第一章‐㉖ 5th bout VSアリエル・スクエアⅠ
【第五節 零能力者は約束を結ぶ ‐少女の隣に立つ権利‐】
都市の光の影響をほとんど受けない海岸線から見上げる夜空は、星が無数に輝いていた。
都心でも夏の大三角や天の川くらいは見られるのだが、いわゆる満点の星空を見ることは到底できない。そんなわけで五年間を東京で生きてきた佑真が満天の星空を見たのは、実はこれが初めてだった。これで月が満月だったら文句なしだったが、少しだけ欠けていた。
(………………あー、休まらん)
なんていろいろ考えても、砂浜に座る『零能力者』の心はふわふわしていた。
そう、『零能力者』。
波瑠を守る、強くなると誓ったところで、佑真が無力である事実に変わりはないのだ。
すでに佑真がいる世界は、一日前の自分には到底想像できない非現実になっている。
知らない敵。知らない思惑。超能力の在り方。【太陽七家】の権威。大人の目的。【天皇家】の陰謀。そのすべてをひっくるめて敵と認識し、佑真は立ち向かわなければならない。
超能力者に勝てるようになるのか?
波瑠を悲しませず、守り抜くことなんて、お前にできるのか?
そんな疑問が浮かんでは、自問自答を繰り返す。
冷静に考えれば、『零能力者』が超能力者に勝つのは不可能だ――だが、強くならなければいけないのだ、と。
「ってここで卑屈になるなよオレ……波瑠に顔向けできねえだろうが」
ガクッと視線を足元へ落とした佑真は――幸い、その行動で異変に気づいた。
足元が眩い光を放つ。
「――――っ!」
咄嗟に後方へ飛び退く佑真。先ほどまで座っていた位置の砂がボコッと膨張し、
直後、眼前に紅蓮のマグマが噴き上がった。
「このマグマ、確か【ウラヌス】の――!?」
滑るように着地した佑真は、目の前に女性を捉えた。
黒い修道服のような衣装。大人らしい凹凸のはっきりした体つき。見覚えがある容姿で、見覚えのある紅蓮の超能力。
「国家防衛陸海空軍独立師団【ウラヌス】第『二』番大隊所属、アリエル・スクエアと申します。以後小見お知りを」
佑真が体勢を整える中、修道服の金色の刺繍を輝かせたアリエルは、星の輝く海辺でふたたび大きなマグマを作り出した。
その顔に浮かぶのは、やけに冷え切った表情。
「率直に問います。波瑠お嬢様は何処ですか?」
「言うと思うか?」
「まあ、ですよね」
アリエルの顔は、厳しいままに崩されない。
一瞬の沈黙が、二人を行動へ移させた。
すでにSETは起動されている。
その状態でアリエルは迷わず佑真へ攻撃を放つ。
彼女の超能力《豪炎地獄》は、マグマを発生させる能力。
アリエルは両腕にマグマを纏い、乱雑に砂浜へとねじ込んだ。
佑真の周囲数箇所の砂が閃光を放ちながら膨張し、噴きあがる光焔の柱。佑真は大きく後方へ飛び去って事なきを得る。
攻撃に予備動作があるおかげでギリギリ回避できたが、わずか一瞬の判断ミスが命取りだ。……オベロンやキャリバンとの交戦と同じ、これまで通りの死線をまた歩まねばならないわけだ。
「オベロンやステファノから聞いてはいましたが、攻撃への対処にはそれなりのいい動きが見受けられますね」
アリエルの顔に危険な笑みが浮かぶ。
「では、わたしも本気であなたを殺させていただきます。死にたくなければさっさとお嬢様の居場所を吐きなさい」
ふたたび砂浜へと腕を差し込むアリエル。
修道服から溢れんばかりに波動が放出され、突き刺さった腕の周囲でマグマがぼこぼこと生み出される。
「火炎龍、その姿を現しなさい!」
アリエルの咆哮が夜空に響き、彼女の背後で灼熱が噴火する。
蛇のように長い身体。鋭い牙や瞳孔までもが紅蓮の熱流でできた怪物――。
摂氏数千℃の火炎龍が、闇夜を照らし、大気を震わす咆哮とともに姿を現した。
その体長は五――十――いや、二十メートルはいくだろう。
巨龍は体躯をうねらせ、アリエルに従うように佑真と対峙する。
「波瑠お嬢様でも引き分けるので精一杯なこれを前にして、降参しますか?」
「嫌だ」
「即答ですか。超能力を防ぐことができず回避しか選べないあなたに、いつまでこの火炎龍の猛攻を防ぐことができますかね? 手加減はいりません、焼き払いなさい!」
火炎龍の大口が開かれ――――一瞬、視界が白で埋め尽くされた。
それが莫大な閃光だと気づいた時には爆音が鳴り響き、音に引けをとらない大噴火が放たれていた。
熱の奔流が砂塵を巻き上げる。
一か八か――右に思い切り跳んでいた佑真の脇を高熱の質量が突き抜け、余波が中学生の体を数メートル吹き飛ばした。その余波さえもが高熱を伴い、佑真の肌に痛みを走らせる。
砂浜を転がり、跳ねるように体を起こす。
火炎龍とアリエルの照準はすでに、佑真へ向けられていた。
口元に巨大な紅蓮の球体が生み出され、天空へと噴き上がる。
球体は空中で爆裂し、燃えさかるサッカーボール大の火山弾が豪雨のごとく降り注いだ。
一発一発がまるで隕石のように海岸に突き刺さり、四方八方至る箇所で爆散。
すべてを熔かす灼熱の液体が、周囲へ弾け飛ぶ。
「ガッ、……ッ!?」
すぐさま後退を選ぶも、佑真の体に高熱の質量が幾度も突き刺さった。
肌が超高熱の痛みを訴える。
奥歯がギリ、と音を鳴らすほど噛み締めて意識を保つ。
ようやく猛攻は収まった。
佑真はかろうじて、ボロボロに荒廃した砂浜に立ちあがった。
「まだ立ち上がりますか。お嬢様の居場所さえ吐いてくれれば、あなたは見逃してもいいんですよ?」
「誰が降参するって!」
「やはりそう来ますか……では、あなたを殺してから、あなたの死体と引き換えに波瑠お嬢様に戻ってきてもらいましょう」
アリエルは手を天へ差し出す。
彼女の背後では、火炎龍が月へ向けて大口を開いていた。その口元にオレンジに輝く熱線が集結されたかと思えば――――
「弾けなさい」
アリエルが指を鳴らし、熱量が爆裂する。
大気を揺るがす光焔の柱が、天へ目掛けて撃ち出された。
天地を貫く熱流を中央に、紅蓮の炎が夜空を埋め尽くす。
最初は何がしたいのか全くわからなかった。
マグマがばらけて雨のように降り注いでくる、という現象に気付いた瞬間、佑真は背筋にゾッと悪寒が這い上がることを理解した。
この攻撃の正体は――逃げ場なく降り注ぐ高熱の豪雨!
槍の雨の方が優しいんじゃないか。どう回避すればいい。
逡巡はしかし、ほんの数秒。
佑真はアリエルへ――より正確には火炎龍に向かって、真っ直ぐに特攻をしかけた。
冷静に考えればこの灼熱の雨は噴水のような仕掛けなのだ。噴水で最も水に当たらない場所は噴出点付近。そこが一番マグマをかわしやすいだろう――
と、能力者本人であるアリエルが最も理解しているそれに、佑真は誘い込まれた。
アリエルは近づいてくる佑真に対し、自らの腕に纏わせたマグマの鞭を放つ。
佑真は瞬間的に体を九十度ひねってやり過ごし。
「ふっ――!」
その隙をつくかのごとく、アリエルは鞭を打ち返した。
斜めに打ちあがる溶炎。それでも尚、倒れこむように回避を試みる。
「――ッッッ!?」
だが、しのぎ切れなかった佑真の右腕が焼き尽くされた。
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?」
部位喪失。
経験したことのない激痛に佑真の全身は震えあがり、声のない悲鳴とともにバランスを崩して転倒。炎熱の雨が降り注いで一部が熔解している砂浜へと、アリエルの蹴り上げによって吹っ飛ばされる。
その威力は、人間離れしていた。
「っ、ごふっ!」
内臓が潰されるかの衝撃を認識する頃には、高温となっている海面に着水していた。右腕を筆頭とする各傷口に潮水が染み込み、もはや声を上げることすらできない。
――やがて動かなくなったことを見送り、火炎龍を消すアリエル。
「決着、ですか。想像以上に味気ない――まあ、遮蔽物のない戦場で『零能力者』がわたしのような超能力者と戦うのは無謀でしたね。せめてもの慈悲です、後でお嬢様に、命だけは救ってもらえるようお願いしてみましょう」
それだけ言い残し、ステファノから聞いていた空洞へ向かおうとして、
ぱしゃり、と。
アリエルは、海面を蹴る音を聴いた。
「…………待てや、超能力者」
天堂佑真の声だ。
砂を握り締めた佑真は、熱湯と化した海面へ震える脚を突き刺し。
喀血に構うことなく焼け焦げた全身に鞭を打ち、体を起こしていた。
――佑真はもう、自身の無力を言い訳としない。
どれだけボロボロになろうと、身体も精神も潰されようと、立ち上がる。
波瑠を守るために、超能力には屈しないと誓ったのだ。
「……どうしたよ……殺すなら、徹底的に殺してみろよ……!」
「なっ!? そんな死に体で、ここまでやって、まだ諦めないというのですか!? それ以上やっては本当に死にかねないというのに!?」
アリエルは驚き、佑真をバケモノのように見つめていた。
「……なあアンタ。どうしてさっきオレを蹴り上げたんだ?」
「は、い? 何を言っているのですか?」
「どうして、隙だらけのオレにトドメを刺さなかったのかって、聞いてんだよ」
肩より先が溶解した右腕を気にも留めずに、佑真は問いかける。
「ずっと、少しだけ変だと思ってたんだ。オベロンはいつでもオレの首を刎ねられた。キャリバンにだって、オレを殺すチャンスは十二分にあった。アンタだって、今の一連の攻防でオレを仕留めることは可能だったはずだ――だけど右腕で妥協した。違うか?」
「違いますよ……何を適当なことを言っているのですか」
「適当じゃねえよ。アンタ達は、どういうわけかオレを殺すことに躊躇してるんだ。そしてそのワケにも、ちょっとした根拠っぽいものがある。そう、例えば」
波瑠が見たら悲しみそうだから、オレを殺すことに躊躇が生まれた、みたいな。
「…………、」
佑真の言葉に対し、アリエルの眉がわずかに動く。
「何より。四人もの能力者と対峙し、『零能力者』が生き残っちまっていることが、揺るぎない証拠なんじゃないのか」
「……何を言っているのですか、あなたは!」
焦燥を隠せていない怒号が響く。
「軍人たるわたしが、殺しに躊躇を持つなんてありえないでしょう! いいですよ、そこまで言うのなら、今すぐあなたを殺して証明しましょう!」
彼女の腕が大量のマグマを生成。
形状を細長く変化させて振り上げ、マグマの鞭が砂浜を引き裂いた。
いかなる回避もできるよう、佑真は下肢に力を籠める。
マグマに引き裂かれた細かい砂が舞い上がって砂塵となり視界を奪ってきた。
熱源や紅蓮の発光を頼りに相手の攻撃を認識しようと模索する――が、
一歩も動く必要が無かった。
鞭はすべて真横を通過し、一本たりとも佑真の体に直撃することはなかった。
マグマの鞭が抉ったのは、海岸だけだった。
「…………ふふふ、いや、自分でも気づきませんでしたよ。まさか、無意識に殺すことを躊躇していたなんて」
アリエルは鞭を引き戻す。
「言われてみれば、そのような気持ちがどこかにあったのでしょうね。あなたは波瑠お嬢様を、久々にですが、笑顔にしてくれました。わたし達は遠くから眺めることしかできませんでしたが、その笑顔を見て、安心したのも事実です。そんなあなたを殺すことを躊躇うのは、おかしい話ではありません」
「なら、」
「ですがわたしは軍人です。そのような感情を自覚したからこそ、今ここで! あなたを殺しておかなければなりません!」
「……虚勢張んの、やめろよ」
佑真は左手を上げた。
「そんな辛そうな表情のアンタと、これ以上戦いたくない。敵対したくねえよ」
もう戦わない、という意思を見せつけるために。
はっとしたアリエルが顔を伏せる。
「アンタはわかってんだろ!? 波瑠が本当に望んでいるのは、アンタ達と敵対しないことだって! このまま戦い続けても、生み出されんのが悲劇しかないってことも! 頼む、SETを停止させてくれよ! オレの命乞いじゃない。波瑠のために、頼む!」
無言を突き通される。
言葉が届いていないわけではない。
だが佑真が更なる言葉を紡ぐ前に、アリエルは口を開いた。
「…………わたしだって、戦いたくて戦っているわけじゃない」
告げられたセリフは、ある意味予想のど真ん中で。
けれどその後に続く言葉は、佑真の予想を波瑠かに超えていた。
「わたし達が戦う理由は『波瑠お嬢様を軍に取り戻すため』じゃないんです。『波瑠お嬢様を捕らえるため』なんです。力づくでも捕まえろという【天皇家】当主からの直々の命令をわたし達は――【天皇家】に命を握られているわたし達は無視できないんですッ!」
「……命を、握られている?」
「いいでしょう、特別に見せてあげます。わたしの、わたし達の辿ってきた道を! 戦争孤児が巻き込まれた、第三次世界大戦の残酷な遺産を!!」
瞬間――アリエルは着ていた修道服を、マグマで包み込んだ。
自殺のような行為に思わず静止に入ろうとした佑真だが、紅蓮が消え去った後に目の前に現れた『それ』に、言葉を失っていた。
精巧に作り上げられた、機械仕掛けの腕と脚。
修道服に隠れていたアリエルの両腕両足は、漆黒の義肢で出来ていた。
「改造人間……ッ!?」
「その通りです、『零能力者』」
佑真のつぶやきを、アリエルは自嘲的な表情で肯定する。
「第三次世界大戦にて、戦力の足りなかった日本が緊急に実行した人体改造による兵力増強――『強化兵創造計画』。【天皇家】の回収した戦争孤児のほとんどは、この計画の生贄となりました」




