●第四十二話 救世主
23歳で9歳の子供がいるとか一体どんな母親なんですか真希さん。
この平和な章の数少ないバトルパートをどうぞ!
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そして翌日。朝食を食べ終え、少なからず緊張しつつ、お母さんや黒羽さん、もちろん桜と一緒にホテルのラウンジで、その、い、いい、許婚、さんを待ってたんだけど……。
「本当に申し訳ございません! ウチのクソガキ……ではなく子息様なのですが、今朝部屋から忽然と姿を消していまして!」
「い、いえ、あはは……」
初手から破綻しました。
目の前で頭を下げているのは、私が会う予定だった『彼』の保護者兼付き人――私から見た黒羽さんの位置――だという白神さん。見る限りもう四十はいってそうだけど、子供のために頭を下げるなんて……苦労、してそうだなぁ。
「今こちらが全力で捜索中ですので、発見次第すぐに連絡いたします! ひじょうに申し訳ないですが、何か時間を潰していただきたい。おそらく一時間は見つからないです……」
「一時間ってまた長いのね。逃げるのが得意なのかしら」
お母さんがなぜか感心したように告げる。
「では私も捜索してきますので。くそっ、姉弟揃っていなくなるってどういうことだッ!!」
怒り心頭で白神さんは一礼してから駆け出した。大人五人以上プラス監視カメラの映像とかも使ってるらしいんだけど、どうして見つからないんだろう……。ちょっと不思議に思いながら、私は後ろにいる黒羽さんたちへ振り返った。
黒羽さんはなぜか、あからさまにがっかりしていた。
「残念でした……波瑠様の将来のお相手となる殿方を見られると思ったのですが」
「っ!? にゃっ、にゃにをいってりゅんでひゅかっ!」
「波瑠、テンパらないの。あくまで今日は初対面なだけだから」
なでなでと黒羽さん、お母さんに頭をなでられる。ふごあっ、完全に子ども扱い……。
ていうか、私そんなにテンパってるかなぁ。いや、まあ、あくまで許婚『候補』であって必ず相手にしなきゃいけないってわけじゃないし、ねえいやその。
二人の下から逃れて桜を抱きしめる、恥ずかしさとかいろいろなそれを誤魔化すために。桜だけは平常運転で――「お姉ちゃん今日テンション高いね! いいなずけに会うの楽しみなの? その人と結婚するの?」――いてくれたら、嬉しかったんだけどなぁ……。
「そういえばお母さん、相手の男の子ってどんな人なの? その、やっぱりお金持ちの子供、とか?」
「従兄よ。同い年の」
「いとこっ!?」
割と近親!
「え、ていうか私に従兄いたの!?」
「いるわよそりゃ。波瑠は一度だけ会ったことあるんだけど、覚えてないの?」
首を横に振ると、お母さんは「まあ、三歳だったから仕方ないかもね~」とお母さんは私の頭をくしゃくしゃ撫でた。
三歳の頃に一度……会えば、思い出せるかな?
「でも逃げ出しちゃうなんて、やっぱり九歳の男の子は婚約者とかそういう堅苦しい話が受け付けられないのかしらね」
「かもしれませんね。聞けば活発で明るく、少年らしい少年だって聞いてましたから。まだ将来のことなんて眼中にもないんでしょう」
お母さんと黒羽さんが、私にベタついた視線を送りながら好き勝手話を進める。なんと居心地の悪い……。
「お姉ちゃん、いいなずけさんいないなら遊びに行きたいよー」
「そうだねー、どこか行きたいねぇ」
うぅ、私の良心はもう桜だけだよ。天真爛漫な笑顔が心を安らかにしてくれる。
桜と私のそんな会話もちゃんと聞いていたのか、お母さんがニカッと笑顔を向けた。
「じゃ、美里とあなた達でどこか行ってくれば?」
「どこか? でも、この辺って何があるの? 鳥取砂丘?」
「砂丘で思い出しました」黒羽さんがポン、と手を叩く。「せっかく近場ですし、波瑠様や桜様がより楽しめる方へ行きましょうか」
得意げな笑みに、私と桜は顔を見合わせる。はたして、その場所とは――――
☆ ☆ ☆
きゅっ、きゅっ。
足を置くたび、可愛らしい音が鳴る。
「へぇ、これが鳴き砂……面白いね!」
「きゅっきゅっ、鳴いてるみたい!」
やってきたのは、琴ヶ浜という名前の砂浜だった。鳴き砂と呼ばれる、その名のとおり踏めば音を鳴らす砂浜で有名だ。
黒羽さんは相変わらずのスーツ姿。私達はまだ冷たい海に足をつけたりして、無邪気にはしゃいで遊んでいた。
「黒羽さーん、これどうして鳴るんですかー?」
「うーん、と……お二人にはまだ難しいですね。中学生になれば教えて差し上げますよ。ただ一つ、この砂浜がきれいだという証拠に鳴ることは、確かです」
「へー、そうなんですか」
教えてくれるのは先延ばしだけど、まあ、楽しいからいいや。
春休みでもやっぱり海水浴の季節じゃないせいか、あんまり人は見られない。釣りのおじさんがおっきな魚を釣り上げ、周囲の仲間と思しき人から拍手を受けていた。
「波瑠様、桜様、何か飲み物を買ってきましょうか?」
「あ、はい。お願いします」
「美里、コーラがいい!」
「かしこまりました」
この平和極まりない光景に、黒羽さんも『安全だ』と判断したんだろう、海岸から離れて、どこかへ行ってしまった。
桜は依然砂浜を走り回り、きゅっきゅと鳴らし続けている。
「なんで鳴るんだろうね、お姉ちゃん」
「ね、ホント不思議」
顔を見合わせて、にへっと笑いあう。桜は相変わらず天使みたいに可愛い。
――――突然、アホ毛からバチン! と火花が走った。
「わっ!? さ、桜!?」
「あぅ、お姉ちゃんゴメン。暴走。だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ、ちょっとびっくりしただけ」
桜の髪を撫でていく。桜は安心したのか、気持ちよさそうに目を細めてくれた。
感情が高まると――それがプラスでもマイナスでも――彼女のアホ毛は火花を撃ちだすことがある。今回は、好奇心の上昇メーターが最大まで振り切れた証拠かな。
私は、足元の砂を少しだけ持ち上げ、さらさらーっと流してみた。触った感覚は、なんとなく違うような、それでもその辺の砂と大差ない気がする。
いかに科学技術が発展したとしても、この世界には解明されてないことがいっぱいある。もしかしたら、黒羽さんは誤魔化したけど、本当は鳴る理由なんてわかってなかったりして――
きゅっ きゅっ
鳴き砂が、背後より音を生み出す。桜が、私の袖をきゅっと握ってきた。
――――黒羽さんじゃないことが確定した。
桜は《雷桜》によって、常にある程度の微弱な電磁波を周囲に放っている。こうして障害物の少ない場所なら、知り合いが近づくのはいち早く察知することができるし、同じく知らない人が近づくことも、簡単に察知できる。
私が振り向くと、そこには大きな体の男が三人いた。顔立ちは全員、外国の方っぽい。
桜を背中に、近づいてくるその人たちを睨みつける。
「…………なにか、用ですか?」
「ああ、キミ達に――特に、そっちの茶髪のお嬢に用がある」
――――けれど、話すのは流暢な日本語だ。外国語も主要国のものならある程度は話せるけど、日本語でいいならそれでいい。
私は桜を背後に庇いながら、彼らをじっと観察する。
一人は丸太のように太い腕っぷしをしている。ラグビー選手並かそれ以上――この腕に殴られたらシャレにならない。その彼の隣、さっき返答した男は他の二人に比べて細い印象だ。顔立ちも整っていて、それなりにモテそう。もう一人の金髪は――一人目ほどじゃないけど、がっちりした体つきだ。
どこに隠れてたのかは知らないけど、桜には指一本触れさせない。
「穏便に事は済ませたいので。《雷桜》を、こちらに渡してもらいたい」
細身の男が一歩だけ前に出ながら、私を見下ろす。見下す、と言ってもいいかもしれない。その男は袖の裾を軽く引き、群青色のブレスレットを見せた。
超能力発動端末【SET】――!
「さもなくば、コイツを使って無理やりにでも連れて行かせてもらうけど――どうする?」
ひっ、と桜が息を漏らして私の後ろに完全に隠れる――しかし、他の男達も、私たちを中心に三角形を描くように、囲んできた。
あくまで返答はしない。黒羽さんが戻ってくるまでの時間を、できる限り稼ぐんだ。
「すぐに動かない、か。なるほど、先ほどの保護者が戻ってくるまでの時間を稼ごう、とでも考えているのかな。子供の割には冷静な判断だけど、不審な大人に囲まれたら、真っ先に悲鳴を上げるのが、助けを求める最善の手段じゃないのかな?」
じり、と細身の男が一歩近寄ってくる。
「……その場合だってどうせ、あなた達は超能力で私たちを制圧してくる。気絶させられるくらいなら、戦ったほうがましだもんね」
「状況をよく理解しているね――なら、その言葉通りにしてあげようか!」
細身の男が目配せしながら群青色のSETへ手を伸ばす。
相手が動くより早く、私も手首に巻いたSETへ指を走らせた。
「「「SET開放!!」」」
「えいっ!」
そして――私達がSETを起動させるという一秒に満たない行動を必要としない桜が、《雷桜》を使って先制攻撃を放った。
これが『原典』の強み! SETを起動せず、いつでも意のままに超能力を発動し、他の能力者から先手を取れる!
桜は、一番屈強そうな男にバチンッ!! と青白い電撃を撃ち抜いたのだ。桜の電力じゃ心臓麻痺を引き起こして一瞬で殺す、なんて物騒な芸当はできないけど、男の意識を奪い取ることくらいはできる。
「な――《雷桜》か!」
男達が目を見張り、体を一瞬硬直させる。
そう、あなた達の慢心は、私たちをただの子供だと思って油断していたこと。
私たちは、あの【天皇家】の子供だ。技術スパイ、産業スパイ、ただの身代金目当てのクズに、天皇家へ恨みを持つ敵からの理不尽な攻撃。そういったものを幾度もくぐり抜けている。攻撃はもちろん黒羽さんはじめ大人の方がするんだけど、自衛くらいはできるんだよ!
私は、相手の見せた一瞬の隙を見逃さなかった。
バッと手をかざし、桜を捕らえようとする金髪へ手をかざす。彼の能力は身体強化らしく猪突猛進といわんばかりの速度だけど、それは私からすれば、格好の獲物!
「はああっ!!」
「――ぐっ!?」
パキパキパキィッ――と、熱エネルギーを奪われた水蒸気が凍結し、生み出された氷塊が男の伸びていた腕、そして足元を凍りつかせる。金髪は勢い余って顔面から砂浜へ落ち、自ら増強した運動エネルギーに気絶することとなった。
《氷山の豪炎舞》。
自慢のエネルギー変換能力が創造した強固な氷は、彼の動きを封じる檻となる。
私の周りに、冷気によって白い霧が漂い始める。
「桜、下がって!」
「う、うん!」
バチバチッ、と体中より火花を散らす桜を、細身の男から隠すように前に出る。そう、桜は戦わなくていいんだよ。私が守るから!
「そういつまでも好き勝手できると思うなよ、小娘」
細身の男は両手を天へとかざす。その手に向かって、足元の砂がギュンギュンと轟音を鳴らし、竜巻のように渦を巻きはじめた。
「砂を操ってるの? ――違う、サイコキネシス系だね」
「博識だな。超能力を開発した【天皇】の娘だけはあるってことか。先は油断していたが、次で終わらせる。こんな風にな」
にやり、と細身の男が口角を不敵に上げる。
不意に、視界がぶれた。
頭に強烈な痛みが走り――私の体は、砂浜へと乱暴に転がっていく。
「が……は……っ!?」
蹴られたということが、ようやくそこでわかった。
砂まみれとなった視界で、それでも桜を確認しようとして――私は、息を呑んだ。
「捕まえたぜ、原典ン!!」
(もう……一人……っ!?)
私達が撃退した二人ではない、全く別の男が桜の体をがっちりと捕まえていた。鋭い犬歯を覗かせている。
「お姉ちゃんっ!?」
桜が泣き叫び、電気を爆発させる。しかし男は一切動じた様子もなく――彼の身につけるロンググローブで、桜の放つ火花はせき止められていることがわかった。
どうして電撃が通じないのか。その答えは驚くほど簡単で、その男は耐電加工をほどこした衣装を身につけているから、なんだと思う。《雷桜》の対抗策は今のところ、たったそれだけで済んでしまうというとんでもない欠点を抱えている。
だけど、四人目なんて一体どこに!?
という私の疑問は程なくして解決される。桜を掴む男の体の周囲は、赤紫の波動に包まれていた。導き出される答えは一つ!
「超能力……っ!」
「アァ、俺の能力は《幻影管理》ってなぁ、光の屈折を操作して、俺をその場にいないように見せることができんだよォ! テメェはずっと三人だと思ってたんだろォが、俺はずっとテメェの後ろにいたんだぜェ!!」
奥歯を噛み締める私に対し、男がガッハッハと仰々しく笑う。
――黒羽さんが、彼らの姿を見つけられず『安全だ』と判断した理由も、たぶんこの能力によるステルス効果が原因なんだろう。
そして、『鳴き砂』であるこの砂浜で《幻影管理》の男の接近の音が聞こえなかったのは、細身の男があえて砂を巻き上げたことで、雑音を増やしていたからだ。視覚的にもインパクトのある映像は、私たちの意識を彼に誘導されていた。桜の電磁波ソナーが機能しなかったのも、集中力がかき乱されていたから。
もしも足元を見ていれば、足跡で気づけたかもしれないけど……視覚操作系の能力者がいるなんて、想像するはずもないじゃない。
最初から、三人が私を退けて、《幻影管理》の男が桜を捕らえる手はずだったんだ。
人数と計画と《雷桜》対策。
私は全身の震えを、そろそろ誤魔化せなくなっていた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! 助けてお姉ちゃん!」
「桜――ッ!?」
私が左手をかざそうとしたら、背中に鋭い痛みが走った。思わず顔を歪める私は、腰へ向かって生ぬるい液体が流れるのを感じつつ、恐る恐る背中へ視線を向ける。
砂でできた鋭利な刃の先っぽだけが、私の背中に当てられていた。
一歩でも動けば、刺さって……死んじゃう。
「おっと、超能力を使ってみろ小娘。死んでも知らないけどな」
「…………せめて、桜を逃がしてください」
「そいつはできねェな! 俺らの目的はそもそもコイツなんだよ! 原典であるコイツを捕らえるのが上からの命令だァ! テメェにも人質としてついてきてもらうがな!」
「これ以上語ることはない。連れて行くぞ」
細身の男が冷静に告げる――終わりを、告げる。
…………どうしよう。
命を捨てれば、桜を救うことはできる。だけど、その直後に桜が動けなくなるのは目に見えている。自他共に認める仲良し姉妹なんだ。私が死んだら、桜は絶対に動けない。
詰んだ。
私が幼いから、弱いから、こんな事態になっちゃうんだ。
黒羽さん、誰か、お願い、誰でもいいから、桜を助けて――――
「吹っ飛べ三下!!」
高い、男の子の声が響く。
次の瞬間。
轟ッ!! と。
突風という名の大砲が、私の眼前に立つ細身の男を吹き飛ばした。
細身の男は悲鳴を上げることも敵わず、弾丸のように猛スピードで突風に体を運ばれ、大きな飛沫を立てて海へと墜落する。
背中に触れる砂の刃がさらさらと音を立てて霧散すると同時。
ひゅん、とそよ風のような気流が吹いた。
そして、気づけば《幻影管理》の男の頭が蹴り飛ばされ、拘束が解けてするりと桜が砂浜に着地する。私は駆け寄る桜を抱き上げながら、手をかざして《幻影管理》の男が光を操って姿を消す前に、拘束を試みた。
成功したらしく、私の生み出す氷塊は虚空に人型を成して上へと伸びていく。
そこへ、ふたたび風が吹いた。
気流を纏った男の子が、氷塊を目印にして、左手を握り締めていた。
その腕では、大気が激しく竜巻を唸らせている。
「喰らえ――《エアー・バースト》ッ!!!」
ドッ!!! と男の子の拳が虚空に炸裂し、能力が強制解除された《幻影管理》の男を巻き込む突風が吹き荒れる。余波に砂が激しく巻き上げられ――砂煙が晴れた頃に、とぷん、と沖のほうで小さな飛沫が上がっていた。
唖然とする私の胸に、トッと衝撃が当たる。桜が私の胸に顔をうずめてきた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃぁぁぁん!!」
「桜……無事でよかった」
泣きじゃくる桜を抱きしめながら、私は――助けに入ってくれた男の子を見ていた。
野球帽を深く被っていて顔はよく見えないけど、同い年くらいの、男の子かな。半袖の赤いパーカーに七部丈のズボンという快活そうな服装から伸びる四肢は、まだ春先だというのに、ほんのり日焼けが見られた。
そして、手首には白銀のSET。
見惚れるほどに鮮やかな『赤』の波動は、彼がSETを停止させたことで納まってしまった。
私も――念のため砂浜に転がる残党を凍結拘束してから――SETを停止させた。男の子はパッパッと砂埃を払うと、クルリと私たちへ振り返った。
「な、つい介入しちまったけど、あいつらぶっ飛ばしてよかったんだよな?」
すごく気楽な口調に、私はなぜか、笑わずにはいられなかった。
「あはは、全然問題ないよ。えっと、助けてくれてありがと」
「なんのなんの。困っている人を助けるのは普通のことなんで。ところで――背中、刺されてたよな? そっちは大丈夫か?」
男の子は自分の背中をちょいちょいと示す。私は触らなくとも、背中から血が垂れ続けていることは認識していた。皮膚が動くとズキズキ痛むし、
「……大丈夫とは、言いがたいかな」
「ならすぐに――って、今オレ逃走中で手持ちマネーカードしかないんだっけ」男の子はポケットの中をごそごそ漁ったけど、結局何も見つからなかったようで、「包帯かなんか買ってきてやるよ。痛むんだろ?」
「あ、ううん。そこまでしてもらわなくていいよ。もうすぐ保護者来るし、その人になんとかしてもらうから」
「あっそう? ならいいけど、無理すんなよ」
男の子は私の頭をポンと軽く叩いた後、中腰になって、桜と目線の高さを合わせた。
「そっちのちびっ子は大丈夫か?」
「う、うん……だいじょうぶだよ……たすけてくれて、ありがとうございました」
「お礼は姉ちゃんに言ったげな。オレ一人じゃ倒せなかったろうしな」
「そ、そんなことない! 私は何もできなかった! あなたのおかげで助かったんだよ!」
私がつい反論すると、男の子は一瞬キョトンとした後、
「へへ、それほどでも!」
――――ずるいくらいに眩しい笑顔になった。
どっくん、と私の心臓が跳ねる。そのまま、とくん、とくんと心臓は早鐘を鳴らし……え? なんでこんなに、鼓動が早くなっていくの!?
「ねえねえお兄ちゃん、さっきのすごい風って、お兄ちゃんの能力?」
くしゃくしゃと頭をなでられる桜が、好奇心満点で問いかける。
「ふっふっふ、知りたいか。オレの超能力、その名も《エアー・バースト》っていう超攻撃的能力だ。ま、単純に言えば気流操作。驚かれるような技術は一切ないけどな」
「でもすっごく強かったよ! 謙遜することないのに」
「強いのはお前もだろ? さっきの冷却能力、ちゃんと見てたぜ。こいつらの動きを封じてくれたから、オレも対処することができたんだ。だから手柄は半分ずつだな」
「そんなことないよ……ほんと、私は何も……」
「もっと自分に自信持てよ。オレが助けに間に合ったのだって、お前が時間を稼いでくれたおかげなんだぜ?」
ポン、とまた男の子の手が私の頭に乗せられ、私の心臓が大きく跳ね上がる。男の子は楽しそうに声を上げて笑い――視線を遠くへ向けて、「やべっ」と声をもらした。
「……どうしたの?」
「わ・す・れ・て・たあああ!! オレ今ちょっと家の面倒事っつか、私情で逃げ回ってんだった! おい、警察でも呼んで、こいつらを引き渡しとけよ! じゃあな!」
「う、うん、わかった」
男の子が慌てた様子で駆け出していく――って、もう行っちゃうの!?
それはなんか、よくわかんないけど、嫌だ!
「待って! 名前! せめて、名前教えて!!」
「ん? オレは――――」
その時、何の悪戯か。
突然、本当に突然、強風が私たちと男の子の間を吹きぬけて、男の子の声を掻っ攫った。
砂煙が晴れたとき、その男の子の姿は、もうなくなっていた。
名前、聞き取れなかったな……。
野球帽とパーカーの、元気な男の子。
あの子がいなければ、今頃どうなっていたか。いつか再会したとき、お礼ができるといいな。
それにしても、ヒーローみたいで、かっこよかった……。
思わず頬が熱くなるのを感じ、私はそれを誤魔化したくて首をブンブン振る。
やがてきゅっきゅっと鳴き砂が鳴り、桜が顔を上げた。
「美里!」
「は、波瑠様、桜様ぁ!」
焦った様子で、黒羽さんが駆け寄ってきた。手の中にはペットボトルが三つ。
「ご、御無事でしょうか!? 彼らは一体――いえ、私が席を外していたがばっかりに!」
かなり焦っているみたいだ。黒羽さんにしては珍しく言動が荒れている。
「私も桜も大丈夫ですよ」
「そ、そうですか……波瑠様、桜様、危険な目にあわせてしまい、申し訳ございませんでした!」
ビシッと直角に頭を下げる黒羽さん。私と顔を見合わせた桜が、黒羽さんに顔を上げるよう促した。
「大丈夫だよ美里。お姉ちゃんとお兄ちゃんが、助けてくれたから!」
「お兄ちゃん……?」
黒羽さんに、実は、と事の顛末を説明する。
「かっこよかったんだよ、あのお兄ちゃん! びゅーって、風を使って助けてくれたんだ!」
「ねー、かっこよかったよねー」
「それはそれは……その男の子には、感謝しないといけませんね」
ほっと息をつく黒羽さん。私はふたたび、あの男の子の顔を思い浮かべる。
とても強かった、あの男の子を。
「波瑠様、先ほどから顔が赤いですが――もしかして、惚れました?」
「ふえっ……ほ、惚れてませんっ!」
「うふふ、それは残念です」
ちくしょお、黒羽さんに弱みを握られた気がした。ていうかこの後許婚候補の男の子と会うっていうのに、さっきからあの男の子の笑顔が私の頭をちらついて――もう!
でも、たぶんこれは、憧れに近い感情だ。
私の持っていない強さ。
誰かを守れる強さを、あの男の子は持っていた。だから、見ず知らずの私たちを助けることができたんだ。
桜一人守りきれなかった私には、その強さと、男の子の『困っている人がいたら助ける』っていう意志が、羨ましいんだと思う。
――その後、私が背中に怪我を負ったことで、許婚候補と会う予定は破棄となり(まあ、その日の夜中まで結局その男の子は帰ってこなかったらしいけど)、私は一日ホテルで休むことになった。
☆ ☆ ☆
翌日、お母さんの友人・神童尚子先生の結婚式では、出雲大社で出会ったマイさんカップルと再会したり、まさかのブーケトスをマイさんが受け取って『この際ここで式あげちまえ!』と彼氏さん共々からかわれたり、笑顔溢れる楽しい結婚式だった。お母さんは「波瑠や桜の結婚式はいつかしらねー」と随分先の未来に妄想を膨らませていたっけ。
その後もお母さんと過ごす一週間を経て、仕事で外国へ飛び立つお母さんとは別れることになった。また会えるから、寂しいけど、寂しくない。
果たして私たちは、東京へ戻ることになった。
帰りの車の中、私に肩を預けて眠る桜の小さな手を握って。
私は思った。
あの男の子にはまだまだ届かないかもしれないけど。
せめて、妹をこの手で守れるくらいには、強くなりたいな――って。
もう、桜に涙を流してほしくないから。
私の弱さのせいで、桜が泣くのは、辛すぎるから。
5
軌道エレベーター【アストラルツリー】。
そのほぼ宇宙に差し掛かる高度の一室『【神山システム】管制室』で、一人の少女が立体映像による多重モニターと向かい合って、キーボードパネルに指を走らせていた。
彼女が調べていることは――『原典』
日本中探しても、100人ほどしかいないと言われている。
その中でも、電気を自在に操る『原典』がいるらしい。
彼女は、興味を抱かずに入られなかった。
彼女が一年前に完成させたスーパーコンピュータ【神山システム】は、いたちごっこを繰り広げる機械関係の世界で、一年間も史上最高の演算処理ができる、という地位を保っている。
そのことが誇らしくもあり――けれど、コンピュータの完成が彼女を満足させたかといえば、そうでもなかった。
彼女が追い求めるのは、電脳世界と現実を、もっと強固に結びつけること。
それについて調べている最中に、電気を操る『原典』の少女の話を見つけた。
「その女の子と【神山システム】を同期させることができれば、電脳世界と繋がった少女を生み出せるかもしれない――そんな、物騒なことを考えているのかい、無機亜澄華」
――――無機は、タイピングを止めることなく、唐突に背後に立った少女へ返答する。どこから来たかは知らないが、大方瞬間移動系の能力でも使ったのだろう。
この年上の女子高生はなんでもありだ。今更気にするところではない。
「……ええ。そんな物騒なことを考えているわ。十文字直覇。」
少々自分の志すものと違うが、反論するのも億劫なので、無機は雑に肯定する。
十文字直覇は勝手に椅子を一つ引っ張り出すと、器用にスカートの中身が見えるか見えないかのギリギリで脚を組んだ。
「ボクは正直、かなりキミが好きだよ、無機亜澄華。研究に一直線で、未来予測といわれるほど正確な演算処理能力を持つ【神山システム】を開発したんだから。未だ天気予報や実験の成功失敗の演算、外したことがないんだっけ? これじゃあまるで《アカシック・レコード》だ」
「……。そんな、オカルティックなものを目指したつもりはないわ。私が目指すのは、無限に広がる電脳世界を人類のために役立てる、そんなことよ。」
「ボクはそういう思想が大好きだ。悪用するんじゃなく、世のため人の為に科学技術を利用しようと考える人は輝いているよ。だが一つだけ、人生の先輩として教えてやろう」
すっと、直覇は無機の耳元へ顔を近づける。
「本当に素晴らしいものを作り出す先駆者ってのは、つねに悪から生まれてやがる。世の中ってのは、そういうもんなんだぜ。科学面に関しちゃずば抜けて、ね」
「……。」
無機がふたたび流すと、直覇はつまらなさそうにやれやれとポーズを作ってから、一瞬で管制室より姿を消した。




