第一章‐㉙ 零能力者は約束を結ぶ
東京から遠く離れた富士の山の一角に、高く頑丈な城壁に覆われたきれいな円形の――【天皇家】が所有する敷地が存在する。二十一世紀半ばに起こった富士山大噴火でも一切の傷を負わなかった施設には、名前がなかった。
表社会の者には知る由もない、選ばれし者以外に進入できない閉鎖空間。
名づける必要性がなかったというべきだろう。
そのうち一つの建物――無機質なビルの内部へ、一人の少女が戻ってきた。
『ID確認。手のひらをパネルへ』
開かれた電子パネルへ、栗色の髪の少女は手を伸ばす。
『 桜様、入場を許可します』
認証を抜けたその少女は、真っ直ぐにある部屋へ向かった。
部屋の中央にあるのは――巨大な円柱型の水槽。
中には、男女とも区別のつかない『人外』がいた。
その人外は過去に行ったとある『計画』で深い傷を負い、その水槽内で治癒を行っているのだという。この建物すべてが、人外の生命維持のためにのみ存在していた。
「交信します。天皇劫一籠様、 桜、帰還いたしました」
『報告を開始しろ』
「当主様の予測した計画に未だ支障はなく、【ウラヌス】よりキャリバン・ハーシェルとアリエル・スクエアの二名の活躍によって、天皇波瑠は超能力使用不可レベルまで波動を消耗。現在は生命を維持することさえ危うい状態です。『器』として機能しなくなる恐れがございますが――」
『問題ない。計画通りだ』
「報告を続行します。神上降誕の方陣、《四大元素大天空魔法陣》の再構成が完了いたしました。後に儀式を通じて使用権限を当主様に移行します。時間は、長く見積もって六時間。本計画の最終段階に影響は出ません」
『ついに迎えるか、赤き月の夜』
「錬金術師によると、十文字直覇の攻撃による当主様の傷の回復も完了しております」
『――すべての準備は整った。五年ぶりに計画を実行する』
「了解しました」
言葉を交わし、しばらく瞳を閉じていた栗色の髪の少女は、やがて回れ右をして異質な部屋から出て行った。
☆ ☆ ☆
「………………ん、ぁ……?」
「あ、佑真くん! やっと気がついた……よかったぁ……」
目を覚ました佑真の視界は、安堵の息をつく波瑠の顔で埋まっていた。
ついでに、後頭部に何やらふわふわした感触を覚える。垂れ下がった長い蒼髪からする香りには、普段なら心臓が高鳴るところを、目覚めということもあってか和まされていた。
「ん、と、ここは……さっきの温泉か……で、波瑠さんの膝枕?」
「うん……ていうか佑真くん、さっきアリエルと戦ったでしょ!」
強い口調に――とはいっても弱っている波瑠の声は十分小さいのだけど――少しだけビクッと体を震わせた佑真は、ゆっくりと体を起こした。
体を起こせることに、違和感を覚えた。
「あれ、右手がある……」
それだけではない。意識を放棄した後、どうやってここまで連れてこられたかは知らないが――アリエルから受けた無数の打撃やマグマの痛みがない。
どうやらまた、波瑠に《神上の光》を使わせてしまったようだ。
「またボロッボロで、死んじゃいそうなくらい傷ついて……ほんと、何してるの!?」
「し、仕方ないだろ。戦わなきゃ波瑠が連れて行かれるんだから。……大口叩いて完膚なきまでに敗戦したんで、情けないけど」
「……無理しないでいいんだよ。佑真くんはあくまで『零能力者』なんだから」
「それは慰めてると言えるのか……ま、お前に慰められてる時点でかっこ悪いか」
苦笑いしながら蒼髪をくしゃくしゃすると、波瑠は気持ち良さそうに首をすくめた。
端末で時刻を確認する。驚くことに午後一時だった。
「午後一時ってあの修道女と戦ってから十二時間以上経ってんじゃん! どんだけ寝てたんだよオレ……」
はぁ、と大きく溜め息をつき、
「波瑠はいつ頃起きたの?」
「えっと、温泉から出て佑真くんを呼ぶために外に出たら倒れていたのを見つけて、頑張って運んでから《神上の光》で回復して、膝枕して――気づいたら一緒に寝ちゃってた。起きたのは三十分前くらいだよ」
「二人して寝すぎたな。奇襲とかがなくて、本当によかった」
そだね、と波瑠は微笑みながら頷いた。
元気こそ取り戻したようだけど、一挙一動に高熱時の遅さというか、独特の体が重そうな間が気になった。
「それじゃ移動するか。いつまでもここにいるワケにはいかないもんな」
「うん――――っ!?」
立ち上がった瞬間、波瑠が顔をゆがめてバランスを崩す。
「おっと危ない」
先に立っていた佑真が腕を入れ、波瑠を抱きとめた。
「やっぱ、まだしんどい?」
「……実はしんどい」
苦笑いでコクリと頷く波瑠。
汗びっしょりで頬が赤く、肩で息をしていることは変わっていないので、波動量が戻った――ないし、生命力が回復したわけではないらしい。睡眠はともかく、食事を取っていないので当たり前かもしれないが。
どうしたものか、と思案すること十秒。佑真は波瑠の前にしゃがみこんだ。
「あー、波瑠。乗れよ」
「……おんぶ?」
その通り、と肯定する。
「それじゃあ、佑真くんが疲れちゃうよ?」
「体力だけが自慢ですから。それに波瑠って軽いしちっちゃいし、大丈夫だよ」
「…………ちっちゃいの、私のコンプレックスなんだよね」
「うっ……あー、その、すんません」
「あはは、冗談だよ。お願いします、連れてってください」
波瑠の手が佑真の前に垂れ下がり、きゅっと結ばれる。柔らかな体の感触を背中に感じたら、膝の辺りへ手を差し込み、ゆっくりと立ち上がった。
「ほんじゃ、行きますか」
☆ ☆ ☆
長い時間、歩いた。
途中、何回も休憩を挟んだが、【ウラヌス】をはじめ誰からの襲撃も来ない。
気づいた頃には太陽が傾き、気づいた時には夕焼けも終わり、街灯すらない浜辺はすっかり薄暗くなっていた。だが、真っ暗というわけでもない。
今宵は満月。
明るさでいえば、何一つ問題がなかった。
「っても、家どころかあたりに見えんの山と海ばっかだな。ここ本当に日本か?」
「日本はまだ、全体にまで戦後処理が及んでないからね。こういう自然だらけの場所が残ってても不思議じゃないかも。……こういうこと、学校じゃ習わないの?」
「オレに『習う』は通用しないぜ波瑠。なにせ超能力も座学も落ちこぼれだからな」
「威張れることなの?……そういえば、佑真くんはなんで学校行ってるの?」
難しいこと聞いてくるな、と少し苦笑い。
「行く理由か。面白いから、じゃないのかな」
「……ほんとに? だって佑真くんは『零能力者』扱いされるだけなのに……わざわざ、そんな場所に行くのが、どうして面白いの?」
「あはは、遠慮なく言ってくれるな波瑠。……別に全員がオレを軽蔑してるわけじゃないよ。バカだけど友達はいるし、そいつらと騒ぎ合って委員長に怒られたりしてな。補習は面倒くさいけど、先生――特に寮長はこんなオレにだって親身になって指導してくれる。そういう『なんでもない日常』が、すごく楽しいんだ」
「……」
「……ま、ぶっちゃけ少し前までは学校嫌だったよ。『零能力者』ってだけで馬鹿にされてばっかで、イジメだって辛くてさ……けど開き直って、今この一瞬を大切にして、楽しむように心がけたらさ、日常がすごく楽しくなった。そうしたら友達も少しはできたんだ。
それにオレの中学はバカ学校だから、みんな超能力が強くないし頭も悪い落ちこぼれの掃き溜めでさ。まあオレが一番下なんだけど……男子も女子もバカばっか。ある意味じゃ、楽しい連中ばっかだぜ」
笑い飛ばす佑真の前で、波瑠の手が結ばれる。
「……いいなぁ。私、学校のこととか、よくわかんないし…………」
「だからさ、波瑠。一緒に帰ったら、オレの中学に来いよ」
「……ふえ?」
「バカ学校だから編入試験なんてあってないようなモンだろうし、寮長に頼み込めばきっと融通利かせて、同じクラスにしてくれるよ。波瑠なら友達だっていっぱい作れる。楽しいこともいっぱいできる。一緒にさ、五年分の『楽しい』を取り戻そうよ?」
でもクズ学校は波瑠には合わねえよな――とぶつぶつ呟く佑真の耳元で、
「…………ううん、楽しそう。考えてみるね。佑真くんと一緒にいたいし」
嬉しそうなささやきが響いた。
波瑠の顔が、佑真の背中に埋められたのがわかった。
「ねえ、佑真くん」
「ん? 何?」
「ずっと一緒にいても、いいですか?」
「当たり前だろ」
まるで、子供のお願いのようだけど。
波瑠が共にいるのを望んでくれたことが、とても嬉しかった。
しかし。
その嬉しさをかき消すかのごとく、月を背に、佑真は足を止めた。
黒き大剣を持つ男。
箒を操る金髪の少女。
紅蓮の修道女。
そして、青いスーツ姿の狐顔。
彼らの姿を、進むべき道の先に捉えたからだ。




