●第二百話 Oath 04
ドクン、ドクンと異様な心音が響く。
耳が遠い。他の音が聞こえなくなりそうだ。体内を心臓がすべて埋め尽くしてしまったかのようだ。血流が口から溢れてしまいそうだ。
それほどの緊張が、初めて夢人を襲っていた。
《脳波制御》という『原典』のおかげで、夢人は常に冷静でいることができる。それは逆に言えば、緊張や恐怖を経験できないのだ。
人生で初めて全身を襲う緊張に、夢人は静かに息を吐き出した。
(『世界級能力者』金世杰の前に立つという意味……おい佑真さん、貴方はなんでコイツらと同じ舞台に立とうとできるんだ!?)
金世杰とは距離がある。
夢人たちの出方を伺っているのか、動きはない。
ただ立っているだけなのに。
ただ槍を構えているだけなのに!
(なんで今にも殺されそうなイメージが浮かんでくるんだよ……一切勝てる気がしないのは、《脳波制御》が機能しないのはなんでなんだよ……ッ!!)
「行くぞ夢人、陣形を崩すなよ!」
「はい!」
服部修次の雄叫びを発端に、忍達が一斉に飛び出した。
加速しながら二十人が広範囲へ散らばっていく。夢人は純白の球体を両手に構え、金世杰の真正面へと駆けこんでいく。
「『黄金の鞭』を各員に振り抜く、防げ!」
金世杰から、そんな言葉があった。
発言通り、金世杰の背後から伸びあがった『黄金の鞭』がニ十本振り抜かれる。
速度は高速、照準は的確。
目にも止まらぬ、という比喩を体現した初撃に向かって夢人は両手をかざした。
「おおおおおおおおおおおォォォ!!!」
純白の光線を拡散させて放つ。照準なんて定められない、故に本数を増やして全攻撃へと対応する!
「――なるほど、『鞭』という形状を崩す能力か」
《神上の宙》の奇跡によって『黄金の鞭』が分解される様子に、金世杰は口角をわずかに釣り上げた。
けれど武具はすぐさま再生される。一瞬だけ分解できたものの、黄金はすぐさま四角柱状の『杭』へと変貌した。
(やっぱりだ! 佑真さんが《零能力》で防ぐ時より再生スパンが早い……!)
「夢人に頼りきりになるんじゃねえ!【ウラヌス】がどう戦っていたか思い出せ!」
しかし夢人の頭上で、跳び上がっていた服部修次が啖呵を切る。
SETを起動させていた服部は、手を前に突き出した。
ゴゴゴ、と地鳴りが轟く。
「むっ」
金世杰を囲う四角形状の亀裂が入ったかと思えば、そのまま金世杰と『黄金』を乗せて大地がズゴオオオ! と沈んでいく。
《土遁隆谷》。服部の超能力は大地を一定区画で区切り、その範囲内を自由自在に隆起・沈下させる能力である。
起点となる『黄金』が沈んだことで、『鞭』の軌道も変化する。
多角的な攻撃をかわした忍達は一斉に攻撃を放った。
銃火器や忍び道具、或いは超能力に至るまで。
ありとあらゆる攻撃方法を前に、金世杰は巨大な『黄金の盾』を張って迎え撃つ。
(この瞬間を逃すな!)
夢人は右手にありったけの『天使の力』を装填した。
忍達の攻撃が『盾』と衝突する刹那。
同時に夢人の放つ光線が『盾』を貫き、その形状を完膚なきまでに分解する!
一瞬にして防御は消えた。
金世杰までの空間を阻む物はない。
必中不可避の攻撃の嵐を喰らう寸前の金世杰は、苦悶の表情を浮かべていた。
「ゆめ忘れるな、我が使役するのは『黄金』ではなく『あらゆる金属』である!」
金世杰の周囲にある大量の砂鉄が、忍達の攻撃を力づくで押し潰した。
「……クソッ」
服部は次の攻撃に移りながら舌を打つ。
そう、ここは市街地だ。忍の里は自然も多い。
砂鉄どころか、周辺の金属物すべてが金世杰の武器になる。
故に第三次世界大戦で不敗神話を築き上げたのだ。
【ウラヌス】がわざわざ芦ノ湖を戦場に選んだ理由を、決して忘れてはならない!
「しかし少年よ、貴様の『光線』で分解可能であると推測される。貴様が鍵だ、意地でも仲間を守り抜け!」
「無茶ぶりを……!」
「砂鉄でも攻撃方法は『黄金』と変わらぬ、次は『砂鉄の針』の連射だ!」
忍達が次の攻撃に移るよりも早く、金世杰の操る砂鉄が無数の『針』にまとまって射出された。
全方位余すところなし、避ける空間もない三百六十度の超弾幕。
「防御に徹せよ! 暫くは続く!!」
(――――この攻撃を佑真さんならどう防ぐ!?)
夢人は瞬時に芦ノ湖の映像を思い出しながら両腕を広げた。
佑真が〝雷撃〟を広げていたように、できる限り広範囲へ、レーザー光線ではなくオーロラ状に『天使の力』を拡散させ、その形状を維持する。いうなれば常に『分解』し続けるヴェールだ。
咄嗟のアドリブがとめどなく注がれる『砂鉄の針』を辛うじて防いだが、それはあくまで夢人の届く範囲での話だ。
(ちくしょう、範囲が狭すぎる!)
百八十度にも届かない。夢人をちょうど要の位置にした扇形の範囲だけがヴェールの有効範囲で、その外側の者達は各々で防御せざるを得なかった。
例えば服部は自分達の眼前の地面を持ち上げて土壁にしたが、鋭き無数の『針』が地盤を抉り取る。
雨だれ石をも穿つ――細かな攻撃の積み重ねが防御を崩していく。
(このままじゃ服部先輩達が危ない! もっとだ、もっと『天使の力』を広げろ!)
《神上の宙》の奇跡は無制限に使用できるが、自由自在に使えるワケではない。
波瑠の《神上の光》が、地球の裏側の死者には届かないように。
結局は超能力と同じく、所有者がどれだけ使いこなせるか。
ヴェールを広げろ、という夢人の意思に反してヴェールは徐々に崩壊していく。そもそもヴェールを維持することにも慣れていないのだ。わずかに出た欲をキッカケに『分解』の防壁が崩れていく。
(ダメだ崩れる!? ぼくがもっと《神上の宙》を使いこなせれば! いざという時を、あらゆるケースを想定して修行を重ねていればこんなことには――)
「愚か者、戦闘中に後悔などするな!」
ハッと顔を上げた。
金世杰の叱咤が耳に届いた時、すでに『天使の力』のヴェールは崩壊し。
防ぎきれなかった『砂鉄の針』が、自分を含めた仲間全員の身体を蹂躙していた。
「…………、ぁ」
悲鳴は一つも上がらない。全員が針の筵となったのだ。痛覚に走った刺激は、もはや意識が辛うじて繋ぎ止められていることが不思議な程に強大だった。
「………………やはり市街において、我を止めることができる者はいないのか」
地面に倒れる夢人は、英雄のそんな呟きを聞いた。
佑真がいる方角へ向かう金世杰を、白まる視界の中に捉えていた。
☆ ☆ ☆
――――――残暑にセミの抜け殻を見つけ、空蝉という呼び名を思い出すたびに。
自分と空蝉はよく似ているなと感じた。
夢人は九歳までの記憶がない。原因不明の記憶喪失者だ。
気づいた時には『伊賀の忍の里』にいた。自分が《神上の宙》という不思議な力を持っている自覚は何故か有していたが、名前も家族も友達もわからなかった。
漠然とした不安を、ずっと感じながら生きていた。
里の大人たちは優しかった。夢人が寂しくないようにと気遣ってくれたし、藤林家の養子にもなった。夢人、という名前をくれたのは藤林幸子。義理の姉だ。
突然現れた得体のしれない子に対して、大人達は愛情を注いでくれた。それは底なしに嬉しかったけれど。
夢人は未だに、一度も『藤林夢人』というフルネームを名乗ったことはない。
それは、本当の自分ではない。
記憶を失う前の自分がいるのだから、名乗るべきではないのだと。
五年もの時を、そんなことを考えながら生きてきた。
ヘラヘラした態度をとる自分を、内心では薄ら寒いと思いながら生きてきた。
つい四日前。
芦ノ湖で金世杰と【ウラヌス】が繰り広げる戦争のテレビ中継を、夢人は偶然視聴した。第『〇』番大隊の隊長から依頼を受けて【月夜】のことを調査していた『忍の里』としては、見逃すことができなかったのだろう。
里長様の家に集まった大人達が、助力に向かおうとしている中で。
夢人は、画面の真正面から動くことができなくなっていた。
『…………殺させねぇよ』
何故か戦場には、軍服も来ていない少年がいた。
彼は、自分のたった一つ年上の少年だと教えられた。
超能力を消す不思議な異能こそ持っているけれど、他にできることは一つもない。夢人より弱いかもしれない少年だった。
『…………仲間まで切り捨てちまうのがテメェの覇道だってんなら、』
血塗れになりながら。
腹部に風穴を空けられながら。
それでも両の脚で立ち上がって、顔を上げ続けて、前を見続けて。
『この場にいる誰一人として殺させねぇ! それがオレの覇道だ!!』
そんな天堂佑真から、目が離せなくなった。
心の炉を燃やし、一瞬一秒に神経を張り巡らせ、魂を轟かせる少年の叫び。
みっともないと笑う者もいるかもしれない。
敵いっこないのに、と後ろ指をさす者の方が多いかもしれない。
それでも。
天堂佑真はあの場にいる誰よりも必死で、誰よりも一生懸命だった。
何も持たない自分にとって、彼の執念は羨望と嫉妬の対象だった。
夢人の空っぽだった心に、初めて〝何か〟が灯った。
まだ、形も色も分からない。
ほんの消えかけの火種みたいなものだけれど。
もし貴方の覇道を追いかけた先に〝何か〟が見つかるのならば。
ぼくが背中を追いかけることを、貴方は許可してくれますか?
☆ ☆ ☆
「……………………。なんであの人に憧れたのか、本当はよくわかんないよ」
夢人は全身に突き刺さった『砂鉄の針』を分解させながら、まずは地面に掌を突き立てた。
両手を突いたら次は膝だ。上体を持ち上げる。生まれたての小鹿のような四肢の震えは歯を食いしばってでも抑えつけ、右足、そして左足でしっかりと地面を踏み抜く。
「だけど、佑真さんには〝何か〟があるんだ」
夢人が生きているかも分からない程の血塗れな姿で立ち上がると。
『軍神』金世杰は振り返り、真正面から相対した。
「ぼくはあの人に夢を見た。こうなりたい。ぼくも頑張りたい。一生懸命になれる〝何か〟を見つけたいって、初めて人生に意味をくれた!」
――――己を鼓舞せよ。
――――恐怖を熱量で喰らい潰せ。
「ずっと動けずにいたぼくを佑真さんが救ってくれたんだ!! だから立てよぼく!! 絶対に立ち上がれ!! そして動け!!」
――――魂を燃やせ。
――――憧れに追いつけ。
金世杰の周囲で『黄金』と『砂鉄』が蠢く。
体を覆うは『黄金の鎧』。あらゆる近接攻撃を防ぐ強固な守り。
装填されるは無数の『槍』。その刺突は生存を許さぬ必殺の豪雨。
世界最強の準備は、ここに整った。
「今ここで立ち尽くすようなヤツに、天堂佑真の後ろを追いかけられるはずがないんだから!!!」
対し、夢人は何の準備もせず、ただ突撃した。
ボロボロの身体ではどうせ小細工などできやしない。残される勝機は真っ向勝負。
「その心意気や良し。叶うならば、全く違う形で相対したかった」
黄金と砂鉄の『槍』が一斉に放たれる。
速度は弾丸を超え、制度は文字通りの百発百中。
少年一人へ向けられるには多すぎる量の『槍』が――純白のヴェールと衝突した。
ごく僅かに残った意識と執念で編んだ『分解』のヴェールが、金世杰の攻撃の尽くを無力化する――!
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
一歩一歩を踏みしめるたびに、傷口から血があふれ出した。
少しずつ前へ進むたびに、骨や筋肉が悲鳴を上げた。
苛烈な『槍』の掃射にヴェールの処理速度が追い付かず、巨大な風穴が開いた。
それでも確かな意志を燃え上がらせて、夢人は『世界級能力者』の眼前に到達すると両手を前に突き出した。
ヴェールを変質。
『分解』の判定を無機物のみではなく、有機物まで含めるよう設定を変更して、勢いのまま金世杰に突進する。
金世杰という人間を、構成する素材へと『分解』するために。
彼を殺害して無力化するために――――――。
しかし、夢人の決死の特攻は届かなかった。
ヴェールを迂回して背後側から伸びてきた『黄金』が体を串刺しにして、夢人の全身を縛り付けたのだ。
トシャッと、全身から血流が溢れ出る。
「……ぁ、っ…………」
「見事であった。貴殿が十全であれば――あるいは我が正気であれば、この戦争は貴殿の勝利である」
金世杰は夢人に対する敬称を変えていた。
夢人の名を知らない。故に少年をこう呼ぶことでしか、敬意を表せない。
「貴殿の長き将来を奪ってしまった。この罪を償うことも叶わぬ我が身を、どうか許してほしい」
そして金世杰は、完全に力を失った夢人の体が地に落ちるのを見届ける。
元々感情の乏しい男だが――少なくとも今の金世杰の表情は、何の感情も表していない。もはや発する必要がないと言わんばかりに。
この勝敗は当然の結果だ。たとえ《神上の宙》があっても、満身創痍の十四歳が『世界級能力者』に勝てるはずがないのだ。
ただ金世杰が、自分の肉体を制御できていれば。
命を奪わずに無力化してやることも、可能だっただろうが。
もはや戦場に戦う意志はない。
後は『軍神』による掃討が残されるのみである。
☆ ☆ ☆




