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●第四十三話 天才児


   6



 東京に戻ってきて、背中の傷も落ち着いてきた4月6日。

【メガフロート】地区、軌道エレベーター【アストラルツリー】の近くにある、軍が使用するトレーニング施設にて、


『命中数65%。ランク6に相当します』

「うわ、ランクまで下がってる……」


 機械の無感情かつ無残な宣告に、私は肩を落としていた。

 先週、お母さんのアイデアで理論だけ編み出した『ドライアイス弾』を実際に撃つ練習を行っているんだけど、これがなかなかうまくいかない。

 手のひらに冷気を作り出し、空気中の二酸化炭素を固体化。手を振り下ろすと同時にエネルギー変換の過程で余った運動エネルギーをドライアイスに乗せ、目的の方向へ射出する。火薬が必要なく、反動もなく、地球上ではほぼどこでも使える攻撃方法(しかも遠距離技)、使いこなせればかなり有効だ。

 有効、なんだけど……。


「ぜんぜん、使えないなぁ……」


 撃ち出す時の主軸になる手のひらをぼんやり見ていた私に、黒羽さんがタオルとドリンクを持ってきてくれた。


「波瑠様、少し小休止してはいかがですか? 一度休憩し、頭を冷やしてからリトライするのもかしこい方法です」

「……そうしてみます」


 確かに、疲労を感じ始めていたけど、できない焦りから能力使用が雑になっちゃってたかも。黒羽さんには見抜かれていたようだ。

 汗を拭き――タオルからはフルーツの香りがして気持ちよかった――差し出してもらったドリンクをありがたくいただく。


「ありがと、黒羽さん。それに、わがままでこんな施設まで使わせてもらって……」

「いえ、構いませんよ。波瑠様の御意志を考えれば、私がこの程度の施設しか確保できないことが情けないくらいです」


 この程度って、全世界最前線の科学技術が集まる【メガフロート】地区にある、見たことないような設備が揃った施設ですよ?

 ちなみに、そんな最高設備が整ったこの訓練施設は、軍の中でも正確にいうと、日本唯一の超能力武装軍【ウラヌス】の所有物だ。基本構成員がランク8以上という超精鋭部隊である【ウラヌス】の施設だけあって、私のいる狙撃訓練室以外にも、各能力に合わせた施設が並んでいる。

 今も尚、隣の施設に顔を向ければ軍の方々が実習訓練をしている。――あそこは、超能力なしでの近戦訓練かな? 柔道とも合気道とも違う『戦闘』の動きを取っているように見えた。


「黒羽さんってお母さんの付き人だった頃、どれくらい強かったんですか?」

「付き人ですから、指揮官である真希様同様最前線に出たことがないのでわかりかねますが――超能力ランクは9、やはりそれなりに強いのでは?」


 自分で言う事ではないですが、と即座に謙遜するあたり、本当に真面目な方だ。


「ふうん……私も早く、強くなりたいなぁ」

「小学生でランク8なんて、世界的にも優秀ですよ、波瑠様は。《氷山の豪炎舞(コールドシャンデリア)》を完全に使いこなせれば、ランク10も夢じゃないかもしれませんね」

「わ、私にランク10なんて、なれるはずがありませんよ……」

「御謙遜を」


 謙遜じゃないんだけどな……。それでも、黒羽さんの期待は照れくさい。

 確か、現役最強のランク10は十文字直覇という人だ。その人を含めて現在は六人――未だ、前人未到の境地がランク10の存在だと思う。

 ランクは応用性も関わるからわからないけど、ランク10になれるのは、私の年齢ですでにあの男の子くらい強くないとダメなんじゃないかなぁ。


「そうえいば桜は?」

「桜様ならあちらで、軍のオペレーターの方々と遊んでおりますよ。行きますか?」


 頷いた私は、黒羽さんの案内で桜がいるという――管制室に着いた。この施設全域を監視・管理して事故が起こった時に対応する他、データの整理など、デスクワークを行なう部屋でもあるそう。単純に言えば『事務室』かな。

 その一角で、何人かの大人に囲まれて、桜はアホ毛から小さな電気を起こしていた。白衣を着ていたり眼鏡をかけていたり(視力矯正が一般的なこの時代に珍しい。伊達(おしゃれ)かな?)、みんな研究者っぽい雰囲気が漂っている。


「……何をしているんでしょうかね」

「あー、あの電気だと、ハッキング、かと……」


 黒羽さんの疑問へ、苦笑いしながら返答。

 その会話を聞きつけたのか、一人の女性がこちらへ顔を向けたので、浅く会釈を返した。


「あら――――あなた、桜ちゃんのお姉ちゃんかしら?」

「はい。すいません、妹が迷惑かけちゃってるみたいで」

「いいえ。こっちも結構楽しませてもらってるから。もっとも、二連敗中だけど」

「連敗……?」


 彼女がコクリと頷いたのと、「また負けたー!」というお兄さんの嘆きの声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。

 その声のほうに顔を向けると、桜が得意げに、賞賛してくる大人に天使の笑顔を振りまいていた。――――今日もすっごく可愛い!

 じゃなくて。


「あー、お姉ちゃん!」


 私を見つけるなり、桜は席から降りて駆け足で抱きついてきた。


「桜、何やってたの?」

「ネットワークで、えっと、ハッキング……だっけ? で、どっちが速いか闘ったの! 全部勝ったよー!」

「あ、あはは……流石桜、すごいね!」


 嬉しそうな桜に、なんとか笑顔で返すと、更に上機嫌な笑顔を見せてくれた。

 あれ、ここにいる方『オペレーター』って、戦場で情報処理するような方々だよね?

 ――――という私の内心を見透かしたのか、先ほど声をかけてくれた女性が説明してくれた。


「ハッキングといってもね、訓練に使うような、トレーニングアプリの単純なものよ。それを桜ちゃんが興味持ったから、ちょっといじって対人形式にしたのよね。どれだけミスを少なく、それでいて早くアクセスできるかを競うの。――――まあ、噂の《雷桜》は、すごい方法でハッキングしてたけどね」

「アホ毛アンテナ接続、ですよね」

「あら、可愛い通称名ね」


 否定せず、驚きもしない。やっぱりこの方法なんだ。

 私命名、アホ毛アンテナ接続は、桜の導火線となるアホ毛より出す電磁波で電子機器と接続し、コンピュータ内に直接信号を送る、桜特有の操作方法だ。

 普通の人がキーボードで打って作るデータを、桜は脳内と電気信号で操作し、コンピュータ内に直接データを書き込むことができる。手で触れない分、圧倒的速度で処理することができる――みたい。

 私にはよくわかんないし、桜がそういうデータを操れること自体驚きだけど。

 生まれつき電気を操ることが当たり前な桜からすれば、電気信号を送受信することも、呼吸するようにできるみたいなんだ。

 でも私にはよくわからない。


「桜、あんまり好き勝手やっちゃダメだよ? あと、遊んでもらったお礼」

「はーい。ありがとうございましたー!」


 皆さんはバラバラに返事するけど、誰もが頬を緩めていた。流石(りゅうせき)桜だね。

 けれど、一人だけ頬を緩めなかった人は、私の抱きかかえる桜へ、別の意味を含んだ視線をぶつけていた。

 藍色の混じったボサボサな黒髪。どこか眠そうな瞳はきれいな黒で、対照的に肌は白くキメ細やかだ。スタイルも、羨ましいくらいすごい。その分表情は乏しいのか、仏頂面だけど。

 私は彼女が着ている制服に見覚えがあった。


「あ、その制服、あの有名な【青龍高校付属中学】ですよね? エリートさんしか入れないっていう、あの……」


 向けられた視線に思わずたじろぎ、言葉がしぼんでしまう。

 けど、彼女はふっと表情を緩め、


「ええ。そのとおりよ。よく知ってたわね。」


 ――――思いがけない、暖かい笑顔で私の頭を撫でた。

 私はその瞬間、無意識に彼女へ向けていた緊張の糸が解けた気がした。


「では自己紹介。私は無機亜澄華。青龍高校付属中学――通称、青龍中学に今年入学する一年生よ。雪姫ちゃんとは三学年違うかな。」

「え、あ、あれ? 私のこと――それに、中学、一年生……?」


 わ、私だってそれなりに興味があって知ってるんだけど、このスタイルのよさで中一って、どういうことだろう? 白衣の下で激しく主張する胸に、脚もスラリときれいだし……。

 って、そっちじゃなくて。

 まだ自己紹介してないのに、どうして私のことを知ってるんだろう?

 ――という疑問は、程なくして解決した。


「【天皇家】の。雪姫ちゃんと《雷桜》の姉妹でしょう? 有名人だもの、知ってるわよ。」


 有名人っていうか、知名度だけでいうなら桜のほうが上だ。

 全世界で希少な存在『原典』だからっていう、それだけの理由で。

 ずっと何かを思案し、沈黙を保っていた黒羽さんが、口を開いた。


「……無機亜澄華さん。その名、聞いたことがあります。『アストラルツリー』に搭載されている世界最高峰のスーパーコンピュータ【神山システム】の設計・プログラミング・開発に至るまで、すべての行程に当時わずか10歳で立会い、指揮を執ったという、正真正銘の天才だと」

「いいえ。私はそこまですごくないです。」


 無機さんの声に照れといった感情はなく、心より『すごくない』と否定しているようだった。


「すごいですよ、無機さんは。機械関係に関しての才能は群を抜いて長けていますし、まして一年以上最高峰を保っている【神山システム】の開発者。まさに、天才中の天才なのですから」

「……。どうも。」


 食い下がる黒羽さんがめんどくさいのか、そっけない返事で会話を切った無機さん。

 でも、聞いた限りじゃ、恐らく世界一の天才だ。

 青龍中学は、《超能力》ではなくスポーツでも芸術でもなんでも、『天才』と呼ばれる人しか入学することができない。どれだけ否定しようと、無機さんは正真正銘の天才なんだ。

 ……私自身が、周囲からの賞賛の言葉を否定するように、彼女も自身の実力に納得ができていないから、頑張り続けているんだと思う。

 決して自己の現状に甘んじない、尊敬できるような努力家さんなんじゃないかな。


「どうやら。『決して自己の現状に甘んじない、尊敬できるような努力家さん』――そんな勘違いしているみたいね、雪姫ちゃん。」

「ひゃあっ!」なぜ脇に手を差し込む、無機さん!「ど、読心能力者ですか!?」

「いいえ。顔を見れば大体わかるし、いい風に解釈したがる人間は、いつもそんな感じな目で見てくるから。確かにまだ中学生だけど、すごいことをしたとは思ってないわ。」


 ……無機さんの声に抑揚がないから、どこか背筋に冷たいものを感じる。


「ま。小学三年生にわかってもらうには、早すぎるか。」

「私は今年から四年生です!」

「……小さいのね。」

「うぐぅ……」


 人の気にしているところを容赦なく……。

 無機さんは……スカートを気にせずしゃがみ(見えてるけど色とかは言わないでおこう)、桜と視線の高さを合わせた。私達姉妹は身長が低いので、桜は今も110ちょいくらいしかない。


「で。あなたが《雷桜》のスキルホルダー。」

「う、うん……」

「結構可愛いのね。じー。」

「……、」

「じー。」

「ひ、ひぅぅ……」

「あの、桜怯えてるんで、せめて喋ってください」

「うん。冗談よ。」


 桜はちょろちょろと私の影に隠れてしまった。言葉から感情がいまいち読み取れないので、どこか不安になるなぁ……。どこからが冗談なのか、ピンとこないというか。


「雪姫ちゃん。」

「わ、私ですか?」

「ちょっと。この娘を連れて行きたい場所があるんだけど、いいかしら?」

「…………桜を、ですか?」


 無機さんはすくっと立ち上がり、私の頭へ手を乗せた。


「きっと。雪姫ちゃんも楽しめると、思うから。」


 黒羽さんに視線で聞いてみると、少し困った表情になった。

 ……これは、私に結論を出せ、ということなのかな。

 私自身は、好奇心というただ一つの理由だけで、無機さんの誘う場所へと行きたい。それに、桜を『原典』だと強調していた無機さんが連れて行くということは。桜にとってもタメになることかもしれないんだ。


「桜、行く?」

「うーん……行ってみる!」


 桜の一言で、すべてが決定した。

 無機さんが何かに安心したように胸を撫で下ろしたのは、私だけが見ていた。



   7



 すうぅーっと滑らかに、周囲四面が強化ガラスでできたエレベーターは、ものすごい速度で天空へと上がっていく。


「うわぁ、すごい、すごぉーい! ビルがちっちゃく見えるよ!」

「うん! もうどれが人だかわかんないね!」

「亜澄華、あれ! あれはなに!?」

「サンシャイン。」

「ねぇねぇ、あっちは!?」

「半世紀以上前の建造物、東京スカイツリー。」

「無機さん、いろいろ知ってるんですね。――わは、もう、地上はほとんど見えないや」

「雪姫ちゃんと妹ちゃんが楽しそうで何よりよ。」


 無機さんはやっぱり無表情に近いけれど、いろいろ質問する桜に全部返答したり、何かと私も気にかけたり、いい人なんだと思う。第一印象と大違いで、好きになれそうだ。


 ――ところで、私達が連れてこられたのは、日本が誇る世界最高の建築物、軌道エレベーター『アストラルツリー』だった。

 空の青を反射した外見に、緻密な計算によって成り立った骨組み構造をしている。ちょっとやそっとの地震ではびくともしないし、上空に吹く乱気流や自転公転の遠心力も計算済みだ。

 そんな、大気圏を突破するエレベーターで、一気に宇宙を目指していた。

 雲をつきぬけ、やがて黒の支配する空間が視界に入る。星々の輝きが私達を迎え入れ、その幻想的な風景に、一瞬で心を奪われた。


 ただし、目的の場所は残念ながら、宇宙展望台ではない。

 ちなみに黒羽さんは軌道エレベーターのふもとで待機してくれているので、子供三人だけだ。

 無機さんの案内でアストラルツリー内を進み、関係者以外立ち入り禁止のIDパス管理の部屋に通された。


「寒っ……」

「ごめん。機械がオーバーヒートしないように、宇宙の高度のくせして冷房で気温下げているから。春先の格好で寒いのは当然。」


 暖を取るために桜を抱きしめる。彼女も震えているけれど、微弱な電磁波のせいか、かなり暖かかった。

 そして、この体育館くらい広い部屋。

 この部屋に、所狭しと大きな黒いボックスがたくさん並んでいる。天井からはたくさんのクーラーが冷風を流していた。入り口付近の一角に開けたスペースがあり、そこにはたくさんの立体映像モニターや何かの計測器などが並んでいた。接客用なのか、ソファやお茶セット、冷蔵庫も一応置いてある。

 興味深げにキョロキョロと見回していた私たちに、ぽいっと服が投げられた。


「それ。ここにあってあなた達が着れそうな上着はそれくらい。お情け程度だけど、ないよりはマシ。」

「あ、ありがとうございます……」


 無機さんが貸してくれたのは、私達には大きなウインドブレーカーだった。たしかにお情け程度にしかならないだろうけど、この冷気は風なわけだしね。着てみると、脚まですっぽり隠れてしまった。


「あ、あの、ここは……?」

「雪姫ちゃんは。もう想像がついてるだろうけど、【神山システム】管制室よ――私の開発したコンピュータを管理している部屋、といえばいいかな。」


 入った瞬間から、確信していた。

 これが、全世界最高の【神山システム】。

 いかなる可能性でも演算することができるという、掟破りのコンピュータ。


「意外と地味だね」

「さ、桜! 機械ってそういうもんだからね!」


 開発者の前なのに、堂々とがっかりされても困る。

 やっぱりというか、無機さんはさして気にした様子もない。地上や途中階にある展望台の中の様子、あるいは外側に取り付けられた定点カメラの映像などを立体映像に流しながら、ソファを勧めてくれた。


「ジュースもいろいろあるけど。なにがいい?」

「コーラ!」

「私はなんでもいいですけど、できれば暖かいもので」


 てきぱきと動く無機さん。ここで暮らしてるんじゃないかってくらい慣れた手つきで――それとなく聞いてみると時々泊まっていくそうだ。


「そうだ。妹ちゃん。ここでは、できるだけ火花は使わないでね。障害が出ると困るから。」

「あーい」

「あ、あの、桜は常に微弱な電波を放っているんですけど、大丈夫ですか……?」

「それくらいなら。影響しない。そもそもSET自体、ある程度の磁場を持っている。携帯だってあるし、無線がこの世には無数に敷かれているから。今更。」


 ほっと一息。桜一人でこの膨大な研究を潰したらと思うと、ね。


「ん? SETって磁場を持っているんですか?」

「雪姫ちゃん。知らなかったの? 電子機器だから、わずかに磁場を持っている。それは本当に微弱なものだから、人体への影響も0。問題ないけどね。」

「へぇ、そうなんですか……」


 何気なく手首のSETに目をやる。もしかして、桜は感じるのかな――

 ――――ぱしっ


「…………へ?」


 と、私の手首が無機さんの白い手に掴まれた。さっきまでの眠そうな顔はどこへやら、瞳を輝かせて私のSETを凝視している。


「雪姫ちゃん。このSET、もしかして【ウラヌス】の最新モデルでは……?」

「そ、そうです、お母さんからもらったから、たぶん……」

「いじらせて。」

「……???」

「いじらせて。」

「……どうぞ」


 ずいずいっと近づいてくる無機さんに逆らえず、あえなくSETを差し出すことに。

 一応訳を聞くと、無機さんは自身で言う『重度のデバイスオタク』であり、市販されているSETのモデルこそすべていじったけど、こういう軍モデルや非売品を見ると、興味を抱かずにはいられないんだって。そういう性分の人もいるよね。

 手首からSETを取り外すなり、無機さんはコードを機械に繋いで、SETの中身をデータ化していく。……もしかして、【神山システム】を使ってる?

 そういえば、SETに入ってるデータって、私の身体情報以外に、何があるんだろう?

 なんて疑問を抱きながら眺めていると、一式のデータがモニターに映し出された。体重軽っ、と無機さんが小声で呟く。桜も興味があるのか、無機さんの隣へちょこちょこと歩いていった。


「雷桜。あなたもいじってみる?」

「んー、よくわかんないからいいや。見せて」

「そう。」


 桜が無機さんの隣にちょこんと座った後、無機さんはキーボードパネルに指を滑らせた。

 猛スピードでタイピングする指、モニター上で動き続ける文字――そして、桜を見ていると、機械素人の私でもわかる。

 無機さんのタイピングの、異常なまでの正確さと速度がどれだけ恐ろしい技能か、ということが。一秒間に十文字は打っているだろう指の動き。それでいてブラインドは当然のごとく、開かれたウインドウの文字列が一度も、一瞬も止まらない。

 データを読み取ることはできる桜が目を輝かせていることも、証拠の一つだ。

 ふと無機さんの猛連打する指が止まった。そして、無機さんは椅子をクルリと回し、白いため息をついた。


「雪姫ちゃん。あなた、普段はSETの調整してないでしょ。」

「……調整って、なんですか?」


 そこからか、ともう一度ため息をつき、白い息が生まれた。むむ、超能力社会では常識?


「SETだって電子機器。各部パーツが汚れることがあるし、機能が正常に回らなくなることもある。」


 それともう一つ、と無機さんは人差し指を立てた。


「SETにスキャンされているあなたの『情報』を更新する必要があるわ。」

「えっ、そうなんですか!?」

「ええ。」


 ま、全く知らなかった。そんな私に、無機さんはわざわざ、SETの『調整』について説明してくれた。


 SETは購入時、一度大型の専用機械で自分の身体情報をスキャニングする。

 超能力使用状態っていうのは、いわば『通常時の「能」を「超」えた「力」』のこと。

 特殊な電流を流すことで脳を刺激して超能力演算領域を開く、その過程には少なからず、人体に負荷がかかる。

 その負荷を極力弱め、且つ最大の能力演算を引き出す、最適の『特殊な電流』へ調整するために、SET所有者の身体情報をスキャンするんだって。

 もっとも、身体情報のスキャンは、無機さんからすれば、単なる過程に過ぎないそうだ。


「身体情報をスキャンした後。普通の人ならそこで『調整』は終わるんだけど、もう少し細かい『調整』をしたい場合――私達、SETエンジニアの出番となるわけ。」


 無機さんは無表情のままグッと親指を立てた。この人、意外と茶目っ気あるのかも。


「エンジニア?」

「ええ。スキャンした身体情報に基づいてSET内で自動更新が行なわれた後、人の手でも内部プログラムに干渉して、更に細かい調整を行なう。SET所有者――超能力者に、できるだけ快適に、且つ最大出力で超能力を使用してもらうためにね。」

「えと、じゃあつまり、今の私のSETじゃ、最大出力で能力演算を行なえていなかった、ってことですか?」


 こくり、と無慈悲に首肯されちゃった……。

 がっくしと我ながらあからさまに肩を降ろした私の頭を、無機さんがくしゃくしゃと撫でた。


「今。調整してみる?」

「ふえ?」

「さっきも言ったけど。私はSETの『調整』を行うこともできる。機械関係のすぺさりすとだからね。雪姫ちゃんが望むなら、してみてもいいけど、どうする?」

「あ、じゃあ……お願いします!」


 よし、と頷いた無機さんは、もぞもぞと手元で何かを準備していた。桜が興味深げに眺めているけど、私の位置からはよく見えない。


「雪姫ちゃん。ちょっとこっちに来て。」

「は、はい……?」


 こいこい、というジェスチャーに従い、無機さんの前まで移動すると、


「ひゃあっ!」


 と、突然無機さんの手が脇の下に滑り込んできた!


「雪姫ちゃん柔らかいのね。」

「ちょ、無機さん、くすぐったいです……っ!」


 その手はどこか舐めるようにすべり、服の中まで侵入しては、お腹や腿、うなじと私の全身を動いていく。やがて、いじりつくした無機さんは、


「むぐっ……!?」

「お。暖かい。」


 なぜか、私の体を抱き寄せた。

 中学生離れした巨乳に顔がうずまってしまう。うわ、ふかふかでなんか暖かくて、心臓の音も聞こえてきて、思わずリラックスしている自分がいる……って、な、な、なんで熱い抱擁なんですか!? 調整に必要な過程なの、これ!?

 思考が暴走しかけたところで、無機さんは私の体を解放してくれた。


「雪姫ちゃん。大丈夫?」

「だ、大丈夫です……」

「亜澄華、何してたの?」


 またまた年上を遠慮なく名前で呼ぶ桜に振り返りながら、無機さんはその手に貼っていた薄いシートを剥がしていた。よく見れば細い糸で、SETの接続された機械と繋がっている。


「ここには軍事施設に置いてあるような大型調整機はないから。私の手のひらで代用して、雪姫ちゃんの身体情報をスキャニングしてたのよ。」

「そ、それならそうと先に言ってくれれば……って待ってよ無機さん! そのシートでスキャンしてたなら抱きしめる必要はなかったよね!?」

「……可愛かったから。つい。」


 ふい、と私から逃げるように顔を背ける無機さん。顔に出さないだけでかなり人間味のある人というか、なんだか怒るに怒れなかった。

 シートを剥がし終えた無機さんは、桜とともに、新たなウインドウの開かれた立体映像モニターへと向かい合った。手元にパネル式キーボードを引き寄せ、ふたたび兆速タイピングが行なわれていく。


「今。雪姫ちゃんの最新の身体情報に書き換えてるわ。これでたぶん使い心地はよくなるし、能力使用も普段より滑らかになると思う。雪姫ちゃんは成長期だから、毎日身体情報は揺れ動く。能力を十全で使いたかったら、できるだけ短いスパンで調整することね。」

「はい、えと、でも、調整のやり方なんてわかんないです……」

「……。連絡さえしてくれれば、きちんと本格的な機械を使って、私がやってあげてもいい」


 あくまでタイピングは止めないで、だけど無機さんからの思わぬ発言に、私は目を丸くする。


「いいんですか!? あ、でも、無機さんほどの人だと、迷惑になるんじゃ……」

「これくらいどうってことない。これも何かの縁だし。」


 高級なSETをいじれるし、と付け加えられた。あくまで本命はそっちなのかな。

 やがてタイピングが終わり、銀色のSETが私に手渡された。


「はい。調整終了。いちお、中のOSも最新版にアプデしておいたから。」

「本体更新まで……なんか、何から何まですいません」

「すいませんじゃなくて。ここはありがとうと言う場面じゃない?」

「えへへ、そうですね。ありがとうございます!」


 SETを手首につけなおす。外見も磨かれたのかピカピカで、まるで新品みたいだ。

 そして。

 無機さんは、私の感謝の言葉に対し、ふっと目を細めてくれた。

 やっと、はっきりした笑顔を見せてくれたんだ。

 それはすっごくきれいな笑顔で、もしもオシャレとかにちゃんと興味を持っていれば、無機さんがモテモテになっただろうことは間違いないと思わされた。

 美人さんなのに、もったいないなぁ。

 機械に対して少しパチパチ接続している桜を見て、無機さんはぽん、と手を叩いた。


「……おっと。ここにきた、本来の目的を忘れるところだった。」


 無機さんは、そんな桜の栗色の髪に手を乗せる。

 ところで桜はピンク色のリボンをカチューシャのように結ぶことがお気に入りで、今日も可愛らしく身につけていた。アホ毛とともに、二代桜を桜たらしめるポイントだ。


「スキルホルダー――《雷桜》ちゃん。あなたに試してもらいたいことがあったのよ。」

「んー? わたし?」


 こてっと首をかしげる桜。

 やっぱり可愛いんだけど、無機さんの瞳は、一人の研究者のものと変わっていた。


「雪姫ちゃん。さっきのハッキングの実験を見ていたときから気になっていたんだけど、妹ちゃんは、『原典』の力でネットへ直接アクセスすることが、可能なのよね。」


 無機さんの確認に、私はしっかりと頷いた。



 桜の《雷桜》による応用の幅は留まりを知らない。

 そのうち一つに、電子機器との接続がある。

 科学技術の発展に従い、世界中に張り巡らされたネットワーク。そのシステムは一世紀以上変わることなく、文字というデータや電気信号により、情報のやり取りをする。《雷桜》はその『電気信号のやり取り』に介入することが可能なんだ。

 ようするに、電気を介して機械に接続することができる桜は、そこからデータに干渉、『読み取る』ことができれば、データを『書き込む/削除する』ことだってできる。

 ――その技術の使い道はもっぱら、ゲームのシステム面に干渉して、自分の手でバグを修正するくらいだけど。


 そして、代表的な力はもう一つ。

 PCや携帯端末に接続することで、桜はネットと情報を共有することもできるんだ。その過程で電気信号をやり取りすれば、数多くのウェブサイトを直接『見る』ことも、やはり『書き込む/削除する』こともできるので、ネットに繋げられる端末さえ手元にあれば、いつでも必要な情報を自在に引っ張り出せる。

 ――もっとも、引き出してくるのはゲームの攻略法とかばっかだけど。

 ハッキング技術もその一環で手に入れたもの。相手セキュリティへの干渉を続けることで、電池さえ耐えられれば、どんな強固なガードでも破れる。


 これらすべては、一度研究・実験が行われて判明した。

《雷桜》という原典の桜は、世界的に希少な存在。

【太陽七家・天皇家】という科学の最高峰の家に生まれたからこそ、《雷桜》は数多くの科学者や研究者によって解析が行なわれている。

 その使い道は無限大。

 無限の応用力の限界を知るために、時折桜は大人の実験に付き合わされることがある。



 ――――と、長々と説明。桜が、自身のことを話されているにもかかわらず大きな欠伸を見せたところで、ちょうど話は終わった。まあ、退屈だよね……。


「桜、こんな寒いところで寝たら、死んじゃうよ」

「う、うん……ふぁーっ」


 無機さんが「たまに寝てるけど……。」と呟いていたのは気にしない。


「こんな感じです、桜の《雷桜》は」

「ありがと。雪姫ちゃん。……雪姫ちゃんも優秀ね。四年生とは思えない。」

「えへへ、そんなことないですよ。妹のことですから、ちゃんと知っていないと、いざという時に守れないですもん」

「……妹ちゃんは。いい姉を持った。」

「うん! お姉ちゃん大好き!」


 顔を見合わせ、えへへ、と笑いあう。無機さんも少し微笑んだ気がした。


「それじゃあ。本題に行きましょう。」


 ――――表情が硬くなり、私も思わず背筋を伸ばす。堅い話なら、黒羽さんを呼んだほうがいいかな、という考えがよぎり、

 その考えも真っ白になる言葉が、無機さんから発せられた。



「《雷桜》と。【神山システム】の膨大な情報をリンクさせて、妹ちゃんに、電脳世界を十二分に生かしてもらえるような体制をとりたい。私は、そう考えている。」



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