●第四十一話 無邪気
ちなみに作者は島根県に行ったこと、無かったりします……。
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小学校が春休みを迎えてまもなく。私と桜は黒羽さんに連れられて、島根県の出雲にいた。
「連れてこられたのはいいんですけど、なんで島根県ですか?」
「なんでも、真希様のご友人が結婚式を挙げるとかで。波瑠様も面識がある方で、『招待状にオーケーで返事しちゃったから来てほしい』とのことです」
「お母さん、相変わらず急なんだから……」
私の溜め息に、黒羽さんが同情するように含み笑いを作る。仕事中のお母さんは随分しっかりした人なんだけど、私生活になると若干壊滅的になってしまう、という欠点があるんだよね。反面教師にしろ、と黒羽さんには耳にタコができるほど(影で)言われていたりして。
「(まあ、波瑠様にはそれ以外にもちょっとした用事がありますけどね……むふふ)」
「ん、黒羽さん、何か隠し事してます?」
「してませんよ。早速、真希様の下へ向かいましょう」
他のものに興味津々でキョロキョロ顔を動かしている桜の手を引きながらしばらく歩き、私たちはものすっごく高そうなホテルに案内された。天皇家、相変わらず恐るべし。
その入り口付近で、男性を数人引き連れている女性を発見した。天皇家の遺伝である、深みのある蒼髪がはらりとなびく。それを見た瞬間、桜は私から手を離して駆け出した。
「ママーっ!」
「あら、桜! もう来たのね!」
駆け寄った桜をお母さんはひょいっと抱き上げ、頬をすりすりと擦り合わせ始めた。
「また大きくなったんじゃない? もうホント成長早いわね! 元気してた?」
「元気だよっ! お姉ちゃんも!」
ピッと桜が私を指差し、黒羽さんとともに歩み寄った私を、桜を降ろしてからお母さんは優しい微笑みで迎え入れてくれた。
「波瑠も、よく来たわね。あなたもすっかり大きくなっちゃって。ふふ、身長を抜かされるのも遠い日じゃないかしら」
「えへへ」
お母さんに頭をなでられる。私と桜は身長が平均よりずっと低いんだけど、それはお母さんからの遺伝。お母さんの身長は150センチに満たないのだ。小六までには抜かせるといいな。
「あのねっ、ママ! お姉ちゃんがね、この前学校でねっ!」
「桜、楽しいお話は後ででいいかしら。今晩たっぷり聞かせて頂戴」
はーい、と元気よく返答する桜に、たぶんお母さんの仕事関係である周囲の男性もみんな頬を緩めていた。お母さんが桜を嗜めたのは、彼らの前だからだと思う。
「それじゃ美里、しばらく波瑠と桜をよろしく。仕事が終わり次第合流するわ。あのこともあるわけだしね」
「ふふ、そうですね」
黒羽さんと意味深な笑みを交わし、お母さんは車に乗ってどこかへ行ってしまった。……だから、私絡みのことで何を隠しているの!
ホテルの部屋に無事荷物が着いていることを確認した後、時間が空いてしまった。
「うー、ひまー」
早速携帯ゲームを片手にベッドに横たわる桜。常にひょこひょこ跳ねているアホ毛から時折バチッ、と火花が飛んでいる様子を見ると、ただ単にゲームで遊んでいるわけじゃなさそうだ。
「そういえば黒羽さん、結婚式って誰と誰? あと、私たち衣装とか何も準備してない気がするんだけど」
「衣装に関しては真希様が準備してくださっているので。式は真希様の学生時代のご友人であり、軍にも所属していたという神童尚子様ですよ」
「尚子先生!? 結婚するんだ――」
しばらく他愛もない会話をしていたが、やはり桜がガマンの限界を向かえ、電気をバチバチ鳴らしてから、「ひまーっ!」と私に突進してきた。勢いをとめきれず、桜を胸元に抱えてベッドに倒れてしまう。
「ひゃあっ! さ、桜、どうしたの!?」
「ひまだよひまひま! お姉ちゃん、外で遊んでいーい!?」
怒鳴ると同時に私の目の前で青白い火花が弾ける。ぎゃあっ!? 死ぬ! あと髪からちょっと甘い香りする!
「フラストレーションマックスって感じ……黒羽さん、感電死する前にっ!」
「しかしどういたしましょう――そうですね。一箇所、軽く移動しますが面白い場所へ連れて行きましょうか」
ポン、と手を叩いた黒羽さんが提案し、桜が目を輝かせて私の上から飛び降りる。無事、妹の超能力で感電死、という事故は逃れることができたみたいだ。
しかして、その場所とは――――
☆ ☆ ☆
「ほえー……出雲大社っておっきいねぇ」
「んー、お参りするー!」
ちょろちょろと石畳を走る桜の背中を目で追いたいんだけど、私はどっしりと構える威厳溢れる神社、出雲大社に目を奪われていた。
いや、正直なところ美しいとかそういう感情は抱いてないんだけど、なんていうか、第三次世界大戦をほぼ無傷で乗り越えた建造物、という貴重さだけで見とれちゃう価値があると思うんだよね。しかも時代物だし。
「ここが恋愛祈願でおなじみの出雲大社ですよ、波瑠様」
「恋愛ですかー……別に私、好きな人とかいないんですが」
「もう、年頃ですのに面白くないですね。あの太い注連縄がありますでしょう? あの結び目の中に小銭を投げ、落ちてこなかったら」
「どうせ恋がうまくいく、とかそういう話ですよね?」
「波瑠様、女の子ならもう少し食いついてもいいと思うんですけど」
つまらなさそうに告げる黒羽さんの珍しい姿を目撃しつつ、私は思う。
私は、男の子を好きになったことがない。
少女マンガは読むし、いつかは男の子のことを好きになるのかもしれないけど――友達の言う『○○くんかっこいいよね』とかの会話にはうまく乗れない女の子なのです。
鈍感ってわけじゃない……と、言い切りたい。
でも、好きになったからって、その気持ちに振り回されるような女の子にはあんまりなりたくないかなぁ。男の子に好かれるために努力するのって、知る限りじゃすごく大変そうだしね。
「むう、恋愛方面に興味はなさそうなので、他の情報にしましょうか。波瑠様、旧暦で十月を何と呼ぶかはご存知ですか?」
「神無月、だよね?」
「流石、博識です。ですが、ここ島根県では『神有月』と呼ぶのです。そもそも神無月とは、全国の神社にいる神様が年に一度、この出雲大社に集まるために、『神がいなくなる月』という意味で名づけられました。なので、出雲大社に『神がたくさん集まっている』この地域は『神有月』と呼ぶそうですね」
「へぇ、そうなんですか。じゃ、十月にここに来れば、たくさんの神様と会えるんですね!」
「そうなりますね」
――ここ、科学大国と化した日本でも各地に神社やお寺は残っている。ついでにいえば教会とかもたくさん残っている。相変わらず、八百万の神様概念は多宗教受け入れ態勢を崩していないんだ。除夜の鐘も初詣もハロウィンもクリスマスも、全部等しく残ってるくらいだしね。
だけど今建っている神社や教会は、戦後に建て替えられたものが多い。中には焼き払われてそのまま放置――なんて場所が、戦後十年は経った今も残っている。
戦いは、よくないよね。
多くの人やものを壊すだけで、利益なんて何一つ生み出さないんだから。
国防軍に勤める親がいるから尚更――戦いは嫌いだ。
せっかくのお出かけでネガティブ思考になるのもあれなので、私は顔をブンブン振って考えを振り払う。そして、愛する妹の姿を見失っていることに気づいた。
「……あれ? 桜は?」
「あそこにいらっしゃいますよ。なぜか、高校生くらいのカップルとお話していらっしゃいますけど」
苦笑いの黒羽さんが指差す先に、ピンク色のリボンを髪に巻いている桜が、言う通り女子高生くらいのお姉さんに頭を撫でられていた。少し発電してしまったのか、お姉さんはびっくりしてバッと手を離すけど、桜が謝るとわざわざしゃがみこんでポケットから何か手渡してもらっていた。
「黒羽さん。一体何があったんですか?」
「波瑠様、そんな『妹を奪われた……ッ!?』という真っ黒なオーラを醸し出さずとも。嫉妬深い女は嫌われますよ」
私の心があっさり読まれてしまった。そんなにわかりやすい顔してたかな……?
「それに、ただお礼を言われているだけかと。あの女子高生さんが落としたマネーカードを拾い、渡してあげただけですから」
「桜流石私の妹! 後でご褒美にたくさん撫で撫でしてあげなきゃね!」
「波瑠様の一喜一憂が単純すぎてなによりです」
なんて言われよう。否定はできない。
放置しておくのもあれなので、桜の下へ歩み寄る。
「さーくーらっ」
「んんっ、お姉ちゃんっ」
ぽん、と桜の背中を軽く叩く。おさげの女子高生さんは私の後にいる黒羽さんを見て、すくっと立ち上がった。
「あ、もしかして保護者さんですか!? 怪しいものではありません! ただコイツと出雲大社に参拝に来ただけの一般客で幼女誘拐なんかたくらんでません!」
「マイ、かえって不審だぞお前」
慌てた様子で言い訳みたいなことをまくし立てる女子高生さんの腕をぐいっと引っ張り、なだめる彼氏(?)さん。さっき黒羽さんが言ってた恋愛祈願の観光客、なのかな?
「美里、大丈夫だよ。このお姉さんいい人! アメくれた!」
「大丈夫です毒入りとかそんなモノはマネーカードを拾ってくれる純真無垢な幼女にあげませんから本当に怪しい者ではないのでごめんなさい」
「そんなに頭を下げないでくださいな。周りから逆に怪しまれそうですよ」
黒羽さんが困り笑いしながら述べる。顔を上げた、マイと呼ばれた女子高生さんに釣られて私も周囲を見回してみると、他の観光客さんや巫女さん達が『揉め事か?』といった様子でこちらを窺っていた。
「うぅ、日本って相変わらずいい国ね。人をすぐ疑わずに信じてくれるわ、シン」
「俺の名前は新だ。帰国直後だから戸惑う気持ちはわからんでもないけど、どこからどう見てもこの人たちは親切そうだろ」
「それもそうね。ね、あなたはこの娘のお姉ちゃん?」
マイさん(?)が桜の頭に手を乗せつつ、私へ微笑みかけてくる。桜は基本的に一切人見知りをしないから、頭をなでられて気持ち良さそうに首をすくめていた。
「は、はい。そうです」
「ふうん、そうなんだ。この姉にしてこの妹アリ。妹さんもお利口だけど、お姉ちゃんもしっかりしてそうね。アタシが言うのもなんだけど、姉妹仲良くするのよ」
「それに関しては大丈夫です!」
「ねー! わたしとお姉ちゃん仲良しだもん!」
ぴょん、と桜が私の背中に圧し掛かってくる。けど軽いから、全く苦痛じゃないんだよね。
「ふふっ、久々にいい笑顔が見れたわ」
「ああ、マイとは違って穢れのない純真無垢な笑顔だふごあっ!?」
……ひゅん、と風を切り、マイさんの回し蹴りがアラタさんの脛に直撃していた。石畳の上をゴロゴロ、脛を押さえて転がるアラタさんは「本気で蹴りやがって……」と目に涙を溜めている。心配になってつい、
「だ、大丈夫ですか!?」
「お、おぉ、心配するなお姉ちゃん。こんなの日常茶飯事だ……」
しゃがみこんで問いかけてみれば、アラタさんから予想外の返答。ええ!? 日常茶飯事で暴力喰らってるの!?
「そうよお姉ちゃん。シンの心配なんてしなくていいわ」いいの!?「それよりもう行くわよシン。半年振りのデート、ここ一箇所で終わると思わないでよね! ばいばい美少女姉妹、また機会があったら会いましょう! 保護者さんも失礼しました」
「美少女姉妹、お前らはこんな暴力女になるなよなー……つかマイ、俺は生徒会顧問の尚子先生が結婚するっつうから島根まで来たんだよ。お前とデートするために来たわけじゃなッ!?」
「いいじゃない、どうせ結婚式は明後日なんだし。それともシンは、彼女と一緒にいるのが嬉しくないっていうの?」
「腕関節キメながら言うな暴力女! 今更ながらなんで俺、マイと付き合っちゃったんだ……」
「先に好きって言ったの、どっちか忘れたなんて言わせないわよ?」
ふごあっ、とふたたび蹴りを背中に叩き込みながら、マイさんとアラタさんは去って行った。
あれはあれで、仲のいい男女、なのかな……。
でも、マイさん美人だったなぁ。
「結婚式と仰ってましたから、もしかしたら島根にいるのは私たちと同じ目的なのかもしれませんね」
少し困り顔の黒羽さんが、そんな推測を立てる。尚子先生って言ってたし、結婚式もちょうど明後日だし。意外と世界は狭いのかもしれない。
その後、お参りやおみくじなどをして、東京の友達へおみやげを買ってから、お母さんが仕事が一段落した、ということでホテルへ戻ることになった。
けれど、ホテルに到着した私は、衝撃の事実をお母さんより告げられることになる。
そう――――結婚式で島根に来た、というのは口実。それはあくまで副題であり、主題は別に存在していたのだ――大人の間だけに。
大浴場で汗を流した後、お母さんの手で髪を乾かしてもらっている最中に。
「波瑠。明日、あなたの許婚候補の男の子と会うからね」
「………………ふえっ!?」
でも、これはさすがに突然すぎる宣告で。黒羽さんが肩を揺らして笑いをこらえ、桜が無邪気に牛乳を一気飲みする姿を見てから、お母さんへ視線を上げた。
「ど、どどど、どどどどどゆことですかっ!?」
「ふふ、一気に顔が赤くなった。波瑠も年頃の女の子ね」
ドライヤーと櫛で髪を梳くお母さんの手つきはすごく気持ちいいんだけど――そのいい気持ちに浸れなくなっちゃうほど、私の心臓は早鐘を鳴らし始めていた。
「あ、あれだよね!? 結婚相手ってゆーか、将来夫と妻になる約束をした男女っていうか、とにかく特別な……ていうかお母さん! と、突然すぎるんだけどっ!」
「だってその方が――――面白いじゃない」
この時年齢二十三歳。
若すぎるお母さんのいたずらっ子みたいな笑顔に、私は盛大に溜め息をつくこととなった。




