●第百九十九話 Oath 03
芦ノ湖では、数多くの戦場を乗り越えた【ウラヌス】の皆がいても尚劣勢を強いられた。
『軍神』金世杰と改めて、ありえない程少ない戦力で敵対する。
それが何を意味するのか、実際に戦場に立った佑真と波瑠は嫌という程理解しているにもかかわらず。
「〝天ノ逆手〟」
またも気づかぬうちに波瑠の目の前に移動したスーツの男は、すでにモーションに入っていた。
「人の身でありながら神の力を宿したこと、此処に後悔するのだな!」
右足を強く踏み込んでの籠手を合わせた拳骨。咄嗟に氷壁を体の前に張ったが、それを容易く貫通する一打が鳩尾を抉った。
「っ、かはっ」
空気が漏れる。両足が宙に浮き、数十メートルを一気に吹き飛ばされる。
ゴロゴロと激しく転がって勢いが止まる頃には、佑真と金世杰の姿がはるか遠くに見えた。
(……ダメージが、重すぎる……人間技のそれじゃない……!)
単なる拳骨ではない。籠手を装備していたとしてもおかしい。何か、異なる力が上乗せされたような錯覚があった。
内蔵が訴える鈍痛に悶えていると、
「なるほど――我が〝魔術〟も本物の天神に対しては初使用だったが、想像を超える性能だな。これは面白い」
と。
右手にはめた籠手に触れながら満足げに呟くスーツの男の声が、背後から聞こえた。
(また気づけなかった!?)
「とはいえ殺してしまっては元も子もないのでな。加減せねば」
波瑠は咄嗟に振り返るも、男の姿はどこにも見えない。
「《透過能力》の能力者との交戦経験くらいあるだろう。こうも一方的では超能力の質を落とすぞ、天皇波瑠」
振り返った上での背後。スーツの男は常に波瑠の死角を取り続ける。
その上で繰り出される、人間技を凌駕した拳骨の一打を。
パシッと途中で掴み取り、流れるように投げ技へ繋げてスーツの男を地面へ叩きつけた。
「いいえ、波瑠様は今度こそ、この黒羽がお守り致します」
一連の動作を披露したのは、黒羽美里。
かつて天皇真希と共に第三次世界大戦を駆け抜け、波瑠と桜の保護者役兼『守護者』として傍にいた女性が、スーツの男を大地へ叩きつけたのだ。
「美里さん……!」
「波瑠様、まずはご自分の回復を!《神上の光》は確かに絶対的な治癒の奇跡を施しますが、それは波瑠様が壮健であってこそなのです!」
美里に言われるがままに、借り物の浴衣で申し訳ないとはいえ流血を使って魔法陣を描く波瑠。
一方で美里に投げられたスーツの男は、腕を掴まれ地面に組み伏せられた状態のまま美里を睨み付けた。
「見事な体術だ。火道道場のものとみえるが、それは【ウラヌス】でも多用される基本型。あまりにも世間に広まり過ぎた典型だ!」
スーツの男はわずかに身をよじらせた。
すると背広の内ポケットから転がり出た球体が、ボフン!! と白い煙を発する。
「なっ、煙玉!?」
「美里さん!」
傷を一瞬で回復させた波瑠は、すぐさま気流操作を用いて煙を吹き払った。
しかし美里が驚いた隙に、スーツの男はするりと拘束を抜け出したようだ。ふたたび姿をくらます彼を、目線をさ迷わせて探す美里。
「そんなに長い距離を逃げる時間はなかったはずでは……!?」
「多分だけど、それがあの男の能力なんだと思う! 姿を消す、あるいは気配をなくす。そうやって私達の死角に潜り込んで拳を喰らわせる!」
「厄介な相手ですね。わたし達の超能力では対応しがた」
美里の台詞は、途中で断ち切られた。
本来であれば気づかなければおかしい距離、目の前数十センチまでスーツの男が接近していたのだ。しかも攻撃モーションが完成された状態で。
右腕を振り抜く強烈な肉弾。
反射神経でも追い付かない刹那的な攻撃が、美里にクリーンヒットする。
「美里さん!!」
「悲鳴を上げている場合か」
男は吹っ飛ばした美里に目もくれず、一足で波瑠との距離を詰める。
けれど、美里は地面に体を打ちつけながら口角を釣り上げていた。
「SET開放」
美里は殴られる瞬間に、何一つ行動を起こせなかった訳ではない。
殴られるのを覚悟の上で、追撃のために黒曜石を投げていたのだ。次に波瑠を攻撃すると予想し、移動ルートを先んじるように!
《黒曜霧散》――黒曜石を起爆剤にして爆発を起こす超能力が、轟音の連鎖を鳴らした。
「む――おおおおおっ!?」
スーツの男が爆風の乱舞に揉まれる。波瑠や美里にまで少なからず被害が及ぶ強烈な仕返しに、かの男がよろけた隙を波瑠は逃さなかった。
凍結と感電の合わせ技。身体を麻痺させつつ外部から氷塊で包み込むことでの拘束が、スーツの男を締め上げる。
「〝水遁〟!!」
けれど男が両手を使って不思議な形を結ぶなり、波瑠が生み出した氷塊の形がグニャリと歪む。
氷塊は溶けて巨大な水泡になり、周囲へ一斉に弾け飛んだ。
「うわっ!」「くっ!」
まるで水鉄砲でも放つかのように、水飛沫が的確に波瑠と美里の目を潰しにかかる。反射的に腕をかざし、あるいは顔を伏せて水飛沫を躱すが、その隙に二人はスーツの男を見失っていた。
「小賢しい真似を……!」
「随分と失礼な言い方だが、この『忍の里』において我が〝術〟を侮辱することは全忍者を否定するに等しいぞ」
額に脂汗を滲ませたスーツの男は、波瑠と美里から距離を置いた状態で会話に応じた。……とはいえ美里による黒曜石の爆発が直撃して、生傷一つ存在しない男の頑強さに波瑠は息を呑む。
そうしてスーツの男は、腰を低く構えた。
「忍び戦う者には、恥も外聞も必要ない。求められるはただ結果のみ。故に俺は《神上の光》を持つ貴様の身柄を必ず確保する」
「させません。この命に代えてでも波瑠様をお守りします!」
☆ ☆ ☆
波瑠がスーツの男の拳をまともに喰らい、吹っ飛ばされてしまった。
佑真には男の一挙一動が鮮明に見えていた。おそらく男の使う〝姿を消す能力〟は佑真の《零能力》と相性が悪いのだろう――それでも佑真が庇うために動けなかったのは、ひとえに『黄金の針』の弾幕があったからだ。
今度は範囲を限定的に絞り、佑真を的確に狙う攻撃。
〝雷撃〟は使えない。
身体能力のみに頼って回避しなければ、即死――!!
(クソッタレが!)
佑真は自らの動体視力と運動神経に頼って、後を追う『黄金の針』から我武者羅に逃げ回る。
けれど意識的にそう動く佑真は、普段通りのパフォーマンスを発揮できずにいた。
彼の反射神経や『先読み』といった技術は、集中力百二十パーセントの『ゾーン』に入ることでようやく成立するものだ。
そして『ゾーン』とは、往々に無意識下で偶発的に入る精神状態を呼ぶ言葉だ。
特に目を凝らさずとも、ピッチャーの投げる球の縫い目まで見える。
特に意識せずとも、ランニングフォームの一歩一歩が最適な加速を導く。
そんな感覚を引き出しやすいのが天堂佑真の特性だった。
故に『うまく立ち回ろう』と意識しすぎた佑真の身体は、かえってぎこちない動作になっていた。
「っ、がはっ」
佑真の失敗は、結果として現れる。
『黄金の針』に意識を集中させ過ぎたあまり、視界の端から迫る『黄金の鞭』に対応しきれず、脇腹を思い切り殴られていた。
ドッ! と少年の体躯が吹っ飛ぶ。畑をゴロゴロと転がり、泥まみれになりながら顔を上げる頃には、眼前に金世杰の戦闘態勢が完成されていた。
「…………『黄金の獅子』……!」
金属を操る超能力で作られた、体長五メートルをゆうに超える『黄金の獅子』を月明かりが照らす。その上に金世杰と、槍を持つ青年が立っていた。
青年は槍をクルクルと弄びながら、
「うーん、例の〝雷撃〟を使ってもらわないと試運転にならないんだけどなぁ」
「……テメェ、金世杰に何をした!?」
「特別なことを少々。もちろん答え合わせをしてやるつもりはないけれどさ」
ポン、と青年は金世杰の肩に手を乗せた。
「僕の〝魔術〟は対象を使役下に置く代わりに、自意識も蘇らせちゃうんだよね。戦っている最中に語りかけ続ければ、金世杰本人が答え合わせをしてくれるかもしれないよ」
それじゃあ頑張ってね、と告げて槍を持つ青年はピョンと飛び去ってしまった。
後を追おうにも、立ちはだかるのは『軍神』と『黄金の獅子』。
立ち上がった佑真は、金世杰を見上げた。
「クソ、なんでお前がここにいるんだよ!?『黄泉比良坂』に連れていかれたんじゃないのか!?」
「その後、様々な経緯があったのである」
青年の言う通り、金世杰からは本当に返事があった。一切の傷を気にしない奇妙な状態だが、意識はあるようだ。
「伝えられるだけ伝える――故に零能力者よ。生き延び、そして我を攻略しろ!」
しかし言葉とは裏腹に、金世杰を乗せた『黄金の獅子』が大口を開けた。
金属が無数の『槍』へと変形し、射出される。
『針』が弾幕式のマシンガンだとすれば、『槍』は一撃必殺のライフルだった。超速度で打ち抜かれるそれを、佑真は完全に回避できない。
「ぐっ……!」
腹に。腿に。肩口に。次々と放たれる凶器から、致命傷を逃れることで精一杯になっていた。
こんなものは『軍神』の序の口だ。
金世杰は六発程度で『槍』の射出を止めると、飛び降りて左手を広げた。
彼の背後で『黄金の獅子』が分裂し、自立式の『黄金の骸骨』へ変化して佑真を取り囲んだ。そして金世杰の左手には大槍が握られる。
「どうやら我が肉体は、歩兵戦が貴様に対する必殺だと判断したようである。しのげ!」
「なんだそれ!?」
佑真は息を大きく吸い、吐き出さずに止めた。
改めて瞼を開きなおす。体が思い通りに動かないなら、それをも計算に入れて動くしかない。例えば師匠・火道寛政との修行中には全身に錘をつけられた事があった。その時の経験を教訓として、即興で『骸骨』の攻撃に応じていく。
「金世杰、教えてくれ! お前は今どういう状態なんだ!?」
「我は一度殺され、奴の〝死者の軍勢〟として此処にいる」
「は!?」
「……混乱を招いたか、忘れよ。端的に説明する」
金世杰は片手によるものとは思えない槍捌きで佑真を圧倒しながら、
「現在の我は、あの神崎という青年に操られている〝操り人形〟だと思え。我がいくら『止まれ』と唱えても変化せぬ点から察するに、この肉体は神崎の命令に逆らえない。意識と動作がチグハグになっている!」
金世杰は分かりやすい言葉を選んでくれたが、佑真は血の気が引くのを感じた。
最悪だ。金世杰は神崎の命令によって動きを変えられない限り、佑真を殺害するための戦闘マシーンとして動き続ける。
たとえ腹部を貫かれようとも。
たとえ本人が拒もうとしていても。
「幸いなことに言葉を紡ぐ自由は存在している。助言は与え続けよう、攻略の糸口も共に思考する! 故に何があっても死ぬなよ、零能力者!!」
「無茶を言いやがる…………ッ!?」
死ぬなよ、と告げた矢先だった。
金世杰の振り抜いた『槍』を躱した先に待っていた『骸骨』の短刀が、佑真の額をツゥと引き裂いたのだ。血が垂れる。脳が激しい熱を発する。鋭痛が思考に一瞬の空白をもたらす。
ごく一瞬の隙を『軍神』が逃すはずもなく。
苦悶の表情を浮かべながら、『黄金の槍』が振り抜かれようとした。
その『槍』を、純白の光線が貫いた。
『槍』は一瞬でただの『黄金』へと分解され、佑真は額から流れた血を拭いながら距離を取る。そんな佑真の傍に降り立ったのは自称弟子一号だった。
夢人は着地するなり、純白の光線を周囲一帯へグルリと薙ぎ払う。
《神上の宙》の奇跡が、『骸骨』を形成する黄金へと瞬時に分解。そのまま佑真の襟首をつかんで跳躍し強引に距離を取ると、金世杰から佑真を庇うような位置で苦無を構えた。
「佑真さん無事ですか!?」
「マジで助かった。ありがとな夢人」
「弟子として当然の務めです! ですけど佑真さん、」
「何故〝雷撃〟を使わないのであるか!?」
――――金世杰の怒号が、広い里に響き渡った。
夢人の後を追って次々と到着する忍者たちが、場の違和感を読み取って佑真に注目を集める。
あの『軍神』が怒りを発した事実に驚愕が広がる。
夢人はあくまで金世杰から目を逸らさないが、背後での動揺を察した。
「佑真さん、ぼくも金世杰と同意見です。なんで《零能力》を使わないんですか」
「……」
「あの〝雷撃〟なら金世杰にだって対抗できるかもしれないのに……いや、まさか佑真さん」
「言うな夢人!!」
佑真の余裕が微塵もない叫びに、夢人は奥歯を噛みしめた。
芦ノ湖での戦闘で【ウラヌス】が『世界級能力者』と対抗できた要因の大部分は、ありとあらゆる異能を消し去る《零能力》にあった。
敵が強い超能力者であればあるほど、零能力者の存在感が浮かび上がる。
今ここで金世杰と相対する以上、ただでさえ【ウラヌス】より戦力の劣る『伊賀の忍の里』に勝機があるとすれば『どれだけ佑真をうまく利用するか』にあった。
里長様が夢人をはじめ、総勢二十名を超える忍者を金世杰の下に送り出したのはその為である。
《零能力》が使えないとなれば、彼はただの最弱の少年だ。鍛えてきた身体能力さえ機能しないとなれば、彼はただのお荷物だ。
「…………佑真さん、下がって傷の応急処置をしてください」
だから、戦力にならない佑真に対してこう判断するのも当然のことだった。
「おい夢人、いいのか?」
「こうするしかありません、服部先輩」
両手に純白の球体を出現させながら、夢人は下肢に力を込める。
「皆さん、ぼくが《零能力》の代わりを務めます。ぼく達だけで金世杰を止めます!」
屈辱でしかない宣告と共に、忍達と『世界級能力者』の激突が始まる。
額の傷がジクジクと痛む。
用済みと言われた佑真は――一体どこへ行けば、邪魔にならずに済むのだろうか。
☆ ☆ ☆




