第一章‐③ 零能力者は少女を拾う
「おっとと、信号変わりそう」
大通りの交差点で、佑真はエアバイクにブレーキをかける。
結局、補習から開放されたのは昼過ぎだった。
その後、適当に街をぶらついている最中に学校の悪友達と出会い、ゲーセンめぐりやカラオケといった生産性のない午後を過ごした。まあ夏休み初日らしいとも言えるだろう。
そうして帰路に着いたのは、日も少しずつ傾き始めた午後四時頃。
目的がなければ急ぐ理由もない。
ぼけーっと赤信号を見上げていた佑真は――まだまだ青い空に、何かの影を見つけた。
目を凝らし、その『何か』に焦点を当てる。
逆光でいまいちわからないが、シルエットは野鳥ではなく、飛行船でもなく、エアカーなどの類でもない。
「……いんげん?」
じゃなくて人間な。
と一人で寂しく脳内ツッコミを入れた佑真は、もう一度空へと視線を投げかけた。
「わ、わわ! 助けてぇええええええええええ!」
「空から女の子が降ってきた――――――ッ!?」
思わず絶叫を返す佑真。女の子の方も目から滂沱の涙を流し、高い悲鳴を響かせていた。どうやら飛び降り自殺ではないらしい。
着ている服はだぼだぼのパーカー。スカートも同様に激しくはためき、水色の下着が完璧に見えていた。蒼髪を揺らす容姿は空から降ってくるだけあってか、お約束通り絶世の美少女だ…………………………ではなく。
斜め上から降ってくる少女。
そのシルエットは徐々に大きくなっている。
つまりは遠近法が機能し、だんだんと近づいている証明であり!
佑真が今いる場所に向かって真っすぐに落下している証拠でもあった!!
(ってこれ超ヤバいだろうが! 前にテレビで見たぞ、自殺志願者がビルから飛び降りたら下の道行く人と激突して潰してしまい、一方の自殺志願者は五体満足で生き残りましたってニュース! 現在進行形でオレがいる状況はそんな感じかもしれない! そして!!!)
聞いてしまった『助けて』というフレーズ。
その言葉に対し、佑真は訳あって自らルールを課しているのだ。
目の前に助けを求める人がいたら、たとえ見知らぬ人でも必ず手を差し伸べる――と。
(考えろ!)
超速度で思考を巡らせる。
現状把握に時間を使い過ぎた。残された時間は多くても二秒。少なすぎるだろ、とつっこむ間に終わりかねない刹那で――十年に一度の画期的方法を思いついてみせた。
その瞬間だった。
「へぶしっ!?」
「んにゃあっ!?」
ちょうど佑真の腕の中へ収まるように、少女の体が降り注いだ。
激突の衝撃が脳を揺さ振り、一瞬意識がフェードアウトする。
奥歯を噛み締めた佑真は、少女ごと倒れながらエアバイクの車体へと背中を打ちつけた。
莫大な位置エネルギーと二人分の体重が猛威を振るう。
肺から息が漏れ、トラックに撥ねられたかの激痛に全身が悲鳴を上げる。
そうして佑真の身体越しに伝わる下方向の衝撃を、エアバイクが感知した瞬間だった。
宙を浮く二輪車。
その仕様上、エアバイクには接地を防ぐためのセンサーがついている。
過度の衝撃や重量で車体が接地し事故を起こしかねないという状況になると、操縦者の意志にかかわらず反重力モーターを起動させて、車体の平行浮遊を保とうとするのだ。
その機能を逆手に取った。
内臓がつぶれるほどの衝撃を相殺するために、青白い粒子があふれ出す。
ボゴッ! と圧力が公道にクレーターのような球状の窪みを生み出していたが――しかし位置エネルギーの相殺に成功。佑真は〝少女〟をほぼ無傷で受け止めることに成功した。
(………………あ、死ぬなこれ)
……ちなみに受け止めた張本人、佑真の意識はすでに薄れつつあった。
蒼髪の少女が持ってきた位置エネルギーは、一度佑真の全身を通過してからエアバイクに届いている。そしてエアバイクが頑張ったからといって、落下のダメージを受け流して『零』にできるほど話は甘くなかったらしい。
奇跡的に少女は無傷だったが、エアバイクと少女の間に挟まった佑真は致命傷を負った。
ただそれだけの単純な帰結。
骨や筋肉の悉くが砕け、体の内側が変な熱を発している。とはいえ少女を救うことには成功した。無事肉のクッションの役割を果たせたのだ。最低限の結果は残したと言えるだろう。言わなきゃやっていられない。
「……ん、あれ、私、生きてる……?」
そんなこんなで痛みのあまり涙すら流せない佑真の腕の中で、蒼髪の少女がもぞもぞっと動き、おそるおそる瞼を開いた。
澄んだサファイアのような瞳が、目先十センチで佑真の顔を見つめていた。
幼さ残る可愛らしい顔立ちだが、今の佑真にときめく余裕は五寸釘ほどしかない。
少女は佑真が言葉を発せないほどの重傷だと気付くと、あわあわと狼狽し始めた。
「あ、あの、あのあの! 大丈夫……なわけないよね!?」
「…………………………」
「わーっ! 待って何かを悟ったように瞼を閉じないでっ! 今すぐ怪我治すから!」
そう叫んだ少女は、佑真にもはっきり聞こえるほど深く息を吸い、
「――――〝|貴方に、神様の祝福を《God Bless You》〟」
短く呟いた、直後のことだった。
少女の小さな掌から白い粒子があふれ出した。
陽だまりのように暖かな粒子が佑真の全身を包み込み――その暖かさを感じると同時に、佑真に不思議な感覚が訪れていた。
痛みが、あっという間に軽減していく。
傷口が塞がり、意識の混濁も消え去り、鮮明な思考能力が帰ってくる。
(……なんだこれ……治癒系の超能力か……? それにしたって高性能すぎないか!?)
あまりの回復っぷりに困惑する佑真。
やがて痛みは完全に消え去り、顔色も良くなったのだろう。少女が白い粒子の放出を止めたのは、佑真の全身から傷が消えたのとほぼ同時だった。
ふう、と息を漏らした〝蒼い少女〟が心配そうに覗き込んでくる。
「えっと、どう説明しようかな……とにかく傷の治療は済んだはずだけど、もう体は大丈夫? 痛むところは残ってない?」
佑真は体を軽く動かしてみる。激痛はすっかり消え去っていた。それどころか、以前と比べて一つ一つの動作が滑らかになったような感覚さえある。
「すっかり大丈夫だ。ありがとな、えーと……」
「波瑠です」
にこっと笑顔で名乗った少女――波瑠は首を横に振った。
「……ううん。お礼を言うべきは私だよね。あなたが体を張って受け止めてくれなかったら、今頃私は死んじゃってたんだもん。命の恩人さん、名前を教えてもらえませんか?」
「佑真。天堂佑真だ」
「じゃあ佑真くんだね! ありがとうございましたっ」
腕の中でぺこりと頭を下げる波瑠。やけに頭のてっぺんが近いなと思えば、抱き合うような格好のままだったのだ。急に恥ずかしさがこみ上げてくる。
波瑠は気にしていないのか、顔を上げた彼女の瞳には尊敬の光が宿っていた。
「でも、咄嗟によくエアバイクを利用したクッションなんて思いついたね!」
「ま、まあ無我夢中っつうか偶然の産物だけどな。それに、もしお前が回復してくれなかったら今頃オレが死んでたんだ。褒められたモンじゃないって」
「いやいやっ、それでも私が佑真くんに助けてもらえたのは紛れもない事実でしょ? 本当にありがとうね」
ふわっ、と。
花が咲いたような微笑みにどきりと心臓が跳ねる。佑真は後頭部をかきながら、
「ところで、波瑠だっけ? なんで空から落ちてきたの?」
「……………………そこには、深い深い事情がありまして」
事情? と問いかける佑真。
具体的に言うとあれです、と背後を指差す波瑠。
指先に目を向けた佑真は――波瑠の何とも言えない表情の理由を視覚的に理解した。
「おいおいおいおいおいおい!? SF映画もびっくりな速度で武装したパワードスーツがこっちに迫ってるぞ!? まさか波瑠、アレに追われてるとか言うんじゃねえだろうな!?」
「アレに追われています!」
できれば首を横に振ってほしかったが、波瑠は潔い即答をしてくれた。
絶望にうちひしがれる佑真は、支える程度に抱いていた波瑠の体が小刻みに震え始めたことに気づいた。
「……なんか、面倒な事情がありそうだな?」
「……うん。すごく面倒くさい事情があります。私はアレに捕まるワケにはいかないの」
佑真の裾をきゅっと握った波瑠は、少し潤んだ瞳を向けてきた。
「本当に申し訳ないんだけど、こ、断ってくれても全然構わないんだけど……あのパワードスーツから逃げるのを、手伝ってくれませんか?」
佑真は思う。
こんなに可愛い上目遣いで懇願されたら、どんな男でも命懸けられるんじゃないの、と。