第一章‐㉞ 蒼い少女は約束に微笑む
【第七節 蒼い少女は約束に微笑む ‐今回の物語の帰結‐】
――――――2131年7月31日火曜日、午後四時を回ったところ。
「しかし残念じゃったのう、結局『零能力者』のままで」
ケラケラと笑いながらちゃぶ台上の茶菓子をつまむ寮長を眼前に、『零能力者』こと天堂佑真は「は――っ」とこの上なく大きな溜め息をついた。ちなみにオベロンに粉々にされた寮長の部屋はすっかり修理され、元通りの和室となっている。
「本当に残念だっつうの。『還元』と『創造』ができるって聞いたから『チートじゃん!』って思ったのに、オレに残ったのは異能力を消す力だけ……しかも三秒間も異能力に触れ続けなきゃいけないんすよ!? 痛いのなんのって!」
「〝純白の雷撃〟とか言っておったがまだ一度も放出できておらんし、三秒間触れ続けないと異能を消せないのでは、結局戦闘には不向きじゃし。おんしは波瑠を救う過程で全然成長しなかったんじゃなぁ」
うるせえ! とキレたい気分の佑真は、八つ当たりだとわかっているだけに、座布団へ腰を下ろして緑茶を飲み干した。
は――っ、とふたたび盛大に溜め息をつく。
波瑠をめぐる戦いから、早いことに、もう十日も経っていた。
後日談として語れることはたくさんあるが、いくつかの部分だけ思い返してみる。
天皇劫一籠を殴り飛ばした直後に意識を失った佑真と、佑真の全身の傷を回復させた後に体力的限界を迎えて気絶した波瑠。
この二人をこの学生寮まで連れてきたのは、驚くことに【ウラヌス】の面々だった。
佑真が目覚めたのは彼らがいなくなった後なので、言葉は交わしていない。
波瑠からの伝聞では、一応謝罪や言い訳――『仲直り』はできたらしく、「関係を修復していけるといいな」とのことだ。
佑真のボロボロだった体は《神上の光》という絶対の『奇跡』のおかげですっかり元通りとなっていたが、精神的疲労や根本的な体力・気力は回復できないのが《神上の光》の厄介なところだ。
死闘を繰り広げた佑真は体力・気力ともにピークに達していたため運動禁止。この十日間は寮長のお世話となり、のんびりと過ごしていた。
そして先の会話のように、佑真が使用した〝純白の雷撃〟なのだが……非常に残念なことに、一切使用できなくなっていた。
しかも、わずかに搾りかすが残ったのが癪だ。
『三秒間触れ続けた異能の力を消す。ただし、痛みに耐える必要アリ』
という、消せるのはいいのだがそれまでがクソ痛い、戦闘にほとんど役立たない自滅能力だけがお残りになりました!
ちなみに言うとフィクションに溢れる類のように『一瞬で異能の力を消す』わけではないので、ちゃっかりダメージを受けるのだ。例えば発火能力者の生み出した炎の焼けるような痛みに三秒間耐えてようやく、能力を消すことができる。
火傷上等・感電必須・出血不回避とまあ……『零能力者』時代同様、超能力を受け止めれば即死なことは変わりないわけで。
波瑠は「ま、まあ、佑真くんが痛みに耐えられる精神力をつければいいんだよ! 傷は私が回復させるから!」となんともいえないフォローをし、寮長はひたすら馬鹿笑い。
なにより疑問なのは「どうしてこの微妙な能力だけが残ったのか」だが、〝純白の雷撃〟自体、ただでさえ正体不明なのだ。
理解を妥協し、この《零能力》と付き合っていくことになるのだろう。
超能力者への些細な抵抗手段が身についただけ、よかったやら悪かったやら……。
一方、佑真が救った少女はといえば――
「あ、あのー……着て、みましたよ」
ちょうど佑真が波瑠のことを思い浮かべたタイミングで、部屋の奥より、波瑠の少し恥ずかしそうな声が届いてきた。
「おぉー……」
「それはどういうリアクションなの……っ」
頬を赤く染めた波瑠が、恥ずかしそうに体を揺すりながら佑真達の前に立つ。
着ている服はいわゆるセーラー服――そう、佑真の通っている中学の制服だ。
至って普通で見慣れたプリーツスカートとブラウスのはずなのに、波瑠が着ると清純さや可愛らしさが際立ち、胸の高鳴りを抑えられない。
「ほほう、よく似合っておるのう。これは男子の視線を引きそうじゃ」
「めっちゃ可愛い……うん、似合ってるよ」
「そ、そう……かな? えへへ」
嬉しそうに頬をかきながら、波瑠がふわっと微笑んだ。
波瑠は寮長の協力もあって――普通の女の子のように過ごす『夢』を叶えるべく――同じ中学に通う権利を得た。ようは生徒として編入することが決定したのだ。
住む場所の問題に関しても寮長が協力し、今はすべての事情を知った寮長のところに居候している状態だ。佑真もすぐ様子を見に行けるけど、そのせいで佑真は波瑠の下へ顔を出しに行くたび『宿題はやったかの?』と寮長の満面スマイル(と書いて悪魔の微笑みと読む)を見る羽目となったことは余談として。
「よかったな波瑠。すんなり編入決まって」
「うん。これで、佑真くんと一緒にいられるよ」
波瑠が佑真の隣に座り、緩い笑みを浮かべる。
すると寮長は一人、うーんと唸った。
「ん? 合法ロリババァ、どうしたよ」
「いやの、波瑠が幸せそうなのはよいのじゃが……佑真が幸せそうじゃと、なんとなく納得がいかんのじゃ。腹が立つ。おんしは永遠に不幸なほうが落ち着くというか」
「あんたそれでもオレの担任教師!?」
佑真の絶叫のようなツッコミに、波瑠が楽しそうに声を殺して笑う。
今、波瑠がここでこうしているのは、彼女の希望でありわがままだ。
本来脱走兵である波瑠は【ウラヌス】へ戻らなければいけない。
キャリバンやアリエルには、『もう辛い目にはあわせないから』と、共に帰ることを懇願されたそうだ。
しかし、波瑠は佑真と共にいる現実を選んだ。
佑真を選んでくれたと思うと嬉しく――ある種の責任を感じる。
佑真の〝純白の雷撃〟では、波瑠の背中の魔法陣を消し去ることはできなかった。
彼女はまだその身に《神上の光》を宿しており――でないと、佑真はあの海岸線で命を落としていたのだけれど。
死者を生き返らせる『奇跡』は、波瑠の背中に残っている。
全世界の《神上の光》を求める強敵や悪党、闇はいくらでも襲いくる。
二人の永遠の戦いは、むしろここが始まりだ。
「んっ」
なんとなく波瑠の蒼髪を撫で下ろすと、波瑠は気持ち良さそうに首をすくめた。
ちょうどいい位置に頭があるからつい撫でてしまうのだけど、人の視線を感じると異様に恥ずかしい。
今は寮長の視線を感じ、またからかわれるのか、と警戒しつつ視線を向ける。
しかし寮長は、親のような優しさに満ちた眼差しを佑真達へ向けていた。
「何はともあれ、ひとまず一件落着じゃな」
「…………そっすね」
その言葉は、思ったよりも佑真の心に響いてきた。
佑真のテンションは完全に『俺達の戦いはまだまだ続く!』状態で――実際にまだまだ続くのだから、未来にある戦いを気にかけてばかりいた。
けど、こうしてのんびりちゃぶ台を囲み、茶菓子をつつきながらお茶をすする。なんてことない日常を波瑠に届けてやりたかった。だから、学校に通ってほしかったのだ。
きっと、非日常を生きてきた波瑠は、普通の『楽しいこと』を全然知らないから。
当たり前のような平穏を大切にしていこう。
撫でていた手を下ろすと、波瑠が肩をぶつけ、佑真に上目遣いを送ってきた。
「あのね、佑真くん」
「なに?」
「私、今、すっごく幸せだよ。ずっと真っ暗だった五年間だったけど、佑真くんが私の運命を変えてくれた。……ありがとね」
「……そういうけどな、オレは結局何もできてなくて……あの時は、【ウラヌス】のあいつらがいたから波瑠を救えたわけで、オレなんか何も……」
「あー、また『オレなんか』って言った! それ、禁止したの佑真くんのほうだよ?」
まだその話引っ張るの!? とつっこむと波瑠が声を上げて笑った。
この笑顔。
自然と出る、陽だまりのように暖かい笑顔。
最高に可愛いこの笑顔を見たかったから、佑真は諦めずに頑張れたんだ。
そんな笑顔の波瑠は佑真の袖を引く。
「佑真くんは、私とした約束を守ってくれた」
だからね、と囁いた波瑠は佑真の耳元へ顔を近づけ――――
ちゅっ――――と。
佑真の頬に、柔らかい何かが触れた。
「…………なっ、あっ、……えっ!?」
「これは、頑張ってくれた佑真くんへのお礼」
耳まで真っ赤になった波瑠は、はにかむように微笑んでいて。
思わぬ不意打ちに頬がかあっと熱くなる佑真。
「は、波瑠……今の…………」
「それで――……次は、一緒に帰ったら言わなくちゃって、思ってたことだよっ」
次に囁かれた一言が、佑真の頭を真っ白にする。
「佑真くん、大好き」
――――もしも、神様がこの世界に実在するとしたら。
あの〝純白の雷撃〟は、諦めずに立ち上がり続けた佑真への、神様からのちょっとしたご褒美だったのかもしれない。
そして、今なら確信をもって言える。
佑真が波瑠を失いたくなかった一番の理由は、波瑠のことが好――
「ところでおんしら『吊り橋効果』というのを知っておるかの? 危険を共にした男女は心臓の高鳴りを恋心と勘違いして相手を好きになるという心理学現象なんじゃが、おんしらはその効果によって」
「黙れ寮長! その解説だけは許さねえ!」
はっと我に返った佑真の絶叫ツッコミを意ともせず、寮長の小学生と見分けの付かない童顔にニヤニヤとした笑みが浮かぶ。
恥ずかしさで死にたい佑真。波瑠も波瑠で真っ赤になって縮こまっている。
偶然視線が合った。
波瑠の水晶のように澄んだ瞳が佑真を映す。
佑真くん、と呼びかけてきた。
「もっとずっと――いつまでも、私と一緒にいてください」
「………………バーカ」
「むう、なんでバカって――きゃっ」
佑真は我慢しきれず、波瑠を思い切り抱きしめる。
「もう手放さねえよ。ずっと一緒だ」
「……ん、うん!」
腕の中で、波瑠は今までで一番魅力的に、そして幸せそうに笑っていた。




