●第四十六話 電撃娘
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放電が終わって――五分くらいが経過した。
私は、放電が終わるなり病室に駆け込み、桜の小さくて、柔らかくて、だけど人間とは思えないほど熱い手を、握り締めていた。
「桜……お願い桜、目を覚まして……桜…………」
堪えても堪えきれない涙が、瞳の端を静かに伝う。
雫が床に落ちてはじけた、その時。
うっすらと、桜の瞳が開かれた。
真っ赤な顔が、ゆっくりと、私のほうに向いた。
「桜!!」
「……お姉……ちゃん……どう…………して……泣いてる……の?」
「う、うん、なんでも、なんでもないんだよ……」
「泣か……ないでぇ…………」
小さなその手が、私の頬に当てられた。
まだ熱い手で、一生懸命、頬を拭ってくれていた。
桜。止まらないよ、涙。嬉しくて、止められない。
目覚めてよかった……本当に、よかった……!
「桜、桜ぁ!! ごめんね、桜!!」
「…………、」
「もう、起きないんじゃないかって、心配で、私のせいで、桜が、こんなになっちゃって、さ、さくら、ごめんね! こんなお姉ちゃんで、ほんとにごめん!」
「……だいじょぉぶだよ、おねえ、ちゃん……」
桜は、辛そうなのに、今にも死んじゃいそうなのに、
陽だまりのような笑顔を、見せてくれた。
「わたしは、おねえちゃんのとなりに、ずっといるから……ね?」
一滴の雫が、桜の頬から流れた。
私の中で、感情の波が一気に溢れかえる。
こんな私に笑いかけてくれるあなたを傷つけたこと、本当に許して欲しい。
それでも、生きててくれて、ありがとう……っ。
「……お姉ちゃん」
「……なに?」
その涙を拭っている間に、桜の視線は、私の反対の手へと移っていた。
「リボン、むすんで?」
「……うん」
黒羽さんの手を借り、ぐったりとした桜を起こす。
汗でびっしょりとなった体を拭き、髪を拭き、櫛で梳かしてから、ピンク色のリボンを手に取った。
スルリと、彼女の栗色の髪に巻いていく。
額の上を回り、カチューシャのように巻く。
アホ毛はなぜか、絶対に折れずにひょこひょこと跳ねていた。
いつもの、可愛い桜のできあがり。
「はい、できたよ、桜」
「えへへ、ありがと、お姉ちゃん。こんどは、わたしの番。黄色のリボン、かして」
差し出された手のひらに黄色いリボンを渡して、桜に背中を向ける。
私の長い髪を丁寧にまとめ、ゴムで括ってから、リボンを蝶結び。
ポニーテール。髪を結うときの、いつもの私だ。
「ありがと桜。うまくなったね、結うの」
「うん。お姉ちゃん、かわいい!」
「桜も、すごく可愛いよ」
……なんでか、桜の笑顔に、また気持ちがこみ上げてきて。
ギュッと、強く、桜を抱きしめた。
「……お姉ちゃん?」
「ほんとに、ほんとにゴメンね、桜。辛かったよね。私のせいで、苦しい思いさせちゃった」
「……いたかったよ。こわかったよ。くるしかったよぉ…………」
桜の手が、私の服を握り締めてしわを寄せる。
震える小さな体を優しく抱き寄せ、暖かく包む。
もう、手放したくない。
一生、離れ離れになりたくない。
もう、軽い気持ちで行動なんかしない。
「桜」
「……うん?」
「桜は、私が守るからね。どんなに辛くても、私が、助けてあげるよ」
「おねえちゃん、大好き」
桜は、にへっと笑顔になる。
そして、小指を差し出してきた。
「じゃあね、指きりしよ」
「……指きり? ――――ふふ、いいよ」
細い小指に、私も小指を絡める。
「私達は、ずっと笑顔で、一緒にいようね。どんなに辛くても、お姉ちゃんが助けてあげるから。だから、ずっと一緒に!」
「えへへ、うん! お姉ちゃんと一緒に、いっぱい笑お!」
だから、その約束も、笑顔でするんだ。
二人で一緒に、魔法の呪文を歌うんだ。
「「ゆーびきーりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます! ゆびきった!!」」
心の中に、暖かい気持ちが、いっぱい広がっていった。
桜をもう一度、ギュッと抱きしめた。
そして。
「SET開放ッ!!!」
黒羽さんの声が病室内に響いたのと、
上空何百メートルにある病室の窓が蹴り割られたのは、ほぼ同時だった。
白い、翼を生やした人型の何かが病室に侵入してくる。
スリムな身体にヘルメット。右腕には……マシンガンと思しき機械が付属され、背中には飛行機の翼を小さくしたものが折りたたまれていた。
これは確か、昔どこかで見たことのある――――
「波瑠様、軍用パワードスーツです!! 下がってください!!」
頷く間もなく、黒羽さんは超能力を発動する。彼女が何をするかわかったからこそ、私は桜を抱きかかえてできるだけ距離を取った。
黒羽さんは腰よりいくつかの黒い石――黒曜石を投げ、左手に持った一つの大きな黒曜石を、カリッと噛み割った。
《黒曜霧散》
激しく轟音を鳴らし、散らされた黒曜石が次々と爆破していく。
特定の物質を媒体としてエネルギーに干渉する能力で、黒羽さんは黒曜石を媒体として干渉することができる。黒曜石を一気にエネルギーへと解放し、爆破を起こしたんだ。
私は、決して黒羽さんの能力を初めてみるわけじゃない。
だけど、こんな大規模な彼女の《《黒曜霧散》は初めて見た。
「波瑠様、大丈夫ですか!?」
「な、なんとか!!」
警報が鳴り響く。爆風の消え去った病室内にいた白いパワードスーツは吹き飛ばされたようだけど……壊れた壁の向こうに、地獄を見た。
「――っ!?」「ひぃっ!?」「……くっ!!」
先ほど黒羽さんが吹き飛ばしたのと同種の軍用パワードスーツが二十機あまり、翼を広げ、中空をホバリングしていた。
すべてのマシンガンの銃口が――桜に向けられる。
「波瑠様、逃げてください!! ここは私が食い止めます!!!」
「黒羽さん!?」
黒羽さんは一つ、黒曜石を放り投げた――私達に向かって。
「お二人は、私の命を犠牲にしてでもお逃げください!!!」
私達の目の前で、黒曜石が爆発する。
「うわああああああっ!!」
「黒羽さァァァあああああああああああああああああああああんっっっ!!!」
爆風で、強制的に私達を、病室からはじき出した。
桜が傷つかないように必死で抱きかかえ、地面を派手に転がっていく。背中を鉄骨に強く打ちつけて息を漏らし、だけど、なんとか止まることができた。桜と私の体に一切の傷がないことを確認し――視線はすぐに、病室へと吸い寄せられる。
爆発の規模を抑えることで、私達に危害を加えず、しかし生み出した衝撃波であの地獄から私たちを逃がしたんだ。
どうして、どうしてそんな技術があるのに、私達のために、犠牲になろうとするの!?
「どうして、黒羽さん……っ!」
轟音と爆風が、ついさっきまでいた病室から何度も炸裂した。
私は、ズキズキ痛む何かを必死にこらえ、桜を抱きかかえた。
「お姉ちゃん、みさとが、みさとがぁ!!」
「わかってる!! あとで、絶対黒羽さんには会えるから!!」
「……う、うん」
私の手をちらっと見てから、桜は頷いてくれた。
ごめん、私だって、怖いんだよ。震えちゃうのは、しょうがないじゃん。
まだ、子供なんだよ……。
とりあえず地上へ降りて、誰かへ助けを求めよう。
そう決めた私はSETを起動させ、《氷山の豪炎舞》を用いて気流を起こす。白い霧が私達を包み込むのは、運動エネルギーを生み出すために周囲から熱エネルギーを奪っている反動だ。
桜を絶対落とさないよう、傷つけないよう気をつけながら地上を目指す。
アストラルツリーは巨大な軌道エレベーターだ。フロアになっていない塔内は基本的に空洞同然なくらい開けており、張り巡らされた鉄骨やケーブルを回避しながら、階段もエレベーターも使わず、生身で飛び降りる。
このままならうまく行く――そう過信した私だったけど。
そんなにうまく行くはずがなかった。
白いパワードスーツの大群が、私たちを待ち構えていたんだ。
「…………お姉ちゃん、だい、じょうぶ……?」
「……、」
――桜の問いかけに答えられない。
体が震える。
プレッシャーが、恐怖が体を竦ませる。
――――ごめん、黒羽さん。
逃げ切る自信、ない。
あの大群を相手に、勝てると思えない。
あの男の子くらい強かったら、私が、私さえ弱くなければ、きっと、活路はあったのに。
黒羽さんや無機さんの想いを踏みにじることになる。
「………………お姉ちゃん?」
――――涙をポロポロとこぼしていた桜が、不意に、私を見上げてきた。
不安そうだ。さっき波動を使い果たしたから、すごく気だるそうで辛そうだ。
それでも、今の桜が頼れる人は、私しかいなかった。
こんなにもひ弱な私しか、桜は頼れないのか――――……
その瞬間。
私のサファイアの波動が、一気に噴き出した。
それ以降のことは、ぼんやりとしか、覚えていない。
アストラルツリーの崩壊も気にせず、《氷山の豪炎舞》で、ひたすら攻撃を放った。白いパワードスーツを何体か倒した後、気づいたら、体中を、弾丸が襲っていた。
桜だけは傷つけまいと、抱きしめていた。
だけど、知らないうちに、意識は途切れ――――
11
『鉄先恒貴様より信号を受けました。
これより【神山システム】を起動し、《雷桜》の身体制御モードへ行動を移したいと思います。神山的には、すでに起動している気分なのですが。
《雷桜》の姉、天皇波瑠の波動を感知しました。全駆動体に連絡し、同伴中の《雷桜》を確保するためにも、最適のフォーメーションを演算します。
出ました。神山的には、このフォーメーションを推薦します。
フォーメーション選択を確認しました。速やかに《雷桜》を回収してください。
《雷桜》を保護していた病室での戦闘が終了しました。
《黒曜霧散》黒羽美里の戦闘の映像をデータに保存します。
天皇波瑠とD隊が交戦を開始しました。彼女の《氷山の豪炎舞》はあらゆる現象を起こすことが可能ですが、現状は主に凍結系しか使ってきません。できるだけ距離を取り、遠距離攻撃で制圧することをお勧めします。
吹雪ですか? その程度、【白翼の鎧】なら問題ありません。むしろ隙となりますので、特攻をお勧めします。
管理室に赤い液体が零れていることを確認しました。
清掃ロボットを起動。床の清掃を開始します。
無機亜澄華の身体を発見。生存レベルを確認――生存を確認しました。
病院への連絡、搬送を実行します。
拒否――拒否――承認。【メガフロート】地区・軍用病院にて、搬送後、無機亜澄華より銃弾除去などの処置をお願いします。
《雷桜》を確保したという報告が入りました。
これより、【神山システム】との同期の準備作業に入ります。
先ほど人間になったときの体の動かし方の難しさは、神山的には恐ろしかったです。
天皇波瑠、黒羽美里の両名の身柄を確保したという報告が入りました。
戦闘用調整個体/黒羽美里は【天皇家】へ直接搬送。天皇波瑠は、無機亜澄華と同じ病院へ搬送してください。
なお、すべての録画した映像は【神山システム】内で保存しておきました。
パワードスーツ全機に連絡します。
任務は完了しました。撤退してください』
12
痛みを感じたとき、私は白い天井を見ていた。
その腕の中には、誰もいなかった。
体中に包帯が巻かれていた。
心の中に、大きな穴が空いていた。
ぼんやりとした意識の中に、聞きたかった一つの声が、聴こえてきた。
ただ、その声は、震えていた――と、思う。
「……。雪姫ちゃん、ごめん。私、必ず取り戻す。あなたの妹を、必ず取り戻すから。だから、今はゆっくり休んでて。この責任は、必ず果たす。」
翌日、涙が一切出なかった。
感情を失ったかのように、呆然としていた。
何も考えられず、ただ、ぼうっとしていた。
その次の日、いきなり涙が溢れ出してきた。
終わりを知らず、ひたすら泣いた。
失ったものの大きさを実感し、すべてを諦めた。
三日が経った。
這いずって窓際まで迫って、飛び降り自殺をしようとして、お母さんに受け止められた。
そのお母さんの腕の中で、私はまた泣いた。
――――桜のことを諦めてくれ、とお父さんに言われた。
頷けるはずがなかった。
反論した。
けど、お父さんが涙を流す姿を私は初めて見て、結局、頷いた。
そして、四日が経って、私の下に、手紙とともに、二つのリボンが届く。
黄色とピンク色の、二つのリボン。
桜がピンク色を買い、そのついでに私が黄色いのを買ってもらったんだ。
桜のリボン。
――手紙は、無機さんからだった。
桜は必ずどこかで生きている。
だけど、【神山システム】によって身体制御を奪われ、『天皇桜』という意思が消え去っているかもしれない。
もし会えたとしても、それは『天皇桜』じゃなくて、『【神山システム】の入れ物』だと思え。
そんなことが、細かく綴られていた。
桜を諦めろっていうのは――――そういう、ことだったんだ。
もう、この世界に『天皇桜』はいないんだ。
だけど。
私は、その話を信じなかった。
生きているなら。
一パーセントでも可能性があるなら。
取り戻す。
私の可愛い妹――――桜を、絶対に取り戻す。
この小指に、約束したから。
『私達は、ずっと笑顔で、一緒にいようね。どんなに辛くても、お姉ちゃんが助けてあげるから。だから、ずっと一緒に!』
『えへへ、うん! お姉ちゃんと一緒に、いっぱい笑お!』
『『ゆーびきーりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます! ゆびきった!!』』
私が、誰よりも強くなろうと決心したのは、その瞬間だった。
13
これが、天皇波瑠が【使徒】No.2の力を手に入れた理由。
誰よりも強くなり、誰かを守る力を手に入れるため、彼女はランク10へと成長したのだ。
その後、波瑠の人生は、桜のために費やされるはずだった。
目の前に大きな壁が――《神上の光》が、現れなければ。
――――姉妹がふたたびすれ違ったのは、今より三年前。波瑠が12歳の時だ。
《神上の光》である波瑠を捕らえる一人の戦闘員として、【神山システム】によって完全制御を受けた『桜』が立ちふさがった。
波瑠はそんな『桜』を見て、一瞬で切れ、暴走を開始する。
雷撃と豪雪の戦闘は、他者を一切寄せ付けない、最強と最強のすれ違いだった。
もっとも、『桜』の圧倒的敗北でその場は終わり――錯乱した波瑠は、ボロボロとなった『桜』から背を向け、逃げるように飛び去ってしまうのだけれど。
その後、療養を兼ねて、天皇劫一籠の側近として動き出した『桜』は、その眼で、天皇波瑠の残る三年間を見てきた。
天堂佑真という少年のことも、【神山システム】のデータに収納している。
そして、2131年7月21日。
天皇劫一籠の挑んだ《神上の力》は、たった一人の少年により、破壊された。
今まで誰一人歯向かわなかった人外、天皇劫一籠の《神上》計画は、一度破綻する。
けれど、天皇劫一籠は、決して諦めない。
彼は、己が全てを懸けて、願いを掴み取りに来る。
新たな《神上》計画は、すでに動き始めていた――――――
【間章 雪姫の追憶編 完】
これにて、一話更新するごとに読者が10人以上減っていく魔の章【雪姫の追憶編】は終了です。つまらなかったことは重々承知しております……。
こう、数字ではっきり良し悪しがわかる辺りが『なろう』のいいところですよね。しかし底辺作品のコイツがここまで読者減って大丈夫なのでしょうか。ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます!
今回は読んでいただきわかったと思いますが、念頭に置いたのは『平穏』です。次回からはほぼフルバトルなんでその緩急として。波瑠ちんが奈落の底へ落ちる前の作者なりの救済であることは黙っておきます。
次回はついに第三章【天使光臨編(前半戦)】がスタートします! 大体15話くらいが連日投稿されるので、本格異能バトルをお待ちください!
以上、回転ずしではしめ鯖から食べる高校生、瀬古透矢でした。のしのし




