けるつもりだった警備員の両脚は、一ミリも動かなかった。
床より伸びた氷塊が警備員の――正確にはパワードスーツの脚を、いつの間にかに腿の高さまで拘束していたのだ。今更気づいたが、少女たちが駆けてきた道筋の監視カメラはすべて破壊され、警備ロボットも氷塊に包まれている。
警備システムは一つも意味を成していない。
科学を、彼女たちはたった一種類の《超能力》で制圧しているのだ――――
その事実に驚愕する頃には、警備員の全身もまた、氷塊に包まれていた。
「……雪姫ちゃん。コイツら、全身包んじゃって大丈夫なの?」
「空気穴を作る優しさくらいは残ってるよ。パワードスーツを着てるから心配はいらないと思うけど、あんまり長い間放置されちゃうと凍死されちゃうから、できるだけ彼らの近くからド派手に逃げ出さないとね」
「本当に。誰かが死ぬのは嫌なのね。」
「普通は嫌でしょ? たとえ見ず知らずの他人でも、誰かが命を失うのは」
眉をハの字に下げた少女は、手ごろな壁に向かい合う。
「さて、と。ここだよね、研究所の外壁って。下手にウイルスの実験してる部屋に大穴空けると大問題になっちゃうから心配なんだけど」
「ここよ。間違いない。」
「そんじゃま――――脱出しよっか!」
少女は手のひらに燃えさかる業火球を生み出し、壁に向かって投げつけた。
轟音と灼熱を撒き散らし、実験の衝撃に耐えるよう設計されているはずの壁を、いとも簡単に破壊する。
バラバラと崩れ落ちる瓦礫を横目に、少女たちは美しい外観に姿を変えている【メガフロート】地区の夜景を覗いた。
「アストラルツリーって、夜見たほうがキレイだよね。ライトアップがすごくきれい」
「その気持ちはわからなくもない。」
突然の壁の爆発に騒然とする地上を眺めながら、少女はブレザーの女性に手を回す。
警察のレーザーライトが大きな穴に当てられる寸前、少女は上空へと飛び立った。
白い霧が不自然に舞うが、真っ暗な夜空ではそう目立つものではない。月明かりに照らされても、雲と錯覚する程度だろう。
「ふぃー……危ない危ない。もうちょっとで顔が割れちゃうとこだったよ」
「しかし。空を飛べる能力は便利ね。羨ましい。」
「私の場合は結構バランス取るのとか、大変なんだけどね。気流を起こしてわざと体を吹き飛ばしているのと同じだから」
運動エネルギーで操る気流を翼のように生やして飛翔する少女は、適当なビルの屋上へ着地し、ブレザーの女性を降ろしてから野球帽を脱ぎ去った。
長く美しい蒼髪が露見する。
凍結をはじめとしたエネルギー変換能力。蒼い髪と低い身長も追加情報として入れれば、彼女を特定することは容易いだろう『裏』の世界一番の有名人。だが、この場では《神上の光》ではなく、こちらの代名詞を使うべきだろう。
《霧幻焔華》
【使徒】No.2の超能力を操る美少女、天皇波瑠。
先週も起こした【神山システム】関連の研究所爆破事件。その主犯である彼女は、もう一人の犯人――無機亜澄華へ視線を向けた。
「無機さん、あの研究所にめぼしい情報はあった?」
「【神山システム】がらみのことなら大量に。妹ちゃん自体に関する情報は、特になし。」
「やっぱりかぁ……」
メモリを端末に繋ぎデータを確認した無機の言葉に、波瑠はあからさまにうなだれる。
波瑠が行なっていることは、誰が何と言おうと犯罪行為だ。あくまで心優しく真面目な少女である波瑠にとって、気が進まないことこの上ない。
地図アプリに赤い罰点マークを描く無機を眺めつつ、波瑠はポニーテールをほどく。
「でも、まさか私が無機さんと再会して、こんな形で共闘することになるなんて思わなかったよ。それも、三年前に諦めさせられた桜のために」
「私も意外よ。この前あなたと再会しなければ、一人で事を進めるつもりだったから。雪姫ちゃん、『桜』と出会ったらすぐ錯乱するし。」
「ふ、普通は妹の変わり果てた姿見たら、姉は錯乱しちゃうでしょ!?」
「私。一人っ子だからその辺はわからない。」
「常識としてだよ! とぼけないで!」
――――――事の始まりは九月頭。
誠や秋奈達と共に、連続爆破事件の犯人と手を交えたあの一件の後だ。
『桜』、そして無機と再会した波瑠は、ある程度暴走して『桜』を撤退まで追い詰めた後、無機と会話する機会を得ていた。
そして告げられた、ある言葉。
『妹ちゃんにはもう。時間が残されていない。そろそろ強硬策に移る予定だけど――一枚噛む気はない?』
『…………時間が、残されていない?』
そんなことを言われて、この姉が頷かないわけがなかった。
波瑠は無機より、詳細な現状を告げられる。
【神山システム】――――通称『神山桜』となった彼女の演算は、まさに神を覗くもの。正答率は他に圧倒的差をとる99%を誇る。
その上、ネットワークを介してありとあらゆる情報を回収できるため、監視カメラの映像をはじめとした戦闘データも莫大な量を利用可能。元より存在する《雷桜》の戦闘力を考えれば、今の『桜』とまともに戦えるのは波瑠達【使徒】のみだと言われている。
そんな彼女と【神山システム】は今、『桜』の首に巻かれたチョーカーを介して接続されているのだ。
時々接続が切られて『天皇桜』に戻ることがあるらしいが、基本状態は『神山桜』状態。今や常人には手の施しようがない彼女を止めることは限りなく難しい――だが、逆にチョーカーさえどうにかすれば、【神山システム】と『桜』の接続を切ることができるかもしれない。
そんな希望から一時的に身を売り、『桜』の調整役を承っていた無機だったが、案の定話はそううまくなかった。
当たり前だが接続を切られないように、『桜』はチョーカーに他者が触れることを警戒していたため、無機は『桜』と接触できても、チョーカーに触れることすらできなかった。
その職務からも離されてしまった現在、無機には『桜』の動向を掴めていない。
だからこそ、無機と波瑠は、受け身ではなく攻めの姿勢で動き出した。
わからないなら、掴めばいい。
『桜』の居場所を突き止め、波瑠の強さを利用し力技で天皇桜を救い出す。
現段階はまだ居場所を突き止めることも及ばないが――一筋の希望が、波瑠を立ち上がらせたのだ。
「無機さん、制服あんまり似合わないね」
「一応年齢的には。女子高生なんだけどね。」
「無機さんはやっぱ、白衣姿が一番きれいでかっこいいと思うな。似合うし」
波瑠に言われたから、というわけではないだろうが、無機は白衣をまとってエレベーターへと向かう。桃色の上着を脱いだ波瑠も、慌ててその後を追った。
(今日も肩透かし。だけど、絶対に掴んでみせる。桜の動向を)
五年間も経ってしまった。
三年前は、殺し合ってしまったけれど。
たった一つの大切を取り戻すため。
波瑠は自ら、死と隣り合わせの世界へ舞い戻る。
彼女の新たな戦いは――――大切なあの人には、内緒だった。
【これが奇跡の零能力者
第三章 天使光臨編】




