●第二百一話 Long_Hope Philia
――――――目の前で夢人が地に崩れ落ちていくのに、体が動かない。
波瑠と美里は、スーツを着た男と戦っていた。
戦い慣れているはずの二人は〝姿を消す能力〟に完全に手玉に取られていた。
「美里さんっ!」
「……仕組みはすでに分かっています……打撃する瞬間だけは〝姿を消す〟を保てない……その隙をついて拘束、ないし攻撃すれば良い……なのに!」
波瑠はうずくまっており、美里は両腕がダランと垂れていた。
〝天ノ逆手〟という籠手を用いた掌打の威力は人間離れしており、特に波瑠に対しては異様なほど効力を発揮してくる。
しかし波瑠達は〝姿を消す能力〟の仕組みを解明して、反撃も繰り返している。
凍結。爆発。雷撃。あるいは格闘術。
そのどれもが、スーツの男にクリーンヒットしていた。
にも拘わらず、男はほぼノーダメージでやり過ごすのだ。
恐ろしく頑強な肉体、接近を容易にする〝能力〟、そして圧倒的火力。
この三拍子が完璧に揃う人間は、超能力を込みにしても、まずいない。
まるで戦うために作られた改造人間を、相手にしているような。
そもそも攻撃が通じないのに、他にどんな手を使えば勝てるというのか。
「いい加減、死亡する前に身を差し出すのが身のためだぞ」
「……差し出させませんよ。あるいは、あなた達に波瑠様を渡して波瑠様が幸せになる保証がありますか?」
スーツの男の宣告を、美里は絶対に拒み続ける。
「その女の価値は《神上の光》のみだ。阻む者は排除する」
――――――ただひたすらに逸る心の奥底で、悪魔が足を地に縫い付ける。
里長様は引き連れていた二人の忍を送り出し、わずか一人で白い死に装束の少女と戦っていた。
死に装束の少女は〝流れを操る魔術〟で、里長様の攻撃を物ともせずにいる。
「別にあなたと戦う必要がないんですよねー。でも金世杰とか草壁さんのトコロに行かれるのもメンドーなので、足止めはし続けますね」
「どうとでも言え小童。こちらとて、一人で貴様を拘束しているぞ」
「ふふん、金世杰にこそあなたが行くべきだと思いますけどね」
ありとあらゆる〝流れ〟を操る。
炎だろうと風だろうと水だろうと関係なし。そこに〝流れ〟が存在する限り、すべてが少女の意のままに動く。
それは戦況という〝流れ〟まで掌握しているかのように見えた。
「あたし一人で、金世杰に対抗しうるあなたを止められればどう考えても御の字でしょう? あまり若者に押し付けるのはよくないのでは?」
「その逆じゃよ。わしに金世杰はどうしたって止められん――故に可能性の獣達に託すのじゃ」
現在の里で唯一均衡しているのはこの戦場だけだが、果たして里全体でみれば、それを『均衡』と呼ぶことは間違っているだろう。
――――――今、戦わなければ。
これまで懸命に進み続けた努力の意味が失われるのに。
そして里の中央では、金世杰が大立ち回りを見せていた。
増援が何人増えようが関係ない。遠距離、近距離と翻弄しようが関係ない。ありとあらゆる戦争を終わらせる『軍神』に対して、工夫は何一つとして意味を成さない。
【ウラヌス】が《零能力》を利用し尽くして、ようやく勝ちを譲られたのだ。
勝ちを譲る可能性がない〝操り人形〟と化した金世杰を止められる者は、少なくともこの戦場には一人もいない。
「戦うな! 武器を捨て投降せよ! この戦場から逃げよ!」
あの金世杰が余裕なく叫び続けている。事態の異常さと緊迫さを示している。
忍者たちは【ウラヌス】に助けを呼んでいる。しかし援軍は到着しない。まだ襲撃が幕を開けてから、一時間どころか三十分も経っていないのだ。
それまで、天堂佑真と天皇波瑠を守らなければいけない。
毒に侵された同胞を救ってくれた彼らの危機に恩を返せなければ、五百年続く忍の里に泥を塗る。限界まで戦い抜いた夢人の想いを侮辱する行為にあたる。
もはや、大人の責任とか忍者の矜持とか七面倒くさい話から乖離した意地の問題だ。
「……勇敢と愚策を吐き間違えるな、愚か者共が…………ッ」
――――――ああ、とっくに気づいている。
どの戦場も、天堂佑真がいれば形成は逆転する。
〝姿を消す〟? 佑真にはスーツの男が途切れずに見えている。
〝流れを変える〟? それも魔術なのだから《零能力》で食い潰せる。
〝操り人形にされている〟? ああ、それだってきっと《零能力》を使えれば。
まるで仕組まれたかのような状況を目の前にしても、体が動かない。
一人だけ安全な場所から、みんなが苦しむ姿を眺めている。
動け動けと命じても、たった一歩を踏み出せない。
白衣を着た悪魔が笑う。
無気力感に堕ちていく。
「〝天ノ逆手〟」
その時、佑真の脇を何かが通り過ぎた。
少し後ろで静止したそれは、波瑠の身体だった。
「…………痛……!」
うずくまったまま起き上がれない波瑠。彼女の後を追い、スーツの男がこちらにゆっくりと歩いてくる。
「これで五度目の掌打だ。いい加減、抵抗する気力は残されていないだろう」
最初に金世杰を操っていると告げた、槍を持つ眼帯の青年も歩み寄ってくる。青年は後ろに『黄金の獅子』に乗る金世杰を従えていた。
「草壁さん、こっちの戦闘は終わったよ。忍者は全員倒した」
「ご苦労。こちらも障害は排除した。後は天堂佑真を殺害し《神上の光》を回収するだけか」
「だね。にしてもわざわざ忍者達を倒す必要はなかったんじゃない?」
「彼らの追跡能力を侮ってはならない。下手に妨害されるなら先に倒した方が良い」
「そういうもんですか」
彼らはまるで戦闘後のような余裕をもって喋っていた。
佑真は波瑠の傍にしゃがみ込む。
「大丈夫、か? ……息はできるか?」
「…………ゆう、ま、くん……?」
波瑠は顔を向けることもできずにいる。意識はあるものの、身動きをまともに取れないらしい。吐血を繰り返したのか口元には血痕があり、髪はボサボサに乱れて全身が泥と傷にまみれていた。
膝をつく。最愛の少女の傷つき果てた姿に、唯々、意志が奪われる。
――――――心の熱を再燃できない。
これまで歩いてきた道を振り返れば、富士の樹海でしてしまった過ちに阻まれる。
アーティファクト・ギアとの約束を思い出せば、覇道を踏み間違えた事実が蘇る。
何度だって折れそうになった。
その都度に己を奮い立たせた。
諦めが悪いのだけが特技だとほらを吹いて、馬鹿正直に突っ走ってきた。
だからこそ、たった一歩わき道に逸れただけで何もかもを見失った。
「それじゃ最後の仕事だ。頼むよ、金世杰」
槍を持つ青年が気軽そうに告げる。
それを合図に、二本の『黄金の杭』がもの凄い速度で放たれた。
目で追いきれない真っ直ぐな『必殺』は――、
――――――一寸先に待つのは闇だ。
――――――振り返った後に在るのは絶望だ。
――――――進むべき覇道は、もはや消え去った。
――――――なら一体、どこへ行けばいい?
目で追い切れない真っ直ぐな『必殺』は、何故か佑真の真横を通り過ぎて地面に突き刺さった。
佑真の逃げ場を奪う代わりに。
二本の『杭』が、佑真と金世杰の間に一本道を描く。
「顔を上げろ、天堂佑真」
そうして佑真が顔を上げると。
目線の先に――月明かりを背にした金世杰が立っていた。
「ようやく目が合ったな」
「………………え?」
「余所見をするな。貴様の敵は此処にいる」
「――――ちょっと、トドメを刺す場面じゃないのこれ!?」
異変に気付いた槍を持つ青年が対処しようとしたその時、彼らに向かって『黄金の杭』が降り注がれた。
直撃こそしないが、槍を持つ青年とスーツの男を取り囲む『檻』を形成する。
邪魔するな、という無言の抵抗。
「……まさか〝死者の軍勢〟の支配下から逃れたっていうのか!?」
「流石は『軍神』……否、流石は英雄か」
金世杰が語る。
「――英雄とは、常に先陣を切り開く勇者である」
彼は佑真に何があったかを知らない。
「――英雄とは、常に皆の期待を背負う戦士である」
彼は佑真が過ごした日々を知らない。
「――そして英雄とは、常に正しく在ることを求められる」
彼は佑真が誤った選択をしたことを、知らない。
何も知らないはずなのに、『軍神』は佑真へと語り掛ける。
「――故に英雄の魂は傷つき、心は折れる。歩んできた過去に疑問を抱き、たった一度の敗北に未来を見失うだろう」
まるで御伽噺の登場人物のように、しかし現実で『正義の味方』と呼ばれた男。
数多くの仲間達と共に、史上最悪の戦争を終わらせた英雄は――――笑った。
それはもう、豪快に白い歯を見せて。
今にも泣きそうな笑顔を解き放ち、そしてありったけの大声量で叫んだのだ。
「それでも尚胸を張り続ける者を、人々は真に英雄と呼ぶ! どれほど過酷であっても進み続ける者の傷跡を讃え、『正義の味方』と呼ぶのである!!
故に前を向け。天を見よ。大きく息を吸い、誰よりも堂々と胸を張れ!!」
「……ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオ!!!」
そして天堂佑真は、右の拳を握りしめた。
まずは右足で。
次は左足で。
しっかりと大地を踏みしめて立ち上がり、大きく息を吸って、誰よりも堂々と胸を張った。
そよ風が吹いた。なびく前髪が額の傷に触れて痛みが走ったが、瞳は決して金世杰から逸らさなかった。
『黄金の獅子』がグッと下肢に力を籠めるのがわかった。超巨体による突進。守らなければ佑真諸共、波瑠も巻き込まれる大技が構えられる。
距離はわずかに二十メートル。
攻防は刹那。
防がなければ、敗北必至。
死という形を以てして、天堂佑真の未来を立つ一撃。
世界最強の称号を持つ者からの挑戦状に応えるべく、佑真は右腕を引く。
――――なあ、天堂佑真。
幻聴が聞こえる。
目を逸らしても、耳を塞いでも、心の奥底から囁き続ける声がある。
――――人間を殺したあの力を、お前はまた使うのか。
黒々とした悪魔が、頭の中でずっと笑っている。
白衣を纏い、脳髄を赤いカプセルに移植した青年の歪んだ笑みがこびりついている。
――――過去は変えられない。お前の失敗は消えることのない事実だ。
ゆっくりと脅かされていく。
眼球にこびりついた映像は、瞼を開けていようが閉じていようが、何度でも再生される。
「………………、くそ……」
佑真は結局、右腕を降ろそうとして。
「大丈夫だよ、佑真くん」
降ろしかかった右腕を、波瑠がそっと支えてくれた。
彼女は傷だらけの体に無茶を通して、優しい声音で。
「佑真くんはもう、どうすればいいか分かってる。だからお願い。私を助けて」
「――――ああ、任せろ」
簡単にそう返すと、彼女は右腕から手を離した。
……それは、佑真にとって呪いのような言葉だった。
けれどそれこそが、大馬鹿野郎を何度も立ち上がらせてきた言葉だった。
――――さっさと悪まで堕ちてこい、正義の味方。
決して、波瑠から押し付けられた呪いなんかじゃない。
目の前で困っている人を、苦しんでいる人を絶対に見捨てたりしない。
『助けて』という言葉を聞いたら、絶対にその人の力になってやる。
これは、己自身が選択した決意である。
「――――それでもオレは前へ進むよ。この失敗をきちんと背負って」
心臓がドクンと鼓動を刻んだ。全身の血流が加速する。全身の筋肉に酸素が行き渡り、恐怖を覚える程に神経が研ぎ澄まされていく。
人間の身に余る力だと、内側から皮膚が引き裂かれる。
(…………ああ、テメェに不満があるのはわかってんだよ。
それでも成し遂げたい願いがある! いいから力を貸しやがれ――!!)
全身をつんざこうとした反動を、根性と気合いでねじ伏せる。
反動なんて先刻承知。自壊の覚悟は出来ている。
右目に灼けるような激痛が走った。
十二星座と六芒星の魔法陣が浮かび上がると同時に――右腕に〝純白の雷撃〟が迸った。
宵闇を引き裂く〝雷撃〟は留まるところを知らず、火山が如く噴出する。
瞬間。
右腕の感覚が、粉々に砕け散った。
「……く、そ……おおおおお――――ッ」
一瞬だった。窓ガラスをハンマーで殴るように、一度破壊された感覚はもう回帰しない。それでも咆哮を轟かせる。感覚は消えても右腕は残っている。足りない物は補い尽くせ。経験と記憶を総動員しろ。
加速した血流が熱い。全身がマグマのように煮えたぎる。炎の中に放り込まれた方がましだ。右腕は発端にすぎない。そのうち全身が失せるかもしれない。
それでも。
この熱い衝動が失われるくらいなら、全身溶けてしまったって構わない。
全細胞に焔を熾せ。闇を振り払う光を灯せ。魂を触媒に燃え上がれ!
(――――オレが『正義の味方』になるためには、テメェがどうしたって必要なんだ。
もう二度と使い道を誤らない。絶対に使いこなしてみせる。だから!!!)
まだ幼稚な覚悟だ。
これから歩む道の過酷さを自覚しきれていない少年が、それでも歯を食いしばって逃げるまいと踏み出した勇気を称讃して。
少年の右目に眠り続けた力は、ようやく真の姿を顕現させる。
神的象徴、強制開放。
「行くぞ――――〝神々をも弑逆する終熄の竜咆〟!!!」
世界は真っ白な閃光によって塗りつぶされ。
次の瞬間、天堂佑真の背後に夜空を覆い尽くすほど巨大な純白の巨龍が光臨した。
天を翔け昇った巨龍は、天堂佑真に従える。
其は神話にも歴史にも存在しない――ある夏の日に抱かれた、罪なき少女を救いたいという希望の具現化。
無力な少年の叫びに応え、『零』から創造された幻想の龍種。
世に遍く全ての異能を――たとえ神様だろうと食い潰す弑逆の大顎が開かれた。
同時に。
『黄金の獅子』が動く。
前足が大地を踏み抜くと激震が走った。上体を煽るのは突風か、ただの威圧か。
距離が詰まる――――――十メートル。
後退は選択肢に存在しない。必要なのは立ち向かう意志。『軍神』の全霊をあえて前のめりに待ち受ける。
距離が詰まる――――五メートル。
『獅子』の牙が月光に輝く。大口が人間を噛み殺すべく開かれたのだ。この局面で外すことは許されない。正気の沙汰まで引きつける。
距離が詰まる――三メートル。
刹那。天堂佑真は呼吸を止め、右腕を全力で振り抜く。
そして。
〝純白の巨龍〟と『黄金の獅子』は、真正面から激突した。
「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオ!!!!!!」」
巨大な破裂音が炸裂する。
〝純白の巨龍〟が、『黄金の獅子』を喰らい潰していく――――――!!
☆ ☆ ☆
――――異様な圧力に腕が浮く。左手で右肩を抑えつけ、完膚なきまでに完全な勝利を手に入れるべく、灼熱の右目で〝巨龍〟を制御する。
そんな天堂佑真の姿を、金世杰は消えゆく意識の中で朦朧と眺めていた。
(………………。無事、光を取り戻せたようであるな)
〝死者を蘇らせる魔術〟で動いていた金世杰は、〝純白の巨龍〟に触れて魔術が解除されたことを悟った。
この〝巨龍〟は天堂佑真の力。そして彼を象徴するのは《零能力》だ。やはり、ありとあらゆる異能を消す異能、という性質は備えているのだろう。
時期に肉体は唯の死体になり、霊魂は冥界とやらに導かれる。今度こそ正しき死を迎えられる。
(もっとも我が生涯を振り返れば、征くのは地獄のいずれになるが)
これまで殺した人数は数知れず。
これまで救った人数もまた、数知れず。
『軍神』などという大層な名を賜り、英雄として担ぎ上げられた生涯で。
残す後悔はたった一つ。
誰もが笑ってすごせる世界とやらを、自分の手で実現できなかったくらいか。
(天堂佑真。貴様の夢物語が現実と成ることを、心の底より願っている――――)
金世杰の意識が途切れた時。
それが、決着の瞬間だった。
☆ ☆ ☆




