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●第二十七話 精神の拒絶

   ☆ ☆ ☆


「…………っと」


 誠はすでに、不思議な空間に立たされていた。

 突然瞬間移動のごとく移され、一瞬戸惑った誠だが、


「……この訳の分からなさが、《魔術》なんだろうね」


 と、強引に自分を納得させていた。

 決して実際に移動したわけではないのだろう。聖獣は『精神を顕現化させたもの』と言っていた。推測にすぎないが、現在は、誠は精神だけを動かしている状態なのかもしれない。

 推測はこの辺にしておいて、


「……さて。僕はどうすればいいのかな?」


 誠は、自らの立っている足元を見ていた。

 巨大な魔方陣が描かれている。周囲には草書体の漢字が配置。図形や曲線が誠から見れば縦横無尽に、しかし規則正しく引かれているのだろう。


 その魔方陣の円周上六ヶ所で、朱色の火の玉がボウッと幻想的に浮かび上がった。

 バッと身を引いて臨戦態勢を取る誠を取り囲んで、朱色の火の玉は円周上をぐるぐると、回旋を始めた。弾け飛ぶ火の粉が地に触れると、そこから朱炎が燃えさかる。

 じょじょに火の玉の回旋は円の中心へと近づいていき、誠が一歩も動けなくなるほど、あたり一帯を炎で埋め尽くす。


 ――中空に、焔で線が引かれていく。

 朱色の陣に読めない文字列が並び、完成するなり破裂するような光を放った。


 思わず瞳を閉じた誠がまぶたを開けると、

 炎の奥に、何かの大きな黒い影が描き出されていた。


「…………キミが、聖獣ってやつかい?」

『ええ』


 テレパシーのように、脳に直接声が響く感覚。人語で語り合えるだけやりやすい。


『名を名乗りなさい』


 あくまで焔の中に姿を隠し、誠へ言葉を投げかけてくる。影を見るだけではどんな生物かわからないが、炎属性なのだろうか。

 誠はなびく長いポニーテールを気にせず、聖獣を真っ直ぐに見据えた。


「小野寺誠だ。キミと、契約を結びに来た」

『と、いうことは《レジェンドキー》の儀式ですね。いいでしょう。ならば、私にあなたの覚悟を見せなさい! 私が与える試練は一つ――炎を払い、私の下までたどり着きなさい!』


 バッと翼のような影が大きく広がる。誠の周囲を囲んでいた焔が生物のように蠢き、前方へ集結。激しい壁のように、影への進路に立ちはだかった。


「進め……って、この炎の中を、能力のアシストもなく進むってこと!?」

『――この炎は《拒絶の炎》です。小野寺誠さん。あなたの心次第で、炎は道を開くかもしれないし、道を閉ざすかもしれない。たどり着けるかは、すべてあなた次第なのです』

「…………ふうん。じゃあ、僕がキミの目の前にたどり着くのを待っててよ!」


 声を張り上げ、一歩目を踏み出す誠。言われたとおり、誠が足をついた瞬間、避けるように炎に風穴が開かれた。汗がにじみ出そうなほど熱いが、このまま進むことさえできれば怪我をすることなんてありえなさそうだ。

 さらに一歩、一歩と踏み進んでいく。そのたび炎は誠の進む道を開く。

 だが。


「――――あ、れ?」


 十歩ほど進んだところで、誠は先に進めなくなっていた。

 炎が誠を避けようとしない。名前のとおり誠が先へ進むことを完全に拒絶し、灼熱劫火で進路を断っているのだ。他の方向から進もうとしても、炎は移動して誠の前に立ちはだかる。

 進めない。

 契約するには、試練を突破する必要がある。


 失敗?


 その事実が、誠の冷静さを奪う。炎の熱も合わさって、精神に重圧をかけてくる。


「……どういう、こと? なんで進めないの!?」

『あなたの心に、何かしらの迷いがあるからです』


 影から声が響く。

 誠は見えないのに、その影を、焦りを滲ませた顔で見上げていた。


「迷い……? そ、そんなもの、あるはずが」

『ありますよ。あなたの心の中には、大きすぎる迷いがあります。そのせいで《拒絶の炎》は、あなたが私の下へたどり着くのを拒んでいるのでしょう』

「……待てよ。僕が、何を迷ってるって言うんだよ!!」

『冷静さを欠いてはいけません。――迷いの正体を、あなたは理解しているはずです。あなたと、あなたの側にいる少女。その間にある何かに今ここできちんと向き合えば、私の下へたどり着け


「――――――黙れ!」


 ――思わず、叫んでいた。

 しかし、それ以上言わせるつもりもなかった。

 誠は険しい顔つきで影を睨みつける。

 そのあまりにも滑稽で愚かな様子に呆れた、とでもいわん口調で影が語りかけてくる。


『迷いから視線を逸らし続ける間は、あなたは私と契約できませんが、それでいいのですか?』

「黙れ。黙れ黙れ黙れ。お前が僕を、秋奈を語るな!」

『……契約失敗です。その調子では、いつまでも契約はできないでしょうがね』


 誠の全身が、朱炎に包まれる。

 意識が徐々に失われていき――――



   ☆ ☆ ☆



「――――っ!?」


 滝に打たれる感覚を取り戻す。

 反射的に立ち上がる誠。今立っているのは、例の滝壺の中心。滝に打たれ続けて全身びしょぬれで、男子にしては長すぎる髪が背中にへばりついている。景色は瞳を閉じる前と違っていて、松明や石碑が輝いていた。

 しかし――だからこそ、儀式のことを思い出す。

 誠は咄嗟に、自分で自分を抱きしめていた。


「はぁ……はぁ……くっそ……!」


 歯を喰いしばる。胸元のルビーに視線を落とすも反応はない。

 契約に失敗したという事実よりも、聖獣に触れられた事柄についてのことが、誠の中の冷静さを欠かせていた。


「誠? どうしました?」


 ――雪奈より、大声で呼びかけられる。はっと顔を上げた誠は、視界の隅に秋奈を捉えて、ようやく深呼吸する余裕を得た。

 岩を伝って滝壺から出る。迎えてくれた優子よりタオルを受け取り頭を拭きながら、集まってきた秋奈と雪奈へ強引に笑顔を作った。


「すいません……ダメ、でした」


 秋奈が一瞬だけ目を見開き、しかしすぐに顔を伏せる。どんな言葉をかければいいのか、迷っているのだろう。


「そうですか……まあ、必ずうまくいく儀式ではありませんし、二度三度と挑戦することはできますしね。仕方ないでしょう」


 雪奈が慰めの言葉をかけるも、誠の心が楽になるわけではなかった。

 二度、三度と挑戦したところで、二度も三度も同じ理由で失敗することは目に見えている。誠にそれは、慰めにならないのだ。


「では、次は秋奈、あなたの番です」


 雪奈はいつまでも誠に注目を集めるのをよく思わず、すぐに秋奈へ話を振った。


「誠がこのような状況にあるので不安ですが――あなたなら、成功できると信じています」

「………うん。頑張るね、お母様」

「お嬢様、僕から言えた義理じゃないですが、頑張ってください」


 誠からもエールを受け取り、秋奈はキュッとエメラルドを握る。


「………任せて」


 ぶい、とピースを作った秋奈は三人へ背を向け、岩を器用に飛び移る。体は小さいが、運動神経はよいほうなのだ。

 先ほどまで、誠が座っていた台座。彼が失敗した儀式に自分が成功できるとは思っていないが、それでも秋奈は頑張ろう、と決めて瞳をそっと閉じた。

 優子と雪奈が波動を流し、松明の炎によるリングが生み出される。

 秋奈の心はすぐに落ち着く。

 そして儀式は開始された。



   ☆ ☆ ☆



「………と?」


 秋奈が瞳を開くと、そこはすでに先ほどまでの滝壺とは違う場所だった。

 洞窟の中にいるように薄暗い。周囲に焚かれているいくつかの松明の明かりのみが、秋奈の視界をかろうじて生み出している。足元は水場のような感触。

 そして、目の前。



「………九尾の、妖狐……っ!?」



 秋奈は、自身から十メートルほど離れた位置で身を丸めている、体長十メートルはあろうかという九つの尾を持つ狐に、ひたすら目を丸くしていた。

 誠が述べていた予想が当たったことこそあれ、3Dで息をしている九尾の巨大な姿に、ただただ見惚れていた。怨念の権化? いいや――こんなにも美しい毛並みをしている狐を、そんな見方できるはずがない。オレンジに燃えさかり、ゆらりゆらりと揺れている。


『ほう……貴様、俺の名を呼ぶか』


 九尾の瞳がうっすらと開かれる。真っ赤な眼光がわずかに突き刺さっただけで、秋奈は思わず一歩引き下がり、呼吸を止めていた。

 心が震えるほどおぞましく恐ろしい。

 たった一度口を開いたのみで、絶望を与えてくるかのごとくプレッシャーが圧し掛かる。

 これが、人々が恐れ、陰陽師が戦い続けたとされる妖狐のほんの一部。


「………あなたが、あたしの友達になってくれる、聖獣さん?」

『友達、か。笑止! 俺がそう気安い関係を結ぶと思っているのか? 貴様のその紅髪、水野の人間であろう? なら尚更だ。貴様と俺の間にあるのは、隷属させるか否か。それだけだ』


 九尾が寝そべっていた身を起こす。九つの尾がゆらりと浮かび上がり、大きさという存在感が秋奈を萎縮させる。――が、秋奈は一度大きく息を吸い、負けじと背筋を伸ばした。


「………契約は、するよ。でも、あたしはあなたと友達になりにきた」

『ふっ、あくまで信念は貫くというか。いいだろう。ならばその覚悟、俺に見せるが良い! 我が名は九尾の妖狐! 契約の試練は至極単純――この俺に勝利することだ!』


 フシャアアア! と咆哮が響き、突風が秋奈の小さな体を殴り飛ばす。秋奈は一度地面に身を打ち付けるが、四肢をうまく使いこなして受け身を取り、立ち上がった。


「………すごい力……!」

『ふっ、どうだ。恐怖を感じたか?』

「………感じた。けど、ますますあなたを友達にしたくなった!」


 叫んだ秋奈は、低い姿勢を構えたまま手首に手を添え――そのことに、気づく。


(………SETが、ない……!)


 現代人の戦力の根本となるSETが、秋奈の手首にはなかった。滝壺には身につけて行った。

 ――SETを用いて儀式に挑むことを拒むため、今秋奈がいる空間には『持ち込めなかった』のだろう。


 九尾の太く長い尾が一本、秋奈を押し潰すように打ち付けられる。横っ飛びでかわしたが刹那、二撃目、三撃目と追撃が襲う。一発が地に落ちるごとに、地震のような揺れが空間にもたらされた。かろうじてすり抜けるようにかわせてはいるが、九尾へ近づくことは敵わない。


『どうした小娘。その程度の力で、俺を隷属させようというのか!』

「………まだまだ、これから!」


 滑るように足を止めた秋奈の顔には笑みがあった。

 九尾は一瞬目を細め、直後、攻撃を変える。

 具体的には、黄金に輝く九つの尾を引き戻し、その先端を秋奈へと向けてきた。地響きが鳴り出すと同時、先端部に蒼い焔が浮かび上がった。焔は周囲からエネルギーを吸収して肥大化し、直径一メートルはあろうかという蒼炎の火球が九つ、創造される。


 九尾の咆哮が轟く。

 轟音とともに蒼炎の火球が射出された。動こうにも九方向からの連射――秋奈はとっさに、両腕を顔の前でクロスしていた。

 追突――そして爆裂。

 蒼炎が九連弾、中央より爆散し、爆炎が秋奈の姿を埋め尽くす。九尾は自身の尾を払い、赤い瞳で秋奈の立っていた場所を見下ろした。


『その程度か。ふん、俺を隷属させようなど、まだまだ早かったな――』


 瞬間、蒼炎が払われる。

 まるで風穴が空いたかのように焔が外側へと薙ぎ払われ、その中央より、皮膚をボロボロに焼いた紅の少女が姿を現した。

 ――もっとも、結っていた髪からかんざしを抜き取って振りかざしたら、火を払うことができた。それだけだった。


「………だから、隷属じゃなくて、友達」


 秋奈はかんざし二本をかざして見せる。


「………あたしは、あなたと友達になるの。大切なことなので、何回でも言うけど?」

『たかが一発防いだ程度で頭に乗るなよ小娘ェ!』


 大きく開かれた口から狐火が放たれた。蒼炎は火炎放射器のように直線的に秋奈へ注がれる。対し、秋奈はかんざしを振りかざして狐火に立ち向かった。

 一閃――狐火はかき消され、秋奈を忌々しげに睨み付ける九尾の姿が視界を埋め尽くす。

 秋奈はそこで、ようやくかんざしの特異さを理解した。

 かんざしに自身の波動を流し込むようなイメージを送ると、振りかざした際に九尾の狐火をかき消すことができるらしいのだ。


(………水野の家は、陰陽師の家って言ってた。いわゆる『呪符』とかそういう類の霊装の一種なのかな。妖怪退治専門の、とか)


 かんざしは秋奈の私物ではなく、先ほど優子から手渡されたばかりのものだ。

 先ほどいろいろ聞いたばかりで確証はないが、可能性も無きにしも非ず。

 ――とはいえ、それを確かめるのは後にしよう。今は儀式の真っ最中だ。


 ガアアアアッ! と咆哮が炸裂、秋奈は反射的に瞳を閉じてしまった。まばたきの速さですぐさま目を開いたが、九尾の口元には巨大な狐火の業火球。

 秋奈はかんざしに波動を流し込むイメージを描いてから、三度一閃。

 紅の軌跡が九尾の狐火をまたもかき消し、九尾の執念の篭った瞳が秋奈を映し出す。

 儀式衣装をはためかせ、かんざしを振るう紅の少女。


 ほんの一瞬、九尾が動きを止める。

 秋奈はその一瞬を逃さなかった。

 かんざしを構え、低い姿勢で一気に突進する。


 九尾が大口を開いて空気を震わせる。耳をつんざくような大爆音に頭が割れそうになるが、秋奈は足を止めなかった。

 九つの尾が蒼い狐火を振り回す。今度は大きさも形態も速度もバラバラ。火山弾のように無作為に降り注ぐ蒼炎に対し、秋奈はかんざしをかざし、回旋するように振り回す。すべてを一文字に引き裂き、ふたたび歩き始めた――そう、駆け出すことは、できなくなっていた。

 一歩近づくたび、九尾の攻撃外での重圧を、ひしひしと感ぜざるを得なかったからだ。

 この世から逃げたくなるようなプレッシャー。人間を信じたくなくなる絶望感、不安感。

 九尾という存在そのものが無意識に生み出している、残酷な悪意の波動(オーラ)


(………っ、これは……)


 怨念の権化。九尾がそのように見られていることは先ほど誠から聞いたはずだったし知識もそれとなくあったが、ここまでひどいものだとは知らなかった。相当強い精神力を持っていないと、近づくのは鬱になるだろう……。

 嫌な汗がにじむ。

 身体的には疲れていないはずなのに、息が上がる。

 それでも、秋奈は歩みを止めなかった。

 そして、九尾の眼前にたどり着き、かんざしをかざした。


「………チェックメイト、かな?」


 九尾は言葉を返さない。そのかわり、持ち上がっていた九つの尾が、ゆっくりと地面に降ろされていた。

 秋奈はそれを戦闘終了の合図だと受け取り、かんざしを下ろす。


「………もう一度名乗る。あたしの名前は、水野エメラルド=クロイツェフ・秋奈。あなたと友達になりにきた。友達として(、、、、、)、契約を結びに来た」

『…………なぜ、俺と友達になろうとする? 俺は九尾の妖狐、言ってしまえば、貴様ら陰陽師の宿敵だ。この世界の怨念と渾沌、闇の権化だぞ?』

「………《レジェンドキー》ってのはさ、あたしの精神を顕現化した聖獣と出会える儀式能力なんだって。つまり、あたしの中には、あなたを具現化させてしまうほどの『悪いもの』があるってこと。拒絶こそすれ、あなたの存在を否定することは、あたしには、できない」

『なるほど、な』

「………それに」


 秋奈は茶目っ気溢れる笑顔をつくり、



「………九尾は、美人に化ける能力があるんでしょ? それって、あたしが将来美人に化ける(、、、、、、)ってことの証明みたいで、気分いい」



 ぶい、とぴーすさいんを向ける秋奈。

 ――九尾はその威厳のある容姿に似つかわしくないキョトンとした表情を浮かべた後、ニヤリと口角を上げた。


『合格だ。水野秋奈、汝を俺の主として認めよう』

「………本当!?」

『二言はない。お嬢、我と契約を結んでほしい。お嬢といると、面白そうだ』


 すっと前足を差し出してくる九尾。握手かな? と首をかしげた秋奈は、とりあえず爪一本に自分の両手を重ねて置いた。


「………それは、光栄な評価かも」

『ならば、契約を開始する。お嬢、少し待っていてくれ』


 コクリと頷くと、秋奈は体を九尾の尾の一本に包まれた。ふかふかして暖かい――なんて考えている間に秋奈の体は持ち上げられ、他の残る八本を器用に扱い、狐火の蒼炎で地面になにやら不思議な魔方陣を描いていく。書き終えると魔方陣は幻想的に光の柱を放った。

 秋奈はその柱の中へ、そっと降ろされる。


『汝、改めて名を名乗れ』

「………水野エメラルド=クロイツェフ・秋奈」

『我が聖獣名は《九尾の妖狐》。蒼き焔と水野秋奈の波動を以て、汝の力と成りうることをここに誓う!』


 九尾の大声が轟き――その体が、黄金の粒子に包まれた。

 その粒子は秋奈の胸元へ――エメラルドが下げられているだろう位置へと、自然に吸い込まれていく。


『水野秋奈。これから、よろしく頼む』

「………こちらこそ、九尾さん」


 その言葉を最後に、秋奈の意識は徐々に薄れ――――



   ☆ ☆ ☆



「………肩、痛い」


 瞳を開いた途端、勢いよく打ち付けてくる流水に顔をしかめる秋奈。例の滝壺に戻ってきた(?)ことを確認すると、すくっと立ち上がった。見れば外したはずのかんざしは結った髪に刺さったままで、全身についたはずの焼け痕もない。少し不安に感じた秋奈は胸元のエメラルドを慌てて見下ろした。


「………九尾、いるの?」


 すると、エメラルドが中央から、ほんのりと光を放つ。返事の代わりだろう。秋奈は思わず緩む頬を引き締めて、滝壺からそそくさと退散した。駆け寄ってきた三人に、とりあえず成功の証としてブイサイン。

 しかし――出迎えてくれた様子だったが、誠が真っ赤な顔を手で押さえてバッと視線を逸らし、雪奈や優子が含んだ笑みを浮かべていることにコテっと首をかしげることとなった。


「………どうか、した?」

「いえ、秋奈様、その……ご自身の衣装を、ご確認ください」


 こほん、と咳払いをしてから優子がタオルを差し出しつつ、そんなことを言ってきた。隅のほうでは「これはこれは……誠、よかったですね」「なにがですかっ!? いえ、口答えすいません……」と誠をからかう雪奈の姿が見える。

 秋奈は言われたとおりに視線を自分の身へ落とし――頭が真っ白になった。心臓が飛び跳ね、頬は真っ赤になっただろう。


 それほどまでに、今の自分の姿は――客観的に、妖艶だった。

 背が低いとはいえ出るところは出すぎている秋奈の肌に儀式衣装はぴったりと張り付き、豊かな双丘を惜しげもなく現している。さらに誠からすれば、濡れてしとやかに輝く髪や鎖骨を滴る雫の色っぽさ、くわえて滝の水流のせいで儀式衣装そのものも随分とはだけていて……その上、今、下着はつけていない。


「………誠」

「はい」

「………見た?」

「見ませんでした」

「………嘘、いくない」

「見たって言ってもどうせ怒りますよね!?」

「………やっぱり見たんだ。誠のばか」

「不慮の事故じゃないですか!」


 ぷいっと赤い顔を背ける秋奈に対し、ひたすら平謝りする誠を、雪奈はニヤニヤと余裕の笑みを浮かべて眺めるのだった。



   ☆ ☆ ☆



 不慮の事故なのでなんとかお許しをいただいた誠は私服に着替え、同じく私服に着替えた秋奈と滝壺を眺めていた。秋奈は靴やソックスを脱いで滝壺に足を浸からせているのに対し、誠がその斜め後ろに立っている、というのは普段どおりの位置関係。

 秋奈の衣装はノースリーブのロングコートにショートパンツ、オーバーニーソと涼しげな印象。髪も普段どおりサイドテールに結い直していた。ちなみに誠はポニーテールのままだ。


「では、あの九尾と契約したんですか!?」

「………うん」

「すごいじゃないですか! 流石です、秋奈お嬢様!」


 言葉遣いこそ気に食わないけれど、久々に誠から満面の笑みで賞賛を受け、ほおをほんのり染めつつ頷く秋奈。


「九尾の妖狐ですか。秋奈、ずいぶん有名で強力な聖獣と契約できましたね」

「………うん。これから、いっぱい仲良くなるつもり」


 雪奈からも賞賛を受け、ぐっと拳を握り締める秋奈。表情が乏しいだけであって、感情の抑揚は割かしはっきりしているのだ。


「誠は失敗でしたが、秋奈は成功。少々喜びにくい結果となりましたが、とりあえず本日私からの用件は以上となります。私はこの後顔を出さなければいけない会議がありますので、先に行かせていただきます。今後の指示は、こちらの優子さんに従ってください。優子さん、よろしいですか?」

「かしこまりました」


 ぺこりと丁寧におじぎをする優子。

 真紅の髪を翻し、世話しなく電話をかけながら、雪奈は山道を去っていった。リムジンは誠達の帰宅用に残してくれたらしい。


「ではここからは雪奈様に代わって、私、清水優子が承ります。ですが、その前に少しよろしいでしょうか?」


 先ほどまでと同様に、思わず背筋が伸びるような丁寧な口調で言葉が並べられた――かと、思いきや。



「言葉遣いを崩してもいいか? 私、敬語を使うのは苦手なんだ」



「………………へ?」

「………キャラ変更?」


 秋奈が述べてしまう気持ちがよくわかる。オブラートも何も包まない乱雑な言葉遣いを披露したメイドさんは、突然メイド服を脱ぎ始めた。またラッキースケベですか!? と誠が視線を逸らし、ついでに秋奈に「………み、見ちゃダメ」と目元を塞がれる。


「はっはっは、視線を逸らす必要はないよ。私の特技は早着替えだ」

「………早い」


 しかし、高らかに笑う優子の姿を見て、秋奈はぽかーんとマヌケに口をあけて脱力した。視界の晴れた誠も恐る恐る視線を向けてみれば、驚くことにほんの数秒で着替えたらしい、制服姿の清水優子がそこにいた。

 リボンを髪の一房に巻いている手つきは慣れたものだ。凛とした顔立ちはメイド服も様になっていたが、堂々としている今の姿のほうが魅力的に見える。


「改めて自己紹介しようか。私の名は清水優子。盟星学園高校二年で、雪奈様の側近をやらせてもらっている」


 よろしくな、と向けた笑顔はひじょうに男らしかった。雪奈の前で見せていたおしとやかな姿と今を見比べて、ここまでTPOの使い分けが上手い女性を誠は初めて見た。


「……ん? ちょっと待って。清水優子って、どこかで聞き覚えが……」

「………誠?」


 秋奈が誠の顔を覗きこむ。眉間に指を当てた誠は、ああっ、と声を上げて顔も上げた。


「清水優子さんって、もしかして超能力ランクⅩ【使徒】No.6の、清水優子さんですか!?《静動重力ハイローグラビティション》の!」

「はっはっは、そう羨望の眼差しを向けるな。そんなにすごいことではない」


 言葉と裏腹に姿勢は堂々と胸を張り崩れない優子。誠の尊敬の眼差しと説明で、秋奈もようやく清水優子がどのような女性かを思い出した。

 超能力ランク最高位、すなわちランクⅩは【使徒】と呼ばれ、応用性や能力の威力によってランキングされている。現状ランクⅩは日本に九人しかいないので、No.6《静動重力ハイローグラビティション》の清水優子というのは、知名度も非常に高い。


(………そんなすごい人がお母様の側近をしてたなんて、知らなかったなぁ)


 思い出したは思い出したけど、秋奈はそこまで驚かない。先ほど見た九尾のほうが、秋奈の中ではインパクトが強かった。


「秋奈お嬢様と、誠君……でいいか? 二人はたしか、今年受験生だったよな。どうだ? やはり、我が盟星学園に進学するのか?」

「………一応は、そういうつもり。合格したら」

「お嬢様ならできますよ。入学できた際は、よろしくお願いします」

「楽しみに待っているぞ!」


 バン、と割と強めに背中を叩かれる誠。


「では、早速雪奈様より言いつけられている、《レジェンドキー》の使い方を、二人に始動していこう。誠君はまあ、未来のため、ということで聞いておいてくれ」

「使えるようになるんですかね……?」

「大丈夫だ。私も《レジェンドキー》契約するまでに三回、儀式に挑戦している。そんなものだと気軽に受け止めておくべきだと思うぞ」


 と、言いつつ優子はブレザーより護符を、ベルトに引っ掛けられていたホルスターよりレディースの拳銃を取り出した。


「二人の契約媒体はその大層な宝石だが、私の契約媒体はこの護符だ。そして、私の契約した聖獣は《雪女》。実際に見てもらうのが一番早いかな」

「………雪女、なんてのもいるんだ」

「《レジェンドキー》は使い手が多いわけではないが、種類もたくさん。雪奈さんが言っていたはずだぞ。さて、それでは――」


 優子は護符を掲げ、


「《レジェンドキー・雪女》、契約執行」


 ――優子の声に反応するように、護符より水色の粒子があふれ出す。

 その粒子の中より冷気が立ちこめる。粒子は優子の隣で一つの形状を描いて具現化し、長い髪を幻想的に揺らした白衣装の女性が召喚された。


『あらあら、優子さん。お久しぶりですのことよ?』

「ああ、久しぶりだな雪女さん。さて、今のように、契約媒体を掲げて『契約執行』と告げることで、契約聖獣はその波動を以て具現化、召喚される。ちなみに、このように召喚した上体のことを『請願』と言う」


 言葉はあまり使わんがな、と付け加える優子。


『あらあら、可愛らしい女の子がお二人も。どういうことなりけるの?』

「片方は男だぞ、雪女さん」少々落ち込む誠。「《レジェンドキー》を用いた戦い方の一つには、このように請願した聖獣と私たち契約者、二人でコンビの態勢を取り、手数で敵を上回る戦い方がある」

「お嬢様は能力のことも考えると、こちらのほうがよいかもしれませんね」

「………だね」


 誠の言葉にコクリと頷く秋奈。先ほど身をもって体験した九尾の蒼炎の威力があれば、火力が不足しがちな秋奈の能力をカバーできるかもしれない。


「次に、《レジェンドキー》第二の戦い方だ。こちらは『憑依』――聖獣が波動となり道具や生物に憑依することで、道具の威力を高めたり人間の身体能力を向上させたり、あるいは聖獣の持つ恩恵を道具に付与させることができる。私の場合は、この拳銃に雪女さんを『憑依』させることが多いな」


 クルクルと器用に拳銃をまわしていた優子は、雪女へ視線を送ると、拳銃を木に向かって構えた。


「この状態のままなら、拳銃が放つ弾丸はただの金属の塊だ。だが、こうすることで拳銃は更に強化される。契約融合――《レジェンドキー・雪女》×拳銃(ハンドガン)


 キーワードに呼応し、雪女の体が召喚時のように粒子状に変化する。その粒子は優子の持つレディースの拳銃に吸い込まれた。表面に水色のラインが引かれ、銃身が白く染められていく。

 元の姿とは大幅に違う外見の、冷気を纏った拳銃へ姿を変えていた。


「――とまあ、これが『憑依』の一パターン、道具との融合だ。私のハンドガンが、一瞬にして特別製の拳銃へと早変わり」

「道具に、ですか」

「ためしに撃ってみようか? ていっ」


『憑依』の影響で銃声は響かないが、白く輝く軌跡が走る。

 真っ直ぐに打ち込まれた氷の弾丸が木の幹を貫通し、丸い風穴が開く。弾丸が通った中空の水蒸気が凍結されたのか、軌道上は煌いていた。


「こんな感じだ。私の『雪原射撃銃(アイシクルキャスト)』は、氷――正確にはドライアイス弾を撃てるようになる。二酸化炭素頼りなので弾数が無限になるというくらいしか利点がないのだが、それでも、通常の数倍は強い」

「………かっこいい……!」


 目を耀かせ、銃身を興味深げに見つめる秋奈。生憎ながら秋奈は道具を利用する戦い方は能力の都合上不得手としているが、融合というのはロマンを感じるものだ。


「一応付け加えておくと、『憑依』は契約者をはじめ、生物にもすることができる。聖獣の持つ恩恵を自在に扱えるようになる他、飛躍的な身体能力向上も期待できるぞ」

「つまるところ、人と聖獣が『融合』できるわけですか」

「単純な認識ではそうだな。人を依代に選ぶ場合は、……滅多にないと聞くが、聖獣に逆に取り込まれてしまうことだけが心配だ、ということを忘れないでほしい。さて以上が、《レジェンドキー》の基本的な使い方となる。聖獣の力を引き出すのはすべて所有者次第だ。あとは、実践経験を積み重ねていくしかないな」

「………頑張ります」


 秋奈はぐっと両手を握りしめる。子供っぽい仕草に、凛々しい優子の頬も緩んでいた。


「では最後。聖獣を契約媒体へ戻すには、単純に『契約収納』といえばよい」


 と、優子が何気なく口にしたその言葉に反応して、青白く輝いていた拳銃から粒子が溢れ出した。その粒子は優子の持つ護符へ流れ込み、やがて拳銃は元のレディースモデルに戻り、護符にも雪女が中にいる証拠であろう元の紋章が表れていた。

 拳銃と護符をしまった優子は、表情を改めて秋奈と誠に体を向けた。


「《レジェンドキー》で最も重要なのは、契約聖獣との信頼関係だ。なにせ聖獣たちは、私たちの精神を顕現化させた存在なのだからな。心を通わせ仲良くなるだけで、彼らは多大な力を与えてくれる。誠君はどうやら前途多難だが、いつか私にキミのパートナーを、見せてくれよ?」

「はい、必ず」


 いい顔だ、と笑った優子は、最後にこう付け加えた。


「秋奈お嬢様。誠君も。もう一度言っておこう。盟星学園は、必ずキミ達に刺激になる学園だ。私は来年度が最終学年だが、ともに過ごせることを楽しみにしているよ」

「受験、頑張ります」「………同じく」


 では帰ろうか、と黒髪を翻した優子に続いて誠達も下山する。

 帰りもやっぱりリムジンだった。



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