第一章‐㉜ 零能力者は意志を貫く
深く深く、沈んでいく。
泳ぐことすらかなわない、ぼろぼろの肉体は沈んでいく。
赤い月を反射した真夏の海の、光の届かないところへと。
浮いていく気泡の数が減るとともに、天堂佑真の体は闇の中へと沈んでいく。
五年前に無念と後悔だけを残した、太平洋の海底へと。
☆ ☆ ☆
「なーるほどね。《神上》の本来の目的はこれだったのか」
「高位相のエネルギーを使用して神様を地上で再現するために《神上》が作られ――あくまで波瑠にゃんの力は副産物だったなんて」
「流石のこのボク、十文字直覇様でも気付けなかったぜ」
「さて。この状態へ突入する条件は、①《四大元素大天空魔法陣》という特別な力場と、②《神上》所有者の感情が振り切れることの二つらしい」
「波瑠にゃんが限界を迎えたところで『高位層』と同等の力場を生み出す魔法陣――《四大元素大天空魔法陣》を人間界に展開。皆既月食と組み合わせた儀式場で《神上の光》の魔法陣を媒介に『第五架空元素』をガンガン引き出し、波瑠にゃんの肉体を器として神の如き力を現世に留めた」
「以上を経て、通常版《神上》よりも強力な――いわば『人工の神様』を創りやがった、といったところカナ」
「まだ返答できないかい? まあいいけどね。ボクは話を進めるよ」
「日時も重要だったに違いない」
「皆既月食は聖書に記されるほどの特殊条件下だ。だからこそ『神様の光臨』に人間界は耐えられた。昔から天というスクリーンは、魔術において重要視されてきたからね。そして」
「そんな条件を必要としなければ、神様は人間の世界に留まれない。神秘の時代ならいざ知らず、この科学信仰が息づいた二一〇〇年代の人間界なら尚更だ」
「――十二種類もあるのに《神上の光》にこだわった理由は、天皇波瑠こと波瑠にゃんには絶大な神格と『第五架空元素』への圧倒的適性、そして簡単に『負』へと振り切れる過去があったからかな」
「波瑠にゃんの心を『負』へ振り切るには、その辺の誰かを殺すだけでいいんだからお手軽なことこの上ない」
「はは、もっとも天堂佑真。今回はキミと出会い、絆を深めさせた上で殺して、絶望を増幅させた――という余計な演出があったみたいだけどね」
「波瑠にゃん――この場でいうべきは『十二人の子供』かな――をわざわざ選出したのは、『第五架空元素』をその体へ受け入れられる『適性を持った器』が必須だったから」
「血液型が違う血液を輸血すると拒絶を起こしてしまうように、『第五架空元素』にも内包できる者とできない者がいるようだからね」
「受け入れられない例として、十六夜原生は『第五架空元素』に乗っ取られて《堕天使》として暴走した」
「対する波瑠にゃんは《神上の光》を自在に制御するくらいには『第五架空元素』に適正があった。その上で何億回も使わせることで、より純度の高い『器』として磨かれてしまった」
「さらに言えば、今の波瑠にゃんは死にかけで波動が空っぽだ。人間界にガンガン引き出された『第五架空元素』を身体に留める『器』としては、驚くほど最適な状態ってことだね」
「さてここまでの過程を以て《神上の力》計画は完遂されました~」
「いや恐ろしいね。あの人外の勝手な都合のせいで、ボクらの知る波瑠にゃんは人間未踏の領域まで踏み入れてしまったのだから」
「だけど、正直さ」
「ここまで説明してきた厨二病全開のオカルト話、クッッッソどーでもいいよね。ボクは興味『零』だし、キミだって訳わかんないだろう?」
「そこでボクは、焦点を当てる箇所を変えてみる」
「さっき上げた全条件が揃っているのは、驚くべきことに今日。つまり、ここまでの物語すべてが、ヤツの筋書き通りみたいなんだよね」
「あの人外の過去に何があったのかをボクは知らないし、キミだって知る必要はない。けれど、波瑠にゃんを縛っていた物語のラスボスは、どうやらあの人外らしいぜ?」
……。
「そして、運命だとは思わないかい? 波動が空っぽになる当日。皆既月食の前日。そんな日にキミは波瑠にゃんと出会ったんだ。偶然とは思えないだろう? なあ、天堂佑真」
…………。
「見てのとおり――って、キミは沈んでいて見てないのか。ともかく、キミが圧倒的敗北を受けた四人の超能力者が手を出すこともできないほど《神上の力》は恐ろしく強力だ。そいつは海を裂き陸を割り天を貫く、字義通りでの『なんでもあり』。天皇劫一籠はあの力で新世界創造とかいうモンを起こすらしいけど、果てさて。今の暴走波瑠にゃんがあれば、そいつも不可能じゃないらしい」
………………。
「キミはあの超圧倒的力を目の前にして、一体どうするつもりだい?」
…………………………。
どうしようも、ねえだろ。
所詮オレは『零能力者』だぞ。
世界で一番弱いんだぞ。
超能力者一人にも勝てないのに、そんなすげえ力に勝てるわけないじゃん。
魔法とかよくわかんないけど、ようは、今の波瑠のあの状態は、現存する世界中の力の中で――超能力もひっくるめて、一番強いってことだろ?
だったら、世界で一番弱いオレに何ができるってんだよ。
何もできない。何一つだ。
「だろうね。理屈でいえばそうなるだろうし、世界の理ってのはそういう風にできている。弱肉強食、いやぁ、いい四字熟語だよ。
だけど、まあ待ってほしい。
天堂佑真、あそこで莫大な『第五架空元素』を身に纏って天皇劫一籠に操られ、理不尽の力を振るい、世界を災厄へ誘っているのは、一体どこのどいつだい?」
……波瑠、なんだろ?
「そう、あれは天皇波瑠。ボクが五年前に出会い、キミが昨日出会った、残酷な運命を背負った少女だ。ところで背中に魔法陣があるから、『背負った』ってぴったりだよね」
……。
波瑠が背負っていた運命は、冗談抜きで残酷だった。
仲間達を守るために、すべての十字架をあの小さな背中に背負って。
世界の理を超越する奇跡のせいで、全世界を敵に回す羽目になった。
波瑠は〝ひとりぼっち〟だった。
オレは、あの娘を救いたかった。
だけど、オレは弱すぎた。
超能力すら使えないオレにできたことは、何一つなくて。
しかも。
とんでもない嘘をついてしまった。
「嘘?」
波瑠を〝ひとりぼっち〟にしないって約束した。
波瑠を地獄の底から救い出すって、約束した。
波瑠のために強くなって、守り抜くって、約束したのに。
負けちまったよ。
負けて、死んで――その上、こんな結果を導いちまった。
オレは結局、あいつのために何もしてやれなかった。
たった一日、あいつの物語を伸ばしてやっただけ。
何度立ち上がってもボロボロになるだけで。
オレ一人の力じゃ何一つ動かせなくて、変えられなくて。
……ちくしょう。
なんで、オレはこんなに弱いんだよ。
なんで、女の子一人救い出す力も持っていないんだよ。
結局、こんな雑魚が英雄になる資格なんて、なかったんだ。
空から落ちてきた女の子一人、救えない……。
……もしも、さ。
出会ったのがオレじゃなかったら、超能力の存分に使える強いヤツだったら。
きっと、波瑠は救われていたんじゃないかな。
何度も何度も倒れた。
そのたび、オレは波瑠に回復してもらった。
高速道路での戦いでは、命がけで守ってもらったのに。
オレは――オレ自身は、波瑠にたくさん救われたのに。
オレがあいつにしてやれたことは何一つない。
「だけどさ、天堂佑真。
ボクと同じキミなら、わかっているよね」
……ああ。
それでも、あの子を失いたくないんだ。
わがまま?
そうだよ。
力のないオレの、うざったいほどのわがままだ。
そうだとわかっていて尚――オレは、波瑠を失いたくないのか。
笑っちまうよ。
なあ、天堂佑真。
お前はこの世の底辺、『零能力者』なんだぞ?
……いいや、この言い訳ももう飽きた。
確かにオレは弱い。
『零能力者』という現実が、すべてを物語っている。
だけど――波瑠と一緒にいたい。
あの娘の陽だまりのような笑顔を守るんだって、約束したじゃないか。
……もしも本当にいるんならさ、頼むよ神様。
オレのすべてを犠牲にしても構わない。
波瑠を助ける力をください。
嫌なんだ。
失いたくないんだ。
『佑真くん』
『ん? 何?』
『ずっと一緒にいても、いいですか?』
『当たり前だろ』
オレはもう、あいつを〝ひとりぼっち〟にしないって決めたんだ――――――!!!
☆ ☆ ☆
佑真の脳裏に――十文字直覇の声が、テレパシーのように直接響く。
『力の強さは必要じゃない。必要なのは想いの強さだ。なーんてね。かっこつけてみたが、この場でいうと、それが正解みたいに聞こえるだろう?』
確かにかっこつけにしか聞こえないが、前向きになっておくのはいいことだろう。
『波瑠にゃんがキミに心を開くきっかけとなったのは、キミの最後まで諦めない強い意志だ。敗北してボロボロになって傷ついて痛くて。それでも波瑠にゃんの物語を一日も引き伸ばしたのは、他でもないキミなんだぜ。自信を持て。胸を張れ!』
言われるまでもない。佑真の特技は未来永劫ただ一つ、最後まで諦めないことだ。
『――それじゃあ、いってらっしゃい天堂佑真。ボクには救いきれなかった可愛い女の子を救い出してくれ』
ひとつ前の物語が、背中を押してくれた気がした。
『この物語の主人公は、他でもないキミだ』
地と天を雷撃の柱が貫いたのは、直後のことだった。




