●第四十四話 科学者
「《雷桜》と。【神山システム】の膨大な情報をリンクさせて、妹ちゃんに、電脳世界を十二分に生かしてもらえるような体制をとりたい。私は、そう考えている。」
……全く意味がわからなかった。
無機さんは順を追って、自分のしたいことについて説明してくれた。
「そもそも。私が【神山システム】を開発した理由は簡単。この世にもっと、ネットを干渉させたいがためよ。」
「……今でも、充分に干渉していると思うんですけど」
「まあね。雪姫ちゃんは、これを知っている? 今現在のネット世界は、地球表面の数千倍の広さを持っているってこと。」
地球の、数千倍……? 赤道半径が約6370000キロメートルだから……球体だと捉えて計算したとしても、二乗に円周率に、さらに数千倍……計算するのも億劫だ。どれだけネットに時間を費やしたとしても、すべてに干渉できる人は、絶対にいない。
「ネット世界は広がりに留まりを知らない。世の中の時間が過ぎれば過ぎるほど、情報は増えるし、その情報を管理する世界も広がっていく。【神山システム】とは、その電脳世界を統べるために開発したのよ。」
だけど、と無機さんはため息をついて、私達の背後で今も動く【神山システム】を見た。
「全ネット世界を『見る』ことは。【神山システム】にもできないことだった。どれだけ演算能力を引き上げたとしても、どんなに大量の機材を使用しても、この子にも、世界のすべてを覗く事はできない。人間が生み出した世界なんだから、機械で凌駕するなんて、当然無理かもしれないけど。それでも、私はそれを実行してみたかった。」
その溢れる才能ゆえ。
無機さんは、幼い頃からPCに囲まれて生活した、自称『廃人』だった。
タイピングが速いのも、機械関係に詳しいのも、幼い頃からパソコンとかで鍛えられた産物だと自称している。好き物こそ上手なれ、だ。
無機さんは小学生になった頃に、モニター越しに広がる世界へと興味を抱いた。ネット・データ・コンピュータ。いくら検索しても溢れかえる情報量。新鮮な知識を提供してくれるこの世界は、どこまで広がっているのか? 限界はあるのか?
変り種だからこそ、彼女はその幻想に溺れていく。
けれど、自分にできるのは、画面越しに世界を覗くこと。
あくまでモニターを介さなければ、ネットという荒野に干渉はできないでいた。
もどかしい想いを抱えていたからこそ、無機さんはその世界に干渉しようと動き出した。
『無限に広がる電脳世界の有能さを、広大さを、素晴らしさを、もっと人々に理解してほしい。もっと有効活用されるための機械を、なぜ誰も作らない?』
そこからが、天才無機亜澄華の本領だった。
私と同じくらいの頃より【神山システム】の開発に着手し、長い年月をかけて――【太陽七家】からの支援まで受けて――そのシステムは完成した。
世界最高峰の演算機能を誇るスーパーコンピュータ【神山システム】。
今のところ演算失敗は一度も起こっていない。毎日行なわれている天気予報も百発百中だ。
「……無機さんってすごい人ですよね。自分の思いを実行に移して、世界最高峰のスパコンを実際に作り出しちゃうんですから」
「そんな褒めるようなことじゃない。私一人では作れなかった――大人の方の協力や、あなた達【太陽七家】が資金や設備を協力してくれたからできたのよ。この子はね。」
「えへへ、でも亜澄華はすごいんだよ!」
「……。そうかもね。」
そこで一旦途切れ、話題が変わる。
「妹ちゃんと【神山システム】を同期させること。それが、私が今日、二人をここに連れてきた本当の理由なの。」
「桜と【神山システム】を、リンク、ですか……」
無機さんはコクリと首肯した。
「【神山システム】は。その演算能力の高さから、『限りなく神に近いコンピュータ』と揶揄される。だけど。どれだけ機械を作ろうと。どれだけブラックボックスを並べようと。どれだけスペックを上げようと。この世界にある最速の演算処理システムは、人間の脳。雪姫ちゃんや雷桜ちゃんにもある、脳みそなのよ。」
ツン、と指で額をつつかれる。
それは聞いたことがある。
人間の脳は、何よりも優れたコンピュータなのだと。
「あなた達の脳は【神山システム】よりも優秀な処理能力を持っている。それについて説明するのは面倒だから、今はしないけど。」
「…………私は、大体わかってます。コンピュータはこちらから干渉しないと情報を捨てられないけど、私達の脳は自然と取捨選択を行える。学習することだってできるし、そもそも全身体機能を動かすだけでも、桁違いの処理能力だって」
「雪姫ちゃんは優秀。気に入った。」
褒められて私が少しだけ頬を赤らめた、その時。
桜がいち早く反応し、体を――入り口へと向けた。
すぐに、この部屋の自動ドアが、無機質な音を立てて開いた。
「けれど、その【神山システム】が《雷桜》の脳を借りることができたとしたら?」
そして、低い、聞き覚えのない声が聴こえてきた。
私達が視線を向けると、短髪のお兄さんが、無機さんと同じく白衣を纏い、こちらへと歩いてきた。
――――桜が袖を掴んでくる。先週の経験からか、反射的に臨戦態勢を取ってしまった。そんな私に対し、お兄さんは大げさに両手を挙げる。
「おっとっと、そんなに警戒しないでくれ。俺は無機とともに【神山システム】をプログラミングした張本人にして、最終メンテを任された偉大なる開発者、鉄先恒貴だ」
「しっ、失礼しました! 私は天皇波瑠と言います! こっちは妹の桜です」
「桜です!」
慌てて頭を下げる。桜も私に習い、すぐにぺこりと一礼した。
「へぇ、手前が噂の『原典』か。こんなところで会えるとはな。無機、あんたが連れて来たのか?」
「……そうです。あれについて、いろいろと話してました。」
……あれ? 無機さんの仲間であるはずなのに、どうして、無機さんは『いらんヤツが来た』っていかにも不満げなの?
という私の疑問は、すぐに解決された。
鉄先さんは、私と桜を素通りし、無機さんに近づくと、躊躇なく、
胸へ手を伸ばした。
「ええっ!?」「ぁ……」
私と桜がよくわからない声をあげ、そこからの動きはすごかった。
鉄先さんの手が胸へ振れる直前に無機さんのチョップが払い、前のめりになった鉄先さんの腹に膝蹴りが入り、そのまま服を引っ張って仰向けに倒し、無機さんは腰のベルトから拳銃を取り出して、構えた。
「死ね変態。」
「い、いつもの冗談だって。目がガチだぞ……」
なるほど、鉄先さんはそういう人なのか。発育がいいとはいえ、中学一年の無機さんに手を出すなんて、俗に言うロリコンさんですね。ところで無機さん拳銃持ち歩いてるの?
「二人とも。目を閉じた方がいい。ここからの映像は赤いから。」
「無機さん、こんなところで撃ったら、返り血がせっかくの機械にかかっちゃうかもしれません。せめて、宇宙空間へ放り投げるくらいにしましょうよ」
「なるほど。やっぱり雪姫ちゃんは頭がいい。」
「ゆ、雪姫までひでぇな」
鉄先さんが何か嘆いていた。
仕切りなおし。無機さんは私達を守らんがばかりにソファのすぐそばまで椅子を滑らせ、鉄先さんは小さなテーブルを挟んで反対側のソファに座った。
鉄先さんは現在17歳、今年度から高校三年生になる、無機さんに引けをとらない天才さんだ、と自称していた。機械関係のことに関してはほぼ同等の実力を持っているそうで、無機さんの着手した【神山システム】開発当初から、同じチームとして働いていた、いわゆる同僚。
「そいで、無機の無謀な計画について説明中だってわけだ」
「……桜と【神山システム】が同期することは、無謀なんですか?」
私は無機さんへ視線を向ける。無機さんは首を縦に振った。
「理論的ならいける。ただ。《雷桜》自身が幼いというのが、問題。」
無機さんは、桜の栗色の髪を優しく撫で下ろした。桜が気持ち良さそうに首をすくめる。
「【神山システム】の演算能力は。正直、人間の脳の半分を代用するくらいなら、余裕でできるのよ。」
「同期すれば、その分だけ《雷桜》は演算能力が飛躍的に上昇するし、更に【神山システム】の有する莫大な情報を共有することもできる。《雷桜》が、人類最大の頭脳を持った『神』になれるってぇことだな」
「だけど。そこには大きなリスクが存在する。同期させた際に、妹ちゃんの脳が、莫大な情報と演算能力に耐え切れるかどうか――ということよ。」
「…………、」
重いゲームを無理に動かしたり、インターネットのウインドウを開きすぎたりすると、情報端末が処理落ちするように。
演算許容量を超えてしまったら、桜の脳が壊れかねない。
その一線を計ることが、外側からはできない。機械側を操作することはできるかもしれないけれど、あくまで《雷桜》は桜の思考で操るものだ。限界の線引きを行なうのは桜だから――桜が幼い現状では、リスクが大きすぎる。
過剰な情報摂取だと気づかずに突き進んだら、死んでしまうかもしれないから……。
「だから。今日は、この縁で説明だけでもしてみよう、それくらいの考え。二人と顔合わせして、事情を説明して、仲良くなる。」
「えへへ、もう仲良しだよぉ」
無機さんに抱きかかえられ、桜はにかっと笑顔になった。すでに桜は無機さんに懐いたようで、私自身もすべての警戒を、彼女に対しては解いている。
不意に鉄先さんが立ち上がり、ニヤリと口角を上げた。
「だったら、今試してみればいいじゃないか」
「……え?」
「ここには【神山システム】の開発者である俺らがいるし、管制室だ。桜ちゃんに危険が及んだら、【神山システム】側を止めちまえばいい」
「なるほど。確かにそれなら大丈夫、かも。」
「で、でもそんなことしたら、明日の天気とか、大丈夫なんですか?」
「そこは安心しな、天皇家のお嬢ちゃん」
鉄先さんは、説明を続ける。
「【神山システム】とは、細かいコンピュータの集合体。多数が連結されているから、莫大な演算処理を行なえる。一つ一つは少ない力でも集まれば強大になるっていう感動理論だ。――部屋が広いのは、それだけ莫大な量のコンピュータを連結させてようやく『神のごとき演算』が行なえるっていう証拠みたいなもんだ」
その集合体のなかでも、大きな枠組みとして【神山システム】は全十二の機体に分かれている。同時に複数個の演算を行なうのは常なんだそうだ。
今回の実験では、一基の接続を他の機体から切断し、一基分の負荷のみで行なってみよう――というのが、鉄先さんの提案だった。
「……どうする桜。危ないことだけど、やってみる?」
「んー、お姉ちゃんが決めて」
疑問符を浮かべすぎたせいか、投げやりな返答をして桜は無機さんの胸元へ顔を埋めた。
……無機さんと鉄先さんが大丈夫って言ったんだし、きっと大丈夫だよね。
「じゃあ、少しだけ……その代わり、桜を危険な目にあわせないでください!」
「わかってる。妹ちゃんは、傷つけないから。」
無機さんの言葉を信頼し、実験が開始される。
この時はまだ、私が下した決断を一生後悔する羽目になるとは、思いも寄らなかった。
無機さんたちにより、【神山システム】の一基だけ同期が外される。
桜のアホ毛アンテナがピンと伸び、バチッと青白い火花を放った。無機さんはいざという時のために制御パネルの前に構え、鉄先さんと私がその近くで、黒い箱と向かい合う桜を見守る。
「――――準備OK。妹ちゃん、始めて。」
「うん」
コクリと頷いてから、
一瞬の出来事だった。
桜と黒い箱の間で、無数の稲光が交差する。
暴れる百雷と閃光が直接可視するのを妨げるほど莫大に弾けて輝く。
暴走した磁力が生み出す熱が、桜を中心に広がり始めた。
そして。
桜の全身は、彼女の意志による制御を持たず、雷光を爆発させていた。
頭にガンガン響く激痛に、私は頭を抱えて崩れ落ちる。
だけど、頭痛に構ってなんかいられなかった。
言われるまでもなく理解していた。桜は【神山システム】に耐え切れず、暴走している!
「桜! さくらっ!!」
「……強力な。磁力波……っ! まずい、止めないと……【神山システム】と妹ちゃん、両方が危ない!」
私同様頭を抱えて顔を歪める無機さんが、強制接続解除を行なうためにキーボードのエンターキーへ手を伸ばす。
「ぐっ。あああああああああああああああああっ!?!?」
だけど、青白い電撃の槍が、彼女の体を襲った。
桜の偶然放った電撃が、無機さんの行動を妨げてしまった!
無機さんの体が床へと崩れ落ち――る寸前、彼女は全身で持ちこたえる。
「む、無機さんっ!?」
「ノープロブレム。超高電圧だけど、人間の抵抗を、舐めない方がいい……!」
それでも、無機さんはどこかふらついている。焼け焦げたような音が聞こえるのは、私の気のせいじゃないはずだ。
――――鉄先さんの姿が、見えなくなっていた。
視界に入るのは、青い稲妻を放ち続ける、苦しそうな表情の桜だけ。
現状打破するには、これしかないと思った。だから、手首に巻いたSETへと手を伸ばした。
エネルギー変換能力《氷山の豪炎舞》で、桜を救う。
「SET開放!!!」
ブワッと、私よりサファイアの波動があふれ出す。
「桜あああああ!!!!!」
桜を、あそこから引っ張り出すために。
桜の放つ磁力から運動エネルギーを生み出し、50メートル5秒の速度で接近、そして桜の表面に溢れる電流に構わず私は桜に触れた。
瞬間、意識が刈り取られかける。
歯を喰いしばってなんとか堪えた私は、即座にエネルギー変換を行なった。
電気エネルギーを、運動エネルギーへ。
突風が管制室を吹きぬける。
私は変換した運動エネルギーを気体の流動で処理し、即席で消化することにした。《氷山の豪炎舞》は一見便利な能力だけど、エネルギー変換公式における『余り』を生み出せないことが唯一の欠点だ。だから、普段は『凍結+自分への運動エネルギー』という使い方ばかり用いている。
――という余談は置いといて。
この即席エネルギー変換で行なうのは時間稼ぎ。私は桜の雷撃に堪えながら、背後へ視線を送る。
体を起こした無機さんが、キーボードへ手を伸ばす。
桜の手が一瞬動いた気がしたけど、私が押さえつけているせいか、反応は見せず。
程なくして、エンターキーが叩かれる。
《雷桜》と【神山システム】の接続が切れ――――




