●第三十六話 極限の感覚
一つ、今回明らかになる佑真のスキルは、後付けじゃなくて事前からあった設定だ、と前もって言っておきます。
第一章で佑真が超能力者とそこそこ戦えた理由が、それなりに明らかに!
佑真の拳が頬を霞め、《レジェンドキー・T‐REX》と契約融合し威力を高めるグローブを装備している出雲竜也は一歩後方へ下がった。
零能力者、しかも素手の佑真と、銃弾を弾き飛ばすシールドを一撃で叩き割る威力を有した出雲。どちらが有利かなんて聞くまでもない。まして出雲のグローブは鋭利な突起物までついている。真正面よりいなすことが出来ない時点で、佑真は圧倒的不利な条件に追い込まれている。
それでも戦意を失わないのは、ひとえに彼が『零能力者』だから。
この程度の条件のみで不利を嘆くようなら、彼はとっくに戦線から退いている。
「うらっ!」
さらに踏み込んで畳み掛ける佑真。脚で脇腹を狙うも簡単に回避されてしまう。懐へ飛び込んで右、左と脚中心で攻めていくが、出雲には届かない。
「っす、いつまでもやられっぱなしでいるわけにゃあいかないんでね!」
出雲は一歩ステップを取り、佑真へと肉薄。
猛獣のような迫力に佑真は一瞬仰け反りそうになったが、攻めの姿勢を忘れない。上体を低く構え、出雲の動きへと集中する。
ゴッ! と大砲のような拳が貫かれる。
姿勢を下げつつ体を捻って腕を回避。出雲は続けざまに膝を打ち抜くが、それを佑真は平手で弾いて出雲の腰へタックルをかます。
バランスを崩しながらも振り上げられた出雲の拳が佑真の背中へ飛来、佑真は守りを捨てて出雲を蹴り飛ばし、後方へ飛び退く――土煙を上げて出雲の拳が地へ墜落した。
出雲もまた後方へ飛び退き体勢を整え――ようとして、大きく目を見開いた。
「い、いつの間に――っ!?」
粉塵を突き破り、佑真が懐へと飛び込んできていた。
軸足を絞り、素早い回転蹴り。出雲も反応できない速度ではなかったのだが――しかし、手を出せずに脚を脇へめり込ませていた。自身が起こした粉塵のせいで反応速度が遅れてしまったのだ。
加えるならば、一足跳びによる接近から軸足の確保、そして蹴り上げるまでの一連の動作の無駄の無さ。
洗練された佑真の術は止まらない。
出雲へ躊躇いなく接近した佑真の連打が出雲の鳩尾へ突き刺さる。獲物を食らう野獣のごとく、脚を、拳を振るい出雲を追い詰める。
出雲は反撃を試みているが、なぜか拳は届かない。まるでどこを攻めるかを読まれているかのごとく、佑真は体を捻り、手を出し、出雲の攻撃をかわしていた。
(……なんだろう、この感覚)
そして佑真は、夢中で出雲と攻防を繰り広げながら――今の状態に疑問を覚えていた。
相手の拳は一撃必殺。怖くて、今にも逃げ出したいほど恐怖しているはずなのに。
瞳が捉える出雲の攻撃の起動が、普段より遅く、はっきりと見える。一秒に捉えるコマの枚数が増えたように、相手の動作をはっきり感じることが出来る。
自分がそれに対してどう動けばいいのかがわかる。わかる以前に、考えなくとも体がどう動けばいいのかわかっているような感覚にすら入っている。
――――研ぎ澄まされた瞳と、極限まで解放された集中力。
身体と精神の両コンディションが最高の状態となった瞬間に訪れるという、身体技能を120パーセント発揮できる、ランナーズハイの先にある限界を超越した、超集中状態。
世間一般では、その状態は《ゾーン》と呼ばれている――――――
佑真の場合、動体視力と反応速度が極限まで引き出された状態となる――極限の集中力が引き出される理由が『殴られるだけで死ぬなんて怖い』という感情から来ることは置いておくとしても――それらが今、出雲の行動すべてを圧倒する原動力として機能していた。
「――――っ!」
そして、出雲に出来た一瞬の隙に反射的に反応した佑真の振りぬいた右脚が、出雲の腹へ突き刺さる。
ごふっ、と出雲の口から空気が漏れた。
さらなる追撃。脳へ衝撃を与えるアッパー。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
威力はあくまでただの男子中学生のものだが、それでも大人一人を気絶させるのに十二分の威力を宿していた。地面を激しく転がった後、出雲は呻きながら意識を失った。
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら、出雲を見下ろす佑真。臨戦態勢は解いていない。
――そして、戦闘は終了する。
上空から舞い降りた、冷気を纏った少女によって。
「佑真くん、大丈夫!?」
問いかけながら、出雲の体を氷塊で拘束する波瑠。背中には気流でできた竜巻が羽のように伸びていた。周囲が白い霧で包まれているのは、彼女が背中に生み出す分の運動エネルギーを、夏という熱エネルギーから奪ったことによる副産物だ。
あれほど苦労してようやく気絶させた敵が一撃で拘束され、佑真はもはや溜め息をつくことしかできない。
「お、遅ぇよ波瑠。もうちっと早く来てくれりゃ、こんな戦いせずにすんだのに……」
「それを言うなら一人でどっか行っちゃう佑真くんがいけないんだよ! でも――勝てたね」
「…………ああ」
責める様な口調から一転、疲れが吹き飛ぶような笑顔に、佑真は素直に頷き返す。
波瑠はその後、能力を停止させ、純白の波動を行使し始める。
《神上の光》は、とことん理不尽だ。
警察や佑真が多数の犠牲を出した惨劇を、何事もなかったかのように、すべて癒すことができるのだから。
(ホント、呪いじゃねえよ、その力は)
疲れた、と佑真はなさけなく地面へ腰を下ろした。
☆ ☆ ☆
――背後で轟く轟音に、秋奈は思わず九尾へ静止するよう呼びかけ、地下街へと通じるシャッターへ視線を向けていた。
この二日間で二度も聞いた、例の気圧爆弾の音だ。
「………誠っ」
ユイを抱きしめる腕の力が強くなる。誠の身を案じ、彼の下へ戻りたいという感情が嫌というほど押し寄せてくる。けれど、秋奈はそれらをすべて強引に飲み込んだ。
(………ガマンするのは、慣れっこだ。それに、誠だもん。誠が負けるはずないもん。だから、大丈夫――――)
その瞬間、目の前の地面に亀裂が走り、
「やっと追いついたぞ、《一角獣》!」
アスファルトを吹き飛ばして、漆黒の翼を大きく開いた久遠柿種が立ちはだかった。
――――大丈夫じゃ、ない。
秋奈は、目の前の男を見た瞬間、絶望に襲われた。
彼の相手をしていた誠はどこへ行った? そんなこと、聞くまでも無い。
負けて――下手したら、殺されてしまったのだ。
ふっと力が抜けそうになるが、秋奈は歯を喰いしばる。
久遠はそのままビル二階程度まで浮上し、秋奈や九尾を見下ろす。九尾から降りた秋奈はユイをしっかりと抱きかかえつつ、足元へ手を添えた。ユイを抱く手には端末型SET。画面に指を滑らせ、
「………SET、開放!」
高々と、そう叫んだ。
彼女の身体をルビーのように輝く波動が包み込む。
秋奈の隣では、戦意を高ぶらせた九尾が喉を鳴らして久遠を睨みつけていた。九つの尾も久遠へ向けられている。いつでも戦闘は可能だ、ということなのだろう。
幸い、道行くスーツ姿の男性や子連れの主婦たちは異常事態を察知して、距離を取り始めている。通りがかりのおまわりさんも避難を呼びかけている。
暴れられる。
「………九尾、行って!」
シャアアアッ! と空気を震わせる咆哮が炸裂し、九尾がバッと飛び上がった。その姿はさながら黄金の流星。秋奈が《物体干渉》によって隆起させるアスファルトの足場を飛び移り、縦横無尽に駆けて久遠の焦点を翻弄する。
「なかなかに素早いようだな……しかし、ならば足場を生み出すそちらから殺すまでだ!」
久遠の手がかざされ、耳鳴りなどの現象と共に気圧爆弾が生成される。
させまいと九尾は九つの蒼炎を放った。燃えさかる一撃に対し、久遠の警棒が一閃。突風は狐火を一瞬で霧散させ、そして久遠は生み出した気圧爆弾を秋奈へ向けて飛ばす。
飛来する気圧爆弾。
秋奈はアスファルトを更に変形させ、気圧爆弾を包み込む。
「無駄なことを」
久遠の拳が握られ――轟音が弾けとんだ。内側より粉々に砕かれたアスファルトが瓦礫と化し、周辺へ降り注ぐ。それでも気圧爆弾を直接食らうよりは数十倍マシだ。秋奈はアスファルトを鞭のようにしなやかに振るい、ユイや自身へ降り注ぐ散弾を叩き割る。
「………九尾ッ!」
『行くぞッ!』
久遠は視線を頭上へ向ける。建物の壁を駆け上がっていた九尾が久遠の頭上を取り、九つの蒼炎を創造していた。
それらがわずかにタイミングをずらして射出される。久遠は薙いだ警棒で蒼炎を中央より霧散させるも、タイミングのずらされた蒼炎が久遠の身体を襲った。
怨念の烈火が久遠に少なくないダメージを与える――が、秋奈は目を見張る。
「九尾の妖狐程度の攻撃など通じるものか」
漆黒の波動が螺旋を描いて爆裂し、ほぼ無傷の久遠が姿を現した。
(………『やったか?』じゃ、やれてないのは定石!)
「あきな……っ」
ユイがしがみついてくる。久遠の持つおぞましさを子供の本能として捉えているのは、彼が地面から飛び出した瞬間に体を震わせたので理解している。その強さを目の当たりにした今となっては、ユイにとっての久遠とは、化物以外の何者でもないだろう。
ユイをさらに抱きかかえ、秋奈は戦意を取り戻す。
守るべき者が腕の中にいるのに、諦めるわけにはいかない。
「………大丈夫ユイちゃん、あたしが守るから――――っ!?」
改めて久遠を見据えようとして、秋奈は自身の方へ何かが吹き飛ばされているのを目視する。アスファルトを軟化させ、クッションのように受け止めるが、
「………きゅ、九尾!?」
弾丸のごとく飛来してきたのは、秋奈のパートナーである黄金の狐だった。
『すまないお嬢……八咫烏は太陽神、天照大御神の使いだ。どうにも火属性に抵抗があるらしい。俺の五行属性は火、俺の力不足と言えるだろうな……』
「………? よくわかんないけど、九尾の炎はあれに通じないってこと!?」
『まだお嬢には、そのあたりを詳しく説明していなかったか……まあ、そういったところだ』
こくり、と首を動かす九尾。それでもまだ戦う意志は残っているのか四足で立ち上がるが、その腹部に警棒で叩き込まれただろう打撲痕が残されている。
瞬間、秋奈はサアッと頭の中が真っ白になった。
直後、訪れるものは――混乱。
秋奈の持つ唯一といっても過言ではない攻撃力が、久遠には――正確には八咫烏には、だが――通じない。防戦一方で波瑠の到着、波瑠にこだわらず誰でもいいから援護してくれそうな人を待つか? それとも、攻撃は苦手だが一か八かに懸けて行なってみるか?
誠でも敵わない相手に、秋奈が勝てるのか?
それだけは、考えてはいけなかった。
しかし、極限まで追い込まれた秋奈は考えてしまった。
結論まで導き出してしまった。
不可能だ、と。
久遠が警棒を体の前で払い、秋奈へ視線を降ろした。
「……あきなっ、こわいよあきな……っ!」
――ハッと、秋奈は正気を取り戻す。
(………ユイちゃん……みんながユイちゃんのために頑張ってくれたのに、あたしが諦めちゃダメだ!! 怖いけど、それでも頑張るんだ!!)
顔を上げた時は――――――――――もう遅い。
漆黒の波動の嵐が、眼前にまで迫っていた。
「終わりだ。大分予定より長引いたが、これ以上煩わせるな!」
翼を折りたたみ急降下した久遠の、特殊警棒が振りぬかれる。
ユイを傷つけまいと抱きかかえる。地面に触れる左手で能力を使用する。九尾が間へ飛び込む。ユイが悲鳴を上げる。秋奈は最後まで諦めずに閉じそうなまぶたを必死で開き続け――――
肉を叩く重い音が、日中の街中でやけに響いた。




