●第四十話 誕生日
しばらくは平和です。
1
三月二十日。
私にとって一番大切な日はいつか? と聞かれると、迷わずこの日をあげる気がする。
いやね、理由はちょっと恥ずかしいんだけど――最愛の妹の誕生日だから、なんだ。
自分の誕生日よりも、両親の結婚記念日よりも、妹の誕生日。
あはは。私――天皇波瑠は、過剰なまでに、妹に依存しています。
ちなみに、今日は、その三月二十日! 感嘆符!
両親はお仕事で帰ってこられないって言ってたから、その分私が祝ってあげないといけないんだ! とはりきって、全力で帰宅しています。
入学式などの行事ごとよりもお仕事を優先しなければいけないのが天皇家であり、日本の深い世界に関わっているお母さん達のことを考えれば、むしろ私は二人を不安させないように、わがままを言ってはいけない。その上で桜に寂しい思いをさせないためにも――私が、とにかく頑張らないと!
――心の中で拳を握って帰宅すると、いつもどおり、あの人が待っていた。
「おかえりなさいませ、波瑠様」
「ただいま、黒羽さん」
スーツ姿で髪をアップにまとめた、黒羽美里さん。一言でいうなら『できる女性』という雰囲気を纏っている。スタイルもよく優しくて、少し――ではなく、かなり憧れている女性だ。
彼女は天皇家に仕える一人。お母さんの元秘書だったんだけど、今はなぜか私と桜のお世話係を務めている――職務の正式名称は『ご令嬢の護衛』。家事は完璧、子供の私が言うのもあれだけど教育も大人としてはかなり優秀なものを持っていると思うんだ。
その黒羽さんの黒スカートを引っ張るように、きゅっと握り締めた一人の女の子が、私の顔を見るなり、ぱあっとお日様みたいな笑みを浮かべた。
「お姉ちゃん、おかえり!」
「桜、ただいま!」
瞳を輝かせて、桜は私に駆け寄ってきた。身長差約20センチの小さな体をそのまま優しく抱きかかえ、私たち姉妹はまた笑顔を見せあう。
改めて、天皇桜。
二つ年下の妹で、今日で七歳になったばかりの女の子だ。普段から明るく、誕生日ということもあってか、一段と笑顔が輝いている。誰よりも可愛く誰よりも天使な誰よりもいい子ちゃんなのだ!
「ふふ、今日もお二人とも、可愛らしく微笑ましいですね。お茶を用意してきます」
黒羽さんは笑顔で私達を交互に見て、リビングへと戻っていった。
「お姉ちゃん、今日は何の日でしょうか?」
「あはっ、桜の誕生日でしょ! おめでとー桜ー!」
わざわざ問いかけてきた桜を、もう一度ギュッと抱きしめる。柔らかく暖かくて「くるしーよー」と文句を言いながらも、その笑顔が崩れることはなかった。
リビングでは、言葉通りに黒羽さんがお茶とお菓子を用意してくれていた。――よく子供二人きりになることが多いので、自動家事機器は取り付けてある。だから、本当は黒羽さんがやる必要もないんだけど、それでも『普段からこれを使っているんだから』と彼女は私達のために、料理をしてくれるんだ。
もっとも、おやつのケーキは買ってあるものだから、今は彼女のお手製なのは、いい香りの漂うミルクティーだけなんだけど。
黒羽さんは差し出した後、ソファに並んで座る私達の後ろに立った。まるで守られているようで嫌なので、私が促してようやく、自身もソファに腰掛けてくれた。こればっかりは黒羽さんの職務上仕方ないことなんだけど――毎回やっている気がするので、いい加減私たちへの無駄な敬意は取り払ってもらいたい。
お世話になっているのは、こっちのほうなんだから。
「いただきまーす! ん~、おいし~」
桜が早速一口食べ、幸せそうに目を細めた。――――うん、可愛い。本当に可愛い。
「ん? 今ケーキ食べて、夜は? 桜の誕生日ケーキはどうするんですか?」
ふと気になって黒羽さんのほうを見る。視線に気づく――までもなく私達に気を配っていた黒羽さんは、すぐに笑顔で、
「大丈夫、しっかりありますよ。桜様のお祝いの準備は、この黒羽に任せてください」
「あはは、ありがとうございます」
どうやら、私が気にしたことは些細なことだったみたい。なんでもできる黒羽さんに任せておけば、大丈夫だよね。――――ちなみに黒羽さんにできないことは『恋愛』で、今まで三ヶ月以上付き合えた男の人はいないらしい、ということを小学三年生なりに知っていた。
毎日、三時というわけじゃないけど、このティータイムは恒例行事として行っている。
ひとえに黒羽さんの用意がいいからであり――桜と二人のときも、もちろん欠かさずに行っている。姉妹間での会話が尽きることはなく、微笑む黒羽さんを交えて、今日ものんびり過ごしていた。
「それでね、お姉ちゃん、クラスのみんながね、突然『誕生日おめでとう!』ってプレゼントくれたの! わたしがクラスで最後だからお祝いするって知ってたけど、嬉しかった!」
「ふふ、いいなぁ桜。素敵なお友達が、いっぱいいるんだね」
「お姉ちゃんは? お姉ちゃんも、友達いっぱいいる?」
「みんな仲良しだし、いっぱいいるよ」
私はともかく、桜は子役に抜擢されかねないほどの美少女だ。クラスメートに好かれて当然だと、この笑顔を見ていればわかる。
桜のなによりの魅力といえば、この陽だまりのように暖かな笑顔なんだから。
他にももちろん魅力はいっぱいだ。笑顔を絶やさない明るい性格、さらさらの栗色の髪に一房伸びたアホ毛なんかもとっても可愛い。運動神経だってかなりあるほうだし、頭もとってもいい。恵まれているけど、まだ幼いということもあってか、決して才能を自慢しない。むしろ人懐っこく、正真正銘妹キャラで通ってるのかも。語りだせば終わらないのでそろそろやめます。
とにかく、桜は人に好かれる才能を持っているとしか思えない。
「ねえお姉ちゃん」
「ん?」
「なんで、うちにはお友達を連れてきちゃいけないの? お友達の家ばっかりだと、不公平だよ」
不満げな表情で見上げられ、私は思わず視線を泳がせる。私にはすごく答えづらい質問だ。私の行動を受けて、桜はちょこんと首をかしげた。
友達を連れてきてはいけない理由――それは、ここが【天皇家】であるからに他ならない。
【太陽七家】の家に、たとえ無邪気で幼い子供であっても、無関係者をむやみに連れ込んではいけないんだ。いつ何時に情報スパイが入り込むかなんて、誰にもわからないから。
私も桜と同じ疑問を投げかけたことがあるので、その時に回答してくれた女性へと視線を送る。その意味を理解してくれたようで、黒羽さんはコクリと頷いて、桜へ視線を移した。
「桜様、この家が少し特別だ、ということは理解していらっしゃいますか?」
「うん。天皇家っていう、太陽っておっきな組織のえらい家なんでしょ? 勉強したもん」
「勤勉でなによりです。そのような家だと、お友達が緊張して、のびのびと遊べないでしょう? 向こうの親が気を遣ってしまうかもしれません。ですから、向こうの家でお友達とともに遊んでくるのがいいのです」
「うーん…………わかった!」
聞くのが二回目だと、黒羽さんの説明は子供に対して的確だと感心してしまう。のびのびと『遊ぶ』、そこが子供へのキーワード。うまくポイントをつく黒羽さんは、流石の一言だ。
その後、桜は「そっかー、しょうがないなー」と呟きながら、リビング、テレビ前に広がる空間へと歩いていった。無線で本体と接続されたアイガードを装備し、そのゲームを起動させる。
黒羽さん曰く『すっかりおなじみとなった』視覚制御型ゲームは、桜の最近のお気に入りだ。桜がゲームにはまる場合は普通の子供とわけが違うんだけどね。
視覚制御型ゲームは、アイガードによって視界を占領し、そこで流される映像に従って全身を動かしていくゲームだ。本体がセンサーでプレイヤーの動きに反応し、それに応じてアイガードの映像も変化する。実際にゲームの中に入っているような感覚、というのが売りで、流行りのVRゲームに劣ることは否めないけど、機能的安全性はこちらのほうが数倍高い。
余談だけど、この『感覚を支配するゲーム』は開発当初から家具に体を打ちつける、という怪我が多数報告されているので、広い空間で遊びましょう。
「本日も桜様の動きは滑らかですね。相変わらず、ゲームに関して天性の才能があるといいますか――逆に、楽しめているのか不安ですが」
「楽しんでるから、桜は毎日遊んでるんですよ」
いぶかしげに桜を眺める黒羽さんに微笑みかけながら、私は桜の特異性を思い出していた。
桜の特異性――『原典』と呼ばれる存在だということを。
元々、《異能》とは神様に選ばれた人間にしか――ようするに、特定の人物にしか使えない、幻の存在だった(全く存在しないわけじゃないらしいことがびっくりだよね)。
今こそSETの普及により《超能力》が存在しているけど、それ以前にあった《異能》は、誰にでも使えるものではない、限りなく希少な『神に選ばれし者』にしか使えなかった。
だけど桜は、常に《超能力》を使用することができる『神に選ばれし者』だった――理由は、難しくて理解できてないんだけど。
桜の『原典』は、電気能力。
その異能は通称《雷桜》と呼ばれている。私が名づけました。
年齢が上がるにつれてできることが増えていることからわかるように(電気が磁力を帯びる特性を利用しての磁場誘導、電気を流すことによる機械の不具合の修正、機械より発せられる電気信号のインターセプト――と、挙げればキリがない)、桜の超能力者としての才能は伸びる一方。追われる側としてのプレッシャーは、少なからず感じていた。
そんなわけで、『程よい電気信号が気持ちいい』ゲームを桜は好む習性にある。実際、プレー中はどこから何が来るとか乱数調整された敵のランダムな攻撃すら見抜いて(感じ抜いて、って表現が正しいのかな?)しまうくらいだ。
どんな形でも、楽しんでるなら、私はそれでいい。
あの娘が笑顔でいることが、なにより大切なんだもん。
――――と、おそらくニヤニヤしながら見ていたであろう私のほうへ、アイガードを外した桜の笑顔が向いてきた。
「お姉ちゃん、バトルやろ、バトル! コンピューターよりお姉ちゃんのが楽しいもん!」
「うん、いいよ」
――――桜が楽しむのは『対人戦ならではの楽しさ』もあるけど、機械と違って、私や黒羽さんといった『人間の思考を通じて起こる電気信号』にはやや不規則なものがあるらしく、その刺激を楽しんでいる節がある。というのは黒羽さんの受け折り。
ちなみに、桜がただのゲーム好き、という線も未だ残っているので、ここまで延々と語ってみた予想すべてが水の泡、なんて可能性もあるんだよね……。
桜と共にゲームに熱中し、勝利数がイーブンになったのと午後六時になったのは、ほぼ同じタイミングだった。
「波瑠様、桜様、そろそろ御夕食と致しましょう。淑女が長い時間ゲームをするというのも、あまりお勧めできません。――――もっとも、それを止められない私はお二人の保護責任を問われても仕方ないのですがね」
自虐的な言葉も並べた黒羽さん。楽しんでいる私達を止めることは絶対にできないそう。そして、私達は淑女であろうとゲームは満足するまでやりたい。子どもだから、いいよね。
「あー、楽しかったー! お姉ちゃん強すぎー!」
「桜の方こそ強すぎるよ! 流石、私の自慢の妹だ!」
「えへへ」
私が褒めたことが影響しているのか、桜は腕の中で嬉しそうに微笑んだ。
――――それを見て、私はちょっと、切ない気持ちになる。
今日は、可愛い妹の誕生日。
だけど、その笑顔を囲む時に両親はいない。桜を生んで、私を姉にしてくれた二人がいない。
仕事だとわかっていても――やっぱり、それは寂しい。
私は慣れっこなんだけど――七歳の桜には、可哀想な現実だと思う。
「うわぁ、すっごい、ごちそういっぱい!」
という私の感情はどこへやら、桜の笑顔が崩れることはなく、むしろよだれを垂らさんばかりの勢いだ。
でも、桜の瞳が輝くのも無理はない。恐るべき豪華夕食が卓上にところ狭しと並んでいるのだから。すべてが黒羽さんの作品であり、食べるのはもったいなくない。すぐさま食べたい。
「いっただっきまー」
「桜様ちょっとストップ!」
早速ピザに手を伸ばした桜だったが、あと少しのところで黒羽さんがスティールを決める。危ない危ない。あとぶうっと頬を膨らませる桜は尋常じゃなく可愛い。
「桜様。真希様――お二人の母親様が、お時間を作ってくださったとの連絡が今入りました! テレビ電話です! 今まさに繋がっています、あちらで!」
「あう、ピザ、でも、ママ……」
「行こうよ桜。ピザは逃げないよ」
「うー……うん、お姉ちゃん」
なんとか食欲をこらえてくれた桜は、黒羽さんが用意してくれたカメラの前へ移動する。側には立体映像モニターが置かれており――すっかり、テレビ電話が普通となった時代です。
お母さんの姿を見るなり、桜はぱあっと満面の笑みになった。うん、一瞬不安に思ったけど、食べ物よりも親だよね。
「ママ!」
『桜! もう早速言うわね! 誕生日おめでとう!』
お母さんの名前は、天皇真希。いわゆる天皇家本家の女性で、上にお兄さんがいるから次期当主というわけじゃないけど、天皇家の所有する国家防衛軍【ウラヌス】の部隊一つの指揮官を務めているとかなんとかですごく偉い。世界中を常に移動し続けるほど忙しいので、会えるのは本当にたまにだ。こうして電話する機会もすごく少ない。
「えへへ、ありがとー、ママ!」
「よかったね、桜。お母さん、わざわざありがとね」
桜を抱きかかえつつ、私は少し照れくさいけど、それでも桜のために時間を割いてくれたお母さんにお礼を告げた。
『ふっふっふ、娘の誕生日に時間を割くのは当たり前でしょう? 波瑠こそ、いつも桜の面倒見てくれてありがとね。桜、寂しくない?』
「だいじょーぶだよー! お姉ちゃんも美里も優しいもん!」
『ちょっと複雑ね……ま、波瑠が立派にお姉ちゃんを頑張ってる証拠だもんね! 笑顔でいることが一番よ!』
お母さんがニカッと歯を見せた。私たち姉妹でまた顔を見合わせ、くすっと体を揺らす。
――一応言っておくけど、桜が黒羽さんを名前で呼び捨てにしているのは、年齢の問題と親の影響です。
『美里も、本職じゃなくて娘二人の面倒見、いつも大変でしょう? 私が直接できれば万事解決なんだけど』
「構いませんよ真希様。波瑠様も桜様も可愛くて、毎日楽しいですから」
『ならよかったわ』
その後――黒羽さんも交えて、何分間喋ったかな。
お母さんが仕事で呼ばれなければ、いつまでも喋れたかもしれない。
『あら、もう時間なの? 仕方ないわね――じゃあね桜、波瑠。またいつか!』
「うん! ばいばいママ!」
「お母さん、またね!」
通話を切ると、いっつも、私は少しの寂しさに襲われる。
実を言うと――私は、あんまり両親に甘えた記憶がないんだ。
私が二歳のときに桜が生まれちゃったし、そうでなくとも二人とも忙しいから、直接触れ合う機会が少ない。まだ九歳だから、甘えたいとかいう気持ちが……ちょっとは、ね。
でも、お母さんにこう言われたことのほうが、私は嬉しいな。
「じゃあ、こちらも始めましょうか、桜様の誕生パーティー」
「おー! わたしのたんじょうび! ピザ! チキン! ビーフ! にく!」
「桜、よだれ垂れちゃってるよ!」
――――波瑠が立派にお姉ちゃんを頑張ってる証拠だもんね!
忙しい両親の代わりに、私が桜を守るんだ。
たとえシスコンと言われようとも、可愛い桜のためなら、いくらだって頑張れるから。
2
その頃、東京に向けて、一機のジェット機が太平洋を横断していた。
乗っているのは、二人の姉弟とパイロットのみ。
「なあ姉ちゃん、いつになったら日本に着くんだよ」
「もう少しじゃない? 亜音速ジェットで行くのも一つの手だったんだけど、この前ぶっ壊したばかりだったから……」
「おい、家のモノどんだけ壊せば気が済むんだよあんた」
「弟のくせに姉に文句言うとはいい態度ね!」
「失態犯してるのはあんただろーが! で、実際、あとどんくらいで着くんだよ」
「三十分ほどよ。なに、あんた、日本に想い入れでもあるの?」
「普通生まれ育った国には想い入れあるだろ……オレはアメリカと半分ずつだけど」
「アタシは行ったり来たりだからさっぱりねー」
少年は窓の外を見る。
若干そわそわしている少年に、姉はにやりんと不敵な笑みを浮かべた。
「ははぁ、なにアンタ、日本が楽しみな理由ってそういうことか。早く帰国して許婚に会いてえ! とか心の中で叫んじゃってるんだ!」
「違ぇよバカ姉! オレが許婚とかそういうこと気にすると思ってんのか!? そもそも恋愛感情すら抱いたことないのに!」
「十歳の男の子ってこれが自然なのかしらねぇ。あ、まだ九歳、年齢一桁のおこちゃまだっけ?」
「大人気ないなテメェ! 七つも年上なのに弟からかって楽しいか!?」
「楽しいわ!」
「断言しやがって畜生……つか、普通に楽しみなだけだわ! オレは五年ぶりの帰国だぞ!?」
「たった一週間でアンタはアメリカリターンだけどね~」
けらけら笑う姉に溜め息をつき、少年は窓の外へ視線を投げた。
今歳九歳、七月を迎えれば十歳になる少年。
一見どこにでもいそうな少年は、大きなあくびをしながら、日本へと帰国していた。




