第一章‐㉔ 零能力者は神上を知る
「……五年前の話に移ってくれないか? その辺の話は理解できそうにない」
「了解しました」
相変わらずの狐顔と「のぼせてきましたね」「そういやいつから潜っていたんだ?」「あなたたちが来る前です」「……」と無駄な会話をはさみ、
「六年前、超能力開発の次の段階へと移行しつつあった【天皇家】は、異能の力を発動させうる可能性を持った魔法陣を完成させました。
それが十二星座と六芒星を記す魔法陣――十二種類の《神上》です」
生死を司る奇跡、《神上の光》
有無を司る奇跡、《神上の闇》
希望を司る奇跡、《神上の聖》
絶望を司る奇跡、《神上の魔》
現実を司る奇跡、《神上の現》
理想を司る奇跡、《神上の夢》
精神を司る奇跡、《神上の勝》
形象を司る奇跡、《神上の負》
質料を司る奇跡、《神上の成》
霊魂を司る奇跡、《神上の敗》
空間を司る奇跡、《神上の宙》
時間を司る奇跡、《神上の宇》
「十二種類の魔法陣は、各々に別個の奇蹟をもたらしました。
ですが《神上》の魔法陣はただ描くだけでは、その効力を得ることができませんでした。人体に焼き付け、『高位層』と『人間の世界』を繋ぐ触媒とする必要があったのです」
ステファノは若干ながら、顔をしかめた。
「ですが、第一に肌に焼き付けられた青年――十六夜原生という方は《神上》の力を抑え込むことができずに、堕ちてしまったそうです」
「堕ちた……? ど、どこへ?」
「紛らわしい言い方で申し訳ありません。
『堕ちた』のは天使。十六夜原生の肉体は、魔法陣を通じて身に宿した莫大な『力』を抑え込みきれず、逆に『力』に呑み込まれて堕天使となってしまったのです」
「…………」
「想像もつかない、という表情ですね。気持ちはわかります。伝聞であるぼくにも想像はつきませんが……本来天使や神が使用する『力』は人間の身に余って当然でしょうからね。堕天使の力は、それはもう壮絶だったそうです。【天皇家】の実験島を破壊し尽くし、当時最強と謳われた超能力者を容易に死の淵まで追い詰めたとも聞いております。
超能力では太刀打ちできない理不尽の力。
もし制御下に置くことができれば、いかなる世界よりも優位に立つことができる。
世界を統べる頂点の座を手中に収められるかもしれない。
そこで【天皇家】では、ある計画が立案されました。
その名も『プロジェクト=セフィロト』――日本全国より『力』を内包しうる適性を持つ子供を集め、その子供に魔法陣を焼付けることで、魔法所有者としての未来を歩かせよう、といった内容です」
「なんで子供が対象なんだ?」
「現在十八歳以下の子供達は全員、超能力誕生後に生誕しておりますよね?」
ちなみに超能力登場は2100年代すぐであり、現在は2131年だ。
「両親を超能力者に持つ子供には――理由こそ研究中ですが――超能力に対してより高水準な適合性を持って生まれる傾向にあります。
例えば、能力を生まれつき身に宿した『原典』。
二つの能力を使える『多重能力者』といった特異な存在。
そうでなくとも波瑠お嬢様の『エネルギー変換能力』、十文字直覇嬢の『模倣能力』といった具合に、前世代と比べて強力・応用性の広い超能力を発現できる子供が多くなりましたからね。そういった点から『異能の力』への適応力に期待したのでしょう」
「……」
実は佑真もそういった影響で超能力が使えないのだろうか。
そんな疑問は、ステファノがすぐに話し始めるせいで思考からあっさりと消えた。
「子供の人選は、史上最高峰の高度演算装置【神山システム】によって行われました。さまざまな条件をクリアした『力』に適合する十二人の子供のうち一人として、皮肉なことに【天皇家】より、波瑠お嬢様が選び出されたのです」
その十二人は【天皇家】の有する孤島に集められ、そして計画は実行された。
「より適合する魔法陣を見定めた後の2131年7月1日。十二人の子供に、それぞれ魔法陣が焼き付けられました――が、そこで一つ、トラブルが起きてしまいまして」
狐顔は、真っ赤な顔に平静を保ちつつ、あくまで湯から出ようとはしない。
「この計画についてどこからか聞きつけた米国が、日本の力の極大化を防ぐべく、奇襲を仕掛けてきたのです」
「はあっ!? で、でもそんな事件、ニュースにすら」
「なりませんよ。そもそも《神上》は他の【太陽七家】にさえ伝えずに、【天皇家】が極秘裏に進めた計画だったのですから。そして――」
世間に隠ぺいされた激戦の最中、十二人の子供達は各々が手に入れた『奇跡の力』と元から有する高度な超能力を駆使し、戦闘に紛れてその大半が姿をくらましてしまった。
空間を引き裂く力があれば、時を移動する力があり。
現実を歪める力があれば、理想を叶えてしまう力があったのだ。
やがて子供たちは散り散りとなってしまい、波瑠を含めて三人の《神上》所有者が、その孤島に残るのみだった。その上、他の《神上》所有者に関する記憶と記録は何者かの手によって消去され、完全に後を追う術は失われた。
「――今も《神上》所有者の捜索は行われていますが、【天皇家】としては一人でも残っていれば問題なかったようです。【天皇家】に残った波瑠お嬢様はたった九歳の身にして、【天皇家】の権力化にある独立師団【ウラヌス】へと呼び出されました。
もちろん、死者を蘇生するために。
その超能力を活かして時折戦線に出ることもありましたが、波瑠お嬢様の役割は言うまでもなく『軍医』でしたので、彼女の下へ死者が運ばれては生き返らせるだけの単調な作業を、ひたすら繰り返していました」
……佑真はなんとなく、波瑠が『死』を嫌う根底がわかった気がする。
目の前で起こりまくった血で血を拭う争いで、多くの死を見て。
同じ軍で働く仲間の死体を、幾度となく目の当たりにして。
「当然のごとく、その連日に耐えかねたのでしょう。
お嬢様はある冬の日に逃げ出しました。
当時十歳の時点ですでに、お嬢様の超能力ランクはⅨに及ぶ応用性、今と大差ない威力を有していましたからね。逃げ出すことはいつでもできた。むしろ、数か月でも耐えてくださったことには感謝すべきですが――いかんせん、無視できる事態ではないのです」
【ウラヌス】が何より困るのは、彼女が他国に捕まってしまうことだった。
自分たちが戦闘を優位に進めることのできた『無限の兵力』を、他の国が手に入れてしまったら。それは列強諸国での大幅なパワーバランスの変動に繋がってしまう。
他の列強に比べて国力の高くない日本は、即座に潰されかねないだろう。
「ですが、この心配を杞憂にしてしまうだけの無茶苦茶さを、お嬢様は持っていました。単純に言えば、彼女は誰にも捕まえることができなかったのです」
集団だろうが個人だろうが関係ない。
幸運なのか不運なのか、圧倒的すぎる『エネルギー変換能力』は、十歳の女の子の孤独な逃亡生活で大活躍を見せた。
「……【天皇家】は? 波瑠は娘なんだろ? そういう私情的なモンは……」
「残念ながら微塵も。波瑠お嬢様の母親以外、誰一人として感情的な理由は抱きませんでしたよ。【天皇家】がお嬢様を追い求める理由はあくまでも『令嬢を守るため』ではなく『《神上の光》を手元に置くため』と一貫されていましたし、お嬢様の母親一人では大意を揺るがすことは叶いませんでしたしね」
【天皇家】からすれば、意地でも波瑠を捕まえなければせっかくの計画ごとすべてが失われてしまう。
その考えの基に、力づくで波瑠を捕まえることを決意した。
ステファノも詳しく知らない、彼らが目指す『終着点』のために。
「そうして【天皇家】の勅令で【ウラヌス】よりお嬢様奪還の指示を受けたのが、我々なのです」
ふう、とステファノは溜め息をついた。
話はここで終わりらしい。
「……聞きたくないことを聞かされた」
「おや、波瑠お嬢様の過去が聞けたというのに、そんな反応でよろしいのですか?」
「……なあ、お前らはなんで力づくでしか、波瑠を取り戻せないんだよ」
ピクっと、ステファノが反応した――気がした。
「少なくとも、お前ら【ウラヌス】と波瑠が敵対する理由が見当たらない」
波瑠は、自身の《神上の光》が世界中に狙われていると語っていた。
その『世界中』の中には――本心から『敵』だとは思っていなさそうだけれど――【ウラヌス】も含まれているのだ。
「元々は仲間だったんだろ? だったら『自分達が波瑠を護る。だから一緒にいてくれ』って言うんじゃダメだったのか?」
「……」
「そりゃ【ウラヌス】に戻ったって波瑠は《神上の光》を使いたがらないだろう。それでもいいじゃん。波瑠一人に戦わせないって、背負わせないから傍にいてほしいって、たった一言を伝えてやればよかっただけだろ! それともお前らは、そんな言葉も伝えてやれないくらい雑に! 波瑠を徹底的に道具として扱っていたのか!?【天皇家】とやらの命令でしか動けないっていうのか――――ッ、」
「少し黙っていてください」
げほっげほっ、と佑真はむせる。
非常に古典的な方法――お湯を顔面にかけて、ステファノは佑真の言葉を断ち切ってきた。
「ぼくらとお嬢様のにだって、貴方の知らないやり取りが色々と存在するのです。ですが、その辺りのことを貴方に説明する気もありませんので――本人から直接聞いてください」
ただでさえ細く鋭い目に、鋭利な氷柱のごとく冷たい眼光が覗く。
何も知らない佑真が好き勝手言うなという警告を、目が語っている。
「ついでに言っておきますが、天堂佑真、貴方は本当にお嬢様の側にい続けるつもりなのですか?」
「そうだけど……」
「なら、覚悟しておいてください」
狐顔が元に戻り、
「ぼくたち軍人が束になっても敵わない『英雄』や『怪物』は世界中にいます。お嬢様を守り抜くということはその全員――文字通り『全世界』を敵に回すこととなりますが。はたして『零能力者』の貴方に、そのすべてを背負う覚悟がありますか?」
世界の大きさを知らず、世界の広さを知らないくせにしゃしゃり出ている『零能力者』。
今更言われなくとも――。
「存在するだけで勢力図をひっくり返し、全世界の未来をも変化させてしまう、それがお嬢様の《神上の光》なのです。天堂佑真、お嬢様と共にあるという現実がどれだけ巨大なものか、よく考えておくことですね」
そう冷徹に告げると、ステファノは全身を真っ赤にし、ふらふらと温泉から去っていった。のぼせているようだが、先の発言通り攻撃だけはしてこなかった。
「な、なんだったんだ、あいつ……?」
佑真はその背中が見えなくなってから、顔を伏せた。
鼓動が嫌な感じに加速する。胸の中の巨大な靄が、佑真の何かを圧迫してくる。
わかっていたつもりだった。
全部、わかっているつもりだったのに。
たくさんの思惑が存在していることも。
たくさんの想いが交差していることも。
たくさんの苦しみや悲しみがあることも。
たくさんの強敵が待ち構える世界だということも。
この世界にとって波瑠の存在がどんなに危ういものなのか、ということも。
「……くそっ、なんだってんだよ」
『零能力者』が全世界を敵に回す?
非現実的すぎて、笑い話もいいとこだ。
――佑真は波瑠の頬を、むにむにとつついた。
「なあ波瑠、どっから話聞いてたの?」
「………………起きてたの、バレてたんだ」
あはは、と誤魔化しながら、ゆっくりと、波瑠が体を起こした。
「後半……なのかな?『プロジェクト=セフィロト』が話題に出たあたりから、狸寝入りで聞いてたよ」
「お前に許可取らないで聞いて、よかったのか?」
「うん。……佑真くんがこれ以上私に関わるなら、避けて通れない話だからね」
力なく笑う波瑠は、両手を膝の辺りで結んだ。
「《神上の光》はね、私にとっては呪いなんだ。一生刻まれて外すことのできない呪い」
「…………」
「呪いっていうなら、オレの『零能力者』も呪いかもな」
「……やっぱり私たち、似たような境遇なのかもね」
そんなことないと思う。
見てきた地獄の暗さは、圧倒的に波瑠のほうが上なのだから。




