第一章‐㉓ 超能力者は非科学を語る
じっとしていると波が満ちてきそうだったので、波瑠をおんぶし、とりあえず移動を再開する。背負ってみて改めて、波瑠がとても小さいことを認識させられた。
力を入れられず全く体を支えられないようで、鉛のように重く、両腕に力をちゃんと入れないと落っこちそうだ。
波瑠の両腕は佑真の前をぷらぷら揺れている。時折吐息が首筋をくすぐってぞわっとしたり、不可抗力で胸の柔らかい感触を背中に受けたり、手で支えている太ももは指が食い込むほど柔らかかったり――ドキドキして然るべき要素はたくさんあるのに、身体の冷たさのせいで気が気でない。
氷のように、波瑠の体は冷たい。
頬が真っ赤なのに、まるで死体のように不気味な冷たさをしている。
「……佑真くん、あったかい…………」
「…………服を乾かさないといけないし、どこか、隠れられて、暖かい所に行こうな」
真夏の夜に『あったかい』なんて、普通言わない。
気温は高くないとはいえ、佑真の感覚で28℃前後波瑠。
波瑠の体はそれだけ鈍っているのだ。
「そういやエアバイクどこ行ったんだろう。……海水沈没か?」
「高かった?」
「高かったよ。中学生ってできるバイトも少ないからさ、必死に節約して買ったんだ。わずか一ヶ月で海のモズクとなるとは思わんかったけど」
「それを言うなら藻屑……ごめんね、私のせいでエアバイクまで……」
「そうだな。波瑠のせいだ。だから、ちゃんと償ってもらわないと」
「……ふえ?」
「ちゃんと元気になってもらわないと、許せないな。エアバイクをどぶに捨ててでも逃げ切ったんだ。それくらい約束してくれないと、割に合わないぞ」
「…………そうだね。頑張る」
ギュッと、佑真の前で漂っていた波瑠の両手が結ばれる。
会話しながらゆっくりと歩く。
崖のような岩場にちょうどよさそうな洞窟があったので、その奥へ入ってみることにした。
「ねえ佑真くん。あそこ、温泉になってるみたいだよ」
入り口から五十メートルくらいだろうか。ちょい、と波瑠が力ない指で示した先を見ると、繋がっていた海水がわずかに途切れ、一箇所に大きな温泉が出来上がっていた。
「天然の温泉か。この洞窟に熱源でもあんのかな」
「ちょっと、暖かい空気だね」
佑真にとっては暑いくらいだが、そんな感想は態度にも出さない。
「ま、次にどうすればいいかを話し合うのも兼ねて、足湯でもするか?」
「うん」
声音は嬉しそうなのに、やっぱり今にも消えてしまいそうなほど小さな声だった。
そうっと波瑠を降ろし、できる限り平らな岩場に腰掛けさせる。
波瑠の運動靴とニーソを脱がせ(さすがに緊張した)、今はぱしゃぱしゃと気持ち良さそうに足を泳がせていた。
隣! と波瑠が言い張ったので、肩が触れ合うほどの隣に佑真も腰掛け、足をお湯へとつけた。まさに適温。冷え切っている波瑠には、全身浸かってほしいくらいだ。濡れている服を適当に絞り、することのなくなった二人は、苦しくない沈黙の時間を過ごす。
触れ合った手は、お互いわずかな躊躇いを挟んでから、キュッと繋ぎあった。
佑真は高速道路での、キャリバンと波瑠のやり取りを思い出す。
キャリバンの告げていた、在りし日の波瑠の姿。
ランクⅩ《霧幻焔華》の使い手。
改めて考えると、『天皇波瑠』は本当にすごい。
佑真が嫌というほど苦戦した【ウラヌス】から――だけではない。
全世界の《神上の光》を求める相手から、たった一人で逃げ回っていたのだ。
五年間も。
先ほどの高速道路で披露した《霧幻焔華》のおかげで、天皇波瑠が一人きりで逃げ回れた理由は歴然となった。
ただ純粋に、超能力を使えば修羅のごとく強かったからなのだ。
それだけの強さを持っていても、限界は来る。
波瑠を守っていた十文字直覇。彼女が限界を迎え、命を失ったように。
今度は波瑠が、その『限界』を自ら迎え入れたのだ。
(……オレがもし、超能力を使えたら。波瑠を護るだけの力を持っていたら。あるいはオレなんかじゃなくて、超能力を使える人がいたら。ずっとそう思っていたけど……限界がくる時期が早いか遅いかしか、きっと差はないんだろうな…………それにしてもオレの限界は早そうだけど………………)
佑真の思考を断ち切ったのは、肩下から聞こえてきた心地よい寝息だった。肩に重さを感じたそれが波瑠の頭であることは見なくてもわかる。
このままでは倒れそうだったので、起こさないように膝枕へ動かし、髪を手ぐしで梳いていく。安心しきった表情の波瑠はもぞもぞと体を動かした。
《神上の光》を有していても。
日本最高ランクの超能力者であっても。
特別な家のお嬢様であっても。
気持ち良さそうな寝顔は、佑真と同い年の可愛い女の子のそれだ。
「……波瑠、なんでお前が《神上の光》なんて背負わされたんだろうな」
何気なく呟いた佑真の声に応じるかのように、ポワァン、と水が波紋を作った。
「その理由、改めて知りたいですか?」
そして、その輪の中心より、バサアッ、と男が姿を現した。
青い髪に感情の読めない狐顔。
「お、お前【ウラヌス】の――――っ!?」
「静かにしていただけますか? お嬢様が起床しては、ぼくが困るんですよ」
指を一本立てて『静かに』と示してくるステファノだったが――その姿に、佑真はいろんな意味で焦りを覚えずにはいられなかった。
「なんでテメェ全裸なんだよ!?」
「そりゃ温泉に浸かっているからですよ。このとおり、SETすら所有していません」
「両手両脚を広げて大の字になるな! 波瑠起きたらどーすんだ!?」
「おや、敵方であるはずのぼくの心配ですか? 意外と優しいのですね」
狐顔が崩れることはなく――今のステファノには、不思議と殺意が感じられなかった。
「まあいいでしょう。ぼくはリスクを起こしてあなたに会いにきたわけですし、さくさくと本題へ移行させていただきます」
下半身をお湯に戻すステファノ。やたら体つきがいいのが憎たらしい。
「……オレに会いに来たわけ? どっかに他の奴らが隠れてるのか?」
「いませんよ。それより天堂佑真、あなたはお嬢様に《神上の光》を焼き付けられた理由を、知りたくありませんか?」
「っ!?」
まさかの話題の振りに、つい体を硬直させる佑真。
警戒せずにはいられない。この狐顔にどんな裏が潜んでいるのか――
「どうやら、まだ疑念を作っているようですね。もう一度見せましょうか? ぼくは完全なる手ぶらであるということを。ぶらぶらさせているだけだという事を」
「もういいよ! わかったよ信じるよ!」
「その甘さにぜひとも漬け込みたいのですが、今はスルーさせていただきます」
「本題へ行ってくれ」
承りました、とやたら丁寧に頷くステファノはやはりどこか警戒心をそそってくる。もっとも本当に全裸なので緊張感がまったくないが。
「では、最初に確認の意を込めて。
天皇波瑠お嬢様の苗字は、全日本を統べる頂点【太陽七家】の一家【天皇家】であり、その目的は『《神上の力》の取得』です」
「天皇波瑠おじょうさま、ねぇ……」
今しがた信じがたいが、波瑠はそんな立場でもあるのだ。
「天皇波瑠お嬢様は、本来ならば【天皇家】の次期当主となる未来があったのですよ、こう見えて」
ステファノの視線が一瞬波瑠へと沈んだ。
「時は五年前に遡ります。2126年の6月末、【天皇家】のとある計画が動き始めました」
「計画?」
「我が【天皇家】には、他の太陽七家にも極秘裏で動いていた計画がありました。それこそが《神上》です」
ステファノは、続けてこう述べる。
【神上の力を手にし時、人間は神の言葉を囁き、理を超越した奇跡は、魔法となる】
「……大前提として、《神上》と《超能力》は全く別種類の異能力です。
科学技術によって生み出された超能力は、万人が使用でき、一定の法則に基づいて発現される『現象』の枠に収まっている。
対する《神上》は、いかなる枠に当てはまることもなく、法則性すら見出せない『非科学』です。現存するのもわずかに十二種類」
ちゃぱ、と少しだけ体勢を変えるステファノ。
「死者を生き返らせる。空間を創造する。時を支配する。《神上》が起こせる現象を挙げてみましたが、これらの力、果たして人間の波動のみでできると思いますか?」
「無理……だよな」
「ええ。不可能とされてきた数多の異能を実現させてきた《超能力》でも、このような『超・超常現象』は起こせません。
故に、人間から神の領域へ上り詰めた者。
神の力の一部を引き出す《神上》というカテゴライズが生まれました」
人間に起こせない奇跡を、神様ならば指一本で意のままに起こせるだろう。
波瑠や他の《神上》所有者が起こす奇跡を、『神の力のごく一部のみを借りている』と解釈しているのだ、とステファノは補足した。
「ここからは完全に『非科学』の話になりますが、生命の樹という図をご存知でしょうか?」
「知ると思うか?」
ですよね、とステファノは頷いてから説明を始めた。
「生命の樹は世界の構造、そして人間が神に近づく流れを球と小径で示した魔術的な図の名称です。ですがこの図には『神』が描かれていない。これは『人間が真の意味で神になることは不可能である』という事実を暗示している、と言われております。
そして現実でも、SETによって脳を限りなく百パーセントに近い状態で動かしても、所詮人間は『超能力を発動するまで』に留まってしまいました。世界の理を超越する奇跡を起こすには至られなかったのです。
しかし《神上》所有者は身体の魔法陣を通じて、生命の樹に描かれていない領域――俗に天使や神の住処と言われる『高位層』と常に接続している状態にあります。
『高位層』と接続している《神上》所有者達は……人間を超えた。
本来人の身では為し得ない、神にしか起こせない『奇跡』の一部をその身に宿し、行使することが可能となったのです」
……なんて解説しているステファノ本人にも、実は詳しく理解できていないらしい。
科学と法則の二十二世紀に生きているため、こういった非科学な思想を受け入れるのに抵抗を持ってしまうのは、素人も玄人も同じのようだ。




