第一章‐㉕ 蒼い少女は運命を告げる
私はね、みんなが笑顔でいられれば、それでいいんだ。
そんな切り出しで、波瑠の話は始まった。
「その『みんな』っていうのには、佑真くんの戦ってきた【ウラヌス】の人たちも入る……ううん、むしろ【ウラヌス】の人たちばっかりかも」
《神上の光》を焼かれてすぐ、【ウラヌス】へ合流させられた波瑠。
日本の軍事に強い力を働かせる【天皇家】の長女である以上、いつか関わる時が来るだろうとは思っていたそうだ。たった九歳の時に死体や怪我人を延々と癒す役割で、とは予想もしていなかったが。
「そもそもね、私は争いが好きじゃなかった。お母さんが軍人だったからこそ、戦争なんてしないほうがいい、争わないほうがいいっていう思いが強かった」
戦いが生み出すものは、悲劇だけだと思っていた。
「だけど、実際に【ウラヌス】で関わっていくにつれて――戦いを肯定することはあくまでできなかったけど――私の知らないところで、日本を守るために戦っている人たちがいる。そのことを、本当の意味で知ることができた。それは良かったなって、今でも思う」
十歳の少女は過酷な現実を前にして、真剣に考えた。
「この人たちの力になりたい。私も日本を守るために一緒に戦いたいって。……たぶん子供だったから思考が単純だったんだろうけど、気分でいうと、影で世界を守る『正義の味方』の一員になった、くらいだったと思うな。
まだ子供だった私が、戦場その場で役に立てることはあんまりなくて――だけど、私はたぶん、そこにいる誰よりも必要とされていた」
言うまでもないよね、と微笑む波瑠。
言うまでもない――《神上の光》だ。
「この『奇跡』を使い、不慮の事故で死んだ兵士を生き返らせることが私の役目だった。……初めて死体を見た時は吐きそうになった。だけど必死にこらえて、『奇跡』を使って、その人を生き返らせた」
少女はちっぽけな勇気を振り絞り、純白の波動で命を呼び戻した。
死のレールからその人を助けることができたのは、波瑠だけだったから。
「【ウラヌス】が戦っていたところでは、一度の戦いで誰かが死んじゃうことは当たり前で、だけどそれを当たり前として受け入れる人は一人もいなかったんだよ。
オベロンもアリエルも、みんな仲間思いだから、誰かが死んじゃうと悲しんでいた。
そりゃ仲間が死んで辛くない人なんているわけないもんね…………だから、私はみんなの悲しみを消すために、死んだ人、その全員を生き返らせていた」
毎回、戦闘が起こるたびに、回避しようのない『死』が誰かに降り注ぐ。
波瑠はそれを覆す。
『正義の味方』の死を覆す。
何度も。
何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、何度でも。
「【ウラヌス】の皆はね――同い年こそキャリバンしかいなかったけど――こんな役割の私に気を遣って、とっても優しくしてくれていたんだよ。私はそんな皆が好きだったし、この好きは一方通行じゃなかったと思うんだ」
胸の前で、両手をきゅっと包み込む。
「……私がみんなを好きだったから、私は『死』を覆すことに抵抗はなかった。死んじゃうくらいなら、生き返るほうが幾倍もましだと思ったから」
いつからか、仲間を死んで失う方が、死者の前に立つことよりも怖くなっていた。
確かにしんどい日々だけれど、その居場所を好きになり始めていた。
辛くても笑顔でいられたはずの現実は――容赦なく終わりを告げた。
《神上の光》の存在が気づかれ、全世界がその力を欲して日本へと、【ウラヌス】へと攻撃を仕掛けてきたのだ。
【ウラヌス】対全世界の、波瑠を守る戦いが開幕した。
けれど全世界という圧倒的な力を前に、軍隊は疲弊していく。
――――『世界級能力者』と呼ばれる指折りの超能力者との激突。
――――列強の持ち出した最新科学兵器による襲撃。
字義通り、命を削っての死闘が止め処なく繰り返された。
波瑠にはやはり、戦線で出た死者を復活させるという役目が待っていた。
戦争の火種を抑えるため――そして波瑠を守るために戦う【ウラヌス】のみんな。
波瑠は彼らを支えようと、小さな手で必死に『死』を覆し続けた。
失いたくなかった。
波瑠には誰一人として、この世界から失っていい人なんていなかったから。
「……でもね、気づいたんだよ。【ウラヌス】の皆が死んじゃうのは、私が【ウラヌス】に所属して、皆に守られているのが原因だって」
波瑠は脚をお湯から出し、体育座りのように引き寄せ、膝の間に顔を埋めた。
表情を佑真に見せないために。
「みんなは死ぬたびに『死』の痛みを経験している。それでも、生き返らせる度にみんな立ち上がって、戦場へと戻っていく。一見すごい戦法だけどさ、こんな無茶苦茶なことを繰り返して、皆はどうなったと思う?
……心の方が、壊れ始めたんだ。
笑わなくなった。悲しみも、怒りも、同じだった。感情がみんなの顔から消えていった。死に対する恐怖までもが失われ始めて……それで私はようやく気付いたんだ。【ウラヌス】のみんなを殺していたのは、私の方だったんだと気付いて……みんなを壊してしまうワケにはいかなくて……」
なんとかしたい――連夜、そのことばかり考えていた波瑠は、ふと思いいたる。
【ウラヌス】が戦う理由は、全世界が止め処なく襲い掛かってくるからだ。
全世界が襲いくる理由は、波瑠の《神上の光》を求めているからだ。
――――世界を動かす鍵を握っていたのは、他でもない、自分自身だった。
「もう誰一人失いたくなかったから、私は【ウラヌス】から逃げ出した」
波瑠は、人殺しをしても顔色を変えない軍隊から逃げ出したのではない。
自身に死体を何人も見せてくる世界から逃げ出したのではない。
戦場が怖くて逃げ出したのではない。
いや、少しでもそれらが混じっていたとしても。
「私のために死ぬ人を『零』にするために、【ウラヌス】から逃げ出したんだ」
全世界の標的になる。
それをわかっていながら、十歳の女の子は自分のために戦う人たちを守ろうと、大きすぎる十字架を背負う覚悟を決めた。
「私がいなくなったおかげで、世界中の標的は【ウラヌス】から私へと切り替わって――私は一人になった」
だけど、たった十歳の女の子は、すぐに力尽きてしまい。
諦めかけたその時に、一つの出会いを迎えた。
もっとも、その出会いも悲劇を止めるものではなく――新たな悲劇をもたらす出会いだった。
波瑠を命がけで守ろうとしたランクⅩの女子高生、十文字直覇。
波瑠が出会ったその陽だまりも、ほんのわずかな時で、幻想のように弾けて消えた。
「私は、何をすることもできなくて……スグまでも、殺してしまった……っ」
ごしっと乱暴に目元を拭った波瑠は、また少しだけ顔を上げた。
「…………それ以来、私は誰とも関わらないって決めた。私を守るために追ってくる【ウラヌス】も拒絶してきたけど……結局何もできていなかった。【ウラヌス】のみんなに『敵』を演じさせて、キャリバンを傷つけて……私に関わるすべての人の善意をも踏みにじって、殺してしまう。
だからね、佑真くん。
私は、誰かを不幸にしてきた、最低な人間で。
こんな奴はもう、ひとりぼっちで生きていくしかないんだよ」
ぴちゃん、と一滴の雫が落ちる。
それを合図に、天堂佑真は告げる。
「――――ふざけんなよ、波瑠」
違う。
この少女は、勘違いをしているだけだ。
自ら望んで得た力でもないのに、その力に責任を感じて。
何も悪いことをしていないのに、すべての十字架を背負って。
今、この瞬間にもたくさんの人を守っているじゃないか。
彼女は優しい。
とてつもなく優しくて、そして何も悪くない。
だからこそ、佑真は怒りを感じずにはいられなかった。
「一人で全部抱えて五年間頑張って逃げ回って、その末に言う言葉が誰かを不幸にしてきた? 何ふざけたこと言ってんだよテメェはッ!」
突然の佑真の激昂に、波瑠は反射的に大声を上げる。
「私はっ……私は、実際にたくさんの人を不幸にしてきた! たくさんの人を殺してきた! 佑真くんもいっぱいいっぱい傷つけたじゃない!」
「オレは波瑠と出会ったことを不幸だなんて、一瞬たりとも思ってねえよ!」
波瑠が水晶の瞳を大きく見開く。
「そりゃ痛い思いはたくさんしたよ。何度も死にかけた。たった六時間でこのざまだ。だけどオレはこの六時間が不幸だったなんて絶対言わない! 言いたくない! 波瑠と出会えたことを、不幸なんて言葉で片付けてたまるか!」
午後四時に空から落ちてきた波瑠と出会ってから、たったの六時間だ。
その六時間で、佑真は波瑠のたくさんなことを知った。
生死を司る『奇跡』を持っていること。
【天皇家】とかいう家の長女であること。
この国を護る【ウラヌス】で『正義の味方』をしていたこと。
そこから逃げ出したこと。
その後に出会った大切な人を、失ったこと。
そして、優しくて可愛い同い年の女の子だということを。
「たった六時間だ。それしか一緒にいないオレですらこう思っているんだぞ。波瑠が出会った今までの人たちが、十文字直覇や【ウラヌス】の人たちが、波瑠との出会いを不幸だなんて思うわけがないだろ!」
「嘘だっ! 私はたくさん殺した! スグを何百回も殺した! みんなを何千回も殺してきた! 殺されて幸せに思う人間なんているわけないじゃないっ!」
「そりゃ完全に幸せなんて言えなかったろうさ! けどそいつらは、何百回何千回殺されても波瑠の側にいてくれたんじゃないのか。たとえ死の苦しみを経験しようと、それ以上に波瑠のそばにいることを望んでくれたんじゃないのか!」
「嘘、そんなの、だって、みんなを傷つけたのは、」
「嘘じゃない!【ウラヌス】の連中が頑張ってきたのは、お前の笑顔を守りたかったからに決まってんだろ! 十文字直覇が限界まで戦ったのは、お前の物語を終わらせたくなかったからに決まってんだろ! お前があいつらを思うように、あいつらもお前が大切だったんだ! たとえ命をかけてでも守りたいほどお前が大好きだったってことじゃないのか!!」
キャリバンの言葉を聞いた。ステファノの本音を垣間見た。波瑠の気持ちが決して一方通行じゃないことを、佑真はその目でもう見ていた。
「悲劇のヒロイン面して言い訳して、自分を追い詰めるなよ。素直になれよ。弱音を吐けよ。どうなりたいかを言えよ。助けてって言葉くらい、言ってみろよ!」
「そんなこと……今更、言えるわけないじゃない……ッ」
「だから」
「私には! どうしたって、そんなこと言う資格はないんだよ!」
波瑠に突き飛ばされる。
蒼い少女はそのか細い体を、誰にも触れられないように両腕で抱きしめる。
「この魔法陣がある限り、私は一人で生きていく。全部背負って一人で生きていくって、そう決めたんだから」
「死にかけの癖によくそんなこと言えるな。ハッ、じゃあどうすんだ? 波動が切れた。超能力が使えない。今の状態でテメェ、どうやって生きていくつもりだよ」
「そ、れは……が、頑張って、なんとかして、」
「つうか波瑠さ」
佑真は波瑠の頭に、そっと手をのせた。
「そんなに自分を責めているくせに、どうして自殺しないんだよ?」
「………………、え?」
蒼い瞳をまんまるにして、波瑠は佑真を見上げた。
彼の顔はどうしてか、呆れた風に笑っていた。
「やっぱり自覚なかったんだな。波瑠にはずっと、一人で頑張って生き延びるっていう選択しかないんだ。出会った時からずっと――たぶん、五年前にお前が【ウラヌス】を逃げ出した時からずっと。
だって波瑠は大切な人が死んだらどれだけ悲しいか、誰よりも強く知っているから」
――この娘は優しい。
だから自分の経験した死別の悲しみを他の人にも与えるなんて、どうしてもできなかったのだろう。
そんな娘のために、佑真にできることがあるとすれば――答えはただ一つ。
「大丈夫だよ、波瑠。たとえ波動が切れていようが、オレがお前のそばにいる。オレがお前を守ってやるから、お前はまだまだ生き延びる」
「だ、め、だよ……ダメだよ、そんなこと、」
「じゃあどうするんだよ?【ウラヌス】には戻れない。外国に身を渡すこともできないお前は自殺するしかない。だけどお前は自殺もできない。選択肢は一つしか残ってねえんだよ」
少女が顔を伏せる。
佑真は頭から手を放し、真正面に向かい合った。
「……ほんとうに、いい、の?」
「いいよ」
「私といると、大変、だよ?」
「もう知ってるよ」
「…………全部言って、いい……の?」
「大丈夫。オレは何があっても、お前の味方だから」
何回も戦った。
何回も痛い思いをした。
それでも波瑠を見捨てられるほど佑真は自分勝手じゃないし、融通の利く人間じゃない。
諦めが悪いのだけが、唯一の取り柄だから。
やがて、ぐしゃぐしゃの顔を上げた波瑠と視線が交わる。
その泣き顔を見たくなくて、佑真は波瑠を抱き寄せた。
「本当は、誰かと一緒にいたかった」
その体は、驚くほど細くて。
「寂しかった。怖かった。辛かった。一人でいるのなんて嫌だった。私も普通の女の子みたいに笑ってすごしたかった!」
冷たくて、震えていて、そのくせ汗はびっしょりで。
「なのにっ! この魔法陣のせいで、なんで私ばっかりこんな目に合わなきゃいけないの! なんで私の大切な人は皆、みんな傷つかなきゃいけないの! なんで、なんで大好きな人たちと一緒にいることもできないの……ッ!」
綺麗な瞳から、たくさんの涙をこぼして。
「もうやだよ……誰か、誰でもいいから、私のことを助けてよぉ!!!」
「助ける」
その叫びを、『零能力者』は真正面から受け止めた。
そうっと波瑠の体を戻す。
真っ赤に染まった頬を、たくさんの雫が流れていた。
「……ま、雑魚が何言ってんだって状況だよな、ぶっちゃけ。悪いな、こんなに弱い野郎が格好つけちまって」
ふるふる、と首を横に振る波瑠。
「全世界の強敵に勝ち続けないと、波瑠を守りきることは不可能――か。とんでもない話だけど、ようはオレが波瑠を守り続ければいい。そんだけの話だろ」
それが難しすぎるから、この悲劇は生まれてしまったのだけれど。
逆に言えば、たったそれだけの話なのだ。
世界には有言実行という言葉がある。
優しい嘘を、嘘のままにしなければいい。
嘘を真実に覆したその瞬間が、佑真の勝ちだ。
「お前の願いを叶えるには、オレは弱すぎるかもしれない。だけどお前を守るためなら、奇跡だって起こしてみせる。お前を地獄の底から救い出してみせる。その為だったら、たとえ全世界の最強共だろうと敵に回してやるよ」
それが、どれだけ無茶苦茶な理想を掲げているのかなんてどうだっていい。
「だからもう、ひとりぼっちでいたいなんて言うなよな」
「……うんっ」
少女はくしゃくしゃの顔で――嬉しそうに、頷いた。
たったそれだけでこの女の子が救われるのなら、いくらだって頑張れる。
☆ ☆ ☆
さあ、今こそ開戦の時だ。
零能力者VS全世界。
勝率・零。
世界で最も愚かな戦争を、始めよう。