間章‐② ‐ドキドキ‐
一方、とある中学の学生寮の一室では、髪を黒く染め上げた元〝蒼い少女〟が姿見の前でくるくると回っていた。
自分の格好がおかしくないかを確認するため――なのだが本日これで五回目。
夏休みど真ん中のお盆休みということもあって、休日の昼間からゴロゴロ~ゴロゴロ~しながらテレビを見て過ごしていた寮長は、さすがに見かねて声をかけることにした。
「何をそんなに姿見ばかり見ておるんじゃ、波瑠。そんなに自分の可愛らしい姿を眺めたいのかの?」
「し、心配なんですよ、変なとこあったら困るから!」
「一切ないから大丈夫じゃと言っておるじゃろ」
「でもっ、佑真くんから誘ってくれたんですよ!? 緊張しちゃって……っ!」
「乙女心、青い春というヤツじゃのう……」
ほっと緑茶を飲み、お茶菓子を適当に摘む寮長。放置しておいたほうが波瑠も気が済むだろう、という判断を(投げやりに)していた。
客観的に見て超絶美少女の波瑠は、今日はオフショルダーのシャツにショートパンツ、腿まであるオーバーニーソの組み合わせだ。
髪型は訳あってロングストレートから変えられないが、寮長の身びいき(のような感情)を除いても、圧倒的に超絶可愛い。もう心配するところなんて一切合切何もない。
オマケにデートというシチュエーションだけで頬が赤く染まってしまう波瑠だ。
(あやつが見れば瞬殺じゃろうに……ま、青春とはそういうものじゃしなぁ。特に波瑠はそういうごく普通すら楽しいんじゃろうなぁ)
(なんで、なんでニヤニヤこっち見てるんですか……やっぱり何か変なのかな?)
いろんな意味でドキドキしすぎて胸元を押さえる波瑠。
………………ここまで初心な反応を見せていながら、佑真と波瑠は付き合っていない!
あれほどの出来事を経ておきながら!!
そして波瑠がその想いを口にしたにもかかわらず、である!!!
しかし二人は今日のように一緒に出かけることもあるし、佑真は普段から寮長の部屋に入り浸って(夕食をたかって)いるので、ほぼ毎日顔を合わせている。正直に言えば波瑠はこの日常を送れるだけで幸せだ。
でも。
(……近頃は何も起こらないし、こんな平和に生きてていいのかな)
波瑠は鏡に映る長い黒髪を指でなぞり、小さくため息をついた。
《神上の光》――天皇波瑠の死亡。
七月二十一日、日本のとある海岸線で起きた激闘の末、波瑠が死亡したという偽報。
山一つを消し去り大海を引き裂いた超激闘であったこと。しかし参加者わずか七名という目撃者の少なさ。二つの根拠の曖昧さもあってか情報は素早く拡散され、波瑠の死亡説は妙な信ぴょう性を帯びたまま世界の水面下に拡散されていた。
その効果は如実に表れている。
ここ二週間ほどは波瑠が違和感を覚えるレベルで何も起きていない。
もしかしたら【ウラヌス】の面々が影で働きかけているのかもしれないが、とかく波瑠は望み続けていた『平穏な日常』を過ごせているのだ。
それでも――五年間も背負い続けていた業が、ふとした瞬間に囁きかける。
(……平和ボケして、恋に現を抜かして、私は本当に許されるのかな。佑真くんには『幸せを目指していい』って言われてるけど……それに、私にはまだあのことが………………)
つい、しゅんとしてしまう波瑠。
マイナス思考が癖になっているのかなと苦笑いを浮かべた時、ぴんぽーん、とチャイムが鳴る。ビクッと寮長が体を震わせた。
「……寮長さん?」
「す、すまん。家のチャイムはつい、あの時の大剣使いの記憶が蘇ってビビッてしまっての……そろそろ付け替えるかのう……」
「普通にカメラ付きにしたらどうですか? というかむしろ、カメラ付きでないインターホンなんて私この寮で初めて見ましたよ」
「じゃろうなぁ。この寮は何もかもが安物じゃからなぁ」
笑いながら玄関へ行った寮長は、すぐに波瑠を呼ぶ。
玄関先には、普段どおりのパーカー姿で佑真が待っていた。
「おっす波瑠。待たせた?」
「ううん大丈夫だよ。それより佑真くん、今日は?」
「ふっふっふ、聞いて驚け。実はな、【ウラヌス】の連中が例の高速道路で海のもずく……じゃなくて藻屑にしやがったエアバイクを弁償してくれてな、最新モデルのエアバイクがオレ宛てに届いたのだよ!」
「おぉー!」
「そんなわけで、今日はそいつの試乗を兼ねて波瑠と遊びに行――」
「佑真、素直に『波瑠と一緒に遊びに行きたい』と言えばいいだけじゃろ。エアバイクが新調されたことは事実じゃが、理由に使うとは男らしくない」
「悪いかよ! つーか寮長いつも余計なこと言うな!」
あっさりネタバレした寮長のせいで悶絶したいくらいの羞恥に襲われる佑真。
波瑠はそんなやり取りを見た後、キュッと佑真の手を握った。
少し驚いて視線を向けた佑真の目の前で、波瑠がはにかむように微笑んでいた。
「どんな理由でも私は嬉しいよ。ほら、早く行こ!」
「…………お、おう」
佑真は頬に熱が篭るのを実感しつつ、寮長の視線を無視して波瑠を寮の裏側にある駐車場へ連れて行く。エアバイクは隅のほうに準備済だ。
蒼い装甲のような装飾が施された、流線型の鋭い印象を与えるボディ。
以前佑真が必死にバイトして購入したモデルとは比べ物にならないほどカッコイイ。エンジンや反重力モーターも一回りくらい大きく……。
単純にいえば、とってもお高い品なんじゃないの? という感想が真っ先に浮かんだ。
「佑真くん、これ、いくら?」
恐る恐る波瑠が問いかけてくる。
「それが知らないんだよ……。安くて三百万はくだらない高級メーカーだってことだけは調べたけど……壊したらヤベェよな…………」
ヘルメットを投げ渡してきた佑真の口の端が引きつっていたのは、波瑠の見間違いではなかった。
佑真が先にまたがり、続いて波瑠が黒髪を揺らして後ろに飛び乗る。スカートでなくショートパンツにしたのはバイクに乗るためだ。
波瑠がギュッと佑真の腰に腕を回すと、一瞬だけ体が硬直した。
――そのリアクションが愛おしい。
――私を意識してくれたんだとわかって、もっといじりたくなる。
クスッと微笑んだ波瑠は、ハンドルを握った佑真に声をかけた。
「ねえ佑真くん。行く場所、私が指定してもいいかな?」
「いいけど、今日中には帰れる場所で頼むぞ?」
大丈夫だよ、と波瑠が指定した場所は、都内にある有名な観光地。
【メガフロート】地区へ向け、蒼いエアバイクは流星を描いて発進する。




