第一章‐㉛ 神上の力は災厄を誘う
薄い純白の生地を纏い――膝まである長い長い蒼髪は重力を感じさせない。
白すぎる肌や細すぎる体は――性別を曖昧に表す。
深堀の顔は人間味を失わせ――両手には大きな風穴。
神々しい黄金の波動が――その人外を包んでいた。
どういう力を使っているのか、男は地面より50センチほど浮いた状態で波瑠を見下ろした後、波もほとんど立たずに赤い月を反射している海面を見据えた。
「天堂佑真の排除は完了したようだな。手間が省けた」
「……あなたは、誰?」
「この方こそ【太陽七家】を統べる者――第三次世界大戦を休戦まで導いた『英雄』にして【天皇家】の当主。天皇劫一籠氏ですよ」
消え入りそうな波瑠の声に、かろうじてステファノが告げる。
神々しい黄金の波動を撒き散らす男の存在感は、名前などどうでもよいと思わせるほど禍々しく、この世の存在とは思えない歪さをかもし出していた。
いうなれば、|人外《人の姿をして人で非ざるもの》――。
「ですが、な、なぜ、こんなところに貴方が……!?」
「ステファノ・マケービワ以下四名。天皇波瑠を回収するための作戦、時間ギリギリとはいえよく完遂した」
そう告げる人外の瞳が捉えたのは――波瑠の真正面にいる金髪の少女。
「これが褒美だ。後詰は我に任せ、人類が刻む新たな歴史の目撃者となれ」
人外は、風穴の開いた右手を向ける。
刹那。
黄金の流星が、少女を引き裂いた。
流星の正体が《黄金の槍》だとわかったのは、
「…………か……ハッ……!?」
キャリバンの心臓を貫き静止したその状態で、ようやくだった。
崩れ落ちるキャリバンの小さな体。
《黄金の槍》が砂浜に突き刺さり、力なく四肢が垂れる。
皆既月食に劣らない赤色の鮮血があふれ出す。
「……」
人外がふたたび手をかざす。
目視不能の速度で《黄金の槍》が撃ち出され、キャリバンの脚に、腕に、手に、腰に、肩に、足に――二桁に上るそのいずれもが少女の肉体を貫通し、針山のごとく突き刺さる。
生暖かい血液が大量にはじけ、波瑠の体に降り注いだ。
真っ青な顔。光を失った焦点の定まらない瞳。一ミリたりとも動かない指。止め処ない出血。突き刺さった無数の槍――――。
それはまごうことなき、『死』の証明だった。
波瑠の目の前で、キャリバンは死んでしまったのだ。
「い……や……うそ……キャリバン…………?」
返答がないどころか、一切動かない。
目の前で確認される事実の一つ一つが、少女の抱える過去の傷を抉り出す。
「キャリバン……ねぇ、キャリバン……」
――――早く、あの力ヲ使わナイと。
「……きゃり、ばん……」
――――《神上の光》ヲ、使ワなイト。
「…………、ぁ」
――――取リ返しガツカなクナッちャウ。
真っ白になった脳内を埋め尽くす、目の前の現実。
天堂佑真が。キャリバン・ハーシェルが。
二人の大切な人が命を燃え尽きさせる。
もう、自分のせいで誰かを死なせないと誓った。
なのに、命は容易く目の前で奪われていく。
――――マタ、大切ナ人ガ、死ンジャッタ。
――――私ノ、セイデ?
そうして。
五年間でヒビだらけになった少女の心は、ついに粉々に砕け散った。
「………………ぁぁぁぁぁァァァァァあああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!」
絶叫が天を貫く。
波瑠の背中より、十二の星座の紋章を刻む魔法陣が黒く輝き始める。
それは《神上の光》が、波瑠の感情と呼応した瞬間だった。
波瑠の体より無限の粒子が放出され、うねるように形状化。
孔雀のように翼が生えていく――その本数は六対十二。
パキパキと音を鳴らし『何か』を凍りつかせ、そのすべてが一枚一枚の水晶の羽となり、翼を装飾していく。
波瑠の体が色を失い白に染まり、対照的に背中の魔法陣が漆黒の光を放つ。
そして頭上に、天使の輪が創造される。
「今だな」
人外は手のひらを皆既月食へとかざした。
風穴から黄金の波動を放出し――――赤い月の輝く天空に、『それ』が展開された。
風の魔法陣。
水の魔法陣。
土の魔法陣。
火の魔法陣。
そして神を冠する魔法陣が中央を統べる。
それぞれが対応する色彩に輝き、半径数十キロに及ぶ超巨大な魔法陣が天空を支配する。
四大元素を司る魔法陣が、黒板を引っ掻いたような音を鳴らし高速回転する。
中央の魔法陣は、波瑠の身体から溢れて止まない純白の粒子を吸い込み始める。
――――《四大元素大天空魔法陣》
此処に、《神上》の真価を引き出す儀式場は整った。
「〝発現、神上の力〟」
天皇劫一籠の《黄金の槍》が『神』の魔法陣へと突き刺さる。
そして――――魔法陣より波瑠へ向けて一直線に、純白の軌道が放たれる。
レーザーのように波瑠を直撃したそれは――殺傷力はなく、波瑠の体をあるエネルギーで包み込む。
非科学的に、その力は『第五架空元素』と呼ばれていた。
波瑠の体に降り注いだ莫大な量の『第五架空元素』は、一旦波瑠の身体を、蕾のような形状に変形して包み込む。
ズン、と蕾の下方の空間が黒く染まった。
少女を中心に、ブラックホールの如く周囲の物質を呑み込み、世界を歪曲させる『穴』が開かれる。
そして。
爆音を撒き散らし、花弁は開かれる。
《神上の力》
天皇家の求め続けた、全世界を圧倒する理不尽の力が地上へと堕とされた。
『ategebirleilamadonai――――――』
波瑠の口から何かが呟かれた――刹那。
海が割れた。
比喩ではない。純白の閃光が炸裂したかと思えば、次の瞬間には海が真っ二つに引き裂かれていたのだ。裂け目より滝のごとく水が海底へと落下し、轟音が大地を震撼する。
直後、視界がぶれるほどに脳が揺さぶられ、余波――と呼ぶには強大すぎる突風に吹き飛ばされるオベロンたち。
アリエルは両足で砂浜に踏ん張りつつ、キャリバンの華奢な死体を抱きとめた。
キャリバンの全身に突き刺さっていた《黄金の槍》が前触れもなく霧散して、全身に開かれた風穴からピンク色の生々しい肉が、流血と共に覗かれる。
「そんな……キャリバン……っ」
アリエルはキャリバンの体をできるだけ安静に支えつつ、爆発する白いエネルギー体――波瑠へと視線を向ける。
「ふっ……ははははは! これが人知を超越した力! 我が計画の真髄!《神上の力》か!」
人外――天皇劫一籠は、初めてその顔に笑みを作り出す。
「手始めにこの海を切り裂くのだ。先の力で構わん。圧倒的破壊力を眼下に示すがよい」
《神上の力》と化した波瑠の周囲に白い球体が四つ浮かび上がり、
そのすべてが、大砲級の光線を無作為に放つ。
直後、破壊が吹き荒れた。
海面が引き裂かれたと思えば、山一つが消し飛び。
天空の雲海が両断されては、水平線の彼方で莫大な閃光が爆発する。
数秒をおいて各方向から吹き荒れる衝撃波が、台風顔負けの威力で砂を舞い上げる。
阿鼻叫喚の地獄の中で、口角を上げるのは天皇劫一籠、ただ一人。
「素晴らしい破壊力だ。海に滝があるなど、何時の時代の先駆者が想像しただろうか。雲を断ち切る光線など、かつてこの世に存在しただろうか」
翼が扇のごとく大きく広げられ、雪白の輝きが宇宙へ広がる。
「……なんですか、この力は。波瑠お嬢様はどうなったのですか!?」
「人知を超越した……まさかこれが、《神上》を制御しきれず十六夜原生がなったという《堕天使》か!? お嬢様を今日までに確保させる任務の落ちが、お嬢様の堕天使化だとでも言うのか……!?」
アリエル、オベロンの両者は、目の前で起こる光景に、理解が追いつかずに唖然としていた。
彼らは計画のすべてを知っていたわけではない。
当主の勅令で『天皇波瑠奪還任務』に就いていただけで――奪還後については何一つ説明を受けていなかったのだ。
そしてこの期に及んで現状理解に努めようとも、完全に非科学の領域へ事が運ばれているため、二人に理解する手立てはない。
ただ単に『あそこに莫大な力の塊がある』という理解までしか届かない。
しかし一人だけ、脳をフル回転させている男がいた。
(波動……竜脈、霊力、精霊――違います! アストラル体、プラーナ、マナ……いえ、かつて人類が使っていた『魔術』では解明できないはず――――)
ステファノは参謀として蓄えた知識を必死に探り、波瑠の『力』を見据える。
(しかし非科学の領域は詳しくない。天皇劫一籠氏が我々に内容を明かさないほどの異能なのだから――《神上の力》――)
思わず、その先は声となっていた。
「……《神上》の魔法陣を媒介とし、神や天使の住む『高位相』から直接、一柱の神に匹敵するほど大量の『第五架空元素』を引き出すことで、お嬢様の体を器とした『人工の神』を創り出した……!?」
「ほう、なかなか博識ではないか」
オベロンが「馬鹿げた話を」と告げる間もなく、人外は肯定する。
儀式を経て、波動と異なるエネルギーを利用して異能の力を引き起こす。
『魔術』と呼んで差支えのない段階まで進んでいるにも拘わらず、話についてこられる存在がいることに、天皇劫一籠は小さく驚いていた。
「特別に享受してやろう。通常時の『死者を生き返らせる奇跡』は副産物にすぎん。眼下に顕れた《神上の力》こそが、我が《神上》本来の用途である」
「死者を生き返らせる魔法が、副産物だと……!?」
「お嬢様のあの力に、先があるというのですか!?」
「通常時、人間界では抱えきれない量の『第五架空元素』を赤き月と《四代元素大天空魔法陣》で安定させることにより、完全な『神の奇跡』を喚んだのだ。今の状態であれば、生者を殺すことも、死者を生き返らせることも、時を操ることも、空間を制御することも――」
全知全能の神に匹敵する――超常的存在の疑似的な光臨。
「――世界を創り替えることも、可能となるだろう」
天皇劫一籠はそう付け加えた。
ステファノは絶句せざるを得なかった。
勝利や敗北という概念すらちっぽけに感じられる。
(元々《神上》という存在は五割も理解できない異常なものでしたが、さすがにここまでは想像が追いつきませんでしたよ、劫一籠様! あなたがよもや、この世界を作り替えるおつもりだったとは……!)
天皇劫一籠はステファノから視線を《神上の力》へ戻していた。
「|生命の樹《セフィロト」の系図【第十一の球】に対応せし天王星に接続。穢れに満ちた現世に終止符を打ち、新世界創造をも是と成す無限の奇蹟を顕現せよ――!!!」
波瑠の背中に伸びる六対十二枚の翼が、明星の輝きを夜空に射し込んだ。
神的象徴、完全開放――――
――――――〝|世界に仇為す黎明の翼《ルシファー=ストライク》〟
十二翼の出現は、波瑠の肉体に神格を付与し。
魔法陣を構える背に、一つの水晶を創造した。
その水晶は、《神上の力》を中心として放出され続ける『第五架空元素』の蓄積を開始する。
同時に、《神上の力》の周囲にふたたび舞う白い球体。
今度は無作為ではない。光線のすべての照準は日本大陸へと向けられる。
「自国を破壊するか。まあよい。それもまた一興というものだ。残る数分でこの世界は終焉を迎え、新世界の黎明を迎えるのだからな」
天皇劫一籠は確信していた。
これこそが、生涯を賭して求め続けた、新世界創造の鍵となる『奇跡』だと。
白い四つの光線が一つにまとまり、日本本土へと放たれ――――




